第5話

「気づかれた?」


 シセルは押していた台車の下部にある保冷庫のドアを開けようとして、背後から聞こえる開閉音に気づいた。


 保冷庫の中には宇宙服が詰まっていたが、それを諦めて後部車両へと急ぐ。


 しかし、前を行くスタッフの男性がその腕を掴んで引き留めた。


「冷静に。左の通路から行くぞ。それ引っ張って」


 スタッフはシセルと入れ替わるようにして立ち位置を変える。


「いうけど……」


 シセルは帽子のツバを上げて、後ろを確認する。


 ちょうど二人の軍服がまっすぐに向かってくるのが見えた。ここは生活車両の延長であったが、あるのはシャワー室や洗面所といった施設が主だ。それゆえに貯水タンクやろ過装置などが車両面積の大半を占めている。


「逃げられるの?」

「ついてくればわかる」


 男性スタッフも前から台車を押して、足早に通路の十字路を左に曲がった。


 その姿を見ていた追跡者たち、ヴォルトとメルフェドは狭い通路を走る。揺れる床に体を揺さぶられて、両手で壁を叩いて体を前に押し出す。


「やっぱり怪しいな……」


 ヴォルトがつぶやくと、角で何かが倒れる音が響いてきた。


「逃げた!?」


 メルフェドが叫ぶ。


 二人が慌てて十字路を曲がると、そこには男性スタッフが倒れた台車を起こしているところであった。床にはカップやポッドが転がっていたが、中身が零れるようなことはなく、カップも紙製だったために大事には至らなった。


 そして、彼は帽子のツバを少し上げて、バツが悪そうに笑った。


「すみません。お騒がせして」

「ええ、大丈夫ですか?」


 ヴォルトはそう言いながら、カップを拾い集める男性スタッフに近づき、自然と拾うのを手伝った。


 ヴォルトの質問に対してスタッフは肯定し、集めたカップやポッドを台車に載せる。それからヴォルトの分を受け取った。


 間近で彼の行動を見ているヴォルト・ヌーベンであったが、不審な挙動は見受けられなかった。初めから一人だったような振る舞いである。


 その様子を眺め、周囲に視線を向けていたメルフェドが割って入る。


「さっき連れがいたように見えたんだが?」

「あいつは奥のシャワーが壊れたとかで引っ張られましたよ」

「そいつは――、大変ですな。手伝えることがあるならやりますよ」

「男が出入りできるなら、そらやるでしょうけどさ」


 スタッフはメルフェドを笑って、彼らから視線を外して歩き出す。台車がガタンと床下へ続くカバーを乗り越えた。


「それは野暮ってことで一つご容赦願いますよ」


 その後姿をヴォルトは眺め、しばらく立ち尽くした。


「水道の管理なら仕方ないが……」

「どうする? 女スパイ容疑の奴だろ?」

「とりあえず奥のシャワー室に行ってみよう。入れないでも、事情くらいわかるだろ」


 二人の青年は意見を固めると、一路後部の方へ移動を開始する。


 その足音が遠ざかっていくのを床下で注意深く聴いているシセルがいた。列車の振動ではっきりとは聞き分けられなくても、どたばたと騒がしい音は何とか耳にすることができ、彼女は狭い配電ダクトを中腰の辛い姿勢で進んでいく。


「まったく。無茶苦茶なのよ」


 シセルは作業着のポケットからペンライトを出し、明かりをつける。


「脱出できなかったら恨むんだから」


 その明かりを頼りに土地勘のない配電ダクトを進んでいく。


 スタッフの男性に押し込められて、とにかく前に進むよう指示されたのだが、どこに繋がっているのかもわからない。左右には配電ケーブルの束が敷き詰められ、ところどころに配電盤が置いてある程度で、標識などない。


 進んでいくと、正面は行き止まりでその手前に下層へ通じる床扉があった。


 ラベルには『浄水槽』と書かれており、シセルはその取っ手を開いた。帽子を押さえながら、下に顔を出す。


 くぐもった音が左右の壁から聞こえ、暗い色をした通路が続いている。人気もなく、浄水槽の駆動音と車輪の弾む音が一定間隔に聞こえるばかりだ。


 グリーンの床の重い色が上下逆さまの視界であっても、はっきりと見えた。壁に視線を向ければ、案内表示があった。


「連結通路……は、後ろ、と」


 シセルは頭をひっこめると、足から下へと飛びおりた。立ち上がり、連結通路へと急いだ。


「とにかくグライダーに行って、運転席に連絡いれなきゃ」


 ペンライトをしまい、急ぎ足に後部車両へと移動を開始する。


 車両を次々と乗り継いで、最後尾の手前まで至ると、そこはアン・カーヴェッジの〔ビィ・ツゥ〕を積載した車両。


 下層部はクッション材が敷き詰められた左右の壁に挟まれ、上層に繋がる簡素なタラップから轟音が響いてくる。その等間隔に置かれたタラップには整備員たちが道具や機材の運搬をしている。


 シセルはその轟音に顔をしかめながら、タラップの上を覗き込んだ。

 

「吹き抜け構造だけど――っ」


 シセルが見上げた先でヴォルトが時を同じくして下層の様子を窺っていた。


 二人の視線が合い、互いに背筋が震える驚きを覚えた。


「いたぞ!」


 ヴォルトが叫ぶ。


「どうした?」


 対して、後部車両側へと進んでいたメルフェドが僅かに彼の声を聴いて立ち止まる。


 しかし、吹きすさぶ風音と洞窟で響く重機の轟音でヴォルト・ヌーベンの発言を聞き取ることはできない。対応が遅れる。


 その間にもシセルは慌てて走り出していた。


「下にいるんだ! あいつだ!」


 ヴォルトは大声で叫びながら、腕を大きく振って下層を指し示し、後部車両の方へ走り出す。


 そのジェスチャーにメルフェドは見当をつけて、即座に一番近いタラップへと移動する。危険な貨物車両であっても、彼は素早くタラップの手すりを掴んで体を投げ出すように飛び降りた。


 そして、メルフェドは正面にシセル・メルケルを捉える。


「こいつか?」

「ベスパの制服っ」


 シセルは突如上から降ってきたメルフェドに面くらい、急停止。そして転進。情けなく腰砕けになりながらもと来た道へと走る。


 だが、下層に降りていたヴォルトが迫り、彼の腕が容赦なくシセルの体をからめとった。


「お前っ」


 ヴォルトは力任せにシセルを壁へ叩き付ける。


 シセルは頭を強く打ち付けて昏倒しかけ、それでも右腕を振ろうとした。だが、彼は素早くその腕を掴んで、胸ぐらを締め上げて再度シセルを壁に叩き付ける。


 その拍子にシセルの帽子が落ちて、白い肌やミルク色の髪、そして涙で潤んだ青い瞳が露わになる。


「お前――、正規兵じゃない、な」


 ヴォルトは顔を寄せてまじまじとシセルを睨んだが、苦悶の声を上げる彼女の声にたじろいだ。


「だったら、何よ?」


 シセルはヴォルトやその背後に回るメルフェドを確かめる。


 その反抗的な動きにヴォルトは苛立つ。


 自分が拘束している女の子はとてもではないが、軍属の臭いがしない。漂ってくる香りもそうだが、その息遣いが違う興奮を覚える。


「ヴォルト、こいつが追跡艦のクルーなのか?」

「そのはずだが……」


 ヴォルトは訝しみながら、メルフェドが肩に手を置くのが分かった。


 メルフェドはその震える肩から彼の心情を推察して、肩を叩いて力を抜かせる。


「力みすぎだ。締め殺しちゃ、元も子もないだろ」


 シセルの足元を見れば、彼女の足が浮いているのがわかる。咄嗟のことで力が入っていると思ったが、何か力の入れようが違うと思った。


「わかってる……。けど、こいつは――、スカート付きの声、じゃないのか」


 ヴォルトはシエルの吐息が、コロニー制圧の時、〔メルバリー〕追跡戦の時を思い出させる。


 あの赤いスカート付きのAMアームド・ムーバ。その声と息遣いが回線越しに聞こえて、死を意識させられた。同じ相手に二度も。


 ヴォルトの意識が怒りとも憎しみとも判断つかない激情にのまれそうになった。


 その時、列車がカーブに差し掛かり車両が横殴りに揺れる。


 拘束していたヴォルトの姿勢が崩れた。わずかに手元の力が緩む。


「――ッ」


 シセルは瞬間足に力を入れて、ヴォルトの腹を思い切り蹴りつける。拘束が解かれ、咳き込みながら床に手をつく。


「こいつ、狙ってやがった!」


 メルフェドは倒れこんでくるヴォルトの肩を引いて、彼の体を無理矢理にどかした。空いている手を腰に回して、携行している拳銃に手をかける。


 その間にも、シセルは床を這うようにしながらも後部車両に向かって走っていた。


 シセルの背中に向けて、メルフェドは銃口を向ける。しかし、足場の揺れで狙いが定まらない。対してシセルの身体は左右の壁にぶつかりながらも、すばしっこく進んでいく。


「ええい、ままよっ」


 メルフェドは構わず安全装置を外し、発砲した。乾いた音が車輪の轟音にかき消される。


 シセルが次のタラップを過ぎたところで、その弾丸が手すりに当たって跳ね回った。


 思わず頭を低くして、シセルは先を急ぐ。


「撃ってきた! 冗談でしょう?」


 冷や汗が吹き出し、心臓が破裂しそうなほど高鳴る。


 シセルは最後のタラップを横切り、連結車両のドアにぶつかるようにしてしがみついた。


 振り返れば、メルフェドとヴォルトが銃を構えて距離を詰めてくる。確実な射程距離に入るまで我慢をしているが、それだけに確実に仕留めに来ているのが嫌でも伝わってくる。


「参謀に何て説明するんだ?」

「スパイの容疑者の確保なんだ。構うものか。これだけでも、この列車が故意でないでも加担していることが明らかなんだからな」


 メルフェドの質問にヴォルトはそこまで答えて、はたと思い出す。


 最後の車両に積まれているものがグライダーであることを。しかし、そこへ続く道は普通の、それも女の子が進もうとは思わないだろう。


 それでも胸の内にわだかまる疑念は、青い瞳の少女がスカート付きのAMアームド・ムーバパイロットだと思えるからだ。


「メルフェド! 上に回って〔ビィ・ツゥ〕に回ってくれ!」


 ヴォルトの指示に、メルフェドは即座に返答して手近なタラップを駆け上る。疑義をぶつけている暇はなかった。だが、この状況で何の考えなしに追跡の手を分散するほど、ヴォルト・ヌーベンが『できない人間』でないのは、同期である彼にはわかっていた。


「わかった。信じるからなっ」

「ありがとう!」


 タラップを上がる友人にヴォルトは礼を言いながら、連結通路に飛び込んだシセルを目にした。


 シセルは短い通路を進み、最後尾へ繋がるドアを開いた。


 瞬間、吹き荒れる風に目を細めて、目の前の光景に絶句する。


 最後尾の車両は一枚板に車輪を付けたような簡素なつくりだ。幌で〔ビアンケリーア〕を覆って固定しているだけで、人が安易に進めるような場所ではなかった。さらにそこへ渡る通路も梯子をかけただけのような、簡素なつくりである。底を覗けば配電ケーブルが走っているも、高速で流れる地面に尻込みしてしまう。


 それでも、シセルは顔を上げて一歩通路へと踏み込んだ。


「先に進めばいいんでしょ。帰るためには、さっ」


 自分を鼓舞して、一気に風に体を押されながら勢いよく通路を渡る。


 遅れて連絡通路に入ってきたヴォルトであったが、すでにシセルが最後尾に移っているのを見て驚愕する。


「嘘だろ。普通渡らないだろ?」


 ヴォルトは銃を構えるもシセルは床を這って幌の下に逃げ込んでしまった。


 銃を上げて作戦を切り替える。ここから撃ったところで意味はない。


 腰のホルスターに銃を収めるなり、通路を引き返す。そして、ドアの近くにあった通信装置を起動し、〔ビィ・ツゥ〕の通信コードを入力。先に回ってくれたメルフェドは素早く仕事をしたくれたおかげで、通信はすぐに繋がった。


「メルフェド、出られるか?」

「ああ。あの女、飛び移ったのか?」

「そうだ。機体ごと抑える。できるな」

「トンネルが近い。仕掛けるなら――」


 メルフェドの通信を遮るようにして、一層激しく増した反響音がヴォルトの耳に届いた。


 列車がトンネルに入ったのだ。


 その暗さは列車内ならば問題ないが、外にいるシセルは突然の暗闇に床に敷設されているコンソールの光りだけが際立ったのに驚いた。


「もうすぐって時に」


 シセルは車両の連結解除の操作を諦めて、幌を支えるロープの強制解除に操作を変える。一瞬にしてロープがフックから取り除かれ、幌が後方へと吹き飛んだ。


 そして、シセルは〔ビアンケリーア〕を支えにして、立ち上がり機首にある起動パネルを操作するとキャノピを開き、急いで中へと転がり込む。


 その操作が先頭車両にいるメルモランたちも察知して、事態の動きを察した。


「中佐、最後尾で荷物の固定が解除されました」


 ナビゲーターが車掌のメルモランをふり仰いで言う。


「動いたか。接触回線は繋がるか?」

「少々お待ちを……」


 メルモランはヘッドセットを手にしながら、別のナビゲーターの席へ移動する。


「すまないが、本部に線路上に障害物が落ちたことを通達してくれ。ダイヤの変更だ」

「了解。それで乗ってる連中の動きを見ようってことですか?」

「俺たちは、しがない鉄道員。諜報活動までやる気はしないな」


 部下たちの高揚感が映画のワンシーンの憧れであると感じた。


 しかし、彼等とて軍人だ。近く戦争があると思えば、それに引き込まれる人も出てくる。月の鉄道部隊というこざっぱりした部署では、スリルや主張に入れ込んでしまう人間は出てくるものだ。


 メルモランはそれを押さえて、どうにか若い人が少しは平穏な舞台に慣れてくれることを願うばかりであった。


「繋がりました。〔ビアンケリーア〕から、イメージもあります。そっちのモニタです」

「すまない――」


 メルモランはヘッドセットのイヤーマフを耳に当てて、〔ビアンケリーア〕の映像が入っている小さいモニタの前に立った。


「変装がばれたのか?」

「ええ、追いまわされもしました。それで、どうすればいいんです?」


 シセルの視線は四方を見ており、キャノピの閉まりを気にしているようだった。それでも、まだ冷静な顔つきで状況に対して行動が出来ている。


 メルモランは別の進行表を目にしながら、通信を繋げたくれたナビゲーターに目配せする。


「トンネルを抜けた次の区画に重機搬入用の昇降機がある。それで月面に出て、直接迎え。データを転送する」


 そのやり取りと、メルモランの所作を見たナビゲーターが対応する。


〔ビアンケリーア〕にいるシセルはキャノピのタッチスクリーンを操作して、送られてきたデータを開く。それは区画の見取り図であり、さらに昇降機の起動コードであった。


「遠隔操作できる。あとは、キミの腕次第だ。シセル・メルケル」

「やってみます」


 シセルはシートベルトをして、操縦桿を握りしめる。


「よし。トンネルを抜けたら、発進だ。タイミングはそっちに任せる」

「わかりました。色々お世話になりました」


 シセルは社交辞令を行って、通信を切る。


「大人の勝手な都合で、振り回される身にもなってみなさいよ」


 アン・カーヴェッジにしても、ここのスタッフにしても自分本位過ぎる気がする。


 シセルの思惑など通じないほどに、強情で自分の意見を通している暇もない。それでもソフィとの合流を果たすためには、やるしかないのだ。

 

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