第4話
ソフィは上着を何枚も羽織り、ユノに手を引かれて〔メルバリー〕の甲板に出ていた。怪我人や被災者たちが集まり、月の政府から派遣されてきた職員たちに身元確認を受けている。
「身分証がない人はこちらに集まってください」
「血液検査や網膜鑑定だってあるでしょう?」
「個人情報のネット化は制限されてるんですから、渡航歴やらなにやらで調べるのも大変なんです」
すでに〔メルバリー〕は月の裏側に位置する小都市ウワファの港に入り、補給と民間人の引継ぎを急いでいる。
しかし、ソフィ・メルケルはふらふらする頭で姉の行方がわからないことが不安だった。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫? ターミナルに着いたら、お姉ちゃんに会えるからね」
連れ添うユノもまだふらついているソフィの手を握りながら、順番を待つ。そうしていると、同じ境遇の民間人が数人ちらほらとユノ達のところへ集まってきた。
「その子、大丈夫なのかい?」
「ええ。まだ微熱がありますけど、だいぶ落ち着いてきました」
「そりゃあよかった。それであんたがお姉さん?」
ユノは集まっている人たちを見回しながら、ソフィを庇うように一歩前に出た。
「いいえ。頼まれて、この子を見てるんです。それが、何か?」
その言葉に集まった大人たちは温和な仮面を崩して、はしたなく口の端を上げる。
「あんたも、地球に降りるつもりかい?」
「そこまで考えてません」
「そんなこと言っちゃってるが、この子が地球高官の娘だから」
「よくしてりゃ、地球においてくれるって考えることは同じってね」
ユノは大人たちの口振りに怒りを覚えて、思わずソフィを強引に引っ張ってその輪から逃れた。
「信じられないッ。あれが大人のいうこと!」
病気の子供を頼ろうとする根性も許せないが、平気で人を利用しようとすることが腹に据えかねる。
「卑怯で愚劣。品性もないっ。これだから、大人って嫌なのよ」
ユノは腹の奥底から湧き上がる不快感を早口に吐き捨てて、デッキの方へ足早に移動する。
「ユノさん、待って」
ソフィは彼女の手に空いているもう一方の手を添えて、体重を預けるようにした。寒気が抜けないのに、火照った体は気だるく早く動けない。ほとんど、ユノの力任せで引きづられているようなものだ。
ユノも腕にかかる重みに気づいて、足を止める。
膝が崩れてへたり込んでしまうソフィに、ユノは屈みこんで顔を覗き込む。
「ごめんなさい。急に引っ張ったりして」
「ううん。大丈夫……」
そうは言うものの、ソフィはせき込んで真っ赤な顔を上げる。
ユノの目にはその姿が辛そうで、このまま甲板にいても仕方ないと感じた。
ユノはソフィを抱きかかえて、跳ねるように立ち上がる。
「大丈夫だから……っ」
「少し熱がぶり返してきたかも」
ユノはぐずるソフィの首筋に手を当てて、体温を確かめる。
恥ずかしがっていたソフィであったが、すぐに脱力してしまいユノの首に腕を回して、落ちないように彼女の衣服を握りしめた。
「そうそう、良い子にね。あのお医者さん、どこにいるのかしら」
ユノはソフィを抱え直しつつ、開放されているデッキに向う。
デッキクルーたちが補給物資の確認や浮遊ファンを備えたターレットトラックが物資を運搬している。
ユノたちはその忙しいところに入ってしまったから、悪目立ちして冷たい視線が刺さる。クルーたちの反応は月について安心している風ではなく、未だ追跡者の存在に緊張している感じがした。
と、一台のターレットトラックが彼女たちの横を通り過ぎる。
「一般人が、入ってくるな!」
運転手に一喝されてユノは壁際に寄りながら、肩をすくめる。
「怒鳴んなくったっていいじゃない」
「おい、何してんだ?」
ユノは頭上からする声に反応して見上げてみると、キャットウォークから顔をのぞかせるカービンの姿があった。
「あなた、シセル・メルケルさんのお友達でしたわね?」
「それが何か? あんたらはウワファの町に出るんじゃないのかい」
「かかりつけ医のフレーメル先生を探してるんです」
ユノを見下ろしていたカービンは彼女が抱えているソフィを認めて、すぐ近くにあるエレベーターに移動する。
「この子、また熱が出て――」
「こっちに来てくれ。訳を聞く」
ユノは不安になりながら、下に降りてきたエレベーターを目で追いかけ、そこへ移動する。エレベーターと言ってもむき出しの昇降台であり、人が数人乗ったら一杯になってしまう。
「乗ったな。手元のコンソール使えるか?」
「コンソールって何です」
「リモコンだよ。エレベーターくらい使えるだろ。上の矢印を押すだけでいい」
ユノは頭から降りかかる強気な口調に口をとがらせながら、手すりにあるスイッチの塊のようなコンソールを操作する。
言われた通り、上昇のボタンを入れるとエレベーターは上がった。
すると、距離を測っていたカービンは上がっている途中のエレベーターに飛び乗った。
エレベーターが揺れて、ユノは腰を落としながらバランスを整える。
「乱暴ね」
「このまま船内に入るんだ。先生だって中にいるし、別にいいだろ」
カービンは頭上を見上げながら、コンソールを操作して昇降台と繋がるエアロックを開放する。
「わたしは軍艦にいつまでも乗る気はありません」
「言ってもあんただって、帰る家もないくせに」
カービンにそれを言われると、ユノは閉口してしまう。
デッキの景色が硬く狭苦しい壁に変わり、すぐに船内通路へと到着した。通路には乗組員たちが使う日用品の数々が連なって、壁に括り付けられていた。
「メルケルって言えば、地球の良家だから取り入ってみようってことだろ」
「そういうあなたこそ、そのつもりじゃないの?」
「そうしたかったよ、正直」
カービンはエレベーターから降りて、通路の左右を確認する。
「けど、シセルがここに残るようなら意味はないな」
「ちょっと待ってよ。あのひと、軍艦に残るの? 聞いてない」
ユノは思わず大声を出してしまったが、抱きかかえているソフィのことを思い出して口をつぐむ。幸いというべきか、熱にうなされている彼女には話の内容を理解している風ではなかった。
それからカービンの横にステップを踏むようにしてついた。
「妹さんを一人にしてくの?」
「だから、あんたに頼んだんだろ。考えてもみろよ」
カービンは進路を決めるとさっさと先に進んで、ユノが後ろを追う形になった。
「囮をしてるんだぞ? 命張ってるんだよ」
「それが根拠にはならないわ」
「それじゃあ、なんでアームド・ムーバに何度も乗るんだよ?」
「妹さんのためでしょ。あなた、独りよがりの考え方ってわかってる?」
ユノの強気な言葉にカービンは眉を顰めるが、怒りをあらわにすることはなかった。
彼としてもユノ・クックスの考えを否定できないし、何よりシセルの行動原理は妹が中心であることは知っているつもりだ。
「考え方なんてそんなものだろ。妹を無事に家に帰すためなら、自己犠牲だってあるだろう」
「はぁ……」
ユノは要領を得ないカービンとの会話に疲れて、ため息をつく。
「帰って来ればはっきりするでしょう。それよりも先生も、軍艦に残るの?」
話を切られて、カービンは心中呆れかえった。
女の身勝手な話題転換は頭の奥底が痺れるような苛立ちを覚えるし、いつも自分が正しいと思っている感じがする。自己中心的な奴だ。カービンにはユノ・クックスがそう映った。
「そう聞いてる。ヘンリーやメット、ティータも残るらしいしな」
そういってカービンはユノから距離を取って医務室の方へ向かう。
彼の背中を見たユノにしてみれば、刺々しい苛立ちを察することができた。それでも自身の現状報告以上の言葉をつかえないのは、受け身でしかないと思える。
それから、と振り返ったカービンが思い出したように言う。
「宇宙育ちが地球に降りたら病気になるって噂もある」
「地球圏政府の、みんなを宇宙に住まわせるための口実だってわかってるくせに」
「病気になったら生きるのは辛くなるんだから、嫌だな」
カービンの意見にユノは少し考える。
「住んでる人の中にも本気で信じてる人がいる……」
抱きかかえているソフィの体温の蒸す感じが、ユノに嫌な予感を植えつける。
「地球で暮らしている人は、宇宙をどう考えてるんだろう」
宇宙で生まれて、育ってきたユノには地球での暮らしの全貌はわからない。歴史でしかしらない旧世紀の混沌とした時代の流れを受け継いでいるのだろうか。
「生活の辺境に戦争を押し込みたい、のかしら」
でなければ、地球至上主義を掲げた組織が宇宙で戦いの場を設置しないだろう。それを見上げている人たちは何を思うだろうか。
あるいはそれが原因で隕石のようなものが落ちてくるとは考えないのだろうか。
ユノは一度降りたことのある地球の街並みを思い出して、ソフィを強く抱きしめた。
* * *
鉱山列車が月を走っているのは、単なる個人的趣向なのではないかと思われた。
月のクレーター都市を繋ぎ、採掘資源を各所に運搬するそれは月面都市の構想段階から採用されていたというが、宇宙船が地球と月との往路を確実なものにした世界ではどこか時代遅れな気はする。
それでも愛されているのは、ベルトコンベアが毛細血管のように地下に広がって鉄道は動脈として効果を発揮し、ショベルカーなどの運搬も担うのだからなくてはならない存在だ。
「月の中は結構スカスカなんだな」
ヴォルトはレストルームの車窓から月下の洞窟を眺めてつぶやく。
洞窟内は補強用の人工柱で天蓋を支え、そこに備え付けられたライトが暗闇の中で眩しく輝く。その根元ではベルトコンベアに乗った砂礫や土砂が運ばれ、駅舎の横で山を築き、重機や時代遅れのトロッコがアリの巣のような地下道から出てきた。
「どうした? 元気ないな。みんな、心配してるぞ」
と、ヴォルトの前、対面シートに一人の青年が座った。
彼は精悍な顔つきで白い歯をちらつかせる笑みを浮かべた。浅黒い肌と黒い髪、南国の活発的な体躯は同性でも綺麗だと思わせる。
気さくなその人物の顔を見たヴォルトは眉を開いた。
「メルフェドほど気楽じゃないんだよ。次の作戦の噂」
ヴォルトの言葉に青年、メルフェド・フォールンは得心したように指を鳴らした。それから背後で談笑する他のメンバーを確認してから、声を潜めて言う。
「中東への降下作戦……か。ここのメンツを考えると、振いにかけられてるって考えるものな」
「大気圏突入なんてシミュレーションでしかないし……。やれると思うか?」
「同期の中じゃ成績良かっただろ、お前」
メルフェドはヴォルトの膝を叩いた。
地球での同校出身である彼ら、レストルームに集められたパイロットたちは皆顔見知りだ。それだけにヴォルトにとってはこの場に居るのが息苦しくさえ思える。
「実戦は失敗続きだ」
他の同期がうまく作戦をこなせているのに、自分だけは失敗して先輩を死なせてしまった責任を感じている。
「失敗くらいあるだろ。それに出撃数もお前の方が上だ」
メルフェドはヴォルトのナイーブさを汲み取り、励ましの言葉を選んだ。
ヴォルトは車窓から視線を外して、レストルーム内を見渡す。
「言うけどさ、シミュレートでできたと思っても、現実は難しいよ」
レストルームは通路を挟んで回転式のクロスシートで構成されている。学生気分が抜けないパイロットたちは訓練校時代のグループで集まっており、ヴォルトとメルフェドは彼らから距離を取っていた。
「そうはいっても、あのモンテ・グロービ中尉に目をかけられたんだろ? 才能あるんじゃねぇのか?」
そう言われてもヴォルトはピンとこず、思わず首をかしげる。
対して、メルフェドはため息をついて同期の鈍感さに呆れた。
「お前、あの人はベスパの宇宙方面軍の大隊長にかもしれない人だぞ」
「どこの情報だよ?」
「広報誌とか人事異動の報告、聞かないのかよ」
「そんな邪推で言われてもな」
「人のうごきには注意しないとダメだろ。上司を見極めるのも下っ端には必要なんだよ、ボンボン」
メルフェドに責められたヴォルトはそっぽを向きながら、友人の考え方が堅実だと思った。組織の中で生き残るためには、上司の良し悪しをすぐに判断しなければならない。
相性が悪ければ、出世はおろか雑用人生で終わってしまう。そんなことはパイロットになった以上は嫌だ。
「だったら、次の作戦はあのアーネルベ参謀も見てるだろうから失敗はできないよな……」
「お前、ただでさえ注目されてるしな。敵の新造艦に致命傷を負わせたって」
「それこそモンテ中尉の功績だろ? 俺なんて目もくれてないよ、きっと」
「ここに集められた連中は期待株だよ。参謀は失敗続きの奴は嫌うが、功績を出す奴はしっかり恩給を出すって。そういう意味じゃ、チャンスだぜ?」
メルフェドの前向きな考えに、ヴォルトも同意して視線を戻した。
「チャンス、か。それもいいか」
ヴォルトはそうつぶやくと、ちょうどレストルームに車内販売らしいカートと二人のスタッフが入ってきた。
その視線を読み取ったメルフェドも通路に顔を出す。
「へぇ、気前いいじゃん。鉱山列車なのにさ」
車内販売は前列から順に乗り合わせていたパイロットたちに引き留められてはお茶や軽食などを配っていた。スタッフの服装は作業着のままで、前を行く男性は愛想のいい接客を見せている。
いよいよヴォルトたちの傍に来た車内販売員たちにメルフェドが手を上げる。
「すんません。いいッスかね」
「はい。どうぞ」
メルフェドが呼び止めると男性スタッフは愛嬌のいい笑みを浮かべて、注文を受ける。
その間、ヴォルトは台車の上にある保温ポッドやお菓子などを眺め、自然台車を押す人物に目がいった。
背丈は前の男性よりも低く、帽子を目深に被り、目を伏せている。着ているつなぎもだぼついている。髪を帽子にしまい込んでいるために、小さな耳が真っ赤になっているのも見え、その顔つきが整っているものだとすぐにわかった。
「おい。それでいいか、ヴォルト?」
「ん。ああ……」
「じゃぁ、それで」
ヴォルトの空返事にメルフェドは販売員たちを一瞥しながら、手渡される軽食を受け取る。
後ろのスタッフはそそくさとお茶を淹れてカップの蓋を閉めると、視線を合わせないようにして差し出す。
「どうぞ。熱いので気を付けて」
「ありがとう」
ヴォルトは唸るような潰れた声に違和感を覚えながら、ぶっきらぼうなスタッフからお茶を受け取ると、わずかにその人の青い瞳と目が合った。
深く、吸い込まれるような色にヴォルト・ヌーベンは心が惹かれた。わずかに甘い花のような香りが漂ってきて、女の子だと確信した。
しかし、それは一瞬のことでスタッフはすぐにもう一つのお茶をメルフェドに渡すと、後部に向かって進んでしまった。
「何だよ、あいつ。態度悪ぃな」
メルフェドが愚痴っているのを他所に、ヴォルトは通路を覗き込んで売りの子の後姿を見た。
「いいんじゃないか。綺麗な人だと思う」
「は? 男じゃないのか?」
メルフェドはカップから口を放して、慌てて通路を見た。
ちょうど後部への引き戸を閉めるところで、一度そのスタッフの目がレストルームを鋭く睨んだ。そして、ドアを閉めるとその姿はすっかり見えなくなる。
「どこでわかったんだよ?」
「そりゃあ、まぁ……。声で」
「そうかよ」
メルフェドはシートに体を沈めながら、ヴォルトの性癖がわからなかった。
ヴォルトも身体をシートに引っ込めて、カップのお茶を一口飲んだ。眠気覚ましのコーヒーなのだが、とげのある苦さに顔をゆがめる。
「これ、苦すぎないか?」
「これでいいんだよ。サンドウィッチも食っちまえよ」
車窓の傍にある台には軽食のサンドウィッチが入ったパックが置かれており、ほどなくして発車のベルが鳴り響いた。
「到着まで時間はあるし、のんびり行こうぜ」
「そうだ、な……」
友人の声を耳にしながらも、ヴォルトの頭は別のことを考えていた。
なぜ、先ほどの売り子が女だと確信できたのか。匂いや顔立ちでわかった。声も無理に抑えている感じがあったが、本来の声はもっと違うものだと感じた。
それはどうしてなのか。
「あの声、どこかで聞き覚えが――。なぁ、メルフェド」
「なんだよ」
メルフェドはサンドウィットをぱくつきながら、動き出した景色を見ていた。
「後ろの車両って貨物車両だけ、だったよな?」
「よく見てねぇけど、スタッフ車両くらいあんじゃねぇの?」
そこまで言ってメルフェドも違和感を覚える。今、自分たちの居る車両は本来スタッフ用の区間だ。車両が増えたからと言って、休憩所をもう一車両増やすだろうか。
「売り子が引っ込むところ、じゃないか」
「到着まで時間はある」
ヴォルトはさっさとサンドウィッチを頬張り、コーヒーで流し込むと席を立った。メルフェドも続いて、席を立つ。
揺れる車内でふらつきながら、二人は後部車両の方へ移動を開始した。
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