第3話
〔デルムント〕が太陽の日差しを浴びて、月面の着陸軌道に入る。
「追ってきてる……ね」
シセルはその動きを認めながら、足元に視線を落とす。股の間に設けられた小さいモニタには白い表面に濃い影の波頭がいよいよくっきりと見えてきた。
「予定通りだけど、思ったよりがっついてこないのはどうして?」
フットペダルをコントロールしながら、〔ビアンケリーア〕の高度をさらに落とす。
ダミーの風船が見破られることは想定されていた。スイングバイ軌道を取って別のコロニー群に避難することは困難だと敵だって予測しているはずだ。
だからこそ、離脱しない〔ビアンケリーア〕に注意が向けられ、本来の標的である〔メルバリー〕に対して意識が散漫になる。グライダーの行く先に本体があると思い込むからだ。
しかし、当の〔メルバリー〕は月の裏側への向かう軌道を取って先を行っている。高度をとって、可能な限り慣性飛行で向かっているはずだ。
「こっちの意図がばれた、なんてことないよね」
シセルは高度を確かめながら、敵の動きを見比べる。
〔ビアンケリーア〕が月面へ近づくのも、〔デルムント〕の監視の目を下に向けさせるためである。そうすることで〔メルバリー〕の発見を低くするのだ。
ここまでは、シセル・メルケルも予定通り進んでいると感じる。
だが、相手の用心深さを思うと緊張で喉が渇いてくる。
月面が近くなると太いケーブルの網も視認できるようになり、加えて航空灯を灯した電波塔やどかべんのような金属質で角張った無線中継ステーションが並ぶ。
「探査所が近いからかな。まぁ、港までついてきたらひとまずは成功」
〔ビアンケリーア〕はアポジモーターをふかして機体を傾けながら、赤道に位置する集光ガラスの大河を横切る。
集光ガラスの下には、巨大な水のうねりが存在する。アステロイドベルトの氷の結晶を元手に、文字通りの運河を作り、月に住む人の生活基盤になっている施設だ。
シセルが足元のモニタを見た時には桟橋や漁村があり、小魚の群れを引き上げる漁船やそこで跳ねまわる銀色の小魚の煌めきが眩しき映った。
乗っている漁師たちが養蜂に使う様な紫外線対策防護服に身を包んでいるのも、シセルの目は逃さなかった。
「月の海って言っても、ここは地球とは違うんだ」
シセルは〔ビアンケリーア〕を運河上空で飛行させながら、目的地に目を向ける。
「病気にかからない世界なんてないんだ……」
容赦なく降り注ぐ宇宙線は人体に悪影響であったし、集光ガラスは生活の要である以上取り除くことはできない。
運河を建造したのもそうした宇宙線を和らげて、月の地下都市に光を届ける浄化施設でもあるのだ。しかし、そこで働く人々の環境は見た目以上に過酷な場所だ。常に有害な宇宙線を浴びて仕事をしなければならず、一歩間違えば病気にかかるし、遺伝的な問題も出てくる。
旧世紀以上に技術が発達しても、人の体は対応しきれないのが現状。
だから、宇宙で暮らす人は環境に敏感であったし、自分の体、生まれてくる子供に対して神経質になっている節がある。
地球の大気に包まれて暮らしたことのあるシセルには、その感覚が人の知恵を増幅させていると思った。増長と言い換えてもいい。
そこに通信をキャッチした電子音が鳴り響いた。打電信号、数字で暗号化された文章がウィンドー画面に出された。
シセルはキャノピのウィンドーに指先で触れて、人差し指と親指を広げて拡大表示する。
「管制コード004。コール6558。直接の入港許可だけど、大丈夫なんでしょうね」
シセルはコールの意味を理解しながらも、今一度上空を仰いで〔デルムント〕の艦影を確かめる。高い位置にあった宇宙戦艦だが、徐々に高度を落として、同じくモルフェージュへ寄港する動きを見せていた。
打電信号は〔ビアンケリーア〕に向けられたものだが、〔デルムント〕の方でも傍受くらいはできているはずだ。
〔ビアンケリーア〕が運河を外れて、月面の北側にある小さなクレーターへと滑り込む。開発されたクレーターは舗装された施設がならび、切り立った崖に港口がいくつか設けられている。
そのうちの一つがガイドビーコンを発しながら、堅牢なゲートを開いてくれた。
シセルも宇宙実習の経験を思い出しながら、〔ビアンケリーア〕の航空灯の色を変えて着陸体勢であることを知らせつつ、港へと入っていく。
〔ビアンケリーア〕はガイドビーコンに沿いながら、主翼を畳んでランディングギアを出す。メイン・スラスターの偏向パドルと下部のアポジモーターを小刻みに噴射しながら着陸姿勢に入る。
後方で隔壁が閉じて、巨大なエアロック内で急速に空気が注入される。〔ビアンケリーア〕は機体を揺らしながら、開放される内部への隔壁をくぐる。内部の隔壁は戦艦サイズの大口もあれば、グライダーや
宇宙の港と言ってもさまざまで、そこは巨大な工場のような重層建築地帯である。
宇宙戦艦を受け入れるドックにその左右に渡る桟橋は三層構造で各層にレーンがあり、最上部には巨大な貨物列車が停車している。空洞構造になった地下鉄の駅、と考えればいいだろうか。
シセルはキャノピを開いて、ヘルメットのバイザーを上げる。鉄の臭いが鼻を突き、表情を曇らせる喪、腰を浮かせながら下方を肉眼で確認する。見れば、貨物列車の最後尾、野ざらしの車両の上に着陸マークが描かれたマーカーがある。
さらに誘導灯を振る整備員二人と隣には車掌帽を被った人物が見えた。
「貨物列車に降りればいいの? ろくに通信も寄越さなで、さ」
シセルは上半身を縁に投げ出して、操縦桿とフットペダルを操作しながら車両の方へ機体を流す。
すぐそばでは巨大なデリックレーンがあり、その横間を過ぎて〔ビアンケリーア〕は貨物車両へと着陸した。誘導を行っていた整備員が素早く機体の下にもぐってランディングギアの固定業に入る。
「ほう……。若い候補生だとは聞いていたが」
車掌らしい男は太い眉毛を興味津々に上げながら、機首へと近づく。
そこに整備員とコックピットを入れ替わったシセルが車両の床に降り立った。そして、車掌との視線が交わりシセルの方から会釈をする。
対して車掌の男は軽く手を挙げてみせる。
「モルドー中佐から連絡は受けている。いい手並みだ」
「それはどうも……」
シセルは煩わしいヘルメットを脱いで、小脇に抱える。
「すぐにでも出た方がいいんじゃないですか? ベスパが来てますよ」
「知っている。だから、入港許可はすでに出している」
男はハッキリと言って、車掌帽を取った。無精ひげを生やし、細い顔つきは中年らしい感じがした。
シセルは髪の毛が逆立つような驚きと共に振り返ると、巨大な隔壁が開放されて〔デルムント〕の巨体がゆっくりとドックへ向かって降りてくる。
航空灯を煌めかせて、降りてくる宇宙船の大きさに圧倒される。メイン・ノズルから吹き出す推進力にドックが低く唸るように鳴動し、湧き上がるような熱風が桟橋のすき間を吹き抜けて、舞い上がる。
シセルは熱風で揺れるミルク色の髪を押さえながら、今一度軍服の男に振り返って声を張り上げる。
「あなた、メルモラン中佐って人なんでしょう? わたしたちを騙したの?」
「まさかっ!」
シセルの声に負けない野太い声で男、メルモラン・ローランは言った。
厚手の服を着ているためか、筋肉質には見えなかったが意志の強そうな眉毛がぐっと眉間によると軍人らしい強さが感じられた。
すぐそばのドックに〔デルムント〕が着陸する轟音が響く中、メルモランは長い手でシセルの肩を叩く。
「いくぞっ」
短い言葉とともに背中を向けると、彼は大きく腕を振って前車両へと歩き出した。
シセルはむくれながら着陸中の〔デルムント〕を一瞥して、メルモランの後に続いた。連結部を超えて、気圧調整可能な巨大な積載車両のドアをくぐる。入ってすぐは急な階段になっており、その両サイドにはコンテナが積まれていた。
外の轟音が嘘のようで、アイドリング状態の列車のエンジン音が静かに響いている。
「こっちは定期便の積み荷を運ぶ鉄道部隊だ。エリートぶってる連中が耳を貸すモノか」
「それじゃあ、わたしは人身御供ってこと?」
シセルは急な階段を軽々と数歩で上り、先を行くメルモランの背中に言った。
月の重力下では体は軽々と浮き上がり、急な階段などは苦労ではない。むしろ力を入れすぎて浮き上がってしまうことが問題であった。
だから次の車両に続く狭い通路には手すりがあり、誰もがそれを使って体を前に押し出すように進んだ。
「モルドーはそこまで冷たくできる男ではないよ。ご苦労」
メルモランはちょうど前から来たスタッフに声をかけつつ、その腕をつかんだ。
「ベスパが来たんですよね? ダイヤは――」
「対応する。それよりも、例の客人だ。案内を頼む」
メルモランはそう言って、スタッフにシセルを預ける。
「どうするんです?」
「車掌の務めだよ。あとのことは彼に聞いてくれ。ああ、書状をもらってなかったな」
振り返ったメルモランにシセルはブーツのポケットから預かっていた書状を出して、彼に渡した。
「ありがとう。情報の共有はできてるから、あとはよろしく」
シセルは狭い通路でメルモランと体を入れ替え、彼が再び最後尾に戻っていくのを見送る。
その背中に何かしか言いたかったが、案内をしてくれるスタッフの声に言うタイミングを失う。
「こっちだ。キミ、何ができる?」
「何ができるって、なんです?」
「技術スタッフらしいことができないと言い訳できないだろ」
若いスタッフは早口に言って、もと来た道を引き返していく。
シセルはその余裕のない態度に嫌気がさしたが、アン・カーヴェッジがすぐ近くにいることを思うと他人事ではない。
無事にソフィと地球に行くためには、やらなければならない。他人への責任転嫁を考えているよりも、自分のしなければならないことをする。
それがシセルなりの気持ちの切り替えであった。
* * *
メルモランが車両の外に出た時には〔デルムント〕にかけられた渡り板から黒塗りの制服で身を固めた一団がずかずかとプラットフォームもないのに線路へと侵入してくる。
「おいおい。勘弁してくれよ……」
メルモランは手にしている車掌帽で頬を仰ぎ、線路上を見下ろす。
車両点検をしている整備員たちが怪訝そうに〔デルムント〕の一行を囲うように集まってくるのを横目に見た。そして、その威圧に圧し負けたのか、先行していた黒制服の兵士が歩みを止める。
が、ひとり物怖じすることなくスキンヘッドの男が出てきた。
メルモランを含め、整備員たちもその人物、プロイツ・アーネルベを目にして驚いた。
「アーネルベ卿、と来たか」
メルモランは気を引き締めて、車掌帽をかぶると高さ3メートルはある車両から飛び降りる。月の小さい引力で彼の体は緩やかに床につき、ざわつく整備員たちが彼のために道を作る。
「困るんですよね。勝手に線路に入られては」
メルモランが整備員たちの合間を歩いて、プロイツの前に出る。
それでプロイツも彼の存在に気を向けて、車掌帽と制服にある階級章を目にし、ここの責任者だと判断した。
「責任者か……。そこのグライダーは何だ」
「ただの納品物ですよ」
メルモランはそう言いつつも、顔色一つ変えないプロイツに不安感が募る。
「そうか。この列車はどこに向かう?」
「ここから、サンモードの大都市を経由して、裏のゴルドールに行く予定です。じきに出発します」
メルモランは腕時計を確かめて、集まっている整備士たちを見渡す。
「時間ないぞ。点検急げ」
その一声で、整備員たちは渋々と自分たちの持ち場へと戻っていく。彼らとて列車の運行を遅らせるわけにはいかない。
それでもアン・カーヴェッジの動向は気がかりであったし、自分たちの身の危険を思わずにはいられない。
と、プロイツはそこで静かに言う。
「そうか。なら、こちらの機体、二、三機、それとパイロットをサンモードの次だったか……、シバッテンに届けてくれ」
「飛び込みの仕事は基本的にお断りしているんですが。月の税関だってバカじゃないんだ」
月の地下を走る列車、民間、官僚、軍属であってもその積み荷は明確にしなければならない。飛び込みで積み荷を、それも兵器とあっては月の行政も黙ってはいない。
これは月の鉄道全体の信頼問題だ。
しかし、プロイツ・アーネルベは意にも介さない。
「心配するな。すでに申請はしてある」
プロイツは傍で待機していた側近に目配せする。
側近の彼はカバンから一枚の書状を取り出し、折り目正しい動きでメルモランにそれを差し出す。
メルモランは受け取りながら、書状を開いて内容を確認する。
「確かに……。職務上は問題ありません。が、出発に10分の遅れ。この責任はどうするんです?」
「関係各所にはこちらから謝罪を出す。キミたちは所定の場所に届ける生真面目な者として一切の責任を負わなくていい」
「それはどうも……」
メルモランは唾を吐きかけたい気持ちを押さえて、唸るように返答する。
バカにされているのはわかっていた。責任云々で怯えている小心者だと思っているのだろう。軍部を牛耳ろうとする彼には、シンパではない軍人などは家畜ほども思っていないだろう。
そこで、発車五分前を告げる呼び鈴が先頭車両から最後尾まで鳴り響き、エンジンがスタートしだした。
これを言い訳にしようともメルモランは考える。
が、プロイツは先頭車両の方を見据えて先手を打った。
「五分前か。急いで準備させろ。業務員用の車両使わせてもらうぞ」
「了解……。准将殿」
メルモランが敬礼すると、プロイツは側近二名を連れて先頭車両側へ歩き出す。
残りの兵士たちは彼の左右を固めて、敬礼で見送る。その統率力は畏敬の念によって構築されていると思うと、メルモランには哀れな陣形に思えた。
「身勝手な連中だ。こんなものまで用意させて、おまけに……」
メルモランがプロイツ達から視線を外すと、ちょうど〔デルムント〕の甲板に〔ビィ・ツゥ〕が二機出てきた。部品が間に合わず、片腕の状態の機体と装甲を外されインナーフレームだけの機体だ。
そのくせ手には武器を持っているのだから、腹に据えかねる。
「あの機体ときた。戦争屋がっ」
「ローラン中佐、どうします?」
そこにアン・カーヴェッジの兵士たちが母艦に戻るのを警戒しつつ、歩み寄ってきたスタッフが声をかける。
メルモランは渡されたばかりの書状を彼に渡しながら言う。
「すぐに
「けど、こんな融通聞かせていいんですか?」
「月のお偉いさんからのお達しなら、仕方ないだろ」
「なんで、そういう許可が下りるんです」
「月で閑職ついてる連中にゃ、地球の永住権はいい交渉材料だからな」
メルモランはそう言って、最後尾の車両へと移動をする。
このまま彼らを乗せるのは癪であるが、問題を起こせば自分のみならず部下たちまでどこに左遷されるかわからない。
「とはいえ、アン・カーヴェッジの勢力はかなり根深いな……」
結局のところ、自分の身の安全を捨てるようなことはできないのだ。
それでも義理人情を捨てきれる男でもなかったから、この問題に立ち向かわなければならなかった。
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