第2話

「敵の新造艦から発進する機影?」


〔メルバリー〕の追跡をする〔デルムント〕の艦橋では、大福のようにたっぷりとした頬をした艦長が観測班からの報告に疑問の声を上げる。


「見間違いじゃないのか?」

「いいえ。こちらが、ついぞ一分前の映像です」


 ナビゲーターが天井にあるモニタに望遠カメラで撮影していた〔メルバリー〕を映し出す。画像は少々ざらついていたが、標的の背後を捉え、上昇してくる発光を捉えていた。


 拡大と解析処理をした静止画が別モニタに出されて、ようやくその光源となっている機影を映し出すことができた。


「スペースグライダー規模か。データ照合は?」

「機種不明。解析に回しています」


 そこに艦長とナビゲーターのじれったいやり取りに、険のある声が割って入る。


「時間の無駄だ。敵の予測航路を出せ」


 その声はゲスト席についているスキンヘッドの男から発せられた。眉間にしわを寄せながら、険しい眼光を宇宙に向けており、映像などには目もくれない。


 高圧的な態度はブリッジクルーならびに艦長でさえも、委縮して彼の言い分を繰り返すだけであった。


「敵の予測針路はわかってるんだろ?」

「はい。現状速度ですと、追跡中の敵艦艇はおそらく月の裏側に寄港するものと思われます」

「ドミニオンの支援施設があると噂ですから、このままついていけば場所も割れましょう。プロイツ参謀殿に至っても、これはチャンスかと」


 艦長は隣の男に猫なで声で言いながら、襟元に指を入れる。


 嫌な汗が噴き出して、息が詰まる思いだ。


 が、スキンヘッドの男、プロイツ・アーネルベは頬杖をついて前にいるナビゲーターに言う。


「おい、そこの。そう、お前だ」


 指示されたナビゲーターはおっかなびっくりに振り返り、指示を待つ。


 何しろ、プロイツ・アーネルベの名前はアン・カーヴェッジ内外でも畏怖の象徴であった。アン・カーヴェッジの参謀にして、実働部隊の総指揮官である。末端の兵士たちにして見れ雲の上の存在である。


 加えて、爵位の血筋に宇宙開拓の貢献による栄誉勲章など名実ともに権力の象徴的存在である。


「は、はい」

「月のシバッテンと交信できるな。回線を繋げ」


 ナビゲーターは質問をする余裕もなく、月の表側に位置する都市シバッテンとの交信を図った。〔メルバリー〕との距離を縮めていることもあって、電波妨害の干渉ギリギリ。レーザー回線を試みようにも裏側に向かって航行する〔デルムント〕からではシバッテンの位置まで射程外である。


 ナビゲーターがあくせく交信をしている合間にプロイツは隣の艦長に目線だけを向ける。


「艦長。敵の動きがあり次第、すぐに追え」

「はい、もちろんですとも」

「せっかく、パイロットが傷を負わせたのだ。拘束できるうちに拘束しろ」


 艦長は愛想笑いを浮かべて、顔を正面に向ける。


 それから硬い声を振り絞るように言う。


「総員、警戒を怠るな。見失うな」

「参謀。シバッテンとの回線繋がりました」


 ナビゲーターが怯えながら、プロイツに振り返って言う。


 プロイツは返事をすることなく、静かに肘掛けの受話器を取る。


「ああ、ご苦労。領空圏内に入った艦影は補足したか? そうか――、対応してもらうことになるやもしれない。準備をしておけ」


 そんなやり取りを横で聞く艦長はますます汗をかいて、失敗できない状況に腹の底がねじ切れるような痛みを覚える。


 艦長が苦い表情を浮かべそうになった時、ナビゲーターが興奮した声を上げる。


「標的、熱量増大! 加速しています」

「予測針路変わります。月の公転と同期――、スイングバイ軌道です」

「すぐに追え。光航行ウェーブ・クルーズから主推進メーン・クルーズに移行」


 艦長の命令が下ると、プロイツは無線の受話器を切ってシートに背中を預ける。


 肉眼でも月の横を瞬く光が確認でき、〔メルバリー〕のメイン・ノズルによるものだと船乗りならわかる。


「スイングバイ軌道か……。どこにジャンプするつもりだ。高速艦の意地を見せてやれ」


 艦長は額の汗をぬぐい、声を上げる。


〔デルムント〕は巡洋艦としての性格があるために、足の速さには内外問わず自信がある。標的が新造艦とは言え、手負いの状態では満足に加速はかけられないだろう。


 そうした条件を踏まえれば、標的に追いつかない道理はない。


 が、プロイツからすれば、相手の出方はオーソドックスな撤退戦とは違う気がした。


「どこに向かうつもりか……」


 本来、スイングバイは惑星の万有引力や天体公転を利用して加速をかけるものだ。この時代、周辺に点在するスペースコロニー群から発着する宇宙船が地球や、スペースコロニーが密集するラグランジェポイントへ向かう足がかりに使うのが一般的だ。


 しかし今回は損傷した軍艦だ。すでに相手は月と地球の合間にあるスペースコロニー群を脱け出して一週間近く経過する。


 となれば、長い航海に耐えられる体力も少ないはず。有力なのは、やはり月面都市のいずれかに寄港することだ。


 プロイツが思考している合間にも、〔メルバリー〕が加速していく。


 同時に〔デルムント〕も素早さを増して、側面に装備している主砲を向ける。


 その挙動は〔メルバリー〕の観測班が目ざとくとらえていた。


「敵、主砲動きました。黒点です」

「狙いをつけられたか」


 タットは正面から来る負荷に顔を歪めながら、ナビゲーターの報告を聞いた。


 が、撃ってくるとは毛ほども思っていない。この場でビームの閃光でも見せようものなら、月に駐在する軍隊が黙ってはいない。ドミニオン傘下の部隊がすぐにでも対空砲火を浴びせるだろう。


 月の領空圏はそれだけ緊張している。すでに電波攪乱を受けて、ドミニオンにしてもアン・カーヴェッジにしても息の詰まる思いで宇宙を見上げているに違いない。


「先行する〔ビアンケリーア〕に信号。もうすぐ月の裏側だぞ」


 艦橋から見える月の表面が暗い面積が大きくなる。そこに赤道の集光ガラスの青々とした一本線を囲うように散りばめられた施設の灯火がミステリーサークルのような不可思議な図を描く。


 タット達の〔メルバリー〕は月に引っ張られてメイン・スラスターを噴射しながら月の曲線をなぞるように加速する。その艦首に備えられた信号灯がチカチカと輝く。


 その光りはすっぽりと月の陰に飛び込んだ〔ビアンケリーア〕からも確認できた。


「追い抜き信号……。早すぎるっ」


 シセルはモニタも兼ねたキャノピに映るリアカメラの映像ウィンドーに〔メルバリー〕の発光信号に瞠目した。


 スピードに乗った〔ビアンケリーア〕は機体を傾けて、月との重力の釣り合いを測って飛行している。そこに大質量の宇宙戦艦が大出力で飛び込んでくるのだから、かすめただけでグライダーの貧弱な機体はバラバラになってしまう。


「予想追い抜き時間――、一分ッ。間に合って」


 シセルはキャノピに触れてウィンドー状態で表示されるモニタを取り払い、タイマーを一瞥。あとはもう操縦桿を握る手とフットペダルを押さえる足の感覚に任せるしかない。


〔ビアンケリーア〕がメイン・スラスターで逆噴射をかけ、減速していく。身体が前に押し出される衝撃にシセルは耐えながら、主翼にあるアポジモーターで軌道を修正する。


「先行、見えました! 角度修正」

「月が陰になってくれている。今のうちだ」


 タットは追っての〔デルムント〕が後方の月の曲線からいつ姿を現すかハラハラしながら、次第に見えてくる〔ビアンケリーア〕のほっそりとしたシルエットを認める。


「来たけど、予定より高度が低い!」


 シセルもまた外付けのバックミラーに〔メルバリー〕の巨体を確認して、咄嗟に機体を変形させる。主翼を折り畳み、機首を折る。こうべを垂れて海風に耐える海鳥の様に、〔ビアンケリーア〕がコックピット形態でメイン・スラスターを噴射し、上昇をかける。


 両機が僅か数百メートルの高低差で前後を入れ替える。


 海面で潜航を始めたクジラに驚いた海鳥が上昇をしたように、〔メルバリー〕は月に引っ張られて加速し、足元で過ぎていく宇宙戦艦を認めた〔ビアンケリーア〕はグライダー形態になって艦橋を避けるようにして機体を傾けながら見送った。


 すれ違いは一瞬の出来事だった。


 シセルがグライダー形態のシート位置に戻ったころには〔メルバリー〕ははるか先を進んでいた。


「まったく――、もっと考えて飛びなさいよ」


 シセルは愚痴りながら、正面のメインコンソールを操作し、機尾に括り付けているダミーを放出する。


 細い係留策に繋がれたダミーはワイヤーが限界に達したおころで急速に膨らんだ。ポップコーンが弾けるように展開されたダミーは〔メルバリー〕を模した形状となり、〔ビアンケリーア〕によって曳航された。


 シセルは係留策に繋がれているダミーをリアモニタで確認する。ダミーがウィンドー一杯に映っており、追跡艦は一切見えなかった。


 相手が見えないストレスに心拍数が跳ね上がり、ぶかぶかなグローブで握る操縦桿の感触が気持ち悪さを増していく。


「もうすぐ太陽が見えてくる。敵の目だって節穴じゃないでしょ」


 進行方向の月の曲線に日差しが差し込み、シセルは目を細めながら操縦桿を押し上げてメイン・スラスターも出力を上げる。


〔ビアンケリーア〕が加速し、つられてダミーも引き込まれる。


 その様相を捉えた〔デルムント〕の艦橋で艦長の男は目を凝らす。太陽の光が確かにグライダーと軍艦のシルエットを浮き彫りにして、眉を開く。


「いたぞ! 水先案内人を引き込んだか。これはいい」


 艦長の解釈にブリッジクルーも同意であった。


 しかし、通信士が観測班からの報告を受けて声を上げた。


「観測班より入電。初期予測コースから外れる模様。このままだと、月軌道上……のレヒツ群に向かいます」

「ジャンプするのか。いや、なるほど……」


 レヒツは月軌道上にあるラグランジュポイントの一つであり、スペースコロニーの集まりである。スイングバイを使えば燃料を節約してたどり着けるだろう。


 しかし、艦長とて目の前の事象や予測をそのまま鵜呑みにはできない。


「ダミーか。わざわざ月を陰にして入れ替わった。先発のグライダーが陽動しようという」


 艦長はたっぷりとした頬肉を笑みでゆがめながら、そう結論した。


 最初から分かり切っていたことだ。〔メルバリー〕に長距離航行はできない。月のどこかに寄港するしかないのだ、と。


 それをわざわざスイングバイ軌道やダミーを使って欺こうとする〔メルバリー〕の動きは滑稽にさえ思えた。


 と、いよいよ太陽が月の曲線から顔を出し始めた時、ダミーらしき影とグライダーの影が二手に分かれたのが肉眼でもはっきりと見えた。


 ダミーらしき軍艦のシルエットはそのままスイングバイ軌道を使って外へと飛び出していき、グライダーは逆に月の表面へと降下していった。


 すでに疑う余地はない。


 艦長の男は高らかにいう。


「グライダーの後を追跡しろ。その先で本体と合流するはずだ」

「待ち伏せという可能性はないんですか?」

「自分で電波攪乱を敷いた連中だ。そんな段取りをする暇はない。それ以前の通信傍受でもないんだ。急げよっ」


 操舵士の疑問に対しても、艦長は自信たっぷりに言った。


 これにクルーたちは疑いを持たず、指示通りグライダー追跡の針路をとる。


「グライダー予測針路出ました。月の表、モルフェージュかと思われます」


 航海士が観測班から送られてきたデータをもとに、予測針路を算出する。


 赤道よりやや北に位置する採掘都市だ。資源の運搬を目的とした港で軍部の監視下にある。が、アン・カーヴェッジが管理している場所ではない。半官半民で運営されている都合もあるために、軍の強制力は小さいのだ。


「なるほど、採掘都市ならボロボロの軍艦を受け入れるって寸法か。よく調べておけよ。グライダーがモルフェージュに入れば、こちらにも捜査権が出せる」


 艦長は一人合点して、〔デルムント〕のコースを固定させる。


 ただ一人、プロイツだけは口元に手を当ててグライダーの行方を思案した。


「この程度か……」


 艦長の判断が必ずしも間違っている、とは思わない。


 筋の通った予測である。しかし、あくまでそれは経験からくる予測だ。〔メルバリー〕が一度月を陰にして姿をくらました時点でもっと警戒すべきだ。


 たとえ数秒の出来事であったにしても、標的を見失ったことは致命的だ。電波攪乱を起こして様々なセンサー網をかいくぐり、お粗末な陽動を仕掛けるものだろうか。


 グライダーが出てきたタイミングもプロイツ・アーネルべの感覚からはすると、気もする。


「まぁ、いいか」


 プロイツは思案するのをやめて、先々のことに思いをはせる。


「地球での作戦もあることだしな」

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