第8話
「色々と言いたいことはあるが、今回の戦闘の弁明は聞いてやる」
ブリッジに呼ばれたロディオとコディはタットの不満顔を見て、目をそらすことしかできなかった。視線の先で壁際に立たされているシセルとカービンのげっそりと疲れ切った顔を見てはさらにやるせない気持ちになる。
ロディオがいち早く視線を艦長に戻して、肩の力を抜いていう。
「いいえ。自分たちの力不足であったと自認しております」
「なら、気合を入れ直す必要はないな。補欠に引き継いで、少し休め」
タットはこめかみに指を当てながら、深くため息をつく。
パイロットを使うことに慣れていない彼にとって、何を言い渡すべきか考えあぐねることであった。ことは有人機同士の戦いだ。その駆け引きを否定する気はないが、たった一機のマシーンに入れ込みすぎたのは、正規パイロットとあっては未熟と言える。
コディはそんな彼の態度に苛立ち、口を開いた。
「ハッキリ言ったらどうです? 素人以下の戦いをしたって」
「わかっているなら、無駄な話だ。追求するつもりはない。さがれっ」
タットの強い語気にコディとロディオは閉口し、敬礼をするとブリッジを後にした。
気分が晴れたわけではない。しかし、これ以上口論をしたところで戦闘結果は変わらない。今は少しでも体を休めることが先決だろう。
クルーたちもこの重苦しい空気に固唾をのみ、素知らぬ顔で各々のコンソールに視線を落とす。
「針路は、どうなってる?」
「ハッ。ウワファへの軌道に修正完了。数日中には月の裏側へ到達します」
「わかった。索敵、アン・カーヴェッジの様子は?」
「一隻、〔デルムント〕が追跡をかけています。こちらをキャッチしている動きと思われます」
索敵担当の報告はあまりにも手厳しい。
先の戦闘で損害を受けた〔メルバリー〕が再び戦闘になった時、耐えきれる保証はない。
しかし、タットには追尾してくる〔デルムント〕がうやむやな攻撃を仕掛けてくるとは考えられなかった。〔メルバリー〕を鹵獲するチャンスではあるものの、相手も月に向かうコースに入っていることは読んでいるはずだ。
となれば、ドミニオンの息がかかっている月の都市を見つけたい気持ちもわいている可能性もある。タット・モルドーだったら、そうしている。
「派手な戦闘でこちらの位置を知らせてしまったようだ」
タットは壁際に立つ少年少女に振り向いて、彼らの様子を窺う。
会話の内容が耳に入っていないのだろう。心ここにあらずといった雰囲気だ。特にカービン少年は項垂れてひどく汗をかいていた。無重力とあっては汗の球は、肌にへばりつくようにして蠢いている。
しかし、シセルはうつろな目で宇宙をじっと眺めており、脂汗は見えなかった。
タットは艦長席から降りて、二人の前に移動するとシセル達も我に返って視線を上げた。
「一般人がよくも戦えたものだ。じっとしてられなかったのか?」
「あのままだったら、死ぬのを待つだけだって思えただけよ。いけない?」
シセルはタットを見据えて言い放つ。
隣にいるカービンも同意するように首を縦に振った。
「いや。キミのアームド・ムーバの動きを見れば、言う資格はある。乗組員全員にかわって礼を言う。助かった」
タットは複雑な思いを抱きながら、礼帽を取って礼を言う。
補欠パイロットの反応の鈍さや正規パイロットの不甲斐なさを思うと、彼女の活躍が無ければ〔メルバリー〕は撃沈されていた。
シセル・メルケルは口元をとがらせて、短く息をついた。
「上の人が簡単に頭を下げるの、よくないです。そちらの対応はまじめだったと思いますから、わたしのしたことと言えば単なるわがままです」
「そのわがままは現状の正規パイロットよりも力があるのだ」
タットは礼帽を被ると、カービンとシセルを見比べる。
「カービン・ウィルソンくん、およびシセル・メルケルくん。すまないが、月に到着するまではパイロットをしてもらう」
「マジかよ……」
カービンは嫌な顔を浮かべて、掌で顔を覆った。
好きな女の子がいる前でさえ、何もできなかった。
対して、シセルは汗でべとつく髪をなでて、タットの腹積もりを想像する。
「艦長さんともあろう人が、素人に頼むことですか?」
「キミの保護観察を解いて待遇をよくする」
「わたしは――、軍人にはなりませんよ」
シセルは言いかけた言葉を飲み込んで言った。
真っ先に『人殺し』という言葉が浮かんだが、それはもう使ってはならない言葉であった。自分の胸に突き刺さる上に、もはやそんな言葉一つで解決できる状況にはいないのだ。
タットは静かにうなずいて、彼女に背を向ける。
「考えてくれているだけもありがたい話だ。下がっていい」
シセルとカービンはそう言われて、横についていた当番兵に誘導される。
それから、とタットが出ていこうとするシセルを見て言う。
「妹さんとの面会を許可する。だいぶ弱っているらしいからな」
「……プライベートにまで口をはさむ人は嫌いです」
シセルは精一杯の反抗を見せて、ブリッジを出ていった。
* * *
厳戒態勢がまだ敷かれているのか、医務室は薄暗く負傷者らしい姿はなかった。代わりにビニールの棺にくるまれた遺体が床や壁に括り付けられており、蝋燭を模したペンライトが添えられ、その人の帰依していた宗教画らしいものが飾られている。
それでも、シセルにはこの煩雑とした墓場に恐怖を感じなかった。
視覚的に無機質、鼻にも血や肉の臭いは感じられない。袋の中に収まった死体は腐臭をまき散らすことなく、重みも感じられない塊としてそこにある。
その実態こそ魂なのだろうか。
あるいは霊魂の抜け殻なのだろうか。
この虚の中で、たった一人苦し気に短い呼吸を繰り返すソフィを横にしては、動かなくなった人間などに興味はなかった。
「さきほどの戦闘で取り乱しもしたが、病状は回復に向かっている」
ソフィの居るベッドにかかりつけ医のバルドが近寄る。
「酷い風邪だが、変異は見られない。月につくころには目を覚ますだろう」
「先生……。ありがとうございます」
ベッドの横に座るシセルは布団の下にあるソフィの手を握りながら、時折感じる震えや熱に息が苦しくなる。
「この子は生きているんですよね?」
「あぁ。間違いなくいきている。キミのおかげでね」
バルドは周囲に目を配らせながら、他に人がいないことを確認する。
彼女にしか話せない秘密を口にするからだ。
「キミの方は調子、いいのか?」
「一応は落ち着きました……。あとで採血はします」
シセルはそう言って、ソフィの手を放し、その自分の手を見た。
わずかなランプの明かりに照らされた自分の手は白く、肌や爪にも艶がある。若い手をしていると思う。
「アームド・ムーバで戦うなんて、地球育ちのシセル・メルケルは妹のためと言ってしたのかしらね?」
「わからないな。
「そうね。誰かの人生だもん……」
シセルは拳を作って額に押し当てる。
胸の奥が張り裂けそうなほど苦しい。意識するほどに、叫びたい衝動がこみあげてくる。だが、喉の奥はつまってつっかえたように言葉を振り絞ることしかできない。
「わたしの人生じゃない。シセル・メルケルの……、死んだ女の子の人生をやってるんだ」
シセルは寒気がして、体の震えが止まらなかった。
「何のためにわたしは生れてきたんだっ」
傍で彼女の独白を聞くバルドはベッドの向かい側にある電子機器に回りながら、ソフィの心電図を確認する。
「
「そうよ……。みんなが求めているのは、つまり生まれ変わった
都合のいい話だ、とシセルは毒づいた。
「遺伝子が同じでも、記憶を埋め込んでも、わたしは死人じゃない!」
ここに生きている。
生まれた時からずっとここにいる。
戦場に足を踏み入れたことで、自分の命を意識し、誰かの死を感じ取った。闘争本能を表に出したばかりに、自己意識の乖離が一層激しくなる。
その反動から、こみあげてくる混沌とした感情に自制がきかない。
誰がこの気持ちを理解できるよう。
「生きて、いたいの。わたしとして……。死んだ子の未来なんかじゃないんだから」
震える両肩に腕を回して強く自分を抱きしめる。
そんなシセルに憐憫を向けることなく、バルドは言う。
「しかし、今のキミがあるのはソフィ・メルケルの病気を治すという大義があるからだ。その体が公害病の抗体を生成する可能性を秘めているから、生きていられる」
冷徹な学者的な意見であった。
バルド・フレーメルにとってシセル・メルケルに人並みの同情を向けることはしなかった。精神衛生という言い訳もたつが、何よりも彼女の純真すぎる人格が理解しがたかった。
公害病のウィルスを組み込まれ、体内でその抗体を作ろうと
シセルはバルドを忌々し気に見ながら、ゆっくりとソフィへと視線を移す。
「科学者の言い分なんでしょう。生きていられるのを感謝しろ……、親でもない創造主を敬い、使命を全うしろ――」
意識のはっきりしていないソフィの辛そうな顔に、シセルは怖くなった。
「だったら、この子は両親がいながら苦しむ人生を誰が与えたというの?」
「生まれた意味など初めから持っている者は少ない」
「その意味付けをして、
ソフィと暮らしてきた年月は確かなものであっても、姉妹を演じてきた虚しい筋書きでしかない。
それでも、バルドの言葉を肯定しなければならない。
シセル・メルケルの生の拠り所は、妹であるソフィ・メルケルしかないのだ。
バルドもそれをわかっているから、シセルの言葉は寝言程度にしか思わなかった。
「神様か。そんなものになりたくはないな」
そんな戯言にバルドも返したくなったのは、それが彼の心情であったからだ。
かつて、熱心な信奉者が科学によって世界を解明し、神の存在証明を行ったように科学の進歩が自分たちの存在証明になると彼は信じているのだ。
だから、
シセル・メルケルの名を持つ彼女が人並みに心に傷を負おうとも、止まる理由にはなりはしない。
「わたしとして生きるために、わたしは……」
シセルの胸中にある思いがこみ上げてくる。
地球政府高官の娘が果たして戦争に参加したがるだろうか。それも
そんなことを普通しないのではないか。
それこそが自分の意思が虚構ではなく本物であり、自分でいられる時ではないか。
ガッドマンとの会話ではまさに
だが、自分を持ち続けるために戦わなければならないのなら……。
恐怖で震えていた体が静かになり、抱きしめていた腕を解いて力が抜けていく。そのほうが楽になれる気がした。
しかし、そこに聞きなれた声が耳を打つ。
「お姉ちゃん……」
シセルははたと我に返って、ソフィを見た。
彼女の唇が震え、お姉ちゃんと呼ぶ。意識は朦朧としており、瞼は降りたままであった。それでも妹は最愛の姉を呼んだ。
心の底から信じてくれている。
「ソフィ……」
シセルはそうつぶやきながら、姉と慕うソフィの頬に手を伸ばす。
熱い彼女の頬。汗をかいて、涙を浮かべている。それでもシセルの手の感触を知って、心なしか安心したように頬を摺り寄せた。
彼女の病魔は人を虚弱にする。しかしそれは免疫力の話であって、ソフィ・メルケルの意志までも食らい尽くせない。
ソフィの生きようとする意志の強さ。
シセルには眩しいほどに輝いて見えた。
「ごめんなさい」
それしか言えなかった。
苦しい。辛い。わかってほしい。
孤独の中でもがく渇望であったが、知られてはならない。自分の存在が倫理や生命の冒涜になり得るのなら、口を閉じるしかないのだ。
生れた意味を他人に決められ、生きる意味すら決められているのか。
シセル・メルケルはしかし、ここにいる。
その矛盾の中で生きることしかできないのだ。
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