第5話

 23番地コロニーの回転を利用して、宇宙戦艦〔メルバリー〕は港を飛び出した。スペースコロニーの自転が生み出す力で、〔メルバリー〕は最小限の推力で宇宙を流れ、目的地の月を視認することができた。


 大きく見える月であっても、宇宙での距離感覚はそこまで近いものではない。


 艦内に設けられている観測班は各種センサー任せの演算だけでなく、アナログな遠近法の計算や相対速度を図って航海時間をも導き出さなければならない。センサーもビーム航法や宇宙線の影響を受けて誤差が生じる。最後は人の力が頼りなのだ。


 それら情報を統括し、伝達するナビゲーターも要である。


「針路誤差、修正入りました。反重力流体、正常圧で循環できています」

「艦艇の識別は急がせろ。アン・カーヴェッジの艦艇の動きには厳戒態勢を敷く」


 艦橋ではタットが航海士に言いながら、無重力で浮き上がる身体をシートに押し付けた。


 月は明るく微笑んでいるように弓なりの影を落としている。星々の輝きも座標特定に申し分ない光量を持っている。が、そこには月の周辺に居を構えるスペースコロニー群の航空灯の点滅も混ざっているのだから、宇宙の広さは侮れない。


「コロニーの南天側に一隻、〔デルムント〕確認。周辺に一般艦艇と思しき信号、キャッチ」

「針路固定できしだい、巡航速度に。アームド・ムーバ隊にはデッキで待機するよう伝えろ」

「了解。敵性機らしき動きは右上のモニタで確認できます」


 索敵担当のナビゲーターがいい、タットはそのモニタを見た。


 小さいモニタでは周辺の様子すべてをカバーできるものではなかったが、北極星を軸にして数機のAMアームド・ムーバの挙動を観測できた。レーダー観測であるから、宇宙を漂う金属片などのデブリかもしれないが、コロニー近辺を念入りに飛び回っていれば確信はできる。


「思ったより動きが鈍いか……。この薄い包囲で何ができるというモノでもないはずだが」

「陸戦隊からの情報は〔デルムント〕が三隻。アームド・ムーバは一個中隊規模との報告です」

「15、6機だと手が回らないのか。無茶をする」


 タットは数のうえではスペースコロニーをカバーできるものではないと感じた。


 23三番地コロニーの武力練度を差し引いても、スペースコロニーを地球の大都市程度にしか考えていない現れである。スペースコロニーが小国家規模の経済力を持ちだしているのを理解していない証拠。レジスタンスを抱えているならなおさらだ。


 アン・カーヴェッジが練磨の武人であったにしても、州や県を陥落させる策を展開しているとは思えない。


 人材の割り振りが下手なのだ。


 しかし、とタット・モルドーは運悪く自分たちが捕捉されることも視野に入れていた。


「ダミー、準備。タイマーは5分おきにセット。地球方面に三隻分だ」


 タットの指令に各所が了解をして、緊張した。


〔メルバリー〕の針路が月方面であるが、他の一般の宇宙船も似たような航路を取っている。地球方面へ脱出するような航路を取る場合、地球を利用して重力ターンをするのが有力であろう。


 アン・カーヴェッジはおそらく〔メルバリー〕の存在に気づいていない。だが、コロニー内で抵抗して見せたレジスタンスの存在を認知していれば、軍艦らしい影が彼らの操るものと誤認してくれるかもしれない。


「わざわざ艦艇が動くことはないだろう。コロニーのレーザー砲を使われれば厄介だが、こちらの注意は散漫になる、はず」


 それがタットの目論見である。


「艦艇、識別完了。モニタに出します」

「よし。ダミー放出後、攪乱荷電粒子を散布」


 タットは索敵担当の報告を受けて、次の指示を飛ばす。


 民間船を利用するのは少々気が引けたが、大型戦艦をうまく逃がすには周囲のものは利用しなければならない。自分たちの艦艇の腹にも非戦闘員が乗っているのだから。


「乗っている避難民たちには説明はしてるな。戦闘状況も覚悟してもらうと」

「通達しています。しかし、納得してるかどうかはわかりませんよ」


 通信士が応えるも、不安げであった。


「暴動がないことを祈るばかりだな」


 操舵士がぼやくのを聞いて、タットも気分が悪くなる。


「ここは我々の領分だ。文句を言わせるつもりはない」


 タット自身、民間人には配慮して航路を選定しているのだ。不平不満が出るのはある程度予測しているが、そんなものに耳を傾ける気などない。


 そこまで生真面目に考える余裕がこの宙域にはない。


 自分たちも月へ逃げ込むために必死だ。それでも犠牲を最小限にしなければならない、と考えるのがタット・モルドーの仕事である。


             *       *       *


 モンテはパイロットスーツを着込んで、格納庫に入った。


 入れ替わりで帰ってきた〔ビィ・ツゥ〕がエア・ロックを兼ねたリフトから降り立ち、無重力に浮かぶメカニックマンに誘導されていた。


「新人は使えそうか?」


 自機に取りついたところで、コックピットから作業服姿のメカニックマンが顔を出した。


 モンテはハッチに足先を引っ掛けながら、まんまると今にも飛び出しそうな彼の目を見た。近眼用のゴーグルをしているため、彼の目力は迫力があった。


「どうだろうな。かたき討ちをするような熱血漢でもなさそうだ」

「困るんだよねぇ、人手が減るの。入って一週間も持たずに辞めるヤツ、いるからな」

「それで混乱するのは現場だから、上は考えないさ」


 モンテはゴーグルのメカニックマンと体を入れ替えるようにしてコックピットに流れ、シートについた。シートには背中の生命維持装置と接続する溝があり、それで体を固定する。


 操縦桿の握り心地や、フットペダルの踏み心地を確かめる。


「いいようだ」

「バックパックのミサイル、ビームライフルのカートリッジは補給してある。が、アポジモーターは繊細に扱ってくれ。かなり疲労している」


 メカニックマンの言葉にモンテは了解と返しながら、足の間から起き上がるコンソールパネルを操作する。


「センサーの調子を戻してくれただけでもありがたい。電波攪乱があるのか?」

「磁気嵐の時期じゃないんだがな。コロニー側のレジスタンスが妨害してるって噂だ」

「噂か……。上も混乱してるな」


 周囲のスクリーンを起動し、モンテは視界を確認する。


 すると、パイロットスーツを着た若い士官が目に留まった。ヴォルト・ヌーベンだ。ヘルメットを脇に抱えて、モンテたちの方に跳躍したのが見えた。


「どうかしたか?」


 メカニックマンがスクリーンを確認しながら問う。


「いや、少しは根性のある新入りでよかったと思ってな」

「ああ、あいつが」


 モンテの少しうれしそうな声を聴いて、メカニックマンも口の端を釣り上げてハッチに立つ。


「若いな……」


 メカニックマンはぼやいて、ヴォルトのスペースを開ける。


 そこでヴォルトの精悍な顔立ちを見て、彼が上部ハッチに手をかけて止まる動きに感心した。地球育ちにしては目測や宇宙での軌道に理解がある挙動だ。


「宇宙には慣れたか?」

「少しは。モンテ中尉」


 ヴォルトはメカニックマンから視線を外して、コックピットにいるモンテを覗いた。


 モンテはヘルメットをして、首元の気密をチェックしていた。


「補給は終わったのか?」

「はい。それでお願いがあります。自分も同行させてください」

「そのつもりだ。一分で出るぞ」


 ヴォルトは敬礼して、すぐさま自分の機体のほうへ移動していった。


 彼の心情を深く問い詰める手間をモンテは後回しにした。人手が足りないのはもちろんだが、何より本人がやる気になっているのならその気持ちをまず汲むべきだと思うからだ。


 しかし、メカニックマンからすれば信用ならない。


「使えるお子ちゃまかね?」

「使えるようにするのも、上司の仕事だからな。ま、見込みはあるんじゃないか」

「モンテ中尉が言うなら信じますよ」


 メカニックマンが機体から離れるのを確認して、モンテはハッチを閉じた。


「そう言われたら、少しは役に立たんとな」


 モンテ機はゆっくりと一歩を踏み出して、甲板へと移動を開始した。


       *      *      *


「宇宙酔いのつもり?」


 ユノがレクレーションルームに戻った時、ティータの甲高い声が聞こえた。


 視線を向ければ、数人が苦悶の表情を浮かべて口元や額を押さえて浮かんでいる。


 その中にカービンの姿もあり、ティータが付き添っているのだ。


「気のゆるみだよ、単なる。実習はしてるんだ」

「だったら、しゃんとしなさいよ。男でしょ?」


 レクレーションルームは簡素なジュースバー、スクリーンの壁や運動器具などを備えた広い空間だ。その中で避難民が上下に浮かんで、上も下も関係なく頭の方向を向けている光景は奇妙なものであった。


 ユノはカービン達の傍に体を流しながら、ヘンリーとメットに視線を向ける。メットは左腕に当て木をして、包帯を巻いているが意識がはっきりとしている。


「人、多くありません?」

「ん。そうだな。増えたみたいだ」


 ヘンリーがユノの捲れたスカートを気にしながら言った。


 無重力の中で波打ったスカートは時が止まったように固まり、ユノが身を翻すと堅苦しく引っ張られる。


 ユノは膨らんだスカートを正しながら、すし詰め状態の部屋に嫌な圧迫感を覚える。


「怪我人だけじゃない……。悪知恵の働くこと」


 生きるためには手段を選んでいられないということか。


 頭の包帯に触れて、ひりひりと痺れるような痛みが自分の正当性を物語っている気もする。もともと、ユノ・クックスは空襲で意識が混濁していた。それでも意識が戻れば、働き手の少なさを思って行動する気にもなった。


 しかし、それが心のゆとりから来るものだと思えないのは、目に見えている景色が現実として横たわっているからだ。緊張状態が続いており、とてもではないが他人に気をかけている余裕はない。


 動いていないとおかしくなりそうだから、働いている形をとっているに過ぎない。


「クックスさん、シセルの妹さんはいいの?」


 ティータが問いかけてきたので、ユノは彼女に向いた。


 ティータ・コニンはピリピリした雰囲気を醸し出していたが、生理的に来るものではないと感じた。状況が不明瞭なのが、気になって仕方がない。そんな雰囲気だ。


「医務室で診療を受けてる。大丈夫だと思う」

「そう。ええ、そう。他に変わったことはあった?」

「そのシセルってお姉さんの方がどうもこの船に乗ってるみたい」


 ユノの言葉に反応したのはカービンである。


「シセルにあったのか?」


 彼は身体を捻って、床に足をつける。それから手近なポールを握って姿勢を正した。


 ゴウンッと艦内に鈍い音が流れた。わずかに空気が震えて、緊張が走る。


 ユノはティータに手を引かれて、自身もポールにしがみつくようにする。


「いいえ、軍人さんが話したっていうのを聞いたの」

「今どこにいるのか、わからないわけね? けど、あの子、しぶとく生き残るわよ、ほんと」


 ティータは侮蔑まがいの言葉を使ったが、そこに嫌悪感などはない。


 信頼している口ぶり。先ほどのピリピリした気はなくなって、ひとまず安心した雰囲気であった。


「そんな言い方ないだろ?」


 ヘンリーが茶化す。


「ティータの口の悪さは分かってるくせに。ま、愛想のないシセルでも一応グライダー仲間だからな」


 メットは笑みを浮かべるが、すぐに腕の痛みを思い出して表情がひきつる。


 ユノはその他人行儀な感じが腑に落ちなかった。


「友達ではないの?」


 まさか、とヘンリーとメットが口をそろえて言い、ティータが付け足す。


「悪い子ではないのだけどね。感覚がズレてるっていうか、人に興味を示さないっていうか……。本心を気取られないようにしてる感じが強くてね」

「そうかしら……。そういう人が、人助けをする?」

「気まぐれだったんじゃないか? そういうところがある」


 ヘンリーの言葉にユノはますます腑に落ちない。


 命の恩人がただの気分屋と言われている。囮となって時間稼ぎをしたのは確かに感情任せな行動だと思ったが、短い間でもわかる妹想いの彼女が本当にそれだけなのだろうか。


 と、レクレーションルームの扉が開かれて、ユノ達は反射的にその方を見た。


「保護観察は続いている。だから、大人しくしていることだ」

「そうさせてもらうわ」


 入ってきたのは軍服の当番兵と、自由になった手首を揉むシセル・メルケルだ。


「シセル・メルケルっ」


 ユノが床を蹴って、シセルの前へ躍り出る。


 シセルも包帯の少女を見て、彼女の手を取りしっかりと床に足をつける。強く手首を握るユノの力強さにほっとした。


「ユノ・クックス、さん。みんなも無事だったのね。よかった……」

「妹さんも運ばれたのだけど、具合を悪くして今は医務室にいるのだけど」


 ユノが付け足すと、シセルは思わず彼女の手を握る手に力が入る。


「ソフィが? バルド先生は一緒なの?」

「ええ。ついてくれてるわ」


 シセルの必死な表情にユノは気おされて、おずおずと答えた。


「そう……。なら、大丈夫かな。うん……」


 ユノはシセルが視線を手元に落として、何か複雑な表情を浮かべているのをみて胸が締め付けられたように苦しくなる。


「あとで、医務室に案内するわ。それくらいは許してくれるわよ」


 ユノは一度当番兵を見て、再びシセルに戻す。


「家族なんだから、ね」


 その言葉がシセルの肩に重くのしかかり、口を堅く噤んでしまう。


 ユノが不思議に思っていると、レクレーションルームの内線が響き、当番兵が即座に対応した。


 その場にいる全員が緊張した。


「はい。え? 警戒態勢?」


 当番兵が険しい顔をすると、受話器を持ったまま全員を見渡す。


「みなさん、近くのものにつかまるなり、体を縛ってください!」

「戦闘があるのか!?」


 誰かが代表するように言った。


 シセルも顔を上げて、苦い表情で当番兵の答えを待つ。


「その可能性はあります。だから、みなさんはここでお待ちください」


 当番兵はそういって、二、三言内線ではなすと、出ていこうとする。


 避難民たちは混乱して、とにかく上着を脱いで手すりと体を縛りつけ、隣近所の人と腕を組んだ。だが、中には感情を高ぶらせて当番兵を追う者もいた。


「黙って死ぬのを待っていられるか!」

「ここで待っていてください。戦闘になれば、危ないんですよ」

「宇宙服もなしに閉じこめられれば、同じことだろ」


 当番兵は出てくる人をなだめたりしたが、聞く耳を持たない。


 その中へカービンが飛び込んでいくのをシセル達は見た。


「カービン! どこ行くんだ!?」


 ヘンリーが叫んだ。


「俺だってみんなの役に立ってやる。アームド・ムーバくらい動かせる!」

「やめて! 無理よ! ここはもう宇宙なの!」


 シセルが制止するのも聞かず、カービンは混乱する人垣を押しのけて通路に飛び出していった。


「俺だって根性があるとこ、認めさせてやるっ」


 カービンが抱くのはそれだけである。


 一人無謀な策に挑んだ女の子は辛辣に彼を突き放した。それが今は逆の立場になっているのだ。その気持ちを知ってほしいと思ったし、自分の男気を見せつける好機だと思った。


 そんなカービンの心情を煽るようにして、艦体の揺れが激しくなり始めた。

 

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