第3話

 シセル・メルケルは憤慨していた。


 軍艦に着けば、スパイ容疑はかけられ、狭い部屋に押し込められる。おまけに身ぐるみまで取られて、患者服のようなガウン一枚だけにされると気持ちがささくれ立つのも無理はない。


「ここにソフィがいる、はず。顔を見るまでは、大人しくしてるしか……」


 部屋は四畳間ほどで、調度品と呼べるようなものは小さな書斎机だけである。独房と見まごう間取りで窓一つない閉塞感がシセルの気持ちをさらに圧迫する。掛け時計があるが、あいにくとタイマー機能しかなく、ここにきてちょうど20分が経過した。


「けど、いつまで、ここにいればいいの?」


 シセルは膝を抱えて、顔をうずめようとした。


 すると、ドアが開いて咄嗟にその方向へ顔を向ける。


「手荒に扱うなっていうんだろ、ロディオ中尉殿」


 そう言ってまず入ってきたのは、若い軍人だった。肌艶はきめ細かく、長い髪や整った顔立ちを見ると同い年の少年に思えた。


 明るい髪の色や煌びやかな狼の目アンバー色が一層騒がしい印象を覚えさせる。


 後ろに立つガタイのいい短髪の軍人、ロディオ・バレッジも手を焼いているようでため息をついていた。


「そうだ。こういう経験も今後必要になってくる」


 だからやれ、と若い軍人を促して部屋に入ると扉を閉めてロックをかける。


「パイロットには必要、ないんじゃないですか?」


 若い軍人は首を左右に振って肩こりをほぐし、シセルの前に片膝を立てて床に座った。


 シセルはその男と目線があって、壁に背中を預けながら背筋を正した。


「そう身構えるな。堅苦しいのはお互いよそうや」

「お調子軍人さんの経験稼ぎに付き合わされれば、そうなります」


 それを聞くと、若い軍人は笑いをかみ殺しながら部屋の隅を指さした。


「カメラは回ってる。不利にならないよう正直に答えてくれ。担当官のコディ・ルクスだ」

「どっちが……」


 シセルは愚痴りつつ、ロディオが書記官を務めているのを確かめてコディに向きなおる。


 彼は軍服が皺になるのもいとわず、膝の上に腕を乗せて定型文の質問をする。


 氏名、生年月日、出身、血液型、血縁関係などの身辺情報から〔ヴェスティート〕を入手した経緯とここまでの経路などの近況情報。ロディオが見張っているためか、コディの質問は簡素で、シセルは目の前の男がやらされている感があると思った。


「――なるほど。おおむねの事情はこれでいい。でしょ、中尉?」


 コディが深く息をついて、ロディオに確認を取る。


「まぁ、そうだな」


 ロディオは生真面目にタブレット端末に書記をして、部下のやる気のなさに内心怒りを蓄えていた。だが、ここでそれを発散するわけにはいかず、とりあえずはこの場は彼のリズムに任せるしかなかった。


 すると、コディは肩の力を抜いて破顔する。無邪気というか、はしゃぐような口の吊り上がりはより若々しく映えた。


「ハハハッ! 友達、妹を助けるためにパイロットをしたのは随分と考えなしの突進をしたもんだ。ハイスクールの学生にもなって」

「いけませんか? こっちは必死だったの」

「悪いことだな。機体内にあったメモリーには一機撃墜の記録もあった」


 コディはずいと腰を移動させ、シセルに詰め寄る。


 シセルは思わず体を傾けて、距離を取る。倒れそうになって、床に手をついた。


「あんたにはパイロットの素質があるのやもしれない。どうだ? やる気はあるか?」

「そんなの、あるわけないじゃない?」


 コディは人差し指を突き出し、シセルは思わず閉口して指先を見つめた。


 シセルには彼の口調が煽るだけ煽って楽しんでいるようにしか聞こえない。妙に昂揚した口調は彼の気分そのものなのだろう。


 しかし、気分が落ち着いたのかゆったりとした声で話す。


「頑なに否定するのも可愛らしいな。背中を任せてもらいたいな」

「人の話を聞いてるの? その気はないって」


 シセルは背筋に虫唾が走って、突き出された指先を払いのける。


 コディはそれを良しとして、そのまま胡坐をかいて両膝にどっしりと手をのせる。


「根本を理解してもらいたい。あんたは、戦時の混乱とはいえ――」

「人を殺したっていうんでしょ? 仕方ないでしょ!」


 シセルはコディから目を背けて、床についた手を握りしめる。


 すると、コディは高笑いをして畳みかける。


「どこが仕方ない? 免罪符が欲しければ、パイロットをやった方が近いというのだ。妹にも格好がつく」

「恐喝じゃない……」


 シセルははらわたが煮えくり返る思いで、コディたちを睨み付けた。


「そうやって兵隊を集めて戦争してるなら、ドミニオンは負けるべきよ!」

「アン・カーヴェッジの武力行使には目をつぶってな。病人だらけの家畜小屋が出来るのを見ていろって?」


 コディの素早い切り返しにシセルは言葉を失った。


 自分が〔ヴェスティート〕に乗って、〔ビィ・ツゥ〕を戦争不能にまで追い込んだそもそもの原因はアン・カーヴェッジが戦いを運んできたからだ。それに過剰反応したコロニーの軍隊も糾弾すべきだ。


 しかし、〔ヴェスティート〕を操ってそんな倫理が通用する世界ではないと実感した。ひとたび呼び起こされた生存本能は拡散して、様々な形で表面化する。


 いよいよ見かねたロディオが咳払いをしていう。


「部下の非礼をお詫びする。しかし――」

「二言目にはしかしっ! それが軍人なんだ……」


 シセルはロディオに言い返して、再びそっぽを向く。


 部下の傲慢な態度を謝罪する気があるなら、自分の意見を通そうとは思わないはずだ。軍人たちは主導権を自分たちが握っていると確信しているから、被疑者への配慮など考えていない。


 すると、コディが立ち上がって、軍服のポケットに手を入れた。


「あんたはそうやって言うがな。目にした現実は冗談ではないのだからよく考えろ」


 そして、彼はポケットに入れていたパッケージを出してシセルの前に放った。


 シセルは足先に当たったそれを一瞥して、目を逸らす。


「体臭には気を遣え。ボディシートだが、宇宙線防止の作用もある」


 また来る、とコディは言ってシセルに背を向ける。それからロディオに目配せして、部屋を後にした。


 シセルは大人たちが姿を消した後、扉の方を見てからボディシートのパッケージを見る。


「宇宙に出るんだ。ここを離れるのに、わたしは……」


 シセルは天井を仰いで、深く息を吸い込んだ。胸を張って、乾いた空気を取り入れる。生き物の臭みがないのが、どこか懐かしくもあった。


            *      *      *


 ソフィはぼうっとする頭であったが、腹からこみ上げてくる気持ち悪いモノに耐えきれず体をくの字に折って用意された洗面器に吐き出す。


 喉が焼けつく。口は不快な酸っぱい味で満たされて、腐った臭いが鼻をつく。


「辛いね。辛いね……。我慢しなくていいからね」


 ソフィの傍に寄り添うユノは彼女の背中をさすりながら、弱々しく握る小さな手を自分の手で包む。


 背中を波打たせ、吐き出すモノすらなくなっても喉を鳴らして粗い呼吸を繰り返すソフィは見ていて辛い気持ちになる。


 口元のマスクごしからも、吐しゃ物の臭いがわかって、彼女も思わず眉間にしわを寄せる。


 運び込んだ医務室は広々としていたが、ソフィたち以外の病人の姿はほとんど見受けられない。座っているベッドを含めていくつかあったが、ユノ達以外のものは空っぽであった。バルドとペックス軍医が言い合っているのが見えるが、看護師らしい人影はない。


 ユノが周囲の様子を気にしてると、ソフィの症状もひと段落したらしく体を預けるように寄りかかってきた。


「もういい? お水、あるよ」


 ユノはほとんど胃液しかない洗面器を台座に避けながら、膝元にあるタオルでソフィの口元を拭う。


 ソフィからの返事はなく、ユノはタオルを置いて、彼女の額に手を当てる。


「すごい熱……」


 掌に伝たわる高熱にユノは驚きながら、ソフィを横にした。


 酷い目に合って疲れが出てきたにしては過剰な気がする。顔は真っ赤になり、時折ひきつけを起こしている。


「ご苦労、クックスさん。部屋に戻って休んでくれ」


 心配するユノの隣にバルドがついて彼女の肩を叩いた。


「傍についてちゃ、ダメですか?」

「できれば、距離を置いてほしい。風邪がうつったら、一大事だからな」


 バルドは風邪だというが、ユノにはそう思えなかった。


 病気に詳しいわけではないにしても、ソフィの苦しみ方が自分の経験してきた症状よりも重苦しい印象を覚える。しかし、他人の子だ。一人っ子のユノにはかかりつけ医である彼の言葉を信用するしかない。


「わかりました。お願いします」


 ユノはバルドに言って、医務室を出た。


 マスクを取って来た道を思い出して、歩き出す。通路には上下を示すマーカーが敷かれ、あとはハンドル付きのコンベアが壁に敷設されていた。民間の宇宙船にはない設備で、ユノはこの空間の異質さに息苦しさを覚えた。


「軍艦の中にいるのよね。あの子のお姉さん、大丈夫かしら?」


 ユノが突き当りを曲がると、数人の避難民らしい人たちと出くわした。


「すまない。道を尋ねたいんだが……」


 細身の男が代表して訪ねてきた。


 ユノはその男の傍にいる人たちを見て、訝しんだ。男ばかりが連れ立って、あたりを挙動不審に警戒している。運んできた怪我人の中に彼の顔を見た覚えもなかったし、何より五体満足で歩いているのが不思議で仕方なかった。


「ひ、避難した人はレクレーションルームに居ろって、言われてますけど……」

「ああ、そう――。そうなんだが、トイレに行ってるうちに、道に迷って」


 縋るように近寄ってくる男に身を引きながら、ユノは彼らの背後を指さす。


「この通路をまっすぐ行けば、見張りの人がいます」

「ありがとう。じゃあ、キミも一緒に来てくれるんだよね? 事情を説明してもらえると助かる」


 ユノは必死に訴えかける細身の男の目を見て、怖々と頷いた。


 密航者ではないのだろうか。血走った瞳は何をするかわからない気迫があって、逆らわない方がいいと考えた。下手をすると、ソフィが襲われた時のような混乱を招くやもしれない。


 すると、背後から話し声が聞こえてきた。


「コディ、少しは配慮しろといったはずだ。このことは艦長に報告しておく」

「任せるといったのは艦長で、やらせるといったのは中尉殿だ。それにああいう可愛げのある子は攻め立てた方が本音を出しますよ」

「お前の趣味に付き合ってるんじゃないんだぞ」


 ユノが振り返ると軍服を着た二人が近づいてくるのが見えた。


 と、向こうも気づいたらしく談笑をやめて、真面目そうな軍人、ロディオが早足で寄ってきた。


「何をしている? 民間人が勝手にうろうろするな」

「すみません。すぐ、戻ります」


 ユノはロディオに気迫負けして、頭を下げる。


 他の面々は渋々といった様子で来た道を引き返していった。ぶつくさと何か愚痴っていたが、罵る度胸もない小心者の集まりにはそれが精一杯だった。


「密航者ですかね?」


 後から来たお調子者のコディが顔を上げたユノを見ていった。


 その品のない言い方にユノは睨みを利かせる。


「そちらの避難名簿に署名しました。だいたい、正確な数を把握してるんですか?」

「うちの艦も忙しいところに、厄介ごとが来たんだ。混乱はしてるんだよ」

「厄介ごとぉ!?」


 ユノが声を上げる。


 すると、ロディオがコディの頭を小突いて取り繕う。


「アン・カーヴェッジの介入で指揮系統が混乱している。本来なら別の部署が請け負うところなのだが……」


 ロディオはそう言っているうちに、ふと思い出す。


「この船の所在、どうして外部に漏れたんだ?」

「駐留軍の人がレジスタンスの人とかに吹聴したって聞きますよ? そもそもレジスタンスって、ドミニオンの私設組織なんですか?」


 ユノが問い詰めると、コディが割って入った。


「ドミニオンが直接関わっているというより、自発的に市民が作った組織だと思いな。コロニーの暮らしだって楽じゃないからな」


 コディの意見にユノは眉を顰めた。


「このコロニーの生活水準が悪いってことですか? そんなはず、ない……」


 父親が議員を務めて、平穏に暮らしてこれたのだ。


 私的な問題を覗けば、今日までの暮らしを不自由だとは思わない。『いい暮らし』をコロニーの市民はできたはずだ。


 だが、父の口からドミニオン参入を喜ぶ言葉が出たのも事実。変革をもたらそうと努めていたのは、娘としてもわかっているつもりだった。その準備のために、武力を蓄えていたと思いたい。


「キミくらいの世代にはわからない話かもしれないな。ひとたび宇宙を知れば、コロニーの脆さなんてすぐにわかる」


 ロディオが諭すように意見する。


 ユノは自分の感覚がおかしいとは思わない。スペースコロニーが万全な受け皿でないことはよく理解している。危険と隣り合わせであっても、生きていく場所を維持するためには乗り越えなければならない。


 その危険を一番身近に感じているのは、果たして誰か。


 ユノ・クックスの思考は自分たちの親の世代を思い浮かべて、ロディオの言葉に繋げる。宇宙で働く人たち。宇宙線やデブリの危険、ちょっとした機械の故障で命が奪われる不条理な世界でどれだけの人が耐えられるのだろう。


 それが恐くなって地球の暖かな環境に帰りたいと思うようになったのではないか。


 ユノは自分の世間知らずを自覚して、悔しさに奥歯を噛みしめた。


「ったく、さっきの女の子といい。コロニー育ちはどうして」


 コディが呆れた口調でいい、ユノは血相を変えて彼を見た。


「女の子? それって青い目をしたハイスクールの子?」

「ん。ああ、友達ってそういうこと……」

「知ってるんですね? ここにいるんですね、シセル・メルケル!」


 ユノが詰め寄ろうとしたところで、艦内放送が割って入った。


『ご連絡します。本艦は10分後、この港を出発いたします。被災者の方々は係りの兵の指示に従ってお待ちください。繰り返しご連絡します――』


 それを聞いたロディオたちも表情を変える。


 コディはユノの細い肩を掴んで、回れ右させるとその背中を押す。


「ちょっと――っ」

「友達のことなら無事だよ。他の友人たちにも知らせてやんな」

「だったら、医務室に行かせてください。妹さんがいるんです」


 ユノは振り返ろうとしたが、ロディオとコディに背中を押されて戻ることはできなかった。


「出航準備で忙しくなる。落ち着いたら合わせる」


 ロディオはユノの顔を見て気休めを口にする。


「その言葉、信じますからね」


 そうしてユノも一度レクレーションルームに引き返すことにした。


 

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