第2話

〔ヴェスティート〕はフラフラな飛行でどうにかハルーミ区の工場に着陸することができた。右腕部は言うことをきかず、だらりと動く気配がなかった。


 足元には誘導灯を手にした人がいて、無線で呼びかけてくる。


「よぉし。そのままエレベーターに乗って、下を手伝ってくれ」

「はい……。そうします」


 シセルは指示通り機体を動かし、開けた土地に移動させる。足元にはエレベーターを示すマーカーと非常灯が四隅にあり、AMアームド・ムーバ二、三機は乗せられそうなスペースがあった。


「他人の気なんて、気にしてらんないよね……」


 シセルは上下に振動するシートに今になって吐き気を覚え、口元を覆う。戦闘を終えて、お腹の奥が締め上げられるような痛みが続き、頭も鈍痛が止まない。


〔ヴェスティート〕がエレベーターの枠線に収まるようにして膝をつくと、すぐ近くの管制塔の操作でエレベーターの降下が始まった。


「ソフィたちはうまくこっちに来てくれてる、はず。けど、どうなんだろう?」


 シセルはオレンジの誘導灯に照らされたエレベーターの中でつぶやき、汗を吸った上着を脱いだ。


 スペースコロニーの居住面は重層構造だ。生活水のろ過、空気の清浄などライフラインに関わる装置やパイプがひしめき合い、地下鉄のような大型交通機関も走っている。


 それらは一般市民の生活に関係するのだが、さらにその下になるとAMアームド・ムーバも使用できる巨大通路とスペースボートの発着場を担う地下壕が存在する。外壁修理やライフラインのメンテナンス、また別のコロニーで製造された水を運び込む窓口として機能する。


 シセルはエレベーターが止まり、正面のゲートが開くのを見て操縦桿を握る。太腿の端末は空気の有無を知らせて、その先にも空気があると知らせる。


「空気はあるのね。ロケーターは使える……」


 タブレットを操作すると地下壕の地図が更新され、外部からの無線中継ポイントから退避経路が更新される。


 シセルはハッチを開けて、外のひんやりした空気を感じながら機体を歩かせた。ロケーターに合わせた自動操縦で〔ヴィステート〕は規則正しく歩行し、シセルはシートベルトを外してハッチに足をかけた。


 耳をすませば、重たい音が地下壕に響いている。


 シセルは地下壕の景色を観察しながら、肌寒さを覚えて腕を摩る。汗が冷え切って、思わず身震いしてしまう。


 と、側面から光が零れ、温かい空気が漂ってくるのが分かった。


「あれが……、船?」


 シセルはタブレットに触れて、機体を停止させ、眼下に広がる景色を眺めた。


 そこは地下壕の中でも水を運んでくる輸送船の発着場であった。停泊しているのは飛行甲板と砲塔を備えた宇宙軍艦である。その周りでは宇宙服を着た人や作業用のパワードスーツが右往左往し、一部には普段着のまま動いている者までいる。


 灼熱の照明が発着場を照らし、熱量を上げていた。


「先生の言っていたことは本当だった。なら、みんな来てるよね?」


 シセルはコックピットに引っ込んで、操縦桿を握る。


〔ヴェスティート〕は自動操縦を解除して、腰部のスラスターの角度を合わせる。それから、停泊している軍艦目指して滑空する。


 高さは100メートルほどだろうか。反重力流体の効果を最大限にまでして、スラスターの弱い出力でも風船のようにゆったりと動くことができた。


 すると、軍艦の司令塔から光信号と共に拡声器での声が響いた。


「そこの赤い機体。管制の指示に従え! 所属は?」


 ピリピリと神経質そうな男の声が飛んできて、シセルは口元をとがらせながら機体のセンサーゴーグルを挙げさせ、外部スピーカーの電源を入れる。タブレットを外して口元にもっていけば、それがマイクになってくれた。


「所属も何もここに逃げてきただけです。降りますよ」

「機種不明機を受け入れられるか」

「なら、渡しますよ」


〔ヴィスティート〕はセンサーアイで光信号を送りながら、飛行甲板へと滑るようにして着地する。正面には格納庫へ続くゲートが開いており、中には〔ライダー・ヘッド〕と見慣れないAMアームド・ムーバが並んでいた。


 それらを確認して降伏の意を示すように、動く左腕部を挙げさせる。


 シセルは着地の衝撃の柔らかさにほっとしながら、格納庫から一機AMアームド・ムーバが出てくるのを認めた。


 山羊のような巻角を生やした兜に、地味な灰色の鎧、シンプルな装いだ。その機体は巻角の先を天井に向けるようにして兜のバイザーを上げ、その下の四つの丸いレンズが動いた。


「どういう事情か、聞かせてもらおうか? パイロット」

「そのつもりです」


 シセルは左横につく機体がマニュピレーターの甲を向けて、対人レーザーの収束レンズらしきもので狙いをつけているのに気づいた。


 少し視線を上に向ければ、腹部のハッチが開いてパイロットらしい人が出てきたのが見えた。パイロットスーツを着た人だったが、油断ならないと感じる。


〔ヴェスティート〕はぎこちない歩みで格納庫へと入っていった。


            *       *      *


〔メルバリー〕のブリーフィングルームに集められた面々は、苦い顔をしながら艦長であるタット・モルドーに視線を向ける。


 その中にはガッドマンの鉄面皮もあり、クルーたちは一層不満げであった。


「怪我人を引き込んだ所で難民船にも、医療船にもなりませんよ」


 タットは中央にあるスクリーン付きのテーブルに手をついて、上座にいるガッドマンを睨んだ。


「命令系統はしっかり守っていただきたい。ここは軍艦なんですから」

「必要なことだと私は理解しているつもりだ」


 ガッドマンのくぐもった声に、クルーたちは呆れた。


 集まっているクルーは各部署の責任者だ。デッキチーフやメカニックチーフ、医療、食事、陸戦部隊部隊長などが参加していた。


 彼らの部下は艦の修繕はもちろん、抱え込んでしまった怪我人などの対応にも手を焼いているのだ。


「それを大衆心理とあなたは言うんでしょうけどね」


 タットもいよいよ疲れが出てきたのか、人差し指でテーブルを叩きながらため息をつく。


「これからの予定に支障が出ます。クルーだけなら、いささか強引な手段に訴えても月への航路を取れたんですけどね」

「月への直路は変えなくていい。コロニーの遠心力を利用して、艦が発進すれば燃料の問題は解決できる」


 ガッドマンは頑なであった。


 彼には大衆は救うべきだと考えているのだろう。鉄仮面の下にあるのが血の通った人間であると思わせたいのだろうか。あるいは、上で起きている騒動に過剰な反応を示しているかだ。


 いずれにしても、ガッドマンが独断で怪我人の受け入れを良しとしてしまったがために〔メルバリー〕の混乱はより大きなものに膨れ上がっていた。


 これには機関士長が異を唱える。


「お言葉ですが代表。〔メルバリー〕の推進力云々よりも空気の純化や積載量の限界もあります。人が増えれば、それだけ危険が増すのです」

「病人はもっとひどい症状を併発する恐れがあります」


 軍医も口添えして、ガッドマンを見た。


「公害病の子、いるんですよ? その意味わかってます?」

「あれは空気感染するものではないだろう」


 ガッドマンは応える。


 公害病。地球での第二次産業にとって排出された有害物質によって引き起こされた病。原因は火星や小惑星から取れる貴金属の加工、さらには反重力流体の封じ込めに使う様々な薬品が空気や食料となる魚、作物などに潜伏し、人へ感染することで発症する。


 ひとたび人体に侵入した有害物質は新人代謝を下げ、感染者を脆弱化させる。虚弱になる、という表現は生易しいだろう。普通の人なら対処できる風邪ウイルスであっても、感染者にとっては致死性の病魔となって襲い掛かる。


 通常の処方箋やワクチンでは対処しきれないウイルスに化けて人を殺すのだ。それはもう新種の病気と言っても過言ではない。

 

 人が宇宙に出て、スペースコロニーで生活するのは公害病から逃れるためでもある。それが有効策であるのは有識者たちの一致した見解である。公害病を患い、新種の病を宿していたとしても、そのウイルスが空気感染することは極めて低い。あくまでも患者の体内にある有害物質との反応が起こすことで、それ以外の環境には適応できていないのだ。


 しかし、軍医の立場としては楽観視できるものではない。


「現在わかっている範囲での、話しです。コロニー以上に閉塞なこの船でそういう子が病に倒れてみてください。代表がおっしゃる通り感染拡大がなくとも、乗り合わせた人間は魔女狩りでも始めるんじゃないんですか?」

「そういう偏見を持っているから、余計な問題を起こすのではないか」


 ガッドマンは引き下がらない。


 これには軍医が呆れかえって、盛大にため息をつく。彼の立場を思えば、そんな言葉は不適切だ。多くの怪我人がいる。そのすべてを守るためには、物理的感染以上に、ガッドマンが言う偏見からくる混乱を防ぎたいのだ。


 タットは軍医の真面目さに気づいて、指先の貧乏ゆすりをやめる。


「ペックス先生。受け入れた怪我人は何人です?」


 軍医、ペックスは口元に手を当てながら言う。


「詳しい数はまだ……。200人近くだと思われます」

「そんなにか?」


 タットとしてもその数を抱えて、宇宙を航行できるか不安であった。だが、気弱なところは見せられず背筋を正すと集まった全員を見渡す。


「上の様子は?」


 これには陸戦隊の隊長が応える。


「すでに支庁はアン・カーヴェッジの制圧下になりつつあります。しかし、いまだ抵抗運動を続ける市民レジスタンスがいるようです」

「わかった。備蓄はどれくらいだ」


 デッキチーフが手を上げる。


「装備も兼ねてか?」

「もちろんだ。収容した避難民の数は度外視で、なら月まで持ちそうか?」


 タットの質問に、デッキチーフは腰に下げているタブレットケースから端末を出してリストを確認する。


「クルーだけなら予定通りいけます。しかし、持ち込みがあった装備、薬品、非常食の数だけでは避難民に十分いきわたらない可能性があります」

「そうなるとクルーの食事も切り詰めないといけませんかね?」


 食事を担当する者が不安げに問う。


「月に行くとしたら、な。近隣コロニーにおろせばまだ可能性があります」

「いや、周辺もアン・カーヴェッジに睨まれているだろう。それに怪我人を押し付けを、そうやすやすと受け入れてくれるとは思えんな」


 タットはデッキチーフの意見を否定した。


 23番地で起きたことは他の番地も察知するだろう。ドミニオンに賛同するコロニー支庁は尻込みするだろうし、地球政府を支持する側は傍観を決め込む。


〔メルバリー〕がドミニオン所属艦である以上、どちらにいってもいい結果は生まれないだろう。


 タットはしばし思案し、結論を導く。


「予定通り月のウワファに航路を取る。あそこならビッグバッハ准将の息もかかっている。アン・カーヴェッジの追撃をかわすことになるだろうが」

「月の裏側になると、避難民にもそれ相応の覚悟をしてもらわなきゃな」


 食事担当の軍人は太い腕を組んで、気難しい顔を浮かべる。


「すまない、ロアン。が、収容した避難民は戦災を受けた被災者だ。どこかで尻拭いをしなきゃならんのだ」

「貧乏くじですか、艦長」


 陸戦部隊の隊長が茶化すように言った。


 これにはタットも苦笑いを浮かべて、こめかみを引っ掻く。


「ま、そういうこった。悪いが、力を貸してくれ」


 タットは部下たちにそう言い、彼らの反応を見た。


 各員はやるしかないか、と不承不承で頷いてくれる。


「なってしまった以上はやるしかないでしょう、と。我々は出発までに情報を集めてきます」

「積み荷は後部の格納庫に集中させます。アームド・ムーバも増えましたからね」


 陸戦隊とデッキチーフはすぐにもやるべきことを把握してくれた。


 と、ブリーフィングルームの扉が開いて、若い衛生兵の女性が青ざめた顔で入ってきた。


「何をしている? 会議中だぞ」


 食事担当が言った。


「申し訳ございません。ですが、ペックス先生にはすぐお戻りになっていただきたいのです。急患なんですよ」

「患者はどうなんだ?」


 ペックス軍医は衛生兵に問いただし、タットを一瞥する。


 タットも緊急を要するのがわかったから、軽く手を挙げて退出を許可する。それで相手もわかったから、敬礼を返してくれた。


「公害病と報告のあった患者です。高熱と嘔吐、下痢が酷くて」

「医務室には移動させたな?」


 ペックス軍医は会議から離れて、衛生兵と共にブリーフィングルームを出ていった。そこに入れ替わるようにして今度は別の士官が顔を出した。


 緊張気味に敬礼をして、彼は言う。


「し、失礼します。御取込み中申し訳ございません。艦長にご報告がございます」

「これ以上の問題は嫌なんだが……。各自、持ち場についてくれ」


 タットは愚痴りながらも他のメンバーを解散させ、士官の方に顔を向ける。一人ガットマンだけはそこに残り士官の報告を待っていた。


「すまない。それで何だ?」

「ハッ。所属不明のアームド・ムーバ一機を拘束。それで乗っていたのが学生なんですが、いかが処理いたしますか?」

「学生? 一般人か?」

「ええ、女の子を一人。ただ拳銃を所持しておりましたので、今は自習室に収容しています」


 その話を聞いて、タットはため息をつきながら頭を振った。


「そういうのはアームド・ムーバ隊に任せる。尋問官も、だ。危険であっても、軍属じゃないなら手荒な真似はできなんだからな」

「では、そのようにっ」


 士官は敬礼して、そそくさとブリーフィングルームを離れていった。


「女の子のパイロット……?」

「珍しいですか? いまどき、女性パイロットはいますよ」


 ガッドマンのぼやきに、タットはそう言ってブリーフィングルームを出ていこうとする。


「いや、学生が持ってきたというのが気になっただけだ」


 ガッドマンもタットに続いてブリーフィングルームを後にした。

 

 

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