第二章 脱出
第1話
コロニーの外壁修工の工場には人だかりができていた。
正面のゲートでは軍人たちが一般自民の侵入を防いでいた。バリケードには装甲車を使い、放水車まで担ぎ出して威嚇をする。軍人などは銃を手にして、押し寄せる人波を払いのける。時には上空に向けて発砲し、救いを求める人たちに威嚇をするのだ。
だが、頭の回る人間はどこにでもいる。工場を囲う外壁にはネズミ返しや有刺鉄線を張っているが、彼らの目を盗んで梯子やワイヤーを使って侵入する者だっている。
バルド達を乗せた幌車は正面ゲートに向かって真っすぐに進んだ。車道は兵士たちが道を確保し、軍属の車の受け入れをスムーズにしている。
「どおりでここは、空襲されないわけだ」
運転するヘンリーは周囲でひしめく人の群れを見て、人の執念に固唾をのんだ。罵詈雑言が飛び交い。異様な熱気に包まれたこの一帯はとても長時間いられるような場所ではない。
上空で飛び交う敵味方の
損傷した〔ライター・ヘッド〕が敷地内に着陸するのを見ては、アン・カーヴェッジのお目こぼしな様な気もする。
隣にいるバルドは覗き窓から後ろの様子を確かめる。
「後ろは閉まっているな? 検問か。普段どおりにしてればいいからな」
「わ、わかってます。僕たちは医療スタッフのボランティアです」
ヘンリーの回答を聞いて、バルドは車道に出て大手を振る兵士を見据えた。
止まれ、と彼が叫び、幌車は周囲の注目を浴びながら正面ゲートから離れた位置に停車した。
数人の兵士が幌車を取り囲み、助手席に座るバルドが応対を始める。
「どこの部隊だ?」
「いや、怪我人の搬送車だ。ここに来れば、まともな治療を受けさせられると聞いたんだがね」
「それは病院の方でやってくれ」
兵士はバルドの医師免許を受け取り、顔を確認しながら言う。
「物資もいくらか積んである。怪我人は近くのコロニーに移した方がいいだろう?」
「悪いが、それだけでは通せない。脱出用のスペースボートは少ないんだ」
その言葉を耳にしたヘンリーが声を上げる。
「怪我人を見捨てるのか?」
「状況を考えろっ」
運転席側に張り付いていた兵士が怒鳴りつける。
「軍隊は市民の味方じゃないのかよ……」
ヘンリーは俯いて、彼らの態度に腹を立てた。
在中軍が敗色濃厚を悟っているのか、身勝手なふるまいをしている気がした。自分たちとて言えた義理ではないが、それでも責務を全うするのが働いている大人ではないのかと思うのだ。
これでは町のチンピラと変わらない。
ふとサイドミラーに目を向ければ、別の兵士たちが荷台の方を覗きに行くのが見えた。
「怪我人の搬送車だろうが、どうだ?」
「ええ、確認しています」
荷台を覗き込んだ兵士たちは怪我人の数やカービン達の視線を気にしながら、前席の方で検問をしている兵士に無線で伝える。
「確かに救護車のようです。判断を任せます」
ユノは彼らの無遠慮な視線とちらつかせる銃に緊張しながら、胸の中で震えるソフィを抱きしめた。外から聞こえる無礼で汚い怒号が耳に入ってくるたびに、胸の奥がきしんだように痛む。
自分たちは怪我人であり、少しは融通を聞かせてもらえるものと思っていた。だが、その都合のいい考えがユノ・クックスのお嬢様思考であると言わざるを得ない。
判断は助手席近くにいる兵士に託された。
すると、バルドも彼の困惑した表情を読み取って、指先を振って耳を貸せとジェスチャーする。
これには兵士も怪しんだが、周りの声もあって一歩近づいた。
「後ろには地球政府高官の娘もいる。逃がすことが出来れば、礼ははずむ」
「でたらめを――」
「ソフィ・メルケル嬢。地球環境保安官のご息女だ。確認してくれ」
バルドは背中に敷いていた医者カバンからカルテを一枚出して、兵士に手渡した。ソフィ・メルケルの顔写真がついた診断書だ。
兵士もメルケル姓を耳にしたことがあったために、少し間をおいて口を開く。
「確認する。おい、一人こっちに来て見張れ」
診断書を持った兵士は荷台の方で警戒する一人を入れ替わるようにして、荷台を確認する。
「この中にソフィ・メルケルはいらっしゃるか?」
兵士の野太い声にソフィがびくりと背中を震わせて、恐る恐る振り返る。
兵士もフードをした少女とユノを交互に見やって、そっとソフィの顔を覗き込んだ。
「ソフィ・メルケル嬢ですか?」
「……はい」
ソフィは震える声で返答し、フードを取った。綺麗な金色の髪が現れて、兵士は手元の写真と同じだと確認。
「生年月日と、父親の名前は?」
「え、えっと……。5月26日、13歳。お父さんはヘルベルト・ロー・メルケル、です」
「出身は?」
「ヨーロッパのブレーメン……」
ソフィの回答に兵士は一つうなずいて、確信を得た。
「公害病治療のため、か。難儀だな」
兵士にはソフィが気の毒な少女に見えた。地球で生まれたがゆえに、発症してしまった病。彼女が卑屈なのも、宇宙で生まれ育った子どもに偏見を持たれているからかもしれない、といらない想像も掻き立てられた。
兵士は後部の幌を戻すと、部下たちに言う。
「発車させていい。受け入れさせろ」
「ですが、すでに怪我人の受け入れは手一杯だと通達があります」
「それでも行かせていい。こっちで事情を説明する」
カルテを持っていた兵士は助手席に回り、バルドに返しながら言う。
「行っていいぞ」
「すまないな。恩に着る」
「怪我人、病人は優先するべきだろ。ここの空気はよくない……」
それが兵士の言い訳であった。
内心ではコロニーでの内戦を地球の政府が介在することは望み薄だとも思った。アン・カーヴェッジにどういう扱いを受けるのかもわからない。それでも、ちっぽけな良心を振り絞って怪我人を送り出すのだ。
バルドは幌車のエンジンがかかるのを耳にしつつ、その兵士を見た。
「すまない……」
彼らの命運を祈ることしかできなかった。
「出しますよ」
ヘンリーはクラッチを繋げて、アクセルを踏み込んだ。
幌車がのろのろと進みだし、囲っていた兵士たちが距離を取る。
だが、人垣をかき分けて、一人の男が車道へ飛び出して幌車の後部に縋りついた。
「おい、お前!」
兵士たちが血相を変えて、運転席に止まるよう指示を出そうとした。しかし、男に続いて数人が車道に乗り出して、幌車に取りつこうとする。
兵士たちはその対応で手いっぱいになってしまう。
「何なの?」
ユノが乗り込んで来ようとする男の必死な形相に凍り付く。
ソフィも恐れを抱いたが、彼が荷台に手を伸ばしているのを見て手助けをするべきだと考えた。自分たちだけ通っていいのはおかしい。
ソフィは無垢なやさしさでユノから離れて、四つん這いになりながら手を差し伸べる。金色の長い髪が肩からこぼれた。
男はさらに腕を伸ばし、彼女の手ではなく彼女の髪を無造作につかんだ。そして、速度を上げた幌車に負けそうになり、強く引っ張る。
「――っ」
ソフィが気づいたとき、引きちぎられそうな痛みを伴って後部の縁に小さな体をぶつけた。そして、悍ましく大きな手が髪をからめとって強く引っ張り、もう一方乱暴な手が頬に爪を立て、指先が小さな口に突っ込まれた。
ソフィ・メルケルは痛みと恐怖に悲鳴を上げた。小さな手で彼の手を払いのけようとする。だが、容赦なく口の奥へ食い込む指の不快感に嘔吐して、悲鳴はまるで溺れるかのような呼吸を繰り返す。
その光景は荷台にいる人たちからすれば悪夢のような光景だった。
「な、何をするのよ!?」
最初に動いたのはユノだった。
彼女は素早くソフィの体を抱いて、痺れる左手で口をふさぐ男の手を退けようとした。長い爪が彼の手を傷つけようとも、その手はますます力を増して、顎を砕かんとした。さらには長い髪を巻き上げた手は、簡単には外れそうにはない。
「こいつっ、離せよ!」
続い手カービンが血相を変えて、懐からジャックナイフを取り出してソフィに覆いかぶさった。
その煌めく刃とカービンの怖い顔にソフィは頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されて、半狂乱の状態だった。手足をじたばたさせて、暴れまわる。
カービンのナイフは容赦なく男の手を切りつけ、口をふさいでいた手が引っ込んだ。怒号が飛んだ。
いよいよ後がなくなった男はソフィの首を引っこ抜くかの勢いで髪を引いた。すでに男の体はヘリにも縋れるような状態ではなく、手に絡めた髪の毛だけが頼りだった。
「ソフィ、頑張って!」
外に引っ張られるソフィの体をユノは必死に支え、カービンは泣きわめくソフィにうんざりしながらジャックナイフを走らせる。
ソフィのうなじに回ったその刃が振り上げられると、ブチブチと嫌な音を立てながら長い金髪を切断した。まるで刈り取られる稲穂の様に美しい髪がバッサリとソフィから離れる。
それで男は幌車から離れて、地面に転がった。
だが、車内では発狂した少女の喚き声が木霊する。暴れるソフィをユノは力一杯抱きしめて、例え引きはがそうとしても、顔を殴打されても離しはしなかった。
カービンは慌てて距離を取って、その様子を恐ろしげに見ているしかなかった。
「もう大丈夫。ね。落ち着いて、もう怖くないから」
ユノはソフィが大人しくなるまで母親の様に言い聞かせて、ざんばらになってしまった髪を優しくなでる。
ソフィはやがて力尽きたように動かなくなり、ぐったりとユノに体を預けた。
幌車は正面ゲートをくぐり、一目散に外壁へ繋がるエレベーターへと急いだ。
* * *
アン・カーヴェッジは23番地コロニーの制圧に予想以上の時間を費やしていた。彼らが強襲をかけたことで、レジスタンスの武力を炙りだして叩くことは成功と言えよう。
それが作戦の本筋であるのだが、末端の兵士であるヴォルトはこれ以上にない屈辱を噛みしめていた。
彼は倒れたままの自機に背中を預け、陸戦隊のてきぱきした動きを目で追った。タクティカルベルトをした数人が周辺を警戒し、レンガに埋もれて動かなくなっているもう一機の〔ビィ・ツゥ〕の腹をほじくり返していた。
ほかにも空中を旋回する別の〔ビィ・ツゥ〕が索敵を行い、そのペアの一機はヴォルト機の傍で膝をついている。
「そうか。やはりダメか……」
ヴォルトの傍にはそのパイロットであるモンテ・グロービが無線で話していた。
ヴォルトにもそれが機能停止した〔ビィ・ツゥ〕、先輩軍人の生死であることは予想できた。先輩の機体に目を向ければ、衛生兵らしい人影が大きめの袋を担いで移動するのが見えたし、大手を振って手旗信号を送っているのもわかった。
ヴォルトはモンテに視線を上げる。
「モンテ・グロービ中尉、自分は――」
「動けるようになったら、アイツの機体を担いで船に戻れ」
モンテは口ひげを撫でながら、ヴォルトの横にしゃがんだ。思慮深い黒い瞳で目線を合わせ、少しばかり口の端を上げる。
「これも運ってヤツだ」
「しかし、自分が援護できなかったから……」
「気を失ったのはお前さんが先だ。それで生き残ったんだ、めっけもんだよ」
モンテはパイロットスーツの腰にあるポーチからシガレットケースを出した。まだ作戦中であったが、彼はふたを開けてヴォルトに勧める。
「一服着いたらお前も働け。作戦はまだ完了じゃない」
「すみません……、中尉」
ヴォルトはシガレットを一つ手に取る。
モンテはシガレットケースをしまうと、今度はジッポライターを出して火をつける。その古臭いライターにヴォルトは好奇の目を向けながら、口に咥えたシガレットに火をつける。
ジッポライターなどアンティーク趣味で、どうにもヴォルトには理解しがたかった。
「お前、今回が初陣なんだろ?」
「ええ、まぁ……」
ヴォルトは舌先が痺れるような強烈なシガレットの風味に渋い顔をしながら、紫煙をくゆらせる。緊張から解放されて、煙を吐くとともに肩の力を抜いた。
頭の芯までぼんやりする。気持ち疲れているのかもしれない。先輩が死んだことへの激情や悲哀までも、吐き出した煙のように消えていく気がした。
「なら、いい経験だ。にしても、お前たちと交戦したヤツ、何者だ?」
モンテは立ち上がり、手持無沙汰にジッポライターのフードを指先で弄る。
機能停止した〔ビィ・ツゥ〕は腹部以外大した損傷を受けていない。確実にコックピットを狙い、戦闘力を文字通り捻りつぶした。
モンテ・グロービはやってのけた相手が手練れだと思った。
ヴォルトも自分と相対した相手を思い出して、紫煙を吐き出す。
「赤い、ドレスのようなアームド・ムーバでした。レジスタンスが製造していた機体ではないかと……」
「なるほど、未知数の機体にやられたか」
「あれはそういう動きじゃ、ない気がします。なんていうか、パイロットは頭を使える印象でした」
ヴォルトの抽象的な言い回しにモンテはジッポライターをいじるのをやめる。
彼もそれだけの情報では相手の力量を推し量ることはできない。ここ一帯で作戦を展開していた陸戦部隊の隊員たちも『赤いドレス』の
森林を隠れ蓑に戦っていた彼らとて、見たのはほんの一瞬程度だという。
しかし、敵の戦力よりもモンテはヴォルト・ヌーベンのパイロットとして伸びしろがあると思った。戦闘中での観察眼はパイロットにとって大きな武器だ。
ヴォルトはその点で言えば、資質があると言えるだろう。
「赤い、ドレスの機体……」
ヴォルトの頭にはあの鮮烈な赤色とスカートの白さが浮かぶ。
戦場では一期一会だ。再び会いまみえるかどうか、わからない。かたき討ちをしたい気持ちはある。それでも、もっと別の感情があった。
「また、会うのだろうか……」
恐怖か、それとも歓喜か。
ヴォルトは初陣で見た赤いドレスの機体に何か運命じみたものを予感する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます