第5話
混乱の火がコロニーに蔓延し始めて、シセルとソフィはいつも世話になっている個人経営の医院に駆け込んだ。
「先生! バルド・フレーメル先生!」
シセルは受付を通り越して、声を張り上げる。
ソフィは外で行き去っていく人々の流れを一瞥して、シセルの上着にしがみついていた。
すると、診察室の方から白衣を着た壮年の男性が出てきた。富士額でメガネをした彼は小銃を入ってきた二人にためらいもなく向ける。
これにはシセルもソフィも驚いて、たじろいでしまう。
「誰だ? 盗人か?」
「先生、わたしたちです。シセルとソフィです」
シセルはフードを取って、自分の顔を露わにし、背後に隠れるソフィの手を握る。
シセルの顔を見るなり、バルド・フレーメルは険しい顔つきのまま小銃を挙げた。
「メルケル家のお嬢さんか。診察なら後日にしてくれ」
「冗談言ってる場合ですか? ベスパのアームド・ムーバが飛んでるんですよ」
「わかっている。逃げ支度はそれだけか?」
バルトは奥の方へ引き返していき、シセルとソフィもそれに続いた。院内は清潔な空気のままでどことなく違和感を覚える。
「はい。困ったことがあったら先生を頼れと言われましたから」
「衣食住の保証までするとは言っていない」
診察室を通り越して、裏手の勝手口を出る。
すぐ前には医療機関の赤いマークをした幌車が一台停車されており、積み込み前の段ボールが山のように道路に置かれていた。
「医療品の積み込みを手伝ってくれ」
「こんなことをしたって――」
「医療マークのしてある車を襲うものか。それに君らの安否を考えれば必要なんだ。ソフィ嬢は荷台の荷物整理を」
「看護師さんは?」
ソフィが問いかける。
「とっくに逃がしたよ」
バルドは言うなり、医院に戻ってしまった。
シセルは彼の高圧的な言い方に煮え切らない思いを抱いたが、今は従った方が身のためだろう。
「ソフィ、荷台に乗って。先生の言う通りに」
「お姉ちゃん、わたしたちどうなるの? 避難しないの?」
その質問にシセルは渋い顔をしながら、サバイバルケースを荷台に投げ入れる。
バルドが考えているだろうことはシセルにも予想はできる。だが、ソフィにそれを自覚させても不安を増長させてしまうだけだ。まだ13歳。自身の出自を理解していても、そのことが他人に与える影響力を想像できるわけもない。
「避難するよ。でも、こういう状況だからどこに行っても薬はあった方がいいでしょう? みんなに分けるためにも必要なの」
「うん……。わかった」
ソフィはシセルのいう綺麗ごとが正しいと思いながらも、現実はそうじゃないと機敏に感じ取っていた。シセルが彼女の感性を甘く見ているのもあったが、ソフィ・メルケルの人を見る目は姉よりも優れている。
二人は言われた通り、医療品を詰めた段ボールを積み込んで整理する。その間にも医院内からバルドが追加の積み荷を運んできて幌車に積んだ。それでもまだ中のスペースには余裕があった。
「ソフィ嬢は荷台に。シセルくんは運転を頼む」
「わかりました。ソフィ、覗き窓があるからその近くに居なさい」
「わかった」
ソフィは言われた通りにして荷台の奥の方へ身を隠す。
それを見たシセルとバルドは後部のヘリを挙げながら言う。
「バルド先生、退避豪に行くんじゃないんですよね?」
「あの子は地球環境保安官のお嬢さんだ。アン・カーヴェッジに身柄を保護されれば、こっちの身が持たないよ」
シセルは結局のところ自分の身の安全を第一にする彼をいやしく思う反面、それが当然の行動だと理解する。
それから、と彼は続けてベルトに刺していた小銃をシセルに差し出す。
「キミにも死なれては困る。持っておきなさい」
「元軍医が渡すものですか?」
「ハッタリだ。お守りと同じだよ」
バルドは無理矢理シセルに掴ませる。
その重みにシセルはぞっとしながらも、荷台の奥で不安げにチラチラと見ているソフィを気にして言い返さず、小銃をジーパンにねじ込んで運転席に回る。
「どこに行けばいいんです?」
運転席について、シセルは幌車のキーを回しながら助手席のバルドに問いかける。
「港はダメだ。占拠される。ハルーミ区に工業用のエレベーターがある。噂だとドミニオンの新造艦がお忍び入港しているらしい」
シセルは情報の真偽を問うよりも、幌車のエンジンをかけて発進させる。いつもの癖でラジオに手を伸ばすが、入ってくるのはノイズばかりで進展は得られなかった。
「ナビも使えない。ハルーミ区ってヘルパー区の大通りを抜けた先ですよね?」
「コロニーの外壁作業をする公務員たちの集合地区。間違いない」
バルドの声を聴いて、シセルは裏道を走りながら自分の土地勘を信じてハンドルを握りしめる。
スペースコロニーの維持を務める外壁工業は宇宙事業の中でもトップの公共事業だ。その施設をアン・カーヴェッジにしても、ましてやドミニオンの軍隊が危害を加えるとは考えにくい。
宇宙艦艇があろうがなかろうが、その施設に潜り込めれば逃げ出す算段はできるとシセルは踏んだ。
「お姉ちゃん。大丈夫なの?」
「大丈夫。心配しないで、お姉ちゃんを信じて。ね」
シセルはバックミラー越しにソフィに微笑みかける。
ソフィは小さく頷いて、それ以降は口を閉ざし荷台でリュックサックを抱きかかえて小さくなってしまった。シセルに連れられてスペースコロニーに上がってきたときと似ている。あの時も姉のいうことに従って、自分の行く末や将来を考えたこともなかった。
ソフィの沈鬱な表情を察したのか、バルドはフロントガラスから見える空を警戒しながらシセルに問いかける。
「ソフィ嬢に変わったことは?」
「とくには。先生の処方箋のおかげでだいぶ落ち着いてると思いますけど」
「処方箋と言っても公害病そのものを治療するものではないからな。薬で鬱屈してしまうこともある」
シセルは助手席を一瞥して、人通りが少ない道へ幌車を走らせる。遠くからは銃声や爆音まで聞こえる。
そのような音は彼女に久しく忘れていた死を意識させて、ジーパンのポケットに入れていた血の入った容器をバルトに差し出した。
「今日の分です」
「こんな時に渡されてもね」
そう言いながらバルドは容器を手にすると、シャツの胸ポケットにそれを入れた。
「いつ死ぬかわからないんです。だったら、少しでも研究が進んだ方がいいでしょう?」
「そうだが――」
その時である。
細い道を走っていた幌車の前に若者の集団が躍り出てきた。
シセルはブレーキを踏みつけて、急停車させる。荷台でソフィが転がり、小さい悲鳴が上がった。
若者たち、四人はほとんどフロントに体をぶつけるようにして幌車を止めると、外装を伝って二人の男がジャックナイフを出して脅しをかけてきた。
「おい。この車、どこに行くんだ――って、シセル・メルケル?」
「カービン? それにヘンリー、メット、ティータまで」
シセルは幌車のギアをニュートラルに入れながら、左右につく男子三人、女子一人の名を言った。
彼らも運転席につくシセルを認めるなり、鬼気迫った表情を和らげて凶器を懐にしまった。
「知り合いか?」
「クラブの知り合いです。カービン、どういうつもり?」
シセルは運転席に張り付くロンゲのいかにも落ち着きのない男子、カービン・ウィルソンに問いかけた。
彼もシセルの凛とした表情を見て気を良くしたらしく、隣にいる明るい茶髪の少女ティータ・コニンの尻を叩いて荷台の方へ行かせようとした。
ティータは破廉恥な彼の背中を殴りつけると、険しい顔をして荷台へと渋々移動する。その間にも助手席にいたメガネをかけたヘンリー・スミスとガタイのいいメット・ボルンは荷台に転がりこんでいたが。
「どこの退避豪も人でいっぱいでさ。お祭りだから、近隣のコロニーからの観光客が幅を利かせたんだ。俺たちも乗せてくれよ」
「これは怪我人を搬送するためのトラックよ」
「なら、人手いるだろ? レジスタンスだったんだな、お前。見直したよ」
そういってカービンはドアを叩いて、荷台へと走ってしまった。
シセルは覗き窓を見て、荷台に座り込む四人の若者の影を見て辟易した。友人と言えば聞こえはいいが、こうも図々しいと気分が悪い。
それから、バルドを見た。
「レジスタンスって何です?」
「発車しろ。まごまごしてると変なのが増える」
彼も現状に焦っているのか、シセルの質問に答えようとはしなかった。
シセルは煮え切らない気持ちを胸に押し込んでハンドルを握る。
「わかってます。ソフィ、大丈夫? ソフィ?」
しかし、荷台からソフィの返事がなくそのことが気がかりで、胸の内がさらにモヤモヤしてくる。返事くらいとは思ったが、急に乗ってきた四人の若者に驚いて荷台の隅っこで小さくなっていると想像すると致し方のないことだと判断した。
幌車が走り出す。そこここに戦闘の痕跡が点在し、タイヤを通じて弾痕の凸凹を感じ取る。
まだ戦闘状況は収まっていない。
今は自分たちの命を守ることを念頭にして行動するしかない。個人の感情は後回しだ。
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