第4話

 23番地コロニーの文化はいうなれば先進国のモノマネであったから、画一的な無味乾燥な街づくりをしている。住んでいる人種がまちまちであっても、文明を享受するうえで機器の扱いや最新デバイスの操作が必須スキルになって、文明や科学の発展だけを文化と呼ぶようになってしまった。


 シセルはダイニングのベランダから見える白い集合住宅の群れを一瞥して、テレビを見ているソフィの方に向き直る。


 彼女は椅子のうえでクッションを抱えて、丁度お昼の天気予報を見ていた。


「本日の天気は快晴。風のない穏やかな一日になるでしょう」


 キャスターの女性が澄んだ声で言う。


 シセルはダイニングテーブルにある空になった食器を重ねて台所に移動する。


「もう少ししたら先生の所に行くからね」

「今日は診察だけ?」


 そう、とシセルは返事をしながら、食器を水につけてから自室の方へ歩いていく。


 部屋に入ると二段ベッドがあり、二人で兼用しているクローゼットやソフィが手放せないでいるクッションやぬいぐるみの数々が散らばっている。


「部屋も片づけさせないと……」


 シセルは中学生になったソフィの幼稚な趣味を少し不安に感じていた。親元を離れて暮らしているのを寂しがっているのはわかる気がするが、もっと外に気を向けてほしいと願う。


 シセルはそう思いながらも自分の寝床である二段ベッドの下段に潜り込んで、敷布団の下から黒いケースを取り出す。


 カバーを開ければ医療用の注射機と小指ほどの容器が入っていた。


「時間もよし……」


 シセルは手首の腕時計を見て頷くと慣れた手つきで注射器を手にする。


 それから、親指で血管を探りをつける。それから細く短い注射針を刺して、片手で血を抜く。痛みはほんの一瞬ですぐに痛覚はないも等しくなる。


 極細の針が彼女の肌から離れても、出血するようなことはない。そして、抜いた血は時間のラベルが張ってある容器に移りかえてほっと一息入れる。


「お姉ちゃんっ!!」


 そこにソフィの金切り声が上がって、シセルはびっくりして二段ベッドの天蓋に頭をぶつける。

 

 涙目になりながら、注射器をケースにしまいつつ血の詰まった容器をジーパンのポケットにねじ込んだ。


「何、大きな声出して!?」

「外、が。変なの!」


 シセルは訝しみながら、部屋を出てベランダに出ているソフィに小走りで駆けよった。


 ソフィは手すりに縋りながら、きょろきょろと上ばかりを見ている。


「何を見たの?」


 と、シセルが質問したとき髪をゆする強い風が吹いた。


 遅ればせに轟音が鳴り響き、彼女も顔を上げる。その瞳が空中でもつれ合うAMアームド・ムーバを見つけて、大きく見開かれる。


 そして、次第に大きくなる影を見るよりも早く、シセルはソフィを抱きかかえてダイニングへと飛び込んでいた。


 次の瞬間には爆音、破壊音が全身を震わせて彼女たちの背後で鉄の巨人が落下した。


 二人は大地震にでもあったように揺れる床で小さくなり、家具や置物が床に叩き付けられる音に震えあがった。揺れが収まっても、何事か機械の駆動音が辺りを圧倒していた。


「お姉ちゃん……」

「ソフィ、部屋に行ってサバイバルケースを準備して、いいね」


 シセルはまだ状況を把握しきれず混乱するソフィのお尻を叩いて、部屋に行かせると自分は再びベランダへ足を運んだ。


 奇跡的に残っている手すりに身を投げ出すようにしながら、目の前の大通りを見渡し、数百メートル離れたところで戦う二機のAMアームド・ムーバを見つける。


 集合住宅故に周囲ではシセルと同じように見物する人たちがちらほらと窺えた。


「ベスパのアームド・ムーバが上なの?」


 大通りでずんぐりとした機体〔ライター・ヘッド〕に馬乗りになっている細身の〔ビィ・ツゥ〕がバックパックと一体になったメイン・ノズルを噴射しながら押さえつけている。


 ノズルの輝きが翅の羽ばたきの様に光り、一瞬のスキをついて〔ビィ・ツゥ〕のマニピュレーターが腰部のビーム・サーベルの発振器を掴んだ。


 そのあとは反撃の暇も与えず、発振器の先端を〔ライター・ヘッド〕の腹部に押し当ててビームの刃でコックピットを焼いた。


 あまりの眩しさにシセルは目を背けて部屋に駆け込んだ。ビームが装甲を蒸発させる音が周囲に不協和音となってこだまする。


「どうして、何が起きてるの?」

「お姉ちゃん、何の音!? どうするの?」


 ソフィが青ざめた顔をして部屋に常備している大型ナップザックを引きずって出てきた。


 シセルは零れ落ちた食器の破片も気にせず台所を抜けて、ソフィの小さい体を押しのけて部屋に飛び込んだ。クローゼットをあさり、適当な上着を見つけるとそれを羽織って、ソフィにも上着を投げて渡した。


「着ておきなさい! フードもして頭を守る」

「お姉ちゃん。どうしたの、ただの事故じゃないの?」


 ソフィは上着として渡されたパーカーを胸に抱きながら、今にも泣きそうな声で言う。


 シセルはそれを気にしている余裕もなく、ベッドの支柱にかかっていたウェストポーチを手にして、腰に巻く。


「ねぇってば、お姉ちゃん!」

「わかってる! ソフィも支度しなさい!」


 シセルが感情的に叫んで、ソフィの方を見やる。


 ソフィは目に涙をためて、じっと怖い顔している姉を見つめていた。その視線を受けてシセルはようやく混乱していた頭をリセット出来て、それでも耳障りな空気を叩く音に胸の内がひっかきまわされる。


「……ただの事故じゃないと思う。家を出て、とにかく先生の所に避難しましょう。いつもの小さいリュックに必要なもの詰めて、パスポートとか、ケータイとか、それに薬も」

「……うん」


 ソフィは口元をとがらせながら部屋に入ってきて、のろのろと支度を始める。状況がわからないまま、シセルに怒鳴られてすっかり意気消沈してしまったのだ。


 シセルは彼女の目を盗んでさきほどの注射ケースをウェストポーチに入れる。


「急ぎなさいっ」


 ソフィを急かしつつ、シセルは外から聞こえてくる人の叫び声を耳にしながらダイニングのテレビへと急いだ。


 耐震処置を施したテレビは台から落ちることを免れたが、電源は落ちていた。主電源を押してもつかず、完全に使い物にならなくなっていた。それから再びベランダに出て周囲の様子を確認する。


 強めの風が髪を揺らし、大通りには動かなくなった〔ライター・ヘッド〕はそのままにゴマ粒ほどに映る人たちが避難道具を背負って退避豪に向かっているのが見えた。


「みんな逃げ出してる。風も出てる……。コロニーに穴が開いてるの? 煙まで出てる……」


 コロニーの空を見れば、白い雲に交じって黒煙が漂っているのが見える。おまけに赤く細い線が走ったのを見れば、AMアームド・ムーバ同士が戦闘をしているのではないかと怖い想像が膨らむ。


 シセルは柔らかい自分の髪をなでて、避難の支度をするために部屋に引き返した。


      *      *      *


 ユノ・クックスがお手洗いから父親たちの席に戻ると、そこにはもう彼らの姿はなかった。疑問を抱いたその直後にレストラン全体を揺るがす激震が走り、ウエーターもお客たちも悲鳴を上げて床に手をついた。


「何? お父さんたち、どこに行ったの?」


 ユノは揺れが落ち着いたのを見計らって、立ち上がると混乱する人たちをしり目にエレベーターに走った。


 そこでもちょうど帰宅するところだった紳士淑女がエレベーターの前で立ち往生している。


「あらあら、さっきの揺れで動かなくなったみたいね」

「宇宙で地震なんか起きるはずないだろ」


 能天気な声を聞いて、ユノ自身この建物に何かしらの欠陥があるのだと思った。幸い超高層のレストランではない。


 ユノは階段へと走って、慣れないヒールで降りていく。と、その途中に再び激しい揺れが襲い、彼女の体は階段半ばで転げ落ちて踊り場に叩き付けられた。


「ったぁ……。もうっ。何がどうなってるの?」


 ユノは悪態をついて、五階レストランから一階のエントランスまでたどり着く。そして、そこに人っ子一人いない光景に不安が襲い掛かってくる。


「誰もいない……。嘘でしょっ?」


 彼女はエントランスのショーウィンドーの向こうで装甲車が走り去っていくのを目撃して瞠目する。


 足の裏からびりびりと装甲車の振動が伝わって、ユノは辺りを見回して非常口の案内灯を見つける。このまま表に出ても危険に巻き込まれる気がした。


「お祭りにしてはやりすぎよ……。連絡、そうっ。お父さんなら」


 ユノは混乱する頭を振って、肩にしている小さなショルダーバックから携帯電話を取り出す。


 父親は支庁で働く議員の一人だ。何かしら事情に明るいはずだと思った。


 父親のプライベート番号にコールするが、耳障りなノイズが受話器から聞こえて思わず顔をしかめる。


「通じない? 通じないのっ!」


 ユノは感情に任せて叫び、携帯電話を切って非常口の方へ走った。


 エントランスの裏手。関係者以外立ち入り禁止のバリケードを跳ね除けて重たい鉄扉を体当たりするように開けた。


 外に出ると爆音が鳴り響き、細い裏路地に熱風が吹き荒れる。


 ユノの意識ばかりが置き去りにされて、彼女の体は紙きれのように数メートル飛ばされて路地を転がった。痛みを感じるよりも早く視界が自分の意思に反して乱れた混乱の方が大きかった。


「うぅ、何? 耳が……」


 甲高い耳鳴りが脳みそを痛めつけ、ユノは手探りで地面を確かめ立ち上がろうとする。ようやく立っても足腰に力が入らず、すぐに壁にもたれかかる。


 そして、裏路地を行く人影を薄めで見送っていくしかなかった。


 誰も彼女を気に留めない。当たり前だ。彼らは頭上で飛び交っているモノに注意を払っていてそれどころではなかった。


 出で立ちにしてもただの避難民ではない。重火器を背負って、集団で動く。軍人か、自警団か。ユノの目からはどちらにも映ったが、頭を振って喝を入れる。


「止まってたら、巻き添えになる」


 ユノはあまり地図が得意ではない。それゆえ退避豪の位置などは記憶になかったし、ノスタルジックな街並みを再現した今いる区画は生活圏外である。


 それでも、彼女はもつれそうな足で裏路地を走った。


 細い道はいい隠れ蓑になったが、方向感覚を失う。先ほどの集団は外壁についている梯子を伝って屋根に上がっているようでもあったし、ふと狭い空を見ればAMアームド・ムーバの他に小型舟艇が浮いていた。


 箱型の船体にアポジモーターをつけた質素な機影だ。


 ユノがそれに気を取られていると、風船から空気が抜けるような音、いやそんな軟な感触ではなく、破壊的な音が空に響いた。それが立て続けに5、6発。


 ロケット弾。


 ユノは後方に流れていく小型舟艇がロケット弾を浴びせらて炎上するのを目撃した。盛大に爆炎が上がり、真黒な煙の尾を引きながら後方へ墜落していく。


 そして、随伴していたAMアームド・ムーバが振り返り、肩越しにチェーンガンの銃口をあろうことかユノの方へ向けていた。正確には彼女の近くの家屋で対空砲火をした集団に向けてなのだが。


 振り仰いだユノの目には機体の真黒な顔に走る雷のようなセンサーアイが怒りに燃えていると感じて背筋が凍り付いた。


 チェーンガンが鈍い音を発して火を噴いた。重々しい一撃で家屋の標的を粉砕し、残っていたロケット弾が爆裂する。


 その破片が下にユノに降り注いだ。

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