第2話
『現在の地球汚染を進行させている要因は、人類が宇宙に出て自信過剰になっているからとしか言いようがない』
モーターグライダーのラジオから聞こえる放送。
スペースコロニーを治める支庁からのプロパガンダ放送で、どのチャンネルも同じであった。
『火星、木星、小惑星帯の開発によってもたらされた宇宙資源は
放送の誇張気味な言い回しにモーターグライダーを操縦する若者は嘆息する。
その青い瞳はバックミラーを見て、後部座席に座るゲストがコロニーの景色を遊覧していているのを確認する。
コロニーの空中は比較的穏やかな風の流れにあった。下を見れば、お祭りのアドバルーンが浮かんでいる。立体映像のプロジェクタも絢爛に輝いている。
『地球での宇宙資源研究は環境汚染を増長させ、その結果に若者の未来を奪う公害病を蔓延させた。すでに地球の汚れきった環境は人類に対して罰を下す段階になっている。そのためにスペースコロニーのクリーンな環境とともに、宇宙共和政府ドミニオンは――』
そこまで聞いて、若者は太腿に括り付けているタブレット端末を操作してラジオを切った。タブレットには気象情報が逐一更新され、ラダーペダルからはジェットエンジンの振動、両手の操縦桿を握り直せば翼のたわみを感じられた。
ラジオが切れたのを不安に感じたのか、後部座席の少女がバックミラーを覗く。
「病気の話、お姉ちゃん?」
「ただの政治の話よ、ソフィ。どこのチャンネルもこれだから」
後部座席の少女、ソフィ・メルケルは姉と同じ青い瞳を瞬かせて、不安げに肩から垂れる髪の毛先をいじる。不安な時のクセで、するりと美しく長い金髪がまだ幼い指先に遊ばれる。
「ほら。そのクセ、いい加減やめなさい。13歳にもなって」
対して、姉であるパイロット、シセル・メルケルは長い指先で太腿のタブレットを操作して航路を確認する。計器類で埋め尽くされた正面に対して、タブレットはリア・カメラの映像配信やマニュアルとしての働きをして、パイロットを助けてくれる。
「お姉ちゃんこそ、こういう趣味、よくないと思うな。高校生ならもっと別のことに打ち込むべきだよ」
「宇宙で生活するには技術が必要なの」
ソフィの不機嫌な言い回しにシセルは軽く流しながら、短く柔らかい髪を撫でた。妹が金色に輝く艶を持っているのに対して、彼女の髪は金色が抜けたバニラ色で大人びてきた顔立ちともあって利発的な印象であった。
「せっかくの遊覧飛行なんだから、もっと楽しまなきゃ」
「そうだけど……」
ソフィは再び高い景色を見て、違和感を覚える。
シリンダー型のスペースコロニーはとても巨大だ。左には太陽光を取り込む特殊ガラスで舗装された面が大河のよう敷かれ、先端後端の宇宙港まで伸びている。その先は霞がかって肉眼では確認できない。
モーターグライダーが薄い雲を切るようにして長い主翼を滑らせ、ゆっくりと高度を落としていく。やや傾いた機体から小さな野鳥の群れが居住区の面の上を飛んでいく。ミニチュアのように並ぶ家屋は確かに高いところにいるとソフィに思わせる。
が、頭上や右手に視線を流してみて落胆してしまうのも事実であった。
「壁ばっかりで嫌な感じがする。地球にいた頃とは違って、息苦しく感じちゃうな。飛んでるっていうより浮いてるみたいだしさ」
「ま、風がほとんどないからね。それに疑似重力から離れてるし」
シセルはソフィが少しでも外に興味を持ってくれれば、と所属するクラブのモーターグライダーを拝借したのだが彼女はお気に召さなかったようだ。
しかし、ソフィ・メルケルの感性は充実している。きっと腹の底が落ち着かない気分を重力から離れた影響だと肌身で感じ取っている。地球に住んでいたころより過敏になっている、とも言えるが。
「空からお祭りを眺めてるのも思ったほど面白くない?」
「そうだね……。帰ろう、お姉ちゃん」
シセルの落胆した声にソフィが食い掛かるように進言する。
それを聞いてしまっては姉として、彼女の出不精はまだ直らないのだろうとがっくりと肩を落とす。
そして、彼女たちのモーターグライダーは旋回してもと来た航路を引き返していく。その時、シセルは目の端で何かが近づいてい来るのを捉えた。
機体を安定させ、シセルは身体を捻って後方を確認する。
「アームド・ムーバ、〔ライター・ヘッド〕……。ソフィ、ちょっと我慢ね」
シセルは後方に見えた人型のシルエットを目視して、タブレットの方に視線を移す。リアカメラの映像をチェックすると、やはり頭でっかちなシルエットの
ジッポライターのような長い頭、首周りは黒いバイザーで覆われ、単眼が360度回るレーンになっている。ずんぐり四角い体格で警邏用の銃と盾を携行し、単眼が光信号を発していた。
減速しろというサインだ。
ソフィも後ろを確認して、迫ってくる〔ライター・ヘッド〕に注目した。
「どうして?」
「軍隊の職質よ。静かにね。ノイズをまき散らして……」
シセルは首にかけていたヘッドセットをつけながら、チリチリと耳障りな高音に顔をしかめる。
〔ライター・ヘッド〕二機はモーターグライダーの左右につき、我が物顔でシセル達を観察する。それから、右についていた一機がマニュピレーターを突き出し、指関節の合間から細いワイヤーを射出。
モーターグライダーの翼に取りついて、回線を開いた。
「こちら、ドミニオン所属23番地第6警邏隊。貴殿の管制記録を渡されたし」
「どうぞ。お祭りなのに大変ですね」
シセルはタブレットを操作して、相手のパイロットに飛行記録を送信しながら言った。
「ドミニオン参入の式典だからな。警戒はしているのさ」
その声は左のヘッドフォンから聞こえて、反対側についている〔ライター・ヘッド〕もワイヤー回線を繋いだらしい。
推進力には多少なりとも荷電粒子を含んでいたから、
「パイロットは工学部の生徒かい? 後部座席の子は……」
右手の〔ライター・ヘッド〕の単眼がぎょろりと移動して、後部座席で縮こまっているソフィを捉える。
ソフィは大きく無機質な眼光におびえて、前席の背もたれに縋るようにした。
「おいおい。怖がってるじゃないか」
左手の〔ライター・ヘッド〕のパイロットが茶化すように言う。
「わかってる。時間を取らせてすまなかった。気をつけてな」
右手の〔ライター・ヘッド〕がワイヤーを解除すると、僚機もそれに倣ってシセル達から離れていく。
シセルは軽く機体を左右に振って見送りのサインをすると、〔ライター・ヘッド〕は軽く腕を振って返答し、頭上へ跳び上がっていった。
薄い雲のむこうに陸地があるのが妙な違和感を感じる。地球の空と違って、スペースコロニーの空は陸続きなのだ。それが閉塞感を覚えさせる。
「ドミニオン、か……。ソフィ、大丈夫?」
「う、うん。早く帰ろっ」
シセルはすっかり怯えてしまった妹を気にかけながら、モーターグライダーを下にある居住区に向けて降下させていった。
* * *
ユノ・クックスは窓の外に流れるモーターグライダーを眺めながら、何事か話している父親たちの笑い声にため息をつく。
新調したワンピースを着て、目一杯めかしこんで、長い甘栗色の髪もアップにまとめて、爪先から手先までおしゃれした彼女は令嬢の風格を持っていた。
ユノはちらりと父親たちを見て、ふと向かいの席に座る青年と目が合った。彼は温和な笑みを浮かべて見せたが、すぐに父親の話に戻ってしまった。
「クックスさんは冗談がお上手ですこと」
「いや、そう他人行儀に言わなくていい。短い付き合いでもないんだ」
父親はと言えば、彼の対面に座る女性に夢中のようで娘のことなど気にしている様子はなかった。
子連れの女の人を口説いている父親の姿は思春期の娘からすれば惨めにしか見えない。父親がかねてから、この席を設けたかったことは知っている。ユノも16歳になって、客観的に父親がお付き合いをしている人の顔を見れると思った。
でも、違った。
「この式典が落ち着けば、晴れてこのコロニーもドミニオンとして自治権が認められる。不自由な暮らしはさせないと約束する」
「それもこれも、クックスさんが根回ししたんでしょう? 政治家の人はやっぱり違う」
そう褒める青年は愛想のいい顔をして、母親と共におだて上げる。
「スペースコロニーの自治権の実現は一昔前には考えられなかったもの。女手一つで暮らすのも大変で」
「わかっている。だから、ガットマン代表という立役者がいなければ、
父親は自慢話に酔いしれて、延々面白くもない話を続ける。
ユノはこういうところが母親が家を出ていくきっかけになったと感じていた。それに相手の女性にしても自分の身の上の不幸をさも美談のように語るから、嘘くさい。
上っ面しか気にしていない。理想家族を演じているようで、父親と相手の女性がお似合いというのは頭で理解できた。
しかし、そこに一緒になって暮らそうといのはユノには耐えがたい苦痛だ。
「キミも政治学者になるならこれからの行く末を案じてほしいな。その分、できるだけのポストを確保するつもりだ」
「ありがとうございます。その点ではユノちゃんもそうでしょう?」
青年との会話を聞いていると、ユノは反吐が出そうですっと席を立った。
「すみません。少し、風に当たってきます」
「おい。ユノッ」
ユノが席を離れる前に、父親が彼女の細い手を掴んだ。
これにはユノも厳しい視線を彼にいて、力づくで振りほどいた。それを見ている相手親子は不愉快そうに顔をゆがめる。
すると、青年が少し腰を上げる。
「僕がついていこうか?」
「結構ですっ。お父さんたちの食事会なんだから、お気になさらず」
ユノは青年に吐き捨てて、新調したワンピースを揺らして柔らかいじゅうたんの上をずかずかと歩いていった。
「お母さんのワンピースだっていうのに、あの人はっ」
父親が再び娘を引き留めようとした時、彼の胸ポケットにあった携帯電話が鳴った。一瞬、どちらを取るか迷ったが、彼は携帯電話を取り出して相手の名前を見るなり通話ボタンを押した。
「わたしだ。何? アン・カーヴェッジ……。わかった」
アン・カーヴェッジの言葉が出た途端、青年たちの顔色が青ざめた。
それはドミニオン、スペースコロニーの自治権を主張する者たちにとって脅威となる組織の名称であるからだ。
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