第7話 虚空
廊下が行き止まるとICU集中治療室と書かれた扉があった。それはまるで金庫のような厳重な扉だ。病院というより、生物兵器を閉じ込めているような光沢のある鉄の材質は五十年の歴史を持つ古い堤病院にはあまりに違和感があった。
「病院内にこんな場所があったなんて知らなかった‥‥。アオイ?ここに父さんがいるの?」
「たぶん居る。警備員を呼ばれたら困るから静かにしてて。そのためにマサキがいるから」
暗所番号が必要な扉。壁には電子番号が配列され、埋め込まれている。アオイはその型番らしきものを見てトランシーバーを繋げた。
「β?型番はPKZ-0902よ。セキュリティーキーを教えて?」
「Δ。了解」
「β、あとエレベーターを地下には降ろさないで」
「なら、止めるのが一番早いっすね。OK」
扉の横には父のネームプレートが貼ってあった。たったそれだけなのにまた緊張が体に駆け巡る。胸焼けがしてくるし、やっぱり会いたくない‥‥。
その僕の父、堤カズヤ54歳は格式高い男であり威厳のある人だ。代々続く堤家の三代目長男で、外科医でもある。心臓移植分野では天才と言われていたらしいが、母が死んでからはメスを置き、経営を学んだ。そして病院の後を継いだ。父の叔母からそう聞かされている。正直関わりたくない人、その父は何を知っているのか‥‥。
「Δ。こっちで解除できた。入って大丈夫だよ。あと、エレベーターもクリアした」
「β。OK」
ガチャリ。廊下にまで響く大きな金属音がする。扉が自動で開かれ、僕らはそこに足を踏み入れた。
「うわっ!何だ!」
「大丈夫。体に着いた菌を飛ばしてる」
強烈な風が全身に吹つけてきた。天井のランプが赤から青に変わると風は止み、目の前の扉が開いた。
「出るわよ。シンヤ?あなた分かってる?お父さんはもしかしたら‥‥」
「え?なに?」
「単なる憶測だけど‥‥あまり良くないこと‥‥いや。何でもない」
僕は言葉には出せないでいた。gimmick《ギミック》について調べに来ただけなのに。父がICUに隔離されているということ、それがまだ信じられない。父の名前が出るだけで胸の鼓動が激しくなっているのに、今度は足が震えてしまっているんだ。
アオイと僕は分厚い透明なシートを潜り抜けていく。一枚、二枚とめくり、遠くにベッドと人の姿がぼやけて見える。そして最後のシートをめくると、その先に見えたもは。
ベッドに横たわる、残酷な父の姿だった。
「父さん!」
父は様々な機械に囲まれていた。血が管を伝い機械に取り込まれている。回転を続ける歯車。その間には濁った血が流れていく。置かれたパソコン画面には自動で文字が刻まれていきながら所々に赤い文字が点滅している。鼻や口、喉からは管が通され、空気が通過するたびにドックンと、心臓音が辺りに響いていた。
「一体これは?」
「待って前に出ないで!ガラスに囲まれてる!」
一歩踏み出した僕の目の前、わずか二センチ前に光が反射した。
「うぅぅ‥‥」
体をゆっくり仰け反らせた。一歩間違えば怪我をするところだった。ゆっくり見渡すと、ガラスは閉ざされていて、中に入ることが出来ない。
僕はガラスに手を当てた。
「父さん‥‥」
『シンヤか?』
父の声が聞こえてきた。ベッドに寝ている父を見たが、ピクリとも動いていない。
「何かに反応して、音声が流れる仕組みのようね‥‥部屋にあるスピーカーから声がする」
僕は再びガラスに触れると、父の音声がまた流れ始めた。
『いいか。まず現実を受け止めて欲しい。私はサキという子の心臓をお前に移植した。その際、心臓に眠る悪魔に私は触れてしまったんだ』
「悪魔?それ‥‥何だよ」
寝たきりの父は動かない。声だけが聞こえてきている。
『シンヤ、お前の心臓には大きな穴が空いていた。こうするしかなかったんだ‥‥。お前だけは‥‥失いたくなかったんだ』
僕はガラスから手を離した。
僕はこんな事をしにきたのか。
いいから‥‥心臓をどうにか。
してくれよ。
「‥‥やめろ‥‥よ」
「シンヤ‥‥」
「いつも家に居なかっただろ?俺が居なくてもどうでもいいんだろ?」
耳鳴りがした。同時に頬に痛みを感じた。
「やめなさい!」
アオイが突然僕の頬を平手打ちした。
びっくりした僕は床に腰をついた。
「何すんだよ!」
「シンヤ!そんな事言わないんだよ!お父さんの気持ち考えてる?」
分からないよ、父の気持ちなど。僕だって一人で必死だったんだ。
僕はガラス奥にいる父を睨んだ。
「ちゃんと話してくれよ‥‥」
そして、父の声は続く。
『悪魔‥‥サキの心臓、右心房を開けてはならない。悪魔を閉じ込めておくには中に埋め込まれたチップで押さえ込むしかないんだ。私は悪魔に一瞬触れてしまった。それは微力だった。しかしもう一年は生きれない体になってしまったようだ‥‥』
今度はアオイが悔しがりガラスを強く叩いた。
「待て!堤カズヤ!一体何を知っている!」
『決してこのガラスの扉を開けてはならない。サキの記憶からpasscodeを聞き出し、チップを起動させてくれ‥‥。そして、シンヤ。最後まですまない。私の体は研究として使って欲しい‥‥そ、して‥‥何より、お前が本当に幸せであることを‥‥祈って』
「たぶん、お父さんはもう‥‥」
それを聞いて僕は立ち上がった。視界はグラリ揺れながらも、アオイの肩を掴んだ。
「どうなってるんだ?アオイ?教えてくれ‥‥」
「‥‥分からない。サキの心臓にはかなりやばいウィルスが入っている可能性があるんだ」
「ウィルス‥‥だって?そんなことがあるの?アオイ?」
「堤カズヤはウィルスに侵された。たぶんもう助からないと知り、シンヤに声を残したんだと思う」
「そんな‥‥」
「いい?家族は何を犠牲にしてもシンヤを守りたかったんだよ?ちゃんと分かってる?」
僕の心臓。は父が託した。
ウィルスが父を殺す。僕がもし死んだら?どうなるんだ?
怖くなり、後ずさりすると、カタンッと足に何かが当たった。
「シンヤ。その足の後ろにある箱は何?」
「え?箱‥‥?」
箱は鉄で出来ていて、黒く塗られていた。持つと冷んやりしている。僕はその蓋をゆっくりと開けた。
冷気、白い湯気が一気に溢れ出た。
僕は箱に手を入れ、中身を取り出した。
gimmick《ギミック》が入る注射器。
僕らの前に、新たに5本の注射器が現れた。
「シンヤ。大事にそれを持ち帰るよ」
声が出なかった。
シンヤはgimmick《ギミック》を手に入にすると、部屋に警告音が鳴り響いた。
父の眠る部屋に鉄のシャッターが降り始め、赤いランプが点滅しはじめた。
シンヤはガラスを拳で叩きながら、涙を流していた。行き場のない悲しみ。行き場のない想いがシンヤから溢れでていく。
アオイはシンヤの両腕を後ろから押さえ込むと、無理やりに部屋から出ていった。
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