第4話 他愛もない
「ただいま〜」
朝、玄関の扉を開けると、同居人の七海ユウコが長い茶髪をかきあげながら、仁王立で待っていた。
「よくまぁ。退院してすぐに朝帰りできるよね?」
「終電なくしてさ。漫画喫茶で寝てた‥‥」
七海ユウコはふ〜んって流し目をして僕の顔を覗きこんできた。手首を指で触れながら、優しい表情でこちらを見ている。綺麗すぎて、僕は目を背けてしまう。
「ちゃんと帰ってくればいいのに。少し脈が早いけど大丈夫かな?熱はない?」
顔に吐息がかかる距離だから‥‥そりゃあ、脈上がってしまうでしょ。
「いい?あまり無茶しないんだよ?」
「‥‥」
僕はドキドキして、言葉を無くしていた。
「返事は?」
「あ、うん。頭が少し痛いから。ちょっとまた寝るね」
「じゃあ。部屋に体温計持っていくから熱を測るんだよ?」
「ありがとう」
七海ユウコ26歳。長い茶髪が似合う、スタイルのいい人。モデルもこなせそうなぐらいだ。彼女はすごく人当たりはいいけど、酒グセが悪いのが欠点だ。そんな彼女とは一年前から同居している仲だけど、別に恋人ってわけではない。実は僕の命の恩人であり、同居を脅迫されたんだ。
それは、心臓を移植する一ヶ月前の事だった。
✳︎✳︎✳︎
去年の秋夜だった。
澄んだ空気。
街中ではラブソングが流れ、イルミネーションの色も増え始めていた。大型ビジョンに流れるCMは、センサーライトがついたダイヤの指輪が流行っている。百貨店の売り場は大行列だ。僕はそれを横目にいつも通り人混みを避け、普通の街灯の下を歩き家路を進んでいた。
「君?漫画読みながら歩くと危ないよ?」
「えっと。はい」
「いーい?子供っぽい顔してるけど大人でしょ?」
「気をつけます。ありがとうございます」
僕に声を掛けて来たのが七海ユウコだった。
「もうすぐかな?3.2.1‥‥」
何やら声が聞こえたが、僕は無視して次の角をすぐ曲がり、早足で歩いた。逃げるように。そうしたら急に心臓に痛みが走った。
息を吸うと痛い。たまらず、その場でうずくまり座り込んでしまった。
それを見ていた、七海ユウコが異変に気づき駆けつけてくれたんだ。
「大丈夫?痛いの?」
苦しくて全く息が吸えない。
喉を両手で抑え、地面を転げまわった。
「ゆっくり息吸える!?」
「く‥‥る、しっ‥‥息がっ!」
ダメだ!そう思った時、視界がホワイトアウトした。
七海ユウコは胸に耳を当てた。
「まずい!心臓停止をしてる!」
急いで、キャリーバッグを開けAED(自動体外式除細動器)を取り出し蘇生をおこなったらしい。
「お願い!まだ!死なないで!」
賢明な処置により僕は息を吹き返したらしい。
目の前が白からカラーに変わっていった。
そして、ハッと視界がひ開けた。
息を吐きながら咽び、ヒューヒューと喉を鳴らしながら七海ユウコの手を握った。
「ま‥‥だっ死にたくない‥‥」
「大丈夫。助かったわよ」
瞳を濡らしながら見つめてくる彼女はとても綺麗だった。まるで女神に見えるくらいに。
しばらく路面で膝枕で横たわり、行き交う人の目線を浴びていた。
「もう、いいですよ。皆んな見てるんで‥‥」
「視線なんてどうでもいいから。今はゆっくりしてるんだよ」
七海ユウコは冷静に僕の脈を計り、声を掛け続けてくれた。
「ありがとうございます‥‥すみません」
「良かった。じゃぁ、今日だけでも家に泊めてもらっていい?」
「え?泊まる?」
「私、日本に帰国したばかりだから泊まるとこ探してて。君は実家?」
「いや‥‥。一人暮らしです」
「何かあったら病院にも連れていけるから」
「はい‥‥??」
「私は看護婦なんだよ?家賃は払うから。しばらく泊めてくれる?」
「え?払うんですか?」
「ええ。じゃぁ、お願いね」
「‥‥」
と。そのまま僕の家で七海ユウコという『飲んだくれ』の話しを聞くことになったんだ。
「こう見えても、私看護婦なのよ?」
「‥‥本当に助かりました」
「アメリカのナショナル病院に勤務。あっちではバリバリ働いてたんだから」
コンビニで買ったビールを5缶。まだ飲みながら話す七海ユウコはそのまま一時間も話し続けた。
どうやら彼女は僕より三つ上の26歳で。その歳にして大学病院で教授の資格を取るなど、天才ぶりには医学界では有名な存在だと言うこと。さらに酔いながら彼女が言ってきたのは‥‥。
「いい?君は私が居ないと死んでたのよ?」
「はい‥‥」
「あのまま放置されてたら、10分も経たずに蘇生はされなかったワケ」
「はい‥‥」
「今、こうして次の瞬間もいないんだよ?」
「は、はい‥‥」
恩を感じたなら、いいから泊めろよ。と言っているように聞こえた。
「‥‥もし良かったら。是非泊まってください」
「よし!」
最終的に僕の方からお辞儀して頼んだ。
眩しいくらいの人、そんな人がいると助かると思った。だって注目されたくないから。
そして後日、僕は検査によって心臓病が見つかり、入院。
あっという間に半年が経ってしまったワケだが‥‥。
✳︎✳︎✳︎
「きゃー!!」
叫び声とリビングでガラスが割れる大きな音がした。
「何!?」
僕は慌てて部屋を飛び出し、リビングに駆けつけた。
「どうしたの!?」
そこには、青いクーラーボックスを背負った女の子が立っていた。ジーパン地のショートパンツに迷彩のシャツに帽子を被っている。
「堤シンヤ。ようやく会えたな」
何が起きてる?空巣?強盗?混乱の最中、よく見ると七海ユウコの首にナイフが突きつけられている。
「シンヤ‥‥逃げて‥‥」
刃先がさらに首にめり込み、皮膚が張り裂けそうなほど。直感でそれ以上はダメだと分かる。
「君は誰?」
「お前の移植した心臓。それを‥‥返してもらいたい」
「心臓?どういうこと?」
女の子はポケットから取り出したハンカチを七海ユウコの口元に当て始めた。
「やめて!」
「邪魔だ。寝ていろ‥‥」
抵抗した七海ユウコだったがハンカチの匂いを嗅いですぐに床に倒れた。
「ユウコさん!」
「クロロホルム。こいつは気絶しただけだ。堤シンヤ。私はアオイだ‥‥」
「昨日の飲み屋の定員?」
「薬でサキの幻影ぐらには会えたろ‥‥」
名前を名乗った女の子は帽子を脱ぐと、僕の体を指さしてきた。
「あなたの心臓の提供者。その妹よ」
「ドナー?」
「レシピエントのシンヤ‥‥君の素質を確かめに来たんだ!」
アオイと名乗った女の子は脱いだ帽子をこちらに投げてきた。フリスビーのように宙を回る帽子。それによってシンヤの目の前が暗く塞がれしまった。
「うわ!」
慌てて体を退けた。でも今度は膝裏に痛みを感じ同時に視界が天井へと舞った。
「痛っ!何だよ!」
シンヤはあっという間に床に倒れていた。そして口には湿った布を当てられた。
「うぐぅっ!」
微かに甘い匂いが鼻に広がっていく。
必死にアオイの手を退けようとしたが、力が抜けていく。
そして、シンヤの意識は‥‥暗闇の中に落ちていった。
アオイは恐ろしく冷静に、シンヤを見下ろしこう言った。
「いい?本当に用があるのは、シンヤ。あなたの方よ」
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