第3話
出会いから三年。
二人は王国の首都へと足を運んだ。スラム街とは似ても似つかない平和で、清楚で、賑やかな街並みだった。
商人のかけ声や雑踏の群れを掻き分け、地図を頼りに青年は宿探しを試みる。少女はその背後をしかと追行した。
しかし、どれだけ足を動かせど宿らしきものは一向に見当たらなかった。
「ふーむ。ここらで休憩するか」
「そうだね……」
少女は大通りの端でぐったりと座り込む。人混みは苦手らしく、珍奇にも疲れた様子を見せる。
その隣で青年は顎に手をやり、地図を見やる。思考を巡らせるが、入り組み過ぎて地図は対して宛にならなかった。
「これは手探りで行くしかあるまいな。まずは、この乾いた喉を潤すとこからだ。お前はここにいろ。飲み物を買ってくる」
「わかった……」
少女はこくりと小さく頷き同意を示す。そんな少女を一瞥すると、青年は人の波に飲まれていった。
それを見届けたのち、少女は目の前の人群に呆れ果てる。慣れてないせいか、どうしても人に酔ってしまう。
一つため息をこぼす少女の視界の一端に、一人の幼子が入ってきた。なにやら大きな荷物を抱え、逃げ惑っているように思える。
言うほど違和感のあるような光景ではないが、少女の中で何かが引っかかった。
路地の奥へと去っていった幼女の後を、吸い込まれるように続いて歩いた。
♢
路地裏。
廃れたように、見捨てられたように寥落とした空間。
まるで時を越えて過去の記憶を見せられているようだった。それほどこの場はあまりにも貧困街に酷似している。
少女は重だるい足を無理やり動かし、幼子の後を追った。
しばし歩いていると、この辺りの中では一際目立つ大きな建物に入っていった。木造の建築物で、小奇麗な外装をしている。
中に入るのは
先程の幼子が一人と、屈強な男が一人。
幼女は陰鬱な表情で男と向き合い、その手に持った袋を差し出した。
男はそれを強引に手に取ると、中身のものを取り出していく。すると、様々な形をしたパンが次々と出てくる。
男は一通りそれを机に並べた。そして怪訝な表情を浮かべるやいなや、青筋をたて怒気を放つ。
すると唐突に幼女の方へと突進し、その勢いを殺すことなく殴りつける。
幼女の身体は軽々と宙を舞い、扉にぶつかり外界に吹き飛ばされた。
男はその気勢のままに幼女を追い、壊れた扉を
「この、バカが!俺は金を取ってこいっつったんだ!パンなぞよくものうのうと俺の元に運んでこれたなぁ!?」
「あ、あの………。食料がないって、言ってた、から………」
「金さえありゃ何でもできんだ!!てめぇの勝手な判断で盗るもん変えてんじゃねぇ!」
男はありったけの罵詈雑言を幼女に浴びせかける。少女の今にも消えてしまいそうなか細い声も押しつぶして。
幼女は涙を流し、瞳で許しを請った。だが、逆にそれは男の怒りを駆り立ててしまった。
「なんだその目は!この、クソ、クソが!!」
男は幼女の胸ぐらを掴み上げた。そして、余った手で幾度も幾度も殴りつける。
幼女はそれを拒む気力も助けを求める力も残っていなかった。
男の手には、幼女の血と汗と涙がこびりついている。本来輝かしい努力で流すものを、この男の取るにたらない理不尽で散らしている。
その光景と少女の過去は、重なるところがあった。
少女は追憶の彼方を思いやる。あのときはそれが当然で、受け入れるしかなかった。
だが、今は違う。第二の生を持ち、様々なものを見て、聞いて、感じた彼女は、その無惨で無意味な所業を許すことができなかった。
きっと、あの時青年も同じ気持ちを抱いたのであろう。
こんなことがあってはならないと──
「やめろォォォ!」
気づけば体は動き始めていた。悲鳴のような静止の声と共に。
男は驚駭と困惑が入り交じる表情でこちらを見やる。少女は電光石火の勢いで男との距離を詰めてかかった。
「んだてめぇ!!」
男は幼子を乱暴に放り投げ、臨戦態勢をとる。隙の見当たらぬ構えだった。荒事の場数を、その気迫が誇示している。
しかし少女は臆することなく真正面から向かっていく。
「どらぁ!!」
大振りな拳撃が一直線に飛来する。
少女はそれを難なく受け流し、男の懐に飛び込んだ。目にも止まらぬ快速で剣を手に取ると、抜刀と同時に男の腕を斬りつけた。刃は男の肉を深く抉り散らし、血飛沫を流麗に踊り狂わせる。
「ぐ、ああ、あああ!!」
男は跪き、片腕の斬傷を抑える。鈍く野太い嗚咽は、少女の耳を障った。
少女は剣の先端を男の頭部に突きつけ、熱のこもった声音で言い放った。
「ここから消えろ!!二度とあの子に近づくな!!」
譴怒の形相で、今にでも男の首を食いちぎる気勢を見せる。少女の目の前が真っ赤に染まり、冷静さを欠き始めていた。
しかし男は、その態勢のまま肩をわずかに震わせ始める。
「………!なにが可笑しい!」
「俺は、この地区のドンだ。その俺に手を出す、ということが、どういうことか、わかるか?」
「なに?」
息も絶え絶えで、笑声をもらす。その様子は少女にとって不気味でしかなかった。
早々に切り捨てようと剣を振り上げる。
その瞬間。どこからか慌ただしい足音がこちらに打ち集ってくる。
その音源の正体が続々と姿を現した。
誰もかれも強靭な肉体を宿し、各々が武具を携持している。その男達は、少女にありったけの睥睨と憎悪をぶつけた。
ようやくこの男の言葉の意味を理解した。
少女は二歩三歩と後ずさるが、素早く退路を塞がれ囲まれてしまった。戦闘を行っても勝てる見込みはゼロに近い。
まさに四面楚歌。八方塞がりだった。
男は粘っこい笑みを浮かべながら、少女に視線を向ける。
それを怨憎のこもった目で返すが、全てはあとの祭り。男は他の仲間に取り囲まれ、守護されている。
男に改悔させることも、幼子を解放することも叶わない。
絶対絶命に目が眩みはじめ、最大の死の予感を悟ったとき──
「よくやったぞ女!!」
大声がその場全員の耳をつんざいた。聞きなれた、柔らかな声色。男達を掻き分け閑歩する男。
漆黒の青年は数年前、自分を救った時と同一の面で少女の前に顕現した。
「俺の指示通りよく長を打ち払った。だが甘いぞ。命を摘み取るまでが仕事だ。」
青年は少女に歩み寄り、邪悪な微笑を表す。
一体青年が何をしようというのか、皆目見当もつかなかった。
「さて、仕事は失敗した。これはお前の実力不足と俺の采配ミスが招いた事態だ。どちらが悪いということもないが、どちらも悪いという見方もある。これでは責任がどちらが取るべきかも定まらぬまま。ならば、この場で刃を交えて決着をつけないか?罪の擦り付け合いといこうじゃないか」
「な…………に、を?」
少女は目を見開き、血の気が引いたように顔を青白くさせる。
仕事?ミス?決着?今のセリフのどの一文を取ろうと、理解の外だった。
半ば放心状態の少女を、青年は見透かしたように目を細める。
そして、青年は両手を広げ高らかに喉から言の葉を飛ばす。
「どうだ!観衆の諸君!この決着が終わり次第、この騒動はお開きにしないか?そもそもここは人が寄り合うような場所ではない。そんな諸君は、人に付き従う必要は無い。その男がどうであれ、ここに住んでいる時点で諸君と同属。同じ地位だ。諸君が体を張ってそいつを守る必要も無い。それに俺達は国から依頼されてここに来ている。王国から目を付けられている人間と関わりを持つというのは、自らその身を危険に晒しているも同義だ」
青年は饒舌な口調で演説を行った。半分は嘘で、半分は正論だ。
その二つの論理は異常な説得力を放ち、男達の闘気を損なわせた。
強面の男は動揺を顕にし、男達をきょろきょろと見回す。
「何をしている…………!貴様らに金をやってやった恩を忘れたか!」
威勢よく響かせる声に、男達は肩をびくつかせた。何をすべきか、非常に迷い困り果てているようだった。
やはり裏の住人にも情はあるらしい。その恩を受け流すか、ここで少女と青年を始末することで返すか。
思考は迷走し行き場を失っていた。
そこで、青年は終止符の言を空へ打つ。
「なればこそ、俺達の決闘で手を打ってほしい。正直この戦力差ではこちらの全滅は必然だ。だが、そんなことをすればお前達まで目をつけられるぞ。しかしこのまま俺達が逃げ帰ろうとすれば、そちらの男は納得いかずお前達にこちらを襲わせるだろう。そこで、この国の雇われ同士が死闘を行い、片方の命が失われる。これならば、お前達も、その男も、俺達も何とか納得できるのではないか?この条件を飲めば、そちらのことを国へ報告するのは取りやめよう。これでどうだ?現実的にも精神的にも良い案だと思うのだが?」
「…………仕方ねぇ」
幼子の飼い主は、渋々ながらもそれで納得したようだ。例え片腕に重傷を負っても、王国から目をつけられるのは勘弁して欲しいらしい。
青年の強引で、あべこべで、筋の通ってるのか否か分からない論議に、その場が呑まれてしまった。
気づけば、貧民窟の男達はこの決闘を興奮して心待ちにしていた。
どんな時代でも、命のやり取りを傍目から見るのは、人によっては愉悦らしい。
それとは対照的に、少女は激しく狼狽し瞳を泳がせる。
状況は上手く把握出来ていないが、これから起こることは瞬時に理解してしまったからだ。
「さあ、剣を取れ。ここで雌雄を決するんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ…………。なんで、なんで、こう、なるの?」
「全ては、生きるためだ」
少女を静かに見据える。
その瞳は冷ややかで、まるで獲物を前にした猛獣のように滾っている。
少女は苦悩に頭を歪ませる。
自分のせいだ。自分が余計なことに首を突っ込まなければ、こんなことにはならなかった。
少女の頭の中で、自殺の二文字が脳裏をよぎった。
だが、その考えはすぐに露と消えた。一体何のために、青年は雄々しい芝居を打ったのか。考えればすぐにわかることだった。
どちらかが生き残るための、苦渋の決断。
しかし、それは好機でもあった。この青年に自らの成長を示す。
青年に教わった。生きているからこそ、意味があることもあると。
全ては、生きるため。
例え、愛しい人を切り捨ててでも、生きなければならないと。
それを貫き通すことこそが、この青年への恩返しでもあると、少女は思い至った。
これ以上の言葉は、場を汚すのみ。
少女と青年は剣を取り、刃を交え始めた──。
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