第106話 世界に向けて! 上巻
クロニクス皇国、旗艦『リューデルマイン』が、護衛艦『リューカス・ワン』『リューカス・ツー』を従えて澄み切った蒼穹を航行していた。
ミニールの子供達が瞳をきらきらと輝かせて大空へ向かって手を振っていた。
いや、子供ばかりではなく、大人達も農作業の手を休めて空を見上げ、魔物の襲撃を見回っていた警護団も兜を脱いで敬礼をする。
向かっているのは、この大地の裏側なのだという。
それがどんな所なのか、ミニールの誰にも分からない。
ただ、一つだけ分かっていることは、誰かが我等が皇帝に喧嘩を売ってきたのだということだ。
そして、確信を持って言える。
また、クロニクス皇国の版図が拡大するのだと。
「皇帝陛下が御出陣か」
ラン・フィールが窓辺から晴れ渡った青空を見上げた。商会の執務室である。
「お嬢・・また忙しくなりますね」
寄り添うように後ろに立っているのは、警護団長のケニーだ。
「もう、お嬢はよしてよ・・そろそろ、いい歳なんだからさ」
「おいくつでしたっけね?」
軽く肩を竦めながら、ケニーが窓辺でランに並んで空を見上げた。
「皇帝貨50枚で教えてあげるわ」
「・・高ぇな、おい」
軽口に、軽口で応じ合いながら、二人はそっと抱き合って口づけを交わした。
「・・あら?」
ランが窓の外を見た。
ミニールの中央通りを黒馬に跨がった執事服の青年が駆けていた。
「ヤクト様?・・どうされたのかしら?」
「ありゃぁ、置いていかれたんじゃないか?」
ケニーが同情する口ぶりで呟いた。
馬上、心なしか青年の顔が悲壮感で青ざめていたようだった。
あれで一騎当千を地でいく猛者なのだが、どうも主人である吸血姫の評価がよろしく無いらしい。似たような事はちょいちょいあるのだ。
一方、遙かな高空では、
「あれ、ヤクトは?」
俺1人が、その事実に気が付いていた。
『ヤクト イナイ ミニールニ イル』
アンコが教えてくれる。
「ミニール・・」
それはまあ何というか、もう遠くなりましたねぇ・・。
『おうさま もどる?』
声をかけてきたのは、最近うちに入ったばかりの新入りだ。
名前を、キナコと言う。
セインカースの地下から助け出し、旗艦『リューデルマイン』の上甲板ど真ん中に植えた小さな生命樹だ。
理屈は分からないが、キナコはこの『リューデルマイン』を自分の手足のように動かす事が出来た。いや船だけでは無い。セインカースの格納庫に収まっていた大量の"神機"も自在に操れるのだ。
操船操作、すべてお任せである。
おかげで、人手が浮いた。
「う~ん、まあ・・いいや。どっかで追いついて来るだろ」
俺はヤクトの事は忘れることにした。
どうしても必要なら、影を使って拾いに行けば良いし・・。
「さて、また戦闘騒ぎになる前に・・」
俺は玉座から立ち上がった。
いつもは、身なりなど気を配らない俺様だが、今日はひと味違うんだぜ?
金銀の刺繍で縁取られた黒の上下、磨き上げられた黒い靴。真っ白な上質なマントを左肩に下げ、右手には黄金造りっぽい宝石のちりばめられた錫杖を持っている。
『オヤブン カッコイイ』
「むふふ・・」
俺は鼻高々にふんぞり返った。
『あんこ かっこいい なぁに?』
『キナコ モット ベンキョウスル オヤブン フクガ センレンサレテル オシャレ ダカラ カッコイイ』
『むつかしい あんこ たくさんしってる あんこ すごぉい』
『ムフフ アンコ エライ』
黒い球が光ながらクルクル回ってやがるぜ・・。
むふふって何だ?誰だ、そんなの教えやがったのは・・。
「・・・行こうか」
俺は軽く白いマントを翻すようにして、足元の影へと身を沈めていった。
旗艦『リューデルマイン』・・その上甲板には大地がある。地面があり、川があり、草木が茂り、蝶やら羽虫やらも飛んでいる。川には小魚まで泳いでいるのである。
俺が向かっているのは、生命樹"キナコ"を植えた泉がある泉の広場だった。
そこだけは、魔界産のシルキィクリスタルで覆われたドーム形の大きな建物が建っているのだ。
澄み切った聖水の泉に、可愛らしい小島が浮かび、中央に"キナコ"が植えられている。その泉を庭のように見晴らせるようにして乳白色をした石造りの2階建ての石館が建てられていた。大理石の円柱に支えられるように突き出したバルコニーはちょっとした舞踏会が開けるほどに広い。
俺が向かったのは、そのバルコニーの中ほどだ。
キナコに向かって手を振ってから、バルコニー奥にある扇状になった石段を見上げた。末広がりになった石段の一番上が俺の場所だ。
一歩、一歩・・硬い足音をわざと鳴らして石段を登っていく。
(へへっ・・クソ混じりのドブ川で育った俺が・・このユート様が皇帝陛下だってさ? 笑えるじゃねぇか?)
俺は一番高い場所まで着くと、そっと後ろを振り返った。
わずかに石段を登っただけだったが、高いバルコニーのさらに高い位置から見晴らした光景は色鮮やかに胸に染み入ってくるようだった。
『おうさま かっこいい』
キナコの声に、俺は気取って片手を上げて応えた。
「アンコ、準備はいいな?」
『ジュンビ バンタン オールグリーン』
アンコが足元の影から半分顔を覗かせて告げる。
「キナコはどうだ?」
『じゅんび ばんたん おーるぐりーん』
「・・よろしい」
俺は豪奢な錫杖を杖のように足元へついてバルコニー正面を
さあ、始めようか!
全世界に、宣戦布告をするのだっ!
「全世界のまだ見ぬ我が民達よ・・・俺が、第九代クロニクス皇帝ユート・リュートである!」
いや、気が触れたわけじゃないよ?これ、放送だから。キナコによって、全世界に向かって幻視放映してますから!
「すでに知っている者も多いだろうが、俺は魔瘴を治療できる世界唯一の治癒の技を持っている。魔瘴によって異物が身体から生えた者を治すことができる。魔瘴によって魔獣化した者を元通りに戻すことができる。俺の愛すべき国民はすでにこの恩恵を受けて魔瘴を怖れることなく生活をしている」
俺の言葉に合わせて、ミニールを始め、様々な街の光景が映し出されて、次々に幻視放映されていった。
賑やかな声をあげて駆け回る明るい顔の子供達・・広々とした土地を耕している農夫達・・手入れの行き届いた広大な果樹園・・人通りが賑やかな大通り・・色とりどりの反物が詰まれた衣装屋・・崩れそうなほどに食べ物を詰んだ露店の数々・・。
色々な街の色々な町並み、綺麗に整った街道を行き交う荷馬車や駅車・・。
「子が親が魔瘴に冒されて苦しんでいる者が居るなら手を差し伸べよう。対価は俺に忠誠を誓うこと・・ただそれだけで良い。クロニクス皇帝に忠誠を誓いますと・・そう告げるだけで良い。その場で治してやる。腕を失った者、足を失った者、病に伏せっている者・・俺の治癒を受けたい者は申し出ろ。集まって俺の名を呼べ!」
俺は言葉を切って、しばし間を置いた。
「我が名は、ユート・リュート!我が治療を受けたければ我が皇国の大使館に集うがいい。極北から南極まで、我がクロニクス皇国の大使館は世界中に設置されている。その何処においても、我が治癒を受ける事ができるのだ・・・そう、入り口において宣誓すれば良い。クロニクス皇帝に忠誠を誓うと!」
俺は錫杖で足元を小突いて軽く音を鳴らした。
『ハイ カット』
『ちりょう ふうけいみせる』
キナコの声が聞こえた。
「ふぅぅ・・・」
俺はしみじみと息をついて、上着の内ポケットからメモを取り出した。そこに次の台詞が書き記してある。
『オヤブン ミンナ ジュンビデキタ』
アンコが足元から声をかけてきた。
「・・よ、よしっ、第二幕をやるぞ」
俺はメモをポケットへ戻して軽く喉を鳴らしてから胸を張った。
『キナコ トウエイ ジュンビ』
『じゅんび ばんたん おーるぐりーん』
『カウント ハイリマス ジュウビョウマエ ジュウ キュウ ハチ・・・』
俺はアンコのカウントダウンを聴きながら、大きく深呼吸をした。
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