第102話 聖なる古都
幾つもの険しい山々が連なる草木も生えないほどの遙かな高地に、白亜の石壁をした巨大な建物が聳え立っている。
朝露に濡れた屋根が陽光で輝いている中を、真っ白い鳩が群れとなって飛翔しながら旋回し、澄み切った高地の風を受けながら、巨大な建物の中ほどにある小さな小窓めがけて舞い降りていった。
早朝、まだ動き出す人影は疎らで、五時の鐘打ちまで少しあるだろう。
どこか気怠い微睡んだ空気が漂っている。
しかし、純白の鳩が舞い降りた部屋の中はにわかに騒然となっていた。
回廊のような造りの外廊下を息せき切って小太りの中年男が廊下を走る。男は綺麗な刺繍の入った司教服を着ていた。
向かった先は、教皇の私室である。
「ふむ・・特務大隊が全滅か。やはり、侮れぬな・・魔界の者共は」
今年で98歳になる教皇は、身の丈が2メートルほどの偉丈夫である。重々しくベッドをきしませて立ち上がると、裸に法衣を引っ掛けるようにして執務机へと向かった。
その間に、ベッドから年若い修道女が二人、手早く身繕いをしながら外へと抜け出て行く。いつもなら小言の一つ二つぶつけるところだが・・。
「帝国を一蹴した戦力を有しているのです。非常に危険な事態であると・・」
司教服の男が不安顔で縋り付くように教皇の顔を見つめた。
「案ずるな。何のための神機だ?全神殿騎士団に神機の使用許可を出し、魔導砲の封印を解いておけ!神殿魔術師どもには奥神殿にて防御障壁を展開させろ!」
「は・・ははぁっ!」
教皇の自信に満ちた声を受けて、司教服の男がいくぶんか顔色を明るくする。
その時、廊下を慌ただしい足音が近づいて来た。
「やれ、賑やかな事だ」
教皇が苦笑しつつ扉を眺める。
ほどなく扉が叩かれて、短い断りの声と共に騎士団長が入室してきた。
「上空に巨大艦が現れました。距離、20キロメートル・・ですが、目視できます!」
「ほう?報告にあったやつだな?」
教皇は席を立って窓の格子扉を開け放った。
朝の澄んだ空気が一斉に流れ込んでくる。
「・・・でかいな」
澄み切った青空の彼方に、槍穂のような形をした建造物が浮かんでいた。
横向きに、こちらに向けて大きさを誇示するかのように静かに移動していた。じっと観察していれば、このセインカース本山を中心に円を描くように動いている事が分かる。
「魔術での隠蔽は無意味か・・幻影術は止めさせろ。魔素の無駄遣いだ」
教皇が言うと、騎士団長が小姓の少年に向かって顎をしゃくった。すぐさま、転がり出るようにして足を縺れさせながら少年が伝令に走って行った。
「騎士団長・・届くか?」
「・・魔導砲ならば届きます」
「あれは魔導で防がれる・・が、撃たんよりは良いのか?」
「帝都では魔瘴による巨砲弾が結界によって封じられ、帝国軍自らが撃った魔瘴砲によって帝都が消失しました」
騎士団長が硬い表情で告げる。
「ふん、結界術・・あれはややこしいからな、まともに使える奴が少なくていかん。我が方には・・・」
「先日、神樹奪還作戦の折に・・憤死なされました」
「・・・こちらからは、うかつに撃てんか」
教皇が呟くように言った。
次の瞬間、遙かな高空を浮動する巨大艦の辺りで、小さな光が明滅したようだった。
「撃ちおったな・・なんだ?」
「猊下、お下がり下さい」
騎士団長が前に出ながら、護りの呪を唱えて腕を前に突き出す。
直後に、重々しい破砕音を轟かせて白亜の建物の中央に巨大な金属の棒が突き刺さっていた。凄まじい震動と共に、その場の誰もが経験のない揺れが襲って神殿のあちこちで悲鳴があがった。
「ご無事で?」
破砕された石片を防ぎ止めていた騎士団長が振り返った。
「ああ・・」
教皇が窓の外を睨んだまま頷いた。その足元へしがみつくようにして司教服の男が床に突っ伏している。
「これは・・」
高さが100メートル近い金属の筒が神殿中央を貫き徹して突き立っていた。
「馬鹿げた大きさだが・・矢だな」
教皇が苦笑気味に答えた。
「・・矢・・ミスリルとも異なる・・私の知らぬ金属のようです」
「ああ、儂も知らん。魔界の物かもしれんな」
「この角度・・これでは地下の奥神殿は・・」
「どうやら、この建物の構造が知られておるようだな」
「まさかっ!?・・さすがにそれは・・」
「どうやってかは知らん。だが、神殿の造りを調べ上げられておる。アレの・・」
と、教皇は巨大な金属矢を顎で示した。
「刺さった先には奥神殿・・そして、術者共が後生大事に隠しておる神樹の破片が安置された霊廟だ」
「・・霊廟を・・まさか、やつらの狙いは」
「団長っ・・」
年若い騎士が戸口から声を掛けた。
「神機、準備整いました」
「全騎士団、騎乗して地下聖堂へ急行しろっ!敵は霊廟を狙っているぞ! 影狩り共はどうした?」
「それが・・なにかに怯えてまともに動きません」
「・・怯える?あの狂猿共が?」
「巫女様を起こせ。あの御方の力を借りるしかあるまい」
「はっ!・・おい、神官長に伝令を走らせろっ!」
騎士団長の声に、若い騎士が慌てて廊下を駆け去る。
「おい・・何か来る」
教皇の声に、騎士団長が慌てて窓の外を見た。
光る物が巨大艦から飛び立って真っ直ぐに向かってきていた。
黄金色に身を輝かせる狐耳の美女、白銀光を立ちのぼらせる美女、二人に挟まれるようにして浮かぶ黒い球・・・その上に立って腕組みしている30歳前後の青年。そして、周囲には
「魔界皇帝・・その妃共か」
幻影によって幾度となく目にした艶姿だった。
「・・こうも易々と聖域に踏み入られるとはな」
「神機を回せっ!」
騎士団長が鋭く命じながら廊下へ飛び出して行った。おそらくは、これを好機と捉えたのだろう。敵の首魁がわずか2人を供に連れて姿を見せたのだから・・。
「なんだ!?」
教皇はわずかに眼を細めた。
紅い光が皇帝が立っている黒い球から発せられたのだ。真紅の光が突き刺さっていた金属矢を右から左へ薙いで抜けていった。それだけで、巨大な金属矢が断ち斬られて、切断面も鮮やかにズレ落ちていった。
「・・空洞・・そういうことか」
教皇は窓枠に手をつき、乗り出すようにして断ち斬られた金属矢に眼を凝らした。
巨大な金属矢に空いた空洞から黒々とした煙状のモヤが立ちのぼり始めた。
「魔瘴・・」
直感的にそう呟いたが、おそらく当たっているだろう。
「む・・?」
上空に浮かんでいる狐人の美女がほっそりとした白い手を振ったようだった。
「おぉ・・」
門外漢の教皇ですら、はっきりと視認できるほどの魔法の壁が出現して、神殿全体を包み込んでいた。一瞬の出来事である。呪文の詠唱も、儀式も何も無い。魔力の高まりすら感じなかった。
「・・ありえん・・これが魔界皇妃の力か」
呻くように呟きながら、教皇は眼下の中庭を移動する霊鎧の一隊へ眼を向けた。
北の大地で雪原から発掘された太古人の霊鎧を引き上げ、稀少なミスリル鋼で造り直したセインカース神殿騎士団の装具だ。かつて大陸を震撼させた帝国の霊鎧を遙かに上回る戦闘力を有した教団の切り札"神機"・・本来は頼もしく見えるはずの巨甲冑群だったが・・。
教皇が見上げる先で、白銀の閃光が連続して瞬き、50機からなる神機の騎士団が一瞬にして胸部から上を蒸発させて動かぬ人形と化してしまった。
「はは・・50機だぞ?・・神機を・・あれを一瞬だと?」
教皇は乾いた笑いを漏らして項垂れた。
勝てる勝てないという次元では無い。これは、どうしようもない。卑小な人間などが飛ぼうが跳ねようが、どうにもならない。権威も、祈りも・・アレ達を前には何の意味も持たない。
「・・どうなるのだ、この世界は」
呟いた教皇がふと気配に気付いて戸口を振り返った。
「よう・・礼に来たぜ」
戸口に、見知らぬ女達が立っていた。浅黒い肌に、白髪をした勝ち気な美貌の女獣人だった。
無論、神殿の修道女などでは無い。
なぜなら、セインカース神殿には獣人はいないからだ。教団の教義では、獣に信仰は許されていない。
「あんたが教皇だろ?」
訊きながら、女がゆっくりと部屋へ入ってきた。すらりと鞭のような伸びやかな肢体に、蠱惑的な胸乳の膨らみ・・ぎゅっと絞れた腰元に巻かれた革ベルトに手斧が吊されていた。
「いつから神殿で獣を飼うようになったのかのぅ」
教皇はゆっくりと向き直って女獣人と正対した。体格では圧倒している。
「虎種が裔、カーリー」
「兎種、シーリン」
隣に、黄金色の髪の間から兎のような耳が生えた獣人の女が並び立った。
「ふん・・どちらも平人でないのが惜しいほどの美形だな。どうだ?その耳を切り落として儂の・・」
教皇が
その胸に兎人の投げ打った短剣が突き立ち、頭部を虎人の手斧が叩き割っている。
「刃に塗ってある薬は、
虎種、カーリー・ウィが、床へ崩れ落ちる教皇を無慈悲な双眸で見下ろして告げながら、すぐ隣で床に蹲って泣き言を言っている男の頭を踏みつぶした。
「終わったかい?」
戸口に姿を見せたのは、獅子種のレナンだ。
「ああ、ありがとうよ・・だけど」
「まだ暴れたりないんだろう?」
「実を言うと・・そうなんだ」
カーリーが獰猛な笑みを浮かべた。
「なら、あっちさ」
レナンが同じく危険な笑顔で応じる。
「あっち?」
「・・戦闘音ですね」
シーリンが兎耳を澄ませるようにして呟いた。
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