第79話 白昼の悪夢

 その日は、未明から帝都に警戒警報が鳴り響いていた。

 珍しい事では無い。

 空を飛翔する魔物が現れるようになってから、警報が鳴らない日は無くなり、街に被害が出ない日も無くなった。

 今日も夜明けを待たず、背にコウモリのような翼を持った巨大な猿人が我が物顔で街中を徘徊し、立ち並ぶ家屋の窓を覗き込んでは、片隅で震えている人間を見つけて壁を打ち壊して家から摘まみ出している。喪心して泣き叫ぶことすら出来なくなった女を頭から食らいついて美味そうに咀嚼していく。


 昨日今日の事では無い。

 毎週のように行われている食事の風景であった。


 帝都は六角形を描くように造られた城壁で囲まれた古都だ。

 中央街区を中心に、1番街区から6番街区まで綺麗に区分けされた防壁の中に人々が住み暮らしていた。魔物は、一度に押し寄せる事はせず、決まって5匹の魔物が、日替わりで街区を順に巡るように襲ってくる。攻撃を加えれば怒って暴れ回るが、抵抗しなければ何人かを捕食した後、そのまま飛び去って行く。


 5匹の魔物はそれぞれ1~2人を食べる。

 そして、飛び去る。

 その間、眼と耳を塞いだ住人達がじっと息を殺して待つ。

 守備兵達も、自警団も・・。

 今日を凌げば、次は一週間後だ。

 魔物は計ったように7日おきに現れるのだった。

 何もしない方が良い。

 7日毎に、5~10名の犠牲だけで済むのだから。

 下手に魔物を怒らせたら、数百人という単位で殺戮されるのだ。

 

 じりじりと照りつける季節外れの日差しの中、魔猿による湿った咀嚼音だけが響いていた。


 もう、食べ終われば帰って行く頃合いだ。

 どの巨猿も食事にあぶれなかった。

 機嫌は良いはずだ。


(餌となった女と2人の娘は運が無かった)


(・・捕まる場所に居たのが悪いんだ)


 壁の内で息を潜め、必死に身を縮めている町の人々は、ただひたすらに時が経ち、捕食者達が飛び去る時を待っていた。


 ・・・だが、


「うああぁぁぁぁーーーーーっ!」


 1人の男が大声をあげながら魔猿めがけて突進してしまった。


 それは、やってはいけない行為だった。

 例え、喰われたのが身内だったとしても、声を出さずに蹲って堪え忍ぶのが町の約束事のはずだった。

 それを若い男が破った。

 おそらく、先ほど喰われた女の夫・・幼い娘達の父親なのだろう。

 どこへ出掛けていたのか、背に帆布の背嚢を背負ったままの姿で、長柄の銅製ショベルを手に絶叫をあげて魔猿めがけて走って行く。興奮し過ぎだろう、懸命に走る足がもつれて真っ直ぐに走れていない。


 静まりかえった大通りの中、身の丈が3メートルほどもある巨猿達が、叫びながら駆けてくる人間の様子をじっと眺めていた。灰色の獣毛が長い猿だ。大きく前に突き出た鼻面に僅かな皺を寄せて、珍しい物でも眺めるように男が近寄ってくるまで身動きをしなかった。

 そして、魔猿の一匹が銅のショベルを振り上げて駆け寄った男を、ひょいっ・・と片手で掴み取ると、胴体を強く振って男の身につけている荷物を地面へ振り落とし、ぐったりとなった男を口の中へと放り入れた。小気味良い骨が砕ける音が鳴り、再び、町の大通りに静寂が戻った。


 必死に息を殺している町の人々が眼を閉じ、耳を塞いでいる中、


"・・ゲッ・・ゲッ・・ケェェッ!"


 魔猿達が喉を引き攣らせるように短く鳴き声を交わし始めた。

 立ち去るはずの猿達が興奮し始めてしまった。

 我慢のきかない男が騒ぎ立てたからだ。

 町の不文律を破った奴のせいだ。

 

(くそっ・・あの馬鹿がっ・・)


 パン屋の男は、歯噛みをしながら胸内で罵った。ショベルの若者は知り合いだった。喰われた奥さんも、その娘達も顔なじみだった。よく店に来てパンを買ってくれた。だが、自分の娘や息子じゃない。自分の妻じゃない。あの男さえ騒ぎ立てなければ・・・泣いて諦めてくれれば、あの魔物はいつも通りに飛び去ったのだ。

 これ以上は、誰も死なずに済んだというのに・・。


「ひぃっ!」


 不意にか細い悲鳴があがった。

 ハッ・・と顔を向けたそこに、窓いっぱいに迫る猿の大きな顔があった。

 悲鳴をあげたのは、男の妻だ。

 店の奥に分厚いテーブルを倒して壁にし、その陰に隠れて生まれたばかりの息子を胸に抱いている。傍らに幼い娘がしがみついて震えていた。事が過ぎ去るのを待っていた。

 もう少しだったのに・・。

 おそらく、いつもと違う雰囲気に、様子を窺い知ろうとして窓を見てしまったのだろう。うかつにも、窓の方を覗き見てしまった。そして悲鳴をあげた。


「・・声を出すなっ」


 出来るだけ小声で叱りつけたが、恐怖で眼を見開いた妻がそれに答える事は出来なかった。

 無慈悲にも、窓ごと壁が打ち破られて毛むくじゃらの巨腕が突き入れられ、パン屋の男の妻を捕まえたのだ。運悪く近くにいた娘まで一緒に握られてしまっていた。

 

「まっ・・待ってくれっ!」


 思わず声をあげた男を、破れた壁越しに巨猿の眼が覗き込むように見つめていた。


「ぁ・・あ・・」


 震えるパン屋の男の前で、妻と赤子と娘が一口に喰われて消えて行った。

 次の瞬間、美味しそうに眼を細めて咀嚼する猿を押しのけて、別の魔猿が顔を覗かせると剛腕を突き伸ばして呆然としたままのパン屋の男を掴んで宙へ持ち上げた。

 通りを挟んで別の建物でも、魔猿が壁を打ち壊して中で震えていた老夫婦を掴み出していた。

 

 こうなると、魔物の殺戮衝動が収まるまで血の饗宴は終わらない。

 こうなるから、例え親兄弟が喰われても騒がない・・という決め事が出来たのだ。


 魔猿達が甲高い声を放ち、興奮に眼を血走らせて建物を破壊し、隠れている人々を見付けて口へ押し込む。

 帝都の南街区は凄惨な屠殺場と化していた。


 そんな中だった。

 黒い馬に跨がった男が大通りを走ってきたのは・・・。

 執事服姿の若い男が馬の手綱をとっている。行く手では魔猿が暴れているというのに、速度を落とすこと無く真っ直ぐに通りを進んでいた。


 気付いた魔猿が威嚇するかのように黄色い牙を剥いて叫んでいたが、馬上の若者の方はお構いなしである。大通りの石畳をまっしぐらに馬を走らせて近づいて来るなり、


「・・邪魔だ」


 短く声を発して、そのままの勢いで駆け去って行った。

 虚を突かれたように動き損なった魔猿達が慌てて後を追おうとしたが、そのまま大通りに崩れ伏していった。驚いた事に、どの魔猿も首から上が無くなっていた。いや、倒れ伏した胴体に遅れて、次々に宙から転がり落ちて来て路面に重たい音をたてた。すれ違いざまに斬り落とされたのだ。


「まずいな・・」


 馬上で顔をしかめた若者は、ヤクトである。

 主人であるジスティリアから町の責任者を連れてくるよう命じられて来たのだが、どのように声を掛けても反応が無く、隠れている町の人を見付けて訪ねても言葉は返らない。それらしい家屋を見付けて訪ねても、もぬけの殻・・といった有様で、防壁に囲まれた街区を次々に巡っているというのに、責任者どころか、まともに口がきける相手すら見付けられない。

 時間だけがどんどん過ぎていた。

 これは、非常に危険な事態である。

 

(あれか・・?)


 大通りの行く手に、これまでとは桁違いに高さのある城壁が見えてきた。

 発言権を持った有力者達は、あの向こうへ避難しているのだろうか?


(しかし・・・確か、中央へは手をつけるなと・・皇帝陛下が)


 周辺街区から魔瘴の駆除作業を行う旨を通知せよとのお達しである。それを受けて、ジスティリアから街区の区長へ話を通すように仰せつかったのだった。


(・・正午までとの事だったのに)


 頭上の太陽はすでに中天を過ぎて傾き始めていた。

 すでに、吸血姫の定めた刻限を破りつつある。


(・・まずい)


 ヤクトの背筋を冷え冷えとした震えが走る。

 久しぶりの下知を受けて、勇んで出てきたというのに、このままでは褒められるどころか・・・。


「・・ヤクト殿」


 不意に声を掛けられて、ヤクトは慌てて馬の手綱を引き絞った。声の主を捜して視線を左右させる。


「こちらです」


 声を掛けてきたのは、顔は知らないが闇妖精の女らしかった。切れ長の双眸だけを覗かせた覆面を着け、ほっそりとした肢体を黒ずくめの衣服に包んでいる。


「第三妃殿下より、帰城せよとの御命令です」


「・・まことか」


 この世の終わりだ。

 ヤクトはがっくりと項垂れながら肩を落とした。

 おそらく、極刑は免れまい・・。


「第二妃殿下より別命が下されるとの事で御座います」


「ぉ・・おおっ!ま、真かっ!?」


「町の探索は我らが引き継ぎますゆえ・・」


「か、かたじけないっ!後の事はお頼み申すっ!」


 喜色満面、勢いよく頭を下げるなり、ヤクトは大急ぎで馬首を巡らせた。貴重な伝言を届けてくれた闇妖精の女を眼で捜したが、すでに視界から姿を消していた。

 さすがは隠密に長けた一族である。


「はぁっ!」


 ヤクトは、鋭く声あげて黒馬を励ますと、まっしぐらに駆け戻って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る