第8話 辱め
(うっ?・・朝・・いや、どうしたんだっけ?)
全身が捻れるような激痛で、俺の意識は覚醒した。
いつぞや、刑棒でさんざんに殴り回された翌日のような、最悪の目覚めである。
(また、やられたか?)
よく覚えて無いが、誰かにタコ殴りにでもされたのだろうか。
瞼を開くだけでも痛みが走る。
(ここは・・・天幕?・・ああ、獣人の)
すうっと記憶が蘇って、自分に何が起きたのか理解が出来た。
北軍の総司令部で青年将校から受け取った指令書に、魔術の罠が仕掛けてあったのだ。獣人の美人さんが魔瘴と言ったのを覚えている。
俺は、あれを握り潰した。
そう、あまりにムカついたので、強引に圧し潰してやったのだ。
(そして・・?)
たぶん、そのへんで意識を失った。
だが、生きているという事は、俺が勝ったという証だ。
(ふっ・・完全勝利!)
俺は、痛みに震える唇をとりあえず笑いの形にしてみた。
ひたすら痛かった。
(・・って、痛ぇ。これ・・あちこち筋とか切れてんなぁ)
俺は目を閉じて、自分の身体をじっくりと確かめていった。自身を診ることは以前から出来ていたが、今はより容易く、詳細に把握が行き届くようだ。
(あっ!?・・え?)
不意に、暖かい布らしいもので顔を拭われた。いや、顔だけでなく、胸やら腹やら・・。
(あぁっ・・ちょ・・ちょと!?や、やめっ・・ぁ)
大切な箇所を前後くまなく遠慮無く隅々まで拭われてしまった。
(マジかぁぁ・・)
何だか、大事な物を失った気分だ。
俺は悲嘆に打ちひしがれながら、半ばやけくそになりながら、自分の肉体の治療に集中した。
つまるところ、俺は裸で寝かせられていて、誰かに身体を拭かれているという訳だ。
深く考えちゃ駄目だ。
きっと仕方が無いことなんだ。
ややあって、毛布らしい物が喉元まで掛けられた。
(ふふっ・・もう、怖いものなんか無いんだぜ?)
半泣きになりながら、自分の身体を治療する。筋が損傷し、骨がいくつか砕けていたが、逆に言えば、それだけだった。
(・・・こんなもんか?)
冗談のように短い時間で全身の治療を終えて、俺はじわりと身体に力を込めてみた。
十分に回復している。
掛けられた毛布の下で、身体を触って皮膚の具合を確かめる。指先の感覚も良く、張り艶の瑞々しい肌が感じられる。
伊達に、十六歳では無いのだ。
そっと双眸を開いて、改めて周囲へ視線を巡らせる。灯りの無い真っ暗な天幕の中だが、外の星明かりだろうか、物の形などははっきりと見て取れる。寝かされていたのは、樹を組んで地面より高くした即製の寝台で、恐らく絨毯を敷いた上に毛布を重ねてある。寒くないようにとの配慮が感じられた。
やや離れて、天幕の入り口脇に、衛士のように地面に座り蹲っている人影があった。
少し目を凝らすと、それが誰なのか判った。
「ヨミ・・ヨミさん?」
声は嗄れていた。それでも、弾かれたように人影が立ち上がって、急ぎ足に近寄ってくる。
暗がりでも分かるくらいに、ヨミの美貌が恐れとも喜びともつかない密やかな興奮に彩られていた。
「水、ある?」
「すぐに」
ヨミが、枕元にあったらしい陶器の水差しを手に、俺の背へ手を回して引き起こしてくれた。そのまま口元へ水飲みを近づけてくれる。ひんやりとして柔らかな女性の手が裸の背中に触れて、なんとも心地良い。
照れくさいが、甘えることにして、そのまま飲ませて貰う。もう全快していて動けるのだが、そこは・・アレだ。こんな美人さんに看病して貰えるとか、そうそう無いのだよ?いや、もしかしたら、これが最初で最後かもしれないのだよ?
「・・ふぅ、生き返るな」
俺はしみじみと呟いて一息つくと、
「もう大丈夫・・ありがとう」
ヨミに礼を言って、再び寝台に横になった。
「身体は回復できるから・・ヨミさんも、ちゃんと寝てね?」
ヨミに笑いかけながら、俺は目を閉じて大きく息を吸って静かに吐いた。
口に入れた水分が全身に染みるようで心地良い。
(あれ・・?)
ヨミの気配がいつまで経っても離れない。
「・・えと、ヨミさん?」
仕方が無いので声をかけてみた。
「ここにおります」
「ええ・・うん、もう大丈夫だよ?このぐらいの怪我とか、よくやってるから。むしろ、毎日だったからね?」
「・・心配しました」
「ぉ・・おぉ」
こんな美人さんに心配して貰えるとか、なんという御褒美か。
「5日、経ちました」
「えっ!?」
俺は、ぎょっと目を見開いた。
いやいやいやいや・・
生意気申しました!そんなに寝込んだのは人生初ですっ!
「そ、そう?まあ、何てこと無いよ。そのぐらい何度もあったしね」
強がる声が少し震えている。
「心の臓も止まって・・もう駄目だと皆が言っていて・・」
ヨミが言うには、いたずらに死体を安置するより、埋葬した方が良いという声もあったらしい。
(よく生きてたな俺・・もうちょいで埋められるとこだったんか)
改めてお礼を言おうとヨミを見る。
(ぅわぁ・・・改めて見ると、とんでもない美人じゃん)
繊細に整った美貌に、切れの長い双眸が儚げな震えを帯びて俺を見つめている。
「そのぅ・・なんだか、本当にありがとう。面倒かけちゃって御免なさい」
俺は、青年将校の企みの片棒を担いだ形で、こんな美人さんを魔瘴の犠牲にするところだったのだ。これほどまでの、鑑賞に耐えうる美貌の持ち主はそうそう居ないというのに・・。
こんな美人さんを死なせるところだったというのだ。
男子として、なんという失態かっ!
おのれ、あのクソ将校!絶対に許さんぞっ!
「いいえ、逆に私達の方が救われました。何が起こったのか、私には見えましたから」
ヨミは事象を観察し、真を見透す力があるのだという。
俺の取り出した書類が指令書だったと部隊長のカーリーやレナンは見て取っている。その指令書から魔瘴が噴き出たのだ。本来なら周囲を巻き込んで魔瘴による災厄地と成り果てるところを、逆に魔瘴を抑え込んで圧倒し、最期には消し去ったそうだ。
おかげで、獣人には1人の魔瘴者も出なかったらしい。
(マジかぁ・・)
美人を前に色々と見栄を張ってしまった俺の純情を返して欲しい。
俺は別の方向でショックを受けていた。
「何とか回復をと手は尽くしたのですが、私達ではどうしようもなく・・」
ヨミが泣きそうな視線を伏せた。
(手を尽くしたって・・あぁぁぁぁ・・あれかっ!?さっきのあれかっ?俺・・こんな美人さんに拭かれてたの?お尻まで・・)
ば・・馬鹿なぁっ!
夢なら醒めてくれ!俺は頭を抱えて転げ回りたい衝動に耐えながら、引き攣れた笑みを浮かべて、そっと視線を逸らした。
今は、忘れる事が(自分への)優しさだから・・・。
「ぁ・・すぐに、着替えを持って参ります」
獣人の美人さんが、俺の意識を現実へ引き戻した。
「はは・・」
最早、どうにも格好がつかない。ばつが悪そうに頭を掻くしか無い。
俺が声を掛ける間も無く、ヨミが天幕の外へ駆け出て行った。
当然と言うべきか、にわかに外が騒がしくなり、聞き覚えのある獣人達の声があがり、わいわいと押し寄せて来た。
(5日ね・・なんだか、危なかったんじゃね?よく生きてたな、俺・・)
安堵の息をつきながら、仰向けに天幕の天井を見上げた。
なんにせよ、青年将校の企みに引っかかって、ここのみんなを危険な目に遭わせたのだ。きちんと詫びなければいけない。そして、まんまと騙されたという黒歴史を早いとこ忘却したい。
ほどなく、畳まれた着替えを抱えたヨミを先頭に、カーリーやレナンなど主立った面々が天幕の中に入ってきた。
寝たままでは格好がつかないので、俺は寝台に起き上がって、みんなに向かって頭を下げた。
「すいませんでしたぁっ!」
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