第9話 魔瘴、再び、三度、四度っ!
知らない間に、俺の株が随分と上がっていた。少し引きそうになるくらい驚くべき高評価である。
理由は、魔瘴を消し去った事だ。
「我々は、あれを呪いの一種だと考えていますが、リュート医師はどうお考えか?」
「さぁ?俺、魔術とか素人だからねぇ」
「指令書には魔瘴を発動させる術式が仕込まれていたはず。魔法陣のようなものは見えましたか?」
「さぁ?咄嗟だったからなぁ・・何か仕込まれていたのは確かだったけど・・」
色々と質問されるが、何しろ夢中だったのでよく分からない。そもそも、魔術の仕組みなども知らない。治癒術も、ほぼ感覚でやっていて体系立てて理論を学んだ訳じゃ無いのだ。
例によって、円座の中央に座らされている。
「質問良いでしょうか?」
静かに座っていたヨミが挙手した。
「どうぞ?」
俺に否は無い。というか、この美人さんには頭が上がらないのだ。
「会議の場で、なぜ指令書を出そうと?」
「俺に49大隊へ行けと命令した将校が、あんた達の蜂起を予想していたんじゃないかって思って。そもそも、やたらと立派な指令書だったし・・なんか違和感あったんだ」
「リュート様は、北軍の総司令部では軍医の手伝いを?」
様って何ですか?人生で初な敬称に背中がぞわぞわします。どうしちゃったんですか?この人達、何を勘違いしちゃってますか?というか、皆の目がおかしいです。もの凄く、熱いです。息苦しいくらいに熱しちゃってます。
「いや、全く何も・・歩兵の訓練で長銃をひたすら担がされただけ」
「なのに、軍医として私達の部隊専属になれと?」
「うん・・乱暴な話だねぇ」
「指令書で魔瘴が溢れる前から何かを見つけたような・・そんな感じでしたが?」
「妙な仕掛けがあって・・ああ、そうだ。こう、術式を書き込んだ紙が何枚も重ねてある感じ」
思い出した。指令書の紙、厚みがあって、やたらと豪華な高級紙のようだった。あれがおかしいのだ。
「術は・・何か切っ掛けが無いと発動しないと思います。何だと思います?」
「・・時間かな・・いや、それだと上手くないね。位置?・・あぁ、軍曹達との距離って事もあるか」
「距離?」
「だって、俺を送り届けたら、軍曹達は帰るでしょ?」
「・・そうですね」
「俺との距離が離れるってことは、俺が獣人の大隊に到着したって事だから・・・」
発動条件としては悪くない。獣人達を魔瘴に巻き込みたいなら、悪くない条件設定だろう。
「しかし、あたし達を魔瘴で狂わせると、前線が崩れるんだけどねぇ。わざわざ敵を増やそうってのかね?」
「我々の反抗を織り込んでいたとしても、我らを魔瘴堕ちをさせると脅威の度合いが増すと思います。討伐の手立てがある・・・何らかの自信が無くては出来ませんね」
「・・それを狙うにしても、北軍の指令部は位置取りが悪いですな。魔物化した我々が帝都へ向かう途中に指令部はあるのですぞ?」
細身ながら鞭のような体躯をした獣人の男が首を傾げる。
「じゃあ、魔瘴が起きたのは偶然?」
俺は、あの時の悪寒を思い出して両手を見つめた。
「規模はどうでしょう?」
それまで黙っていた老婆が言った。
「規模?魔瘴の?」
俺は老婆を見た。老婆とは言うが、若い頃の美しさを面影として色濃く遺している。理知的で温和な雰囲気の女性だ。確か、獣人大隊で祭祀役を担っていると紹介された記憶がある。
「ええ・・リュート様の手元で起きかけた魔瘴・・それを切っ掛けとして、次々に別の魔瘴なり・・何か禍々しい連鎖が起きるはずだった・・という事も考えられます。私達は、魔瘴については無知です。魔物化を起こす呪術のようなもの・・と考えていますが、何か別の事象を引き起こすものかもしれません」
「・・なるほど」
俺は大きく頷いた。確かに、魔瘴が魔物作りの魔術だと思い込むのは危ない。魔物化など、ついでかもしれないのだ。
「そういう事なら・・おれの軍服とか全部燃やしてくれる?」
俺は、ヨミに頼んだ。
「あぁ、薬品も多く持たされたんだよなぁ」
あれを全部破棄するのは、さすがに勿体ないのだが・・・。
「ん・・・いや、全部廃棄だな。心配しながらじゃ、どうせ使えないし・・」
よく考えたら、俺の治療って、そこまで薬品を必要としない。
「では、あの小隊が置いて行った品は全て廃棄します」
「うん・・それから」
俺は傍らに置かれた長銃を見た。ここへ来る道中は軍曹達に護られていたので、まだ一度も撃った事が無いが・・・なにげに一番胡散臭い。
「・・ここのキャンプの端っこで、ちょっとこれを調べてみるよ」
俺は、長銃を掴んで立ち上がった。
「端だと、狙撃がある。ここで良いんじゃないかな?」
レナンが言った。
軍曹の小隊がキャンプを去ったと見せかけて狙撃の機会を窺っている可能性を疑うべきだというのだ。
とは言っても、さすがに何が起こるか判らない物を調べるのだ。キャンプの真ん中とか有り得ないだろう
「護衛に付きます」
ヨミが当然のように言って、俺の後ろへと近づいて座った。
「え?」
「ここで構いません」
美人さんが真顔で言っている。
「いや、危ない・・・かもしれないよ?」
可能性は低いかなって思うけど、万一という事もあるじゃないか。こんな真ん中で魔瘴とか起こしたら、とてもじゃないが、その後の責任を負いかねる。いや、俺1人なら意地でも生き残るつもりだが・・。
「どうぞ、ご存分に」
ヨミが静かな表情で首肯して見せる。
俺は、助けを求めて、カーリーやレナンに目を向けたが、何をどう受け取ったのか、にやりと口元で笑うばかりで助け船を出す気は無いらしい。
「・・だから、もしかして、本当に魔瘴の仕掛けとかあったら危ないって・・」
「ご存分に」
「・・はい」
俺は、あっさりと敗北した。美人さんには弱いのだ。
(まあ、良いって言うんなら、もう知らんし・・)
巻き込んだって俺の責任じゃないよね。皆、了解したんだからね。俺は一切責任取りません、宜しいか?
(さて・・)
これは自慢だが、俺は危険察知の能力が高い。第六感というやつなのか、警邏兵に待ち伏せされている時とか、患者に成りすました囮捜査とか、たれ込みによる宿屋の取り締りとか・・必ず、事前にピンと来るのだ。おかげで、いつだって、ぎりぎりのところを逃れる事が出来たのだ。捕まったのは、酒で前後不覚に酔っ払った時と、徹夜続きで爆睡してしまった時、そしてレナン達の治療で昏睡してしまった時・・この3回だけだ。
(そんなに危険な感じはしないんだけど・・)
長銃を弄くって、分解してゆく。
(・・ぉやぁ?)
ぴりぴりと危険が感じられる。銃身と装填筒と弾倉部の三箇所から危険臭がムンムン・・立ちのぼるようだった。
「駄目だこれ・・」
俺は背後に控える美人さんを振り返った。
途端、三箇所の何処かが発動を開始した。魔瘴が一気に噴き上がる。
いや、それを許す俺では無い。
慌てて長銃に向き直って魔瘴を押さえ込んだ。今度は二度目である。どうやれば良いのか、体が覚えている。
(銃を整備とかしようとしたら発動するとか・・どんだけ陰湿?)
青年将校が黒かと思っていたが、この陰湿さは横にいた副官かもしれない。
(ちょ・・ちょと・・)
懸命に押さえ込む手元で、魔瘴の発動が連鎖していく。
考えたくないが、弾倉に詰め込まれた銃弾一発一発がすべて連続して魔瘴を噴き出しているようなのだ。先に、経験していなければ一瞬で呑み込まれていただろう。
だが、俺はできる男だ。
(ぬぎぃ・・くぬぅぅ・・・ぉおお、かかって来いやぁっ!)
噴き出ようとする魔瘴の黒いモヤ総てを両手の間に押さえ込んでいた。仕掛けたのが、あの青年将校と副官だとすれば負ける訳にはいかない。
(しっかし、凄い力だな、これ・・どうなってんの?)
次々と連鎖して噴出を続ける魔瘴を両手の内に感じながら、俺は呆れかえっていた。すでに、両手の指を交差させてガッチリと組むほどに押さえているのだが、あれだけ大きかった長銃が消え失せて、俺の手の内へと収まってしまっている。
どんな手品だ?訳が分からない。
(分からんけど・・もっ!)
両手の内で暴れ狂っていた魔瘴がわずかに勢いを弱めた頃合いを見計らって、俺は渾身の力で圧し潰した。
瞬間、あの時と同じように、金属が掻き削られるような嫌な音が鳴り響いて、俺の体の中から何かがゴッソリと持って行かれてしまった。
(ぁ・・駄目だわ、これ)
俺は一瞬で意識を飛ばされて昏倒した。
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