第7話 魔瘴、魔瘴、魔瘴っ!
お約束の平手打ちとか、そういうイベント事も無いままに、なぜか許されてしまった俺は微妙な罪悪感を胸に、ヨミという年若い美人さんに連れられて設営された中では一番大きい天幕へと入った。
毛布の上に、色鮮やかな絨毯が敷かれて、獣人達が靴のまま円座に座っている。
あの大女・・レナンや見事な頂を所有しているカーリーの顔もある。他にも昨日治療をした患者が混じっていた。粉砕骨折をしていた大男も座っていた。
ヨミに案内されるまま、俺は円座の中央へと座らされた。
(え?・・・まさかの裁判?昨日の・・ちょっと魔が差しただけのアレで?俺、首とか切られちゃうの?寝落ちしちゃって、ほとんど感触も覚えてないのに?)
俺は、かなりびびっていた。
「えぇ・・と?皆さん・・ご機嫌よう?」
背に滲む汗を感じつつ、できるだけ爽やかな笑顔を作って居並ぶ獣人達を見回す。獣人とは言っても、獣耳が上の方にあることと、尻尾がついているだけで、他は普通の人間と変わらない。その厳しい顔つきを見ただけで、ここに居る者達がただ者では無いことが感じられた。底光りする眼光が射貫くように降り注ぎ、俺の逃走本能は最大値へと上昇した。
「揃ったな」
静まり返る中、初めに声を出したのは、カーリーだった。
どうやら、この集団の中ではかなり偉い人らしい。
「会議を始める前に、ここに連れてきた平人について説明しておこう。あたしが平人をとことん嫌いなのは今更だが・・・この人については例外だ。それを周知徹底するために足を運んで貰った。名をユート・リュート。2日前に軍医として配属されたばかりだが・・すでに、命を救われた者も多かろう?」
カーリーの言葉に、円座の半数以上が膝に手を置いて低頭した。
「なので、ここで我々の目的について軍医殿に説明をしておこうと思う」
(目的?)
俺は、カーリーを見た。
どうやら断罪とかでは無いらしい。
「獣人の間じゃ当たり前の事だが・・今回の騒動は、迷宮が溢れたようなチンケな話じゃあ無い。手法は不明だが、平人の魔術師が招いた災厄だ」
(魔術・・厄災?)
「未だ事情は分かっていないが、その魔術師を我らが祖たる獣人が護っていると・・これは、我らが師父の遺言だ。そして、あたしの部隊は実際にその獣人と遭遇し、戦闘を行っている」
カーリーの言った内容は、すでに居並ぶ獣人達は知っている事らしい。
「その時、奴には魔瘴による変異が認められた。身体の大きさもさることながら、力も凄まじく、銃槍を当てることもままならないほど素早く動いた。しかも、わずかに当たった砲弾は掠り傷も与えられずに弾かれた」
圧倒的だったと言う。
その戦いで、カーリーの部隊は半数を失い、一時的ながら戦線自体が大きく後退することになったらしい。
「ましょうというのは、どんな効果が?」
俺はとりあえず質問してみた。
無視されるかと思ったが、
「普通の雪狼が、魔狼となる。ただの雪原猿が、巨大な猿鬼となる」
答えたのは、レナンだった。
「・・ああ、あれって、そういうのか」
俺は魔獣の姿を思い出しながら唸った。
自然に生きている動物が、魔瘴によって魔獣と化すのだという。瘴気の溜まった地下迷宮での発生が多いとされているが、今回の騒動は平人の魔術師が魔術によって魔瘴を引き起こしているそうだ。
「・・何年も時間をかけて準備されたものだと思う。でないと、各地に同時に発生した事が説明できない」
カーリーの説明が続く。
魔瘴を生み出すための魔導具か、特殊な魔法陣か。
「何かの目的があってやってるのは確実だ。もう帝国は滅茶苦茶だからね。軍部も各地に寸断されて兵站も乱れに乱れてる。動くなら・・・あたし達の国を作るなら今しかない!」
(ほへ?・・国?つくる?・・はあ?)
俺の思考はしばし停止した。
「今のあたし達は、平人のやり方を学び、武器の使い方を識り、軍隊としての戦い方を身につけた。もう平人達の好きなようにはさせないよ!」
カーリーが円座のみんなを見回しながら言った。
「辺境部に、あたしの隊と、レナンの隊を揃えてくれたことに感謝だね。連絡の取れない部隊も多いけど、ここを逃したら、また平人達が好きなようにやる世の中に戻っちまう」
なんだか、色々あったらしい。もう我慢ならんといった感じだ。
俺は首の辺りがヒンヤリとしてきた気がして、円座の中心で小さくなっていた。やっぱり打ち首の流れかもしれん。決起集会の中で、平人を血祭りに・・というやつだろうか。祭壇とかでお腹を切り裂かれちゃうのだろうか。
「この魔瘴騒ぎを起こした奴も、同じような事を狙ってるかもしれないし、もしかしたら帝国の軍部は、あたし達の動きも計算してるかもしれない。でもね・・平人どもの飼い犬よろしく、あっちで戦え、こっちで戦えって使い回されるのは、もううんざりなのさ。あたしも、まったく勝ち目が無いならやらねぇよ。でもさ、今なら、あたしらにも勝ち目があるのさ・・・そうだろ、レナン?」
カーリーに促されて、大女がゆっくりと立ち上がった。身長は優に2メートルを超える。肩幅の広い逆三角形の上体に、筋肉の隆起した腕。腕を彩る無数の傷跡を見るまでも無く、勇敢な兵士なのだろう。
「先発して確かめたんだけど、やっぱり湖の北東部に、私達の祖先が遺した遺跡があったよ。多少、痛んじゃいたけど直せないほどじゃない。龍種が巣くってやがったんで苦労したけど・・そこの軍医さんのおかげで、みんな命拾いできた。戦力減はほとんど無い」
「かつては、あたし達にも国があった。ちゃんと都もあったんだ。それが、湖の都ってわけさ」
「戦争をやるには兵站を整えなくちゃいけない。物資を集積し、分配する拠点が必要になる。その要の場所として、かつての都を使う」
「・・なるほど、天然の冷蔵庫というわけですな」
白髪の小柄な老人が呟くように言った。
「保存できる食料として加工し、均一な容器で運搬を簡便にする。それによって数や量の管理を容易にする・・・背面を狙われない北東部であれば集積地として相応しい」
「だが・・武器はどうする?天候が荒れる中、兵器の工廠など建設可能かな?」
「魔瘴による火薬の変異が散見された。魔獣相手の銃槍は不発となる可能性も高まる。その辺りの研究、検証をしておかなければ・・」
「平人の討伐軍があるとすれば、北軍総司令部からだろう。500の重砲は厄介だぞ。到達距離も精度も高い上に、砲兵連隊は練度も高い」
「一時的には勝利できる。だが、帝国の物量の前に、勝利を維持することは難しいのではないか?こちらは、一度の敗北でたちまち困窮するぞ」
円座の獣人達が、熱心な口調で討論を始めた。
どうやら、そういう場らしい。
カーリーとレナンが火付け役で、後は皆が討論して話を煮詰めるようだ。
(やべぇ・・なんか、俺がやべぇ)
こういうのを聴かされたって事は、もう逃がさないぞって事だ。平人の町へ戻す時には死体ですって流れだ。
(・・まさか、これを見越して、俺を49大隊に押しつけたのか?)
脳裏に青年将校の冷たい表情が浮かぶ。
(獣人が反乱を起こすのを待ってた?)
俺がこの情報を持って帰ることを期待してる?
いやいや、それは無いな。
どう考えても俺は捨て駒です。俺を送り届けた軍曹の小隊に何らかの密命が下っていたのかもしれない。だが、あの小隊は早々に引き上げて行った。何かを成すには数が少なすぎるし、少数精鋭だと言っても、ここの獣人達の方が強者揃いだ。
(すると、今回のは偶然か?運悪く、俺が派遣されただけ?)
あれこれ考えながら、ふと思い出して、俺は上着のポケットから指令書を取り出した。
やたらと上等な紙に、びっしりと書かれた文字・・。
今となってみると、こいつが妙に胡散臭い。
(あぁ・・・やっぱり、ヤバイやつだ)
ちりちりと嫌な気配が滲み始めていた。幾層にも重なった紙の内から何かが蠢き起き出そうとしている。
ようやく気付いた。
俺は、ずっと懐に爆弾を抱えていたのだと・・。
それが何の術式かは判らない。ただ、青年将校から渡された指令書には何かの複合術式が仕組まれていた。
(・・そうかよ、そこまで俺を軽く見やがったか!)
焦りより怒りが勝り、俺はぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
「・・なめるなよ!」
両手に指令書を掴み、まなじりを吊り上げて紙面を睨み付ける。
すでに異変を感じて、円座の獣人達が散開して距離をとっている。その中、ヨミという若い女が静かな足取りで近づいて来て、無言のまま俺の横に座った。
「騙された・・くそっ!」
俺は、吐き捨てるように言った。
黒い霧のようなものが指令書から溢れ出てくる。掴んでいる手に纏わり付きながら、両手から中へ寒気と共に染み込んでくるようだった。
「それが魔瘴」
ヨミという女の声が聞こえる。
「魔瘴でも何でも・・ぶっ潰す!」
俺は真っ黒に塗りつぶされる指令書を睨み付けたまま、身体に侵入してくる寒気と真っ向から対峙していた。
(魔瘴だって?・・はっ、上等じゃねぇか!)
俺の生命力を舐めんじゃねぇぞ!
元々、自分の傷病を治すために治癒を覚えたのだ。ひたすら元気に長生きするために指圧だの按摩だのを見て覚え、ついでにもぐりで医者の真似事をして実地に研修し、寝る間に治癒術の本を読んで、なんとなく術を使えるようになった。
これから輝かしい未来が待っているという時に・・。
紙切れ一枚なんかで、俺のこれからの人生を消し飛ばされてなるものか!
(ふざけんな、ボケがぁぁぁーーーー!)
俺の怒りは最高潮に達した!
絶対に、生き延びて仕返しをしてやる!
あのスカした顔の青年将校と副官まとめて、クソ溜めに放り込んで水芸させてやる!絶対にだっ!
懸命の形相で両手から肩、さらには胸元へと闇色に染められながら、俺は悪寒に総身を震えさせて歯を食いしばって耐えた。何かに引き千切られるようにして意識を持って行かれそうになる。
ここで意識を失えば、俺という自我は消え去る。
それだけは我慢ならないっ!
どれだけの時間が経っただろう。震えながら堪え忍ぶ俺の口元に、小さく笑みが浮かんだ。
掴んだのだ。そうとしか表現が出来ない。
身体を襲う悪寒の根幹を・・。
(捕ったぞ・・クソ将校)
魔瘴だか何だか知らないが、捕まえたら俺の勝ちだ。絶対に逃がさねぇよ?
・・・フゥゥゥ・・
大きく息を吐き出しながら、俺は身体の何処かで掴み取った何かをゆっくりと圧し、俺の身体を犯そうとしていたものを引きずり出す。そのまま、握り集めて圧し潰していくイメージだ。
この時、俺の身体は銀色の光に包まれていたらしい。
だが、当の本人は気付いていない。
ひたすら、魔瘴とやらをいじめ抜いてぶち殺す事しか頭に無かった。
キィィアァァァァァァ・・・
辺りをつんざく甲高い音が響き渡り、再び静けさが戻った時、俺は両手で大きな黒い珠を握りしめていた。そのまま、力の限りを尽くして珠を圧し潰す。耳障りなきしみ音が鳴り続け、ついには黒い珠が何処かへ消えて行った。
(へっ・・ざまぁ!)
勝ち誇った笑みを浮かべ、俺はゆっくりと前のめりに倒れ伏した。
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