第4話 さあ最前線だ

「さて、本来ならば貴様には3ヶ月の教導訓練を実施せねばならぬところだが、戦況がそれを許さぬ」


 ラストン鬼軍曹の教導が始まって2ヶ月が過ぎた時、俺はあの豪奢な建物に呼び出された。


「一通りの訓練課程は修了したと報告を受けている。まあ・・可も無く不可も無くだという報告だが、ラストン軍曹は少々やり過ぎるきらいがある。よくぞ耐えてみせたと褒めるべきだろうな」


「優秀な教導官でした」


 俺はしれっと涼しい顔で頷いた。

 確かに優しい教官では無かった。色々と言いたいことはあったが、そこを軽やかに笑顔で流すのが生き抜く術というものだ。

 伊達に、16年間も独りで生きてきた訳じゃない。


「ほう、あの男を褒めて見せた生徒は貴様が初めてだ。さて・・すでに聞き及んでいるように、最北の戦線に動きがあった」


 動きがあったというより、防塁群を突破されたのだ。警戒線を破られて一部地域は壊滅的な被害が出ているらしい。


「魔獣の大群が、我が陣地内に大規模な浸透を開始している」


 訳すると、"魔獣がそこら中でやりたい放題"である。大隊規模で、魔獣の胃袋へ納まったという噂も聞いた。


「貴様が赴任する予定の、第9北方連隊所属、第49突撃銃槍大隊は北東部に散開している魔獣群を追って展開中だ。良くない報せとして、従軍中の医療班が壊滅し、医師はおろか看護兵すら居らぬ状況下だと言う」


「深刻ですね」


 俺は顔をしかめた。

 まだ大隊として機能しているのかどうか疑わしい。すでに大隊の兵員数は満たしていないだろう。


「うむ」


 青年将校が湯気の立つ白磁のカップを皿ごと手に持ちながら、壁に貼られた地図の前に立った。すぐさま、金髪碧眼の副官が指し棒を手に大股に進み出て地図の脇に立つ。


 いや、こいつらは良いよな。暖かいお茶とか優雅に飲みながら、偉そうな能書き垂れてれば良いんだもんな。危なくなったら、さっさと逃げ出せば良いんだし・・。


「獣人といえども貴重な戦力だ。いたずらに損耗させるようでは、帝都より無能を指摘されかねん」


 この青年将校、常々言葉の端々に獣人への隔意か、蔑視が覗き見える。


「・・敵も獣、味方も獣ですか」


 軽く撫でておくのも、処世術というものだ。


「くくく・・今の発言は記録を免除しておいてやる。以降は慎めよ?」


 気分良さげに青年将校が笑って見せた。


 好評価ポイントゲットだぜ!


「はっ!失礼致しました!」


 俺は大仰に敬礼をして背筋を伸ばした。


「よろしい、貴官は本日この時をもって軍医少尉となる。直ちに出発し、第49突撃銃槍大隊へと合流せよ」


「はっ!」


「副官、大隊の予想位置は?」


 青年将校の言葉を受けて、副官の若者が指し棒で地図上の一点を示した。それなりに大きな湖と流れ出る河が描かれた辺りだ。


「車両は与えられん。だが、騎馬で7日ほどの距離だ。問題無いな?」


「はっ」


 最悪である。車ぐらい出せやと言いたい。


「良い返事だ。護衛にはラストン軍曹の小隊がつく」


「了解であります」


 マジかぁ・・


 車も出せない疲弊ぶりか。もう終わってるじゃないか。

 内心、げんなりとなりつつも、元気よく返答をして俺は指令書を受け取ってから急ぎ足で退室した。通常、こんな任務で指令書など出ないのだが、そもそも俺の取り扱いが"要注意"らしく、すべてに記録と書面による証拠を残すようにしているらしい。


「ラストン軍曹、貧乏くじだな」


 扉を出たところで待ち受けていた怖面の巨漢に皮肉を投げかけつつ、俺は足早に廊下を抜けて兵舎を目指そうとした。


「以前、この館の主だった男が愛人を描かせたものだそうです」


 いきなり言われて、俺は思わず立ち止まって大男を振り返った。


「・・なに?」


「壁の絵です」


 太い指が壁に掛かった絵画を指した。


「あ・・あぁ、調べてくれたのか。なるほど・・お金持ちの愛人さんか。どうりで美人なわけだ」


「曹長・・失礼、少尉殿の好みでありましょうか?」


 ラストン軍曹がにやりと口元を歪める。これで笑っているらしいから恐ろしい。恫喝している犯罪者にしか見えない。


「うむ、実に好みだ」


 俺もにやりと笑う。すぐに元の早足に戻って兵舎を目指した。


「少尉は魔導式の長銃がよろしいでしょう。訓練の物とは威力と射程が大幅に伸びます」


「なるほど、後は拳銃と軍刀。おっと・・薬品類を忘れぬようにしなければな。何をしに来たんだと返品されかねん」


 俺は軽口をたたきつつ、配給券を上着のポケットから取り出した。


「君の隊で使ってくれ。どうせ、この先に配給所はあるまい?」


「・・頂戴します。皆、喜ぶでしょう」


「うん。しかし、医者モドキでも何かしら役には立つものだ。まあ、住む国が無くなるようでは、詐欺をする相手に困るからな。少しは頑張って見せないと」


 実際、このまま魔獣に蹂躙されたら人の世が終わってしまうんじゃないだろうか。俺なりに帝国の受けた被害を考えると、正直、もう詰んでいると言って良い状況だ。隣国の被害も深刻で・・というより、もう人間より魔獣の方が数が多いだろう。


「獣人兵には朗報ですな。銃が撃てる医師が配属されるなど前線では奇跡ですよ」


「ほう?どうせなら、歓迎されたいところだが・・相も変わらず、昼だか夜だか判らん空だな」


 俺は、薄暗い灰色の空を見上げた。


「では、15分後に出発とします。装備品は馬装と共に運ばせておきます」


「了解だ、軍曹」


 互いに敬礼を交わして、俺は兵舎へ入った。


 あてがわれた部屋は1階の奥だ。地の分厚い軍用のロングコートを着込み、最初に貰った綿地の背負い袋を背負う。鉄兜を頭に喉元で止め具を絞める。医療具の入った黒革の鞄はベルトで襷に掛けた。


 それだけで部屋には寝具しか無くなる。

 いや、机の上に、便せんとペン、インク壺があった。


「飯が美味かった。ご馳走様」


 便せんにお礼を書き残して、俺は部屋を出た。

 さよなら寝台。さよなら風の入らない部屋。さよならタダ飯・・。


 兵舎を出たところで、ラストン軍曹を含む小隊員が待っていた。皆、顔見知りだ。


「馬は股と尻がね・・」


 ぶつぶつ言いつつ、自分用に用意された馬に跨がる。訓練で何度も乗っているので、さすがに慣れた。手渡された長銃はズシリと重たく、黒光りする銃身は冷え切っていた。渡された銃剣を腰ベルトへ吊す。

 馬具には大ぶりな麻袋が下げられていて、かなりの薬品類が納まっているらしかった。


「では、軍医少尉」


 馬上、ラストン軍曹に促されて、俺はわざとらしく喉を鳴らした。


「俺の仕事は軍医だ。怪我人の元に送り届けてくれないと仕事にならんからな。道中、よろしく頼むよ」


 俺の言葉に、小隊員がにんまりと笑う。


「配給券の分くらいは働いて見せますよ」


 1人が笑いながら軽口を返した。


「よろしい、これで俺の安全は保障されたわけだ。それでは、北東の湖に居るかもしれない大隊を捜して出発といこう」


 俺は軽く馬の腹へ軍靴の踵を当てた。すぐに馬が歩き始める。


「小隊っ、前進!」


 ラストンの掛け声がして、2騎ずつが左右を、そして前方へラストンが位置取った。


「駆け足!」


 次の号令に合わせて、俺も馬を駆け足へと誘う。

 この辺の呼吸は嫌と言うほど叩き込まれた。


 さて、どうなることやら・・。


 出たとこ勝負だが悪くない。

 俺の予想だが、この先、帝都の方が魔獣による被害が増す。辺境とも言える北部はある程度の被害が出た後、落ち着きを見せるだろう。地下迷宮から溢れ出たとか言っているが、それだけなら魔獣にここまで苦戦しない。軍もとっくに気付いているのだろうが、魔獣を使役している"意志"が存在している。

 下手をすると、3年を待たずに帝国が瓦解して消え去るかもしれない。


 そうなれば、俺の罪は消えて無くなる訳で・・。


 晴れて自由の身か。

 何とも笑える状況だ。


「楽しそうですね」


 併走する小隊員が馬を寄せてきた。


「ああ、軍曹のしごきから解放されると思うと心に翼が生えたようだ」


「ははは、大抵の方がそう仰いますよ」


「感謝すべきだろうな?」


「当然であります。平時の役には立ちませんが・・ね」


 小声で付け足して、小隊員が離れて行った。


 確かに、2ヶ月間で叩き込まれたのは、もっぱら戦闘に関するものばかり。兵士の真似事は出来るようになっていた。おまけに魔術の基礎まで叩き込まれ、俺は治癒術の真似事くらいは出来るようになった。冗談事では無く、感謝するべきだろう。


(配給券で払ったから、チャラで)


 俺は、借りを作らない男だ。

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