第2話 こちら独房、応答せよっ!

 俺は闇の中で独り転がっていた。

 牢獄だ。

 冷たく硬い床の上である。顔に当たるざらついた感触からして、タイルとかじゃない。ちょっと平らな石だ。


 俺をここへ放り込んだ看守は、


「まあ、運が無かったな。ここはもう何十年も使われてねぇんだ。誰も来ねぇよ」


 などと恩情溢れる言葉を残して去って行った。もう何日も前の事のように感じる。

 後ろ手に縛られて、足には鉄球付きの枷。おまけに、左の肩が脱臼したのか、緩んで右へ引っ張られている。全身が痛くて、もうどれが肩の痛みか分からない。


 実は、声を出そうとしたのだが、胸だか腹だかを殴られてから、声を出そうとすると全身が引き攣れるような激痛が走る。恐る恐る、そうっと呼吸をするのが精一杯だった。


 町医者に成りすますのはともかく、軍医として潜り込むのは重罪らしい。本来は死罪に処せられるところだが、命を拾った兵士が多かったことを勘案しての減刑・・。

 刑棒による殴打を加えられた上で、こうして独房に放り込まれたのだった。


 何か寒いし、物音一つしないし・・。


 ああ、何だろこれ・・。


 もう天国に逝っちゃうのかなぁ・・。


 自分で漏らした小便が石床の目を流れて鼻先を通過して行く。その温もりですら有り難い。


(・・って、いやいやいやいや)


 慌てて身をじたばた動かして小便の流れるルートから顔を離す。


 危ない、危ない。


 少し呆けていたようだ。

 俺とした事が・・。


(ええと・・何日経ったかなぁ?)


 3日か?いや、もう少し経ったかな?

 まだ一度も食事を貰って無いよな?軍隊の牢屋は飯抜き?飢え死にの刑とかあるの?

 確かに、生まれて一度たりとも医術の勉強はやったことがない。正確に言うなら、獣医の方は手伝い程度だがやった事があるが、人間の医術はさっぱりだ。

 指圧や按摩を生業とする傍ら、薬っぽいものを適当に調合して売ったり、医者だと名乗って治療をやったりと、確かに少しばかり罪に問われそうな事もやってきた。

 それもこれも喰うためだ。


(概ね・・まあ・・治癒は成功したはずだ)


 多少の失敗事例があって、失踪することで罪を逃れてきたのは事実だ。

 しかし、逆に考えれば、かなりの場合において、治癒に成功しているのだ。これは凄いことではないか?正確に統計をとった訳では無いので、あくまでも自身の所感になるが、失敗事例よりも成功事例の方が圧倒的に多数のはずだ。


 なのに、なぜ牢屋に入れてられているのか?

 むしろ表彰されるべき人材ではないか?

 冷え切った石床の上に、手足を拘束したまま3日も放置とか、いったいどういう刑なのか。


 俺の名前は、ユート・リュート。

 今年で十七歳になる医術界の俊英だ。視力の弱い奴に少しだけ老け顔だと言われたり、初対面で二十代半ばに勘違いされることが多々あるが、まだ十代である。大陸中部の人間としては、背が高く、全体に筋肉質に引き締まっている感じだろうか。これが北部へ行くと、中背で痩せっぽちというポジションになるが・・。


 専門技能は、指圧と按摩。牛馬のお産も得意分野だ。

 治癒術は使えない。医法術も無理だ。ただ、魔素の操作自体は出来る。たぶん、魔力もある。術として顕現させることが苦手なのだ。そう、時々、極たまに奇跡的に成功することもある。なので、治癒術を名乗ったとしても、それは嘘にはならない。お高い魔導具を使えば、案外やれるんじゃないかと確信している。

 

 牢獄に入れられる前、俺は獣人だらけの軍事キャンプで怪我人の治療にあたっていた。軍医だと名乗ってはいない。ただ、勝手に軍医だと間違われただけだ。それなのに、軍医を詐称したという罪に問われている。


 おかしいだろう?

 

(あぁ・・どうして北へ逃げたかなぁ)


 温暖な南へ逃亡していれば、万一捕まっても、こんな寒い思いをせずに済んだはずだ。もしかしたら、気候と同じく、温暖な正確の看守さんが居たかもしれない。一日三度の食事が出されたかも知れない。せめて、手足の拘束くらい外して貰えたかもしれない・・。


(どの辺なのかねぇ?・・北側で戦争?この辺より北に人間の国なんか無いでしょ?)


 だからこそ、北へと逃れて来たというのに・・。

 どこの町へ言っても回状が回され、官憲が追いかけ回してくる。どこと戦争しているのか知らないが、まさかの最前線で逮捕されるとは思わなかった。


 おっと?


 俺は倒れた姿勢のまま微かな緊張で身を固くした。

 耳が石床に着いている関係で、床伝いの音は良く聞こえる。

 硬い靴の音が幾つか近づいて来ていた。久しぶりに感じる、自分以外の気配だ。


(食事?・・にしては、大人数だな)


 ややって、かなり近い場所で足音が止まった。

 閉じた瞼越しに強い光が当てられているのが感じられる。


「生きているのか?」


 潜めた男の声が誰かに向けられたようだ。そろそろ老年といった男のようだ。


「・・辛うじて息はしているようです。徹底した刑棒打による打撃痕が見られますが、なんともしぶとい」


 答える声は若い男のものだった。


「こいつで間違い無いんだな?」


「はい。人相書きとも一致します。帝都で手配の医療詐欺師です」


「・・ふむ。だが・・治療実績はあると?」


「誤診も多いようですが・・まったくの素人では無いようです」


「よろしい。ならば、こいつを軍医として徴発し砦へ派遣しろ。医療がやれる人間は何人いても足りない上、前線に行きたがる医者はおらんからな」


「・・しかし、帝都が認めるかどうか」


「人の治療はやらせんさ」


「それは・・」


「あそこに居るのは獣人ばかりだ」


「・・なるほど、理解しました」


「すぐに帝都に向けて、許可申請をしておけ。獣人専門医として無資格医を現地徴発したと・・ああ、無資格ではまずい。その辺は上手く手配しておけ」


「了解しました」


「獣人兵ども・・あやつらは、権利の主張だけは一人前にしてくるからな。軍規どおりに専属の軍医を貼り付けてやらねば煩くてかなわん」


「よく理解できました。直ちに手はずを整えます」


「うむ、だが・・・こいつは立って歩けるようになるのか?さすがに死にかけを送るわけにはいかんぞ?」


「すぐに治療に当たらせます。まだ三十歳にはなっていないようです。回復もそれなりに早いでしょう」


「よろしい。では後は任せるぞ」


「はっ!・・すぐに運び出して治療所へ連れて行け!」


 男達のやり取りをじっと聴いているだけで、おおよその状況が理解できる。よほど衰弱して見えたのか、ずいぶんと無防備な会話だった。いや、わざと聴かせている可能性もあるのか。


(どっちにしても、手当は受けられそうだな)


 会話の通りなら、軍医扱いで前線送りになりそうだが・・。

 身体さえ無事なら、いつでも逃げ出せる。まずは温和しく回復に努めて、脱出の機を窺うしかない。


「刑棒の殴打痕がこんなに・・よく生きてんな、こいつ」


 ぼそぼそと話し声が聞こえ、台に乗せられて運ばれ始めた。

 未だに、手枷足枷は外されない。


「どうだ?」


 冷徹そうな若い男の声がした。先ほど、初老の男と話していた声だ。


「厳しいですね・・身体が冷え切ってて、たぶん、数日は何も食べてないし・・まあ、毛布も無いまま石牢に転がされていたんじゃ、死んで無い方が不思議なんですがね」


 この辺りは陽が陰るだけでも気温が零下になる。何の暖も無い石牢で、命があるだけでも奇跡だった。


「・・歩けるくらいには回復させろ」


「1ヶ月かかりますよ?」


「2週間だ。場所は旧兵舎の医務室を使え。なるべく、他の兵に見られるな」


「・・まあ、やれるだけはやりますがね」


「杖で歩ける程度で良い」


「了解です」


 簡単なやり取りで、俺の身の上が決められて行く。実に腹立たしいのだが、まあ、牢屋から出られる上に、治療を受けられて、おそらく食事も与えられ、暖かい寝具で眠ることができる。


(・・悪くないね)


 少なくとも、俺を生かしておくという結論に変更無いらしい。命さえあれば、後はどうとでも出来る。これを幸い、思いっきり体力を回復させておかねばなるまい。


(あぁ・・肉食いてぇ)


 板状の台に載せられて運び出されながら、俺はずうっと保っていた意識を手放して久方ぶりの眠りに落ちていった。

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