第4話 共振
父さん側の祖母と四名の兄弟達と折り合いが悪く、辛く当たられることが日常的だった母さんはいつも泣いていた。
幼い時分のことだがその様子は今も鮮明に覚えている。
まだ四歳だった俺と三歳の弟に構うこともできず、祖母達の世話に追われていた。祖父は亡くなっていて、父さんは朝から晩遅くまで働いていたから母さんを助けてくれる人は誰も居なかった。
俺と弟の手を引いて家出しようとしたこともあった。母さんが泣いているのを見ても何もできないことに胸が痛かったのを覚えている。
結局、思いとどまって戻った後、俺は母さんと弟を少しでも守ろうと思い、母さんの手伝いと弟の面倒を見るようになった。
それは幼い俺なりの誇りだったんだ。
やがて父さんの兄弟達もそれぞれ独立して家を出て行った。
我が家は平和になる……はずだったけど、祖母が亡くなりまた母さんの辛い日々が始まった。
わずかばかりの遺産を巡って父さんの兄弟達はあれやこれやと嫌がらせしてきた。もう高校生だった弟はまだしも、年が離れて生まれたまだ小学生の妹は近所に流された、母さんへの根も葉もないデマを聞くたびに泣いていた。
この時は父さんと俺も家族を守ろうと裁判に持ち込んで戦い、遺産相続の争いは落ち着くところに落ち着いた。
まあ、この程度は世間でよくある話だ。
だけど、この時期の母さんは疲れ果てていて、俺にきつく当たることがしばしばあった。
まだガキだった俺はこれまでしてきたことは何のためだったんだ? とふて腐れ、家に居てくれと言う父さんと母さんの頼みを断って東京の大学へ進学すると決めた。俺の意思が変わらないと諦めた父さんは大学進学にかかる費用は出してくれた。
地元に居たくなくて東京へ出ただけだけど、まあ、真面目に勉強し、生活費はバイトと奨学金で賄ったよ。
そこそこの製造業の会社……今の会社に就職して二年目に父さんが自殺した。
深夜、弟が泣きながら電話してきて呆然としたよ。
いろんなトラブルがあったけど、現在はもう落ち着いて生活していると思っていたからね。
父さんの遺体を見た時は、何の感情も湧かなかった。
ベッドに横たわり目を閉じていて……鼻と口に詰められた綿が「ああ父さんは死んでいるんだ」と感じさせた。
母さんも弟と妹も泣いていた。
でも悲しいとか辛いとかまったく感じなかったよ。
そんな俺はなんて冷たい奴だろうと自分で思ったものさ。
葬式までの間ろうそくの番をしているときも全然悲しくなかったよ。
遺体を焼いて骨となったのを見たとき、やっと俺は泣けたんだ。
俺の知らないところで父さんと父さんの兄弟達はまだ争っていたと、葬式を終えたあとに母さんから聞かされた。それで鬱気味になっていたらしいが、通院もしていたし、最近はだいぶ回復しているようで母さんも弟達も安心していたところだったらしい。
俺は父さんの兄弟達を当然のように憎んだ。
葬式で目を合わせるのも嫌だった。
……そして……俺に何も手伝わせず、今更どうしようもない状況を生んだ父さんには嫌悪感をもった。
それから今に至るまで、何をやっても空しい気持ちが俺から離れない。
父さんは父さんなりに頑張ったと、死んだのは病のせいだと理解しているよ。今では父さんへの嫌悪感はかなり薄れてる。でもなくなった訳じゃない。
実家で母さんと話すと父さんのことを悔いている様子がわかる。
そんなとき、父さんへの嫌悪感と一緒に必ず無力感を感じるんだ。
どうしても父さんへの嫌悪感を消せずにいる自分が嫌いだ。
§
「な? ……つまらない話だろ? 」
空になったワインの瓶を見ながら、身体を寄せてくれている瑠美に話し終えた。
「隆平が好きだった子……
俺には何も答えず、いつもの明るい調子とは違う、静かな声で瑠美は話し始めた。
「高校卒業してすぐ結婚して、二年後に離婚したのは話したよね」
「ああ」
「旦那、車で事故って死んだの。その車に
「……」
瑠美の旦那は金遣いも荒く浮気を繰り返していたらしい。
暴力団とも関係しつつあるようで、何度も喧嘩したし、夫婦仲は最悪で離婚しようと考えていたという。
そんな旦那と
旦那のことは自業自得だと割り切れた。
でも、
判らないから、
裏切られたのか?
それとも旦那に巻き込まれただけか?
憎むことも謝罪することもできないまま、苛つきをずっと抱えてきたという。
「家には交換したプレゼントもあるし、どこに行っても
「うん」
「ここ一~二年は
俺と瑠美は身体を寄せ合い時間が過ぎるままでいた。
瑠美の温もりと匂いを感じているうちに癒やされている自分を感じた。
――黙って聞いてくれた。……瑠美も話してくれた。
わだかまっている気持ちが消えたわけじゃない。
でも、瑠美にとても感謝していた。
今日この夜、瑠美が隣に居てくれていることに感謝していたんだ。
「なあ、結婚しようか? 」
自分でも何故結婚を口にしたのか判らなかった。
確かにこの数ヶ月で瑠美への愛情は湧いてきた。
でも結婚しようだなんてまったく考えていなかったんだ。
「どうしようかしら? 」
クスッと笑って、俺の膝に手を置いた。
「俺が言えるのは……ずっとそばに居るし、ずっと味方でいるよ。これだけだけどね」
「何それ。もっと格好いいこと言わないの? でもそうね……約束できることなんてそうはないわよね」
「ダメかな? あ、断ったからって出て行けなんて言わないよ? 」
「いいよ。私もずっと一緒に居る。それだけは約束する」
この日のことを数日後に話したとき、瑠美はこういった。
「なんかね、共振したって感じたの。私と隆平の気持ちが共振して……私達の中にある一人じゃどうにもできない感情が……二人を繋いでくれる音になったって……振動になったって」
「音楽的? そんな表現するとは思わなかったな」
「あら? 言ってなかった? 私ずっとピアノやってたのよ? 」
でも判る。
他人からだけじゃなく自分でもたいしたことじゃないって判ってることなのに、いくら考えても答えなんかでない、解決もしないものなのに囚われてしまうことがある。少なくとも俺はそうだったし、瑠美もそうだったようだ。
その気持ちががどうにかならないと息苦しくて、その息苦しさに振り回されちゃう。
息苦しさからの解放に何が必要だったのかなんて判らない。
気持ちがだいぶ軽くなった今でも判らない。
瑠美が話を聞いてくれたからなのか?
瑠美の言うとおり、お互いに話したことで何か変化が起きたのか?
それは判らない。
……判らないけれど……自分のことなのに判らないことがまた一つ増えたんだけど……
大事なのは、身近に相手が居てくれて良かったって感じたことだ。
瑠美が先に近寄ってきてくれた俺は幸運だった。
あの時素直にそう思えた気がする。
今思うと、そう思えたから結婚を口にできたんだろうな。
年が明けるのを待って籍を入れた。
俺も瑠美も、故郷の面々を呼ばなければならない式をあげようとはまったく思わなかった。
だから写真館で記念写真だけ撮って済ませた。
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