第3話 同居
東京へは当たり前だが俺一人で戻った。
駅からバスで停留所七箇所目にあるマンションは、古いけれど3LDKで瑠美に一つ部屋を渡しても生活に苦労はない。
だが、瑠美が来るのは故郷でのバイトのキリが良いところまでは勤めてからと話し合った。やはり故郷へ戻るとなった際、ケジメをつけておけば戻りやすいからね。
あの日瑠美の話を聞いて、どこか俺と似ているなと感じた。
自意識過剰気味だったり、自分のルックスには自信があるところは全然ちがうけれど、周囲との距離感の取り方みたいなものは同じだなと感じた。
どこにでも誰にでもある話で、みんなは忘れたり気にしないでいられるようになっているようなこと。
あの時は具体的には話してくれなかったけれど、そういった気持ちが瑠美にはあってあの街を出たいのだという。
俺にはその気持ちが判ったから、共感と同情は瑠美に対して感じた。
この時はまだ、俺には瑠美への愛情はまだなかった。
何らかの情はあるけれど、愛情と呼べるものとは感じていない。仲間というか同郷の士程度の感情だった。
だけど、あの街から出たいという気持ちはよく判ったから、東京で生活する手助けはしてもいいと伝えた。俺の反応に瑠美は少し不満そうだったが、同情のような気持ちで付き合うのは嫌だった。
どうせ俺は早朝家を出て、おおかた深夜帰宅する。
俺の家で自由に暮らせばいい。
シェアハウスのようなつもりで生活してくれればいい。
東京でバイトしながら生活基盤を作り、落ち着いたところで瑠美と俺の考えと気持ち次第でその後を考える。瑠美に好きな男ができたら離れたらいいだろう。
この時はこれでいいと考えてた。
―― そして半月後、瑠美は東京へ来た。
§
「へえ、綺麗にしてるんだね? 」
手荷物を持った瑠美は部屋に入り、からかうような口ぶりで言う。
布団が敷かれたパイプベッドと、部屋備え付けのクローゼットしかない白い壁とフローリング。
そりゃあ瑠美が来るまでに可能な限り掃除しておいたんだから、汚いと言われても困る。掃除は苦手だけど、俺なりに念入りに掃除したつもりだ。
洗濯物を干したらせいぜいのベランダへのガラス張りの扉から、まだ強い日差しに照らされた南向きの部屋は明るい。
「ベッドとクローゼットは好きに使ってくれ。あと必要なものがあれば言ってくれ」
部屋を見回し、荷物をクローゼットの前に置き、シングルベッドを瑠美は見る。振り返って俺に不思議そうに聞く。
「隆平はどこに? 」
「隣の部屋だ。この部屋には鍵もつけた……これが鍵だ」
俺は玄関とこの部屋の鍵がついたキーホルダーを瑠美の手に預ける。
キーホルダーは銀の鎖に鍵をつけておくだけのシンプルなもの。
「内鍵も付けたから、外からは入れないようにしておいてくれ」
「……そこまでしなくてもいいのに」
鍵が二つぶらさがるキーホルダーをカジュアルなハンドバッグに瑠美は入れる。
「一緒に寝てもいいのよ? 」
「そういう関係で一緒に暮らすつもりは今のところないよ」
瑠美の口からは当然のことを当然伝えているといった風に言葉が出てきた。
そう言うかもしれないとは思っていた。
だけど、男と女が一つ屋根の下で暮らすからと言って、肉体関係持たなければならないなんてことはないだろう。人によっては不自然と言うのかもしれない。だが、他人がどう思うかなんてどうでもいい。
瑠美は自分の居場所を求めて、故郷から出てきた。
俺との関係も切りやすい形のほうが都合がいいはずだ。
……それに……今の俺が瑠美を抱くのは何か違う気がする。俺は彼女を必要としていないし、瑠美だって故郷から離れて一緒に住む相手が俺でなければならない理由がないはずだ。
そんな俺の気持ちを感じたのか、瑠美は俯いて一つため息をついた。
「……今のところは……ね……いいわ、これで」
―― こうして俺達の新しい生活が始まった。
§
俺と瑠美が一緒に暮らしてから四ヶ月が過ぎた。
十二月になり、街の空気はクリスマスは近いと感じさせる。
実際、あと二日でイブだ。
師走に向けて忙しく移動する会社員の姿。
逆に浮き立つ表情が見える若者達。
今年ほど周囲の様子を感じた年はなかったかもしれないな。
毎年、クリスマスだからといって特に何かをするわけではない。親しい間でイベントするきっかけに過ぎないし、イベントの空気にかこつけてお金が動かそうという経済の動きに付き合う必要も感じてなかった。
俺にとってクリスマスとはその程度のイベントだった。
でも今年は瑠美が居る。
相変わらず一つのベッドで過ごすことはないけれど、毎日身近で過ごしている相手が居る。
大学時代に一つ年下の女の子と付き合っていた時にはクリスマスは彼女に対する義務を果たす日だった。自分でも多少は楽しんだとは思うけれど、どちらかと言えば、やらなきゃならないからイベントを組み、楽しまなければならないから楽しんだ……そんな感じだった。
あの日峠のそばの海岸で、自分の中にぽっかりとした空間が空いていると瑠美は言った。それを埋めたいと言っていた。
故郷に居ては空いた空間ばかりが目に入ってどうしようもなく辛いとも言っていた。
何故空いたのかとか、何故埋めたいのかとか、それは教えてくれなかった。 けれど、うまく言葉にできないことは誰にでもある。
俺にもあるから無理に聞こうとも思わなかった。
ただ、俺がそうだったように、あそこから離れてみて判ることがある。
それは納得なのか、発見なのか、諦めなのか、何かしらが判る。
瑠美にはそれが必要なんだろうと感じたから協力した。
これまでの数ヶ月で瑠美の中に何かの発見や変化があったかは判らない。
でも、彼女と過ごして、俺自身も忘れていた想いを思い出させて貰った。
それは俺がずっと見ないように、見ても気づかないように、そしてできることなら忘れてしまいたいことだった。
孤独。
大きなくくりではそう言える。
だけど、孤独とは微妙に違う感覚。
その感覚と、その感覚を強く感じていた時期を瑠美と過ごす間に思い出した。
彼女と一緒に居なければ思い出すことはなかった感覚。
今更どうにもならないし、辛くなるからあまり向き合いたくない感覚。
――やはり彼女とは分かれて生きるべきか
これまでの数ヶ月間にそう思ったこともある。
でも俺の中で「逃げちゃいけない」という声も聞こえていた。
何から逃げようとしていたのかは判らないけれど、何かしら一つの結果が出るまでは一緒に居る必要があると感じていたんだ。
瑠璃と過ごすクリスマス。
この機に俺自身と瑠美にもっと向き合ってみよう。
もしかしたら、俺も消すことができるのかもしれない。
……澱のように心の底に沈んでいた孤独に似たこの感情を……。
§
社会人になって始めて、病欠以外の理由で有休をとり、イブから仕事始めまでの連休をとった。別に帰省するつもりも旅行に行く予定もない。でももしかしたら必要になるかもしれないと思ったんだ。
イブの日、俺は瑠美と一緒に駅前でケーキと食材を買い、一緒に料理を作り、夕食後にはワインを嗜んだ。
片付けを終えたあと、TVで流れる独身視聴者相手のお笑い番組を二人で見ていた。瑠美は笑い、俺は彼女の笑顔に喜んだ。
テーブルに二本目のワインとグラスを置き、ソファに二人並んでいた。
「ありがとう」
急に身体を預けてきて瑠美はつぶやいた。
「どうした? 」
「ううん、別に。でも嬉しいから……」
腕に伝わる温もりが心地良い。
「瑠美は埋まったのか? ……その……空間ってのがさ……」
「……まだ……」
「そうか、ま、焦らずにな……」
今ではささやかながらも彼女への愛情はある。
この愛しき人がそばに居てくれる今が続いて欲しいと感じている。
「このまま居てもいいの? 」
「ああ、構わないよ」
返事を聞くと、身体を離して俺の顔をのぞき込むように瑠美は見た。
その表情は母親に質問する子供のようだと感じた。
「どうして? 」
「ん、俺も消せるかもしれないから……かな……」
なんだろう。
今夜はどんなことでも瑠美になら話していいかなと思ってる。
クリスマスイブの効果?
それともしばらくぶりに飲んだワインのせいだろうか?
まあ理由は何でも良い。
「何を? 」
「上手く言えないけど……寂しい……みたいな気持ちかな」
もどかしいが寂しいとしか言葉にできない。
瑠美が居なくなったら寂しいと感じるだろう。
でも俺の中に沈んでる感情は寂しいとは少し違う。
「隆平は自分のこと話さないよね? 」
「面白くない話しかできないからな」
「私は聞きたいよ? 」
「面白くもない、くだらない話なのに? 」
「うん、何でも聞きたいな」
他の日だったら絶対に話さないだろう。
瑠美以外の相手になら話してみようとすら思わない。
俺を見る瑠美の黒い瞳を覗いているうちに、話さなきゃとすら思えてきた。
「何が聞きたい? 」
瑠美はテーブルの上からリモコンを手に取りTVの電源を落とした。
今まで著名な芸人の顔が画面から消え、音声もなくなり、ちょっとした緊張感が部屋に漂った気がした。
「せっかくだから誰にも話したことない話がいいな」
「……いいけど……本当につまらないし、くだらないことだよ? 」
肩までの黒髪……以前はやや明るめに染めていた……を俺の胸に当てる。
「いいの。そのつまらないことを聞きたいのよ」
誰にも話したことがないこと……
瑠美に聞いて欲しいこと……
呆れられるかもしれないな……
……だけど
―― 今日を逃したら、きっと二度と誰にも話すことはない、俺のたわいもないつまらない話を話すことにした。
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