第2話 ドライブ
翌日の午前中、母さんと共に父さんの墓参りへ行く。
帰宅途中、交差点で信号待ちしているタクシーの中から昨夜出会った相沢瑠美の姿を見かけた。
昨夜と違い化粧は薄く服装もカジュアルだが人目をひく美人だった。
――何の縁があるんだか……。ま、狭い地元だしな。
彼女は同年代の男性と幼い子供と一緒に買い物帰りの様子だった。
特に関心がなかったから聞かなかったが、彼女は既婚なのだろう。
白いシャツにデニム姿で四歳くらいの子供と手を繋いで歩く姿は母親にしか見えない。
楽しそうな笑顔で、幸せそうにも見えた。
信号が変わりタクシーが動き出す。
彼女がこちらを見て、一瞬目が合ったように感じた。
だけど俺は彼女の姿を追うことはなかった。
§
帰宅後、冷やし中華を母さんと一緒に食べ、その後、俺は自室のベッドに寝転んで本を読んでいた。
大学から東京へ出ていたから、ここには高校時代の残り香がある。
たまに帰ってきても部屋をいじらなかったから当時のままだ。
机の横にある本棚から手に取った本も当時好きだったフィッツジェラルドの短編集。
大人ぶって世の中を判ったような気になって読んでいたな。
―― じゃあ、今は判ってるのか?
―― さあね。
ベッド横に閉じた文庫本を置き、天井見ながらとりとめもないことを考える。多少は経験したから漠然と社会や人間関係なんてこんなものだと考えるけれど、これだって後十年後には異なる考えをしているのかもしれない。
確かなことも変わらないものも無いんだ。
まあ、細々と生活しながら将来に備えるだけだ。
いたって凡人の俺にそれ以外に何ができる……。
いずれ誰かと結婚するのかも判らない。
子供を持つかだって判らない。
刹那的に生きようと思ってはいないけれど、場当たりで生活するしかないこともある。そんなこと誰だって判る。
故郷の街並みも住む人達も変わった。
家の修繕や道路拡張、区画整理などなどで時の流れに沿って変わっていく。
望まなくても変わらないわけにはいかない。
変わらないで居て欲しいと思う人は居るだろう。
でも受け入れなければならない変化の中で諦めていく。
傷つかないように、辛くないように変化を受け入れる。
泣こうが喚こうが変わってしまうモノは変わってしまう。
変わったからこそ判るものもある.
変わったからこそ美しく残るものもある。
だから、変わってしまったことを嘆いていてはいけない。
その程度のことは判るくらいには子供から脱したとは思う。
それが良いことか悪いことかは判らないけれど……。
数年ぶりに帰省し、変わらない空間に違和感を感じたせいか変に感傷的な自分を感じながら時間を潰していた。フィッツジェラルドの作品に漂う退廃的な空気に影響されたのかもしれない。
ただ時間を潰しているだけのその時、枕元のスマホに呼ばれた。
着信表示には相沢瑠美の文字。
――今夜も客として来いってことかな? 客になれるのは今日と明日だけだからな……。
「はい」
「さっきタクシーに乗ってたでしょ? 」
――ああ、目が合ったときに気づいていたのか。
あっけらかんとした調子……だけど艶のある声で指摘してきた。
「ああ」
「男と子供と一緒に居たからヤキモチ妬いた? 」
「はあ? どうして俺が」
「あれは弟と弟の子供よ」
俺の疑問に答える気はないらしい。
「いや、それはどうでもいいんだけど」
「やせ我慢しちゃって。それでこれから時間ある? 」
あまりにも自分のペースで話しを進めるものだからおかしくなってしまった。
「はははっ、ああ暇だよ」
「じゃあ、ドライブに付き合ってくれない? 」
「ドライブ? 」
「そう。高校時代あなたが乗り降りしていたバス停のところまで来てちょうだい。これから迎えにいくから……十五分くらいで着くわ」
一方的に話して通話は切れた。
―― 一人で居ても碌なこと考えないような気がする。……ドライブもいいか……
ベッドから起き、紺のサマージャケットを腕にかけて「出かけてくる」と母さんに一声かける。
「遅くなるの? 」
「昔なじみと会ってくるから。晩飯も外で済ませてくる」
そのまま玄関でスニーカーを履いた。
§
「どこへ行くんだ? 」
助手席に乗せられ、国道を北側海岸線に向けて車を走らせる瑠美に訊く。
「そうね。特に目的地はないけど……海岸方面に出てそのまま峠近くまで走ろうかしら」
ワゴンタイプの軽自動車を瑠美は、同乗する俺に不安を抱かせずに運転しながら答えた。
「ほんとにドライブがしたかったんだな」
「ええ、時々無性にこの街から外へ出たくなるの。いつもは一人で走るんだけど、今日は隆平に付き合ってもらおうと思って」
しかし、困ったな。
ドライブに付き合うのは構わないんだが、瑠美と話すことが思いつかない。 考えてみると、共通の話題は瑠美と同じスナックで働く幼なじみの立花裕美のことしかない。
でも、女性とのドライブで他の女性の話題というのもなあ。
話題が見つからないまま過ぎていく、海岸線の景色を眺めていると瑠美から話かけてきた。
「ごめんね」
「ん? 急にどうした? 」
「隆平が好きだったのは私じゃなくて玲奈だったんでしょ? 」
それはそうだが、今更どちらでもいいことだ。
この時の瑠美の表情には陰りがあるように見えた。
「…………昨夜も話したようにはっきりと覚えてないんだ」
「……嘘つき……」
女性の勘という奴はこういう時本当に侮れない。
俺は黙っていることしかできなかった。
「でもいいわ、許してあげる。こうして付き合ってくれてるんだもの」
瑠美は運転に集中するかのように無言になった。
この空気の中、たわいの無い話でもしたら何かを誤魔化そうとしていると受け取られそうで、それが嫌で口を開けずにいた。
カーステレオから流れるアイドルの明るくノリの良い歌が、二人無言でいる車内の空気を白々しく感じさせた。
三十分ほどもそのまま走っただろうか、峠へ続く坂がはっきりと見えてきた。
瑠美は坂前の小道を左折し、海岸にある埠頭前で停車する。
エンジンを切って、シートを瑠美は倒した。
俺は窓を開けようとドアにあるスイッチを押す。
「隆平は私のこと苦手? 」
窓の外に顔を向けている俺の背中から瑠美の声が聞こえた。
俺はゆっくり振り向いて
「苦手ならドライブに付き合ったりしないさ」
「じゃあ、好きになれそうなタイプ? 」
俺を見る目は真剣だったし、表情もどこか寂しそうだった。
「どうしてそんなことを? 」
「もし好きになれそうと思ってくれるなら……」
「……」
「私をこの街から連れ出してくれないかなと……」
ああ、なるほど。
何となく判った。
少しでも早く、少しでも遠くへ、この街から出たかったから……理由は判らないけれど今の瑠美に感じる寂しさが判るような気がした。
「どうして俺に? 」
「昨夜、仕事の話をしているとき、隆平の表情が素敵だと思ったの……愚痴もいっぱい話してたけどね。でも、お客さんが喜んでくれた時の嬉しさを話す隆平は素敵だった」
「……そうか? 」
自慢じゃないが、物心ついてから学業と仕事以外で褒められたことはほとんどない。
褒めてくれたのは大学時代の彼女くらいだ。
お堅いわけじゃないけど真面目よね。
優しいよね。
目が大きくて羨ましい。
もう少しだけ背があるといいわ。
締まった口元は気に入ってる。
その低めの声でもっと歌ってくれると嬉しい。
彼女はそう言ってくれたけど、俺は自分のことはあまり好きじゃない。
だから褒められると嬉しいより恥ずかしい気持ちが正直強かった。
「うん。ああ、この人こういう表情するんだって、この街の人では見たことのない表情するんだって……」
「それだけで? 」
表情や態度が瑠美にとって好ましかったとしても、それだけで俺と一緒にこの街を出るという決断は理解しにくい。
「ううん、隆平は玲奈のことが好きだったんだって判ったとき、胸が辛かった……。ああ、隆平が私を好きなんじゃなかった、私が隆平が好きだったんだって判ったの」
「十年以上も昔のことだろ? 」
真剣に気持ちを伝えようとしてくれる瑠美の黒い瞳が、俺の胸に何かを刻もうとしている。熱のこもった口調が助けを訴えているように感じる。
「そう。昔のことね……。でも……取り戻せるんじゃないかって……」
「何を? 」
「私。そして私と隆平」
瑠美が自分自身を取り戻せるんじゃないかと考えたのは俺にも判る。
俺自身がこの街にいたら自分を失うと感じてたから。
だけど、俺と瑠美を取り戻すというのは……。
考えてる間も瑠美は俺から目を離さずにいた。俺もシートから身体を起こしている瑠美から目を離さなかった。
俺からの返事を待ち、俺の心の動きを掴もうとする空気が瑠美から伝わってきた。
「だが、昔も今も俺のことを知らないだろう? 」
「少しは聞いたわ。裕美ちゃんにね」
裕美なら俺のことは多少は判るだろう。
昨夜俺が帰ったあとにでも聞いたのか。
だけど東京へ行ってからの俺は知らないはずだ。
「今の俺は判らないだろう? 」
「そうね。それはこれからになるけど……」
「俺も瑠美のことを知らないしな」
「私のことは何でも話すわ。そうね……」
―― 瑠美はこれまでの自分のことを話し始めた。
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