闇の中から
ヒノキは、ウタコと、一緒に避難したであろう女性を探し、大通りまで戻ってきた。
「…………どこまで行ったんだ?」
周囲を見渡すも、女性はおろか、ウタコさえ見つからなかった。
ヒノキは移動しながら二人を探したが、それらしい姿はなかった。
ヒノキは適当な店に入ると、二人を見たか聞いた。二軒回り、三軒目の店に入る。小豆洗いが店主の饅頭屋だった。
二人の事を聞くと、店主は組合の方に向かったのを見た、確かだと答えた。
ヒノキは礼を言って店の外に出ると、『異物鎮魂組合』の本部に向かって走り出した。
ヒノキが戸を開いて本部の中に入ると、丁度ナツメが受付窓口の奥から出てきた。
「あっヒノキさん! こんばんわ、丁度よかった!」
ナツメは出入り口の前に立つヒノキを見つけると、小走りで近寄った。
「こんばんわ、ナツメちゃん。えっと、ウタコがここに向かったって聞いたんだけど?」
「あ、はい。若い女性と一緒に来られたのですけど、女性が怯えきってて……、ヒノキさんも来たって事は、何かあったんですね?」
ナツメが真剣になって聞いた。
「……うん、まあ。理由はわからないけど、五体のゴキカブリから逃げてた」
「えっ、ゴキカブリですか……? でも、まだ夏には……」
「うん、なってない。でもウタコと二人で確かに見た。……とりあえず、襲われてた理由を聞きたいから、案内してもらってもいいかな?」
「はい……!」
ヒノキはナツメに連れられて、普段は職員以外立ち入り禁止となっている戸の先にある廊下を歩いていた。
話す事がなくなり、暫く無言で歩くと、ナツメが立ち止まった。
「こちらです」
ナツメはそう言うと、戸をそっと開いた。
部屋の中は四畳半程の広さで、床には畳が敷かれていた。ウタコとゴキカブリから逃げていた女性が座っていた。
「
ウタコが片膝立ちになりながら聞いた。
「ん、大丈夫。全部斬り伏せた」
ヒノキは軽く頷きながら女性を見た。女性はヒノキを睨み付けていたが、完全に怯えていた。
「……あの」
ヒノキが女性に話しかけると、女性はビクリと体を震わせた。座ったまま後ずさる。
「……もう大丈夫です。ゴキカブリ……あの五体の異物は、全部俺が斬りましたから」
「…………」
女性はヒノキを見て、ややあってから、
「…………本当、ですか?」
蚊の鳴くような声で聞いた。
「はい、本当です」
ヒノキは、はっきりと答えた。
ヒノキの言葉を聞いて、女性は糸が切れたように脱力した。側にいるウタコが慌てて支える。
「あの……、申し訳ないのですけど、どうしてゴキカブリに襲われていたのか、話して頂いても……?」
女性は暫く考えてから、
「わかりました」
決意を秘めた表情になり、事の顛末を話し始めた。
日が落ちて暫くしてから、女性は日頃の鬱憤を晴らすために酒屋で飲み歩いていた。何軒回ったかは、正直覚えていないと答える程に飲み、呑まれていた。
女性は散々飲み続けてから、帰路についた。ゴキカブリに襲われた場所は、家へ続く道だった。
浮わついた気分と足取りで歩いていると、暗がりの中に、闇が凝縮されたような巨大な塊が浮かんでいた。
邪魔だと思いながらそれを見ていると、塊が五つに分裂して、それぞれゴキカブリに変貌を遂げた。
女性は一気に酔いが醒めて、振り返って逃げ出し、二人とすれ違った。それを無視して、脇目もふらずに走った。
女性を家まで送ってから、ヒノキとウタコは自宅に戻った。
二人がもう一度『安寧風土記』を引っ張り出し、ゴキカブリの項目を読んだ。目当ての情報がなかったので、他の項目を読み込む。
全ての項目を読み終えて、二人は溜め息をついた。
「……載ってませんでしたね」
ウタコが気落ちした様子で言った。
「なかったな……。『異物が出現する理由と前触れ』みたいな記述」
ヒノキはそう言って、首を傾げる。
「何百年も異物の調査と退治を続けてたご先祖様でも、異物が出現する理由と前触れまでは解らなかったって事ですか……?」
「……わからない。もしかしたら口伝の部分があったのかもしれないけど……、もう、わからないよ」
そう言うと、ヒノキは俯いた。
「じ、じゃあ、もしかしたらあの女の人が見た黒い塊が前触れなのでは?」
ウタコが取り繕うように言ったが、
「彼女の記憶が混乱してなければそうなるけど……駄目だな、わからない」
ヒノキは俯いたまま首を振った。
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