出現

 ヒノキはウタコを連れて少し古ぼけた自宅に戻ると、早足に移動し、床の間の前に座った。バケガニ退治の報酬が入った箱を脇に置いて、備え付けられた引き戸を開けた。幾つかの箱を引っ張り出して、一際高級そうに見える箱を、打って変わって慎重に取り出した。

 ヒノキが慎重に開けた箱の中身は、一冊の古びた本だった。題名は、『安寧風土記』。


「持ってきといて良かったよな、これ……」


 ヒノキはそう言うと、そっと表紙を捲った。


「調べものですか?」


 追い付いたウタコがヒノキに聞いた。


「うん、まあね。『夏の異物』の事」


 ヒノキはそう言って、集中した。

 ウタコは黙ってヒノキの隣に座り、本を覗き込む。

 本には、異物の絵、生態、出現する場所が事細かに書き込まれていた。

 ヒノキが紙を捲り隅々まで読み込み、ウタコもそれに倣う。

 暫くそれが続き、裏表紙に到達した。


「…………なかったですね」


 ウタコがヒノキの横顔を覗き込んだ。


「うん、そうだね。なかった。『夏の異物』が夏……というより蝉が鳴き始めるよりも早く出現するような例外はなかった」


 ヒノキは溜め息混じりに言って、本をそっと箱に戻した。引っ張り出した箱を全て、引き戸の中に戻した。


「あの女将さんは……というか妖怪全体に言える事だけど、彼等は人間よりも情報を大事な武器として見てるからなあ。まずでっち上げなんてする事はない」

「となると……本当に町に『夏の異物』が? でも、何故?」

「…………わからない」


 ヒノキは首を振った。


「わからないから、確かめてみるよ」


 そう言うと、ヒノキは天井を見上げ、何故か悲しそうに笑った。



 その日の真夜中。

 人々は殆ど床に着いていたが、代わりに妖怪達の店にはまだ明かりが点いていて、静かに賑わっていた。


「やっぱり肌寒いな……」


 家から大通りに出たヒノキが、眉をひそめて言った。


「ですね……」


 隣にいるウタコがそれに同意した。


「……あのさ、流石に今回は家にいてもいいんだぞ? 聞き回ってみたけど、どんな異物なのかイマイチわからなかったし……」


 ヒノキは心配そうに言ったが、


「いいえ、私だって、何もかも忘れていても星降ほしふるの守護者の片割れですから」


 ウタコがきっぱりと言い放って、


「『異物あらば、守護者赴き、鎖と歌を持って鎮める』……なんですよね?」

「…………そう、だな」


 ヒノキは諦めたかのように肩をすくめた。


「行こうか」

「はい」


 二人は、点々と明かりが点いている通りに向かって歩き出した。

 様々な店がごった煮のように並ぶ通りを進む。妖怪や、時々紛れている夜更かしをしている人間に『人型の異物』の情報について聞き、ついでに食べ物を買い食いしながら通り抜けた。


「…………有益な情報、なかったですね」


 何かはわからない鳥の串焼きを食べながら、ウタコが息を吐いた。


「そうだね。やっぱりあれだけ人と妖怪がいたら出るものも出ないか」


 ウタコと同じ物を食べながらヒノキが答え、そしてすぐに食べ終えた。


「じゃあ、とりあえず――」


 そこまで言って、突然ヒノキが黙った。表情が険しくなる。


「悲鳴! 源を探して!」

「はい!」


 短く返したウタコもヒノキ同様の表情になり、周囲を見渡す。


「いたっ!」


 ヒノキはそう言うと、持っていた串を投げ捨てて走り出した。ウタコもそれに続く。

 大通りからの明かりでどうにか周囲を認識出来るといった闇の中を、ひた走る。

 走る途中で、女性とすれ違った。女性は、脇目もくれずに走り去っていった。

 女性が来た方向から、人間とも妖怪とも違う、無理矢理例えるならばゴキブリが直立したような異形の怪物が姿を見せた。その数、五体。


「うわ……」


 その姿を見たウタコが絶句した。


「ゴキカブリか……」


 夜闇を流れる風のような冷たい口調で、ヒノキが言った。

 怪物――ゴキカブリは二人を見るや否や擦り切れるような鳴き声を上げ、一斉に走り出した。


「ウタコ、さっきの女の人んとこまで走って!」

「はいっ!」


 ウタコが走っていくのを足音で感じ取りながら、ヒノキは両腰の直刀にそれぞれ手をかける。

 ゴキカブリはヒノキを取り囲むように移動した。

 右端にいたゴキカブリがヒノキに猛烈な速さで飛びかかる。


「しっ!」


 ヒノキは即座に反応し、上半身を捻って飛びかかってきたゴキカブリと向かい合い、右手で抜刀しそのまま横に薙いだ。

 飛びかかってきたゴキカブリの上半身と下半身が分裂した。

 ヒノキは勢いのままに飛んできたゴキカブリの死体を左に飛んで避け、左端にいるゴキカブリの目の前に着地した。そのまま上段斬りを放つ。左端のゴキカブリが縦に割れた。


「……まず二つ」


 ヒノキはそう言うと、左手でもう一振りの刀を抜いて右半身になり、右の刀を中段に、左の刀を下段に構えた。

 三体のゴキカブリは激昂し、三体同時に襲いかかろうと動いた。

 ヒノキは少しも慌てず、左足を軸に回転を始め、


「……ああぁっ!!」


 回転と気合いを込め、左右の刀でゴキカブリの胴体を薙ぎ払った。

 ゴキカブリの動きが止まり、そして、


「…………」


 ヒノキが見ている前で、三体のゴキカブリは九つに分かれ、崩れ落ちた。直後、ゴキカブリの死体は消滅した。

 ヒノキが周囲を見渡すと、残りの二体も跡形もなく消え去っていた。そのまま深い溜め息をつく。


「……夏の異物は刀使えば鎮められるけど、証拠が残らないのがなあ……」


 そうぼやきながら、左右の刀の刀身を見た。何も付いていない。


「さて、合流するか……」


 ヒノキはそう言うと、左右の刀を一度振ってから鞘に納めた。

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