麺屋で聞いた妙な噂
「えーっと、あれ、こっちだったっけか……?」
そう言いながら、ヒノキは道が十字路の手前で立ち止まって左右を確認した。
「…………
ウタコが呆れた様子で言った。
「いや、違うんだウタコ。あの店は術で意図的に『そこにある』って認識を阻害してるんだよ」
「そうなんですか?」
「そうなの。…………お! あったあった。行こう」
ヒノキはそう言うと、右に曲がり、迷いのない足取りで進んだ。ウタコもそれに続く。
暫く進むと、目的の店が二人の左側に現れた。
店の外観は、赤く四角い石で組み上げられているという、町の中でも一際異彩を放つ出で立ちだった。店の名前は外観のどこにもなく、入り口の戸は、全て木材でできていて、中の様子は伺い知れなかった。
ヒノキが戸を左に引くと、あっさりと開いた。ヒノキは、二人並んでも余裕があるように戸を開いた。
「おはようございまーす」
店の中に顔だけを入れて、ヒノキが挨拶をした。
暫くしてから、ようやく返事が聞こえたので、ヒノキは店の中に入った。ウタコも挨拶をして中に入る。
店の中は障子窓が少なく、さらに物珍しいランプから洩れる明かりが橙色のために薄暗く、煉瓦造りの壁と何とも言えない雰囲気も相まって不思議な空間を造り出していた。
二人が暫く待っていると、漸く厨房から出てきたのは、
「ん? なんだ、ヒノキくんとウタコちゃんか。帰ってきたのかい?」
男のような口調で話す、整った顔立ちの長い黒髪の女性だった。
「はい、女将さん。今朝丁度に」
「ただいまです、女将さん」
「今朝って、まだ日が上り始めたばかりだろうに」
二人に女将と呼ばれた女性は、ケラケラと笑った。
「はー……、笑った笑った。おかえりなさい。無事で何より。どうする? 何か食べてくの? 食べてくならちょっと面白い物を思い付いたんだ。食べてくれないかなあ」
女将は期待が籠った瞳を二人に向けた。
二人は顔を見合わせて、
「……それ、また変な食べ物じゃないですよね? 嫌ですよ、こないだのあの、ぐ、ぐ……」
「グソクムシだね」
「そうそれ! ……あれ、完全なゲテモノだったじゃないですか」
「いやあ、アレは私個人としてはとてもおいしかったのだけれどね、如何せん流通してなかった」
女将の物言いに、二人はただただ呆れていた。そんな二人の様子を見て、女将は微笑み、
「大丈夫、今回は麺類なんだ。食べてみたけど、おいしかった。保証するよ」
「…………」「…………」
二人は少しの間考えて、
「じゃあ……それで」
「私もお願いします」
女将の提案に乗った。
「ありがとう。じゃあ、適当に座って待ってて」
そう言うと、女将は厨房に引っ込んだ。
少しして、湯気が沸き立つ丼が二つ、盛場の席に座るウタコとヒノキの順に運ばれてきた。
「……あの、何です、これ?」「……これは何ですか?」
女将を見ながら、二人がそれぞれに聞いた。
丼の中は醤油のつゆが満たされ、その中に、幾つかの具と、見た事のない薄黄色の麺が入っていた。
「小麦麺っていう、海の向こうの国で食べられている麺を参考に作った麺だよ」
「小麦粉を」
「そそ、食べてみて」
二人は怪訝な表情になりながら箸を手に取り、『小麦麺』を三、四本持ち上げ、少し麺を見てから啜った。
何度か咀嚼して、
「……変わった食感ですね」
ウタコが短く感想を述べた。
「このまま出すなら、蕎麦のがいいかな……」
ヒノキは微妙な表情になった。
「むう……、駄目か。おいしいと思うんだけどなあ」
女将ががっかりして言った。
「いや、もうちょっと何か足せばいいとは思うんですけどね。麺自体は好きです――」
「何だって!? ヒノキくん、それは本当かい!?」
女将は鼻息を荒くしてヒノキに顔を寄せた。
「ち、近いです、近いです」
「あ、すまない」
女将が顔を離してから、ヒノキは話し始める。
「蕎麦とかうどんに使うようなつゆじゃなくて、何か足す、とかすればいいと思いますよ。肝心の何かがわからないんですけどね」
「成程……二人共、試食に付き合ってくれてありがとう。商品として出せるように工夫してみるよ」
二人が小麦麺を食べ終えて暫く経った頃。
「そういえばさあ」
不意に、女将が油揚げの匂いがする奇妙な煙草を詰めた煙管をくゆらせながら口を開いた。
「どうかしたのですか?」
ウタコが先に反応した。
「いや、君達二人はこないだまで町から離れてたから知らないだろうけど……、最近妙な噂が流れていてね。何でも、この町で、最近夜な夜な人型の異物が出没するって話だそうだ」
それを聞いた瞬間、ヒノキの目つきが鋭くなった。
「人型……? 兄様、『夏の異物』が出現するには少し早くないですか?」
ウタコは首を傾げた。
「…………ああ、まだ初夏だ。奴等が出てくるのは真夏になってからだ」
ヒノキは答えて、続きを促すように女将を見やる。
「うん、それは勿論承知しているよ。だけど、人間妖怪関係なく、沢山襲われたというんだ。うちに来たお客だけでも、五人。変な意味にとられるかもだけど、皆よく生き延びてくれたよ」
女将はそう言って煙管で煙草を吸い、ゆっくりと吐いた。油揚げの匂いが店内に充満する。
「これは確かな筋だよ。君達も知ってるだろうけど、妖怪は人間よりも情報を重んじる種族だ。九尾の化け狐の名を掛けてもいい」
化け狐の女将は、それまで見せなかった真剣な表情で言った。
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