第3話
「あれ、佐藤先生じゃないですか?」
僕が夕暮れ時にあてどなくそのあたりを歩いていると、
ランドセルを背負った少女に話しかけられた。
ついにロリコンになってしまったか、と心配しないで欲しい。
真実とは得てして単純なもの、
彼女は僕がバイトしている塾の生徒である。
「佐藤先生、ですよね?」
そして僕が問いかけを一度無視したのは、
彼女がとても失礼なことをしているからだ。
「……君が誰の事を佐藤先生と思っているかは知らないが、
とりあえず僕の名字は佐藤じゃない」
「知ってます、勘で適当に言いました」
「適当だったのか」
「先生ってなんか影薄くて名前が分からないんです」
さらっとひどい事を言う。
「……もう結構長い間お前の担当をしてるはずなんだけど。
いいか、僕の名前は」
と、名乗ろうとするとそれを右手を前に出して、
歌舞伎のようなポーズでさえぎる我が生徒。
「いえ、教えてくれなくてもいいです。
次の塾で先生の名前が呼ばれる瞬間を逃さぬようにし、
その時にバッチリ記憶してみせます!」
実はコイツ、前に会ったときにも僕の名前を忘れていた。
その時にも同じことを言われたような……。
「いや、そんな事しなくても、普通に今聞いて覚えろよ」
「それだとなんか負けた気分になるんです」
「お前は何と戦っている」
「そんなに教えたいなら、かくなる上は、
教えられてしまう前に当ててやります。
このミジンコ男!」
「もはやHNとかの領域だろそれ!」
「それはあなたです!」
「小学生のくせに詳しいな!」
まさか、小学生にもはやってるのか、twitterって。
「ところで加藤さん」
「加藤でもない」
「なんだか浮かない顔をしていますが、
何かあったのですか?」
「妙なところ鋭いな」
「私の目には人の欝度が数字として出てくるのです」
……コイツは死神の目でも持っているのか?
それとも現代版のスカウターなのか?
「いやあ、最近彼女とうまくいってなくてさ。
なんだか突然距離が開いてしまったような気分なんだ。
その上、特に原因も分からないから性質が悪くて」
「マジですか! ちょっと待ってください!」
彼女は突然携帯電話(生意気にもiPhoneである)を取り出した。
「はい、終わりました!」
「何をしたんだ何を」
そして、iPhoneの画面を見せ付けてくる彼女。
【対してイケメンでもないのに運だけで可愛い彼女と
付き合ってた先輩が別れそうでメシウマなう】
僕はその悪意に満ちた140字を目の当たりにして、
初心な少年少女に対するインターネットの悪影響と、
その規制を真剣に考えた。
「ちょっと待てよ」
「はい、なんですか?」
「お前小学生だろ、ついったーは13歳以上からだから、
使っちゃ駄目じゃないのか?」
「先生、私は見た目小学生に見えますけど、
実は18歳なのです。非実在青少女という奴ですよ」
誰かが「キリッ」って言ったのが聞こえた気がした。空耳だ。
「いや、むしろ非実在青少女だったらアウトなんじゃ?
じゃあだいたい、なんでランドセル背負ってるんだ」
「趣味という設定になってます」
「いやな世界観だな!」
「先生は彼女のどこが好きなんですか?」
そして突然話の流れをもとに戻そうとする彼女であった。
我が生徒ながら、人の話を聞いてないことには定評がある。
算数の問題を解きながら突然、
「国語の先生の顔がカビゴンに似てて
笑いを堪えるのに必死です」
とか言い出すのだから僕が笑いを堪えるのに必死だった。
しかし、大抵の女の子は話が筋道だっていないというのも、
僕の経験からすればまた確かなのだけど。
(しかも大抵、本人に不条理に
話を飛ばしている自覚はなかったりする)
「可愛いところ、ちょっと斜に構えてるところ、
意外とロマンチストなところ」
と言うと、彼女は「チッ、考えてやがったか」
という顔をした。
「じゃあ先生は彼女にどこを好かれて、
付き合う事に至ったのだとと思いますか?」
「うーん、顔がわりと許斐だったとか言われたような」
おっと変換ミスだ。好み、な。
「この腐れナルシストが!」
許斐先生のことか!
許斐先生のことなのか!
「そんなんでよく、彼女様から内定が出ましたね。
この不景気で同じ事したら絶対に無理ですよ」
「就職活動みたいな事言いやがって」
「面接は人事との商談なのですよ。
貴方は彼女の三つが大好き、
彼女はあなたの顔がそこそこ好き、
あきらかに釣り合ってません、それは内定も取り消されます」
なんだか泣きたくなってきた。
「なんでそんなに就職活動に詳しいんだよ」
「毎日就職活動関連で死にたいって言ってる、
twitterのフォロワーから学びました」
「教育に悪いから今すぐリムーブしろ!」
「しょうがないですねえ……先生を助けましょう」
「ん?」
「私から宿題を出しましょう、
次の塾までに解いてきてください」
妙に得意げな彼女である。
いつも宿題を出される側だから、
宿題を出す側になって嬉しいのだろう。
「彼女は先生のどこが好きだったのか、
最低三つ挙げてくる事!
じゃあ先生、また土曜日に!」
そう言うと、彼女は満足げにランドセルを背負って、
道の向こうまで駆け出していった。
なるほど、小学生にしてはよく考えている。
僕が彼女と付き合えたのは、
その時にお互いの好きが釣り合っていたからで、
今うまくいっていないのは、
その釣り合いが壊れたからなのかもしれない。
当時僕が持っていた「彼女が僕を好きになる要素三つ」を
思い出せば、今何が欠けてしまったのかも
分かるのかもしれない。
真実は、うんざりするほどに単純な算数、か。
僕は夕暮れ時の道を家とは反対方向に歩き出した。
もう少しぶらぶらしてみよう。
そうすれば、答えが見つかるかもしれない。
馬鹿みたいに単純で、ありふれた答えが。
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