第24話 決定打

強烈な西日に目を覚ます。茶色の天井がそこにはあって、自分の家だとすぐに分かった。起きて暫くは、ただ昼寝していたものだと思ってしまった。

 首を曲げる。はっきりしていく意識の中、喧しい喋り声が耳に届きだしたのだ。そちらに向くため顔を動かすと、その時うわーっと歓声が上がった。


「いぇーいざまーみなさいラルス! 『パソコンに味噌汁をぶちまけ壊した。新品を買う。八万円払う』だってさ、ふへへッ!」

「はいラルスさんざんね~~~ん、四千円しか持ってないから、はいこれ、約束手形」

「ん? なんだモミジ、何でラルスに二万円を何枚も? 人情か?」

「違いますよ。あれは借金です。ぷっ。ラルスさんは借金をしちゃったんです。ぷぷっ」

「ロロ……堪えるんなら、堪えてくれ」


 プエラ、モミジ、フラーマ、ロロが一斉に爆笑した。

 布団の上。俺は上体を起こし、精一杯の白けた目でこのバカ騒ぎを見つめてやった。一枚の大きめな盤を囲み、ルーレットを回して出たコマの数、棒人間を乗せた小さな車で道を沿って進んでいく。この三人と二匹は、人生ゲームをやっている。

 しばらく眺めていたが、「さあ給料日に行ってやるわよ!」と意気込んでルーレットに手を伸ばすプエラを見て、俺はようやく諦めた。ゴホンと一つ咳払いする。


 全員向いてほしかったのだが、向いてくれたのはラルスとロロだけだった。酷い。


 ラルスとロロは「「あっ」」と声を揃えて、その声に気付き、残りの奴らもこっちを向いた。そして、さすが肉親。モミジはバット立ち上がってくれた。


「お兄ちゃん! やっと起きた!!」


 と叫び、俺の傍に駆け寄って、ぺたんと座る。心配げな表情で俺の顔を覗き込んでくれる。


「大丈夫なん? どこも痛くない?」


 そう訊いてくれる妹に、俺は全力の笑顔で頷いた。やっとこの部屋での存在を認識された思いで、少し安心しながら訊き返す。


「すまん。ここに来るまでの記憶がない。お前らがいつから人生ゲームでハッスルしてたんかも分からん。いろいろ教えてくれ」


「何から知りたい?」


「今何時だ?」


「六時ちょい過ぎ。お兄ちゃんは、えっと、五時間くらい寝とったんかな」


 人生ゲームの方から、ラルスも這い寄ってきて、ロロもパタパタと飛んで来た。「「こら、逃げるな!」」と声を重ねるプエラとフラーマをきちんと無視してくれて、「元気みたいだね」とラルスは言い、ロロも優しく教えてくれた。


「兼六園で倒れてたんですよ。偶然見つけられましたけど、見つけてなかったら今頃炎上しちゃって、燃えカスになっていたと思います」


 俺にはまだ聞きたいことが山積みで、礼を言う余裕は無い。


「俺はなんで倒れとったんや?」


「それはハルヒさんが起きたらこっちが訊こうと思ってましたが!」


「レグラとディアナは? 倒せたのか?」


 するとロロに代わってラルスが答える。ロロはラルスの肩にふわりと降りて落ち着いた。


「分からないんだ。二人とも忽然と姿を消した。俺もプエラも絶体絶命だった。モミ……メープルも何もしていない。誰も何もしていないのに、レグラたちは消失した」


「そういえば!!」


 俺は思いついたままに叫び、その声量で続けた。


「ディアボルスは!? ディアボルスはどこ行った!?」


 言い切って、二つ並んだラルスとロロの不思議そうな顔を見て、ハッと気づいた。こいつらが知るはずない。あの場にいた、あのディアボルスに遭遇したのは、俺だけだった。俺と。

 するとモミジが返事した。


「あ、デビルンのことやろ? デビルンやよね。なんで皆ディアなんとかって呼んどるん?」


「え? いや……」


「まあいいけど。デビルンは魔法少女メープルが炎上させたよ、さすがメープルやよね!」

 

俺は笑顔を取り繕って確認する。


「それはレグラたちが現れた時についてきたデビルンやろ?」


「そうやよ? お兄ちゃんが一人で鉢合わせしてた、最初の奴もやっつけたけどね!」


「なんでお前が知っとりん」


「あうッ……! め、メープルは金沢の有名人やからね! そりゃ知っとるよ!」


 何だかぎこちない喋り方のモミジだが、とにかく俺の中では解決できた。あの場にいたディアボルスの発見には至ってないらしい。有名人メープルがどこまで情報を提供しているかは知らないが。

 俺の中では、一旦落ち着いた。いや、冷静に思い起こせば信じられないことがあったのだが、それはなんだか夢でも見ていた心地で、現実味がないせいか、案外落ち着いていられる。

 そんな俺を見てひと段落ついたと思ったのか、違う理由があるのか、モミジは胸の前でパンと手を合わせ、話を逸らすように言った。


「と、ところで今日の晩ご飯どうする!? いつもみたいにコンビニ弁当だったら、ラルスさんたちに申し訳ないかな?」


 俺は毛布を投げやり、布団の上で胡坐に座りなおしながら答えた。


「いや、弁当でいい。赤の他人をどんだけ世話してると思っとりん。弁当食わせるだけでも俺たちの優しさは仏さまにも負けねーよ」


「そう? うん、了解! 怪我人は大人しくしてなさいっ」


 特に怪我もしてない俺の頭をポンポンと叩いてから、モミジは立ち上がり、机の上の財布だけ手に取って、忙しなくこの部屋を出ていった。ばたばたと廊下を駆けていき、ガチャリと扉を開閉するのまで、テレビをつけていないこの部屋にまで音で届いた。


 さて。


 俺は残りの連中に顔を向ける。


「そろそろ本格的に、訊いてやらなきゃいかねーな」


 顔を向けると言っても、四つの顔は同時に見れない。布団の上まで近寄ってくれたラルスとロロ。人生ゲームを囲むプエラとフラーマ。順々に目で追っていく。とぼけた顔だ。平和そうなその顔は、まるで生まれた時からこの金沢市で暮らしている平凡な市民そのものじゃないか。

 もうもったいぶらない。関係ないとか、興味がないとか言わない。俺は訊く。


「お前らは、どこから来たんや」


 全員に訊いて、それでいて誰に訊いたわけでもなかった。が、こういう時真っ先に解りやすい反応をしてくれるのはプエラだった。


「えっ、あっ、えと……、あ、ほら言ったじゃん! カナザワシのちょっと離れたところよ」


 俺は少し顔を背け、プエラの顔を正面から見ないようにして言ってやる。


「この世界には魔法少女か魔法使いか知らんが、そんな奴はいない。メープルだけが特別やった。メープルだけが、この世界に現れた唯一の謎やった。お前らはこの世界の人間じゃない。この世界の人間は魔法を使えないし、この世界に妖精はいない」


プエラは、困惑した表情でハルヒを見つめ、意識の届かなくなった指先からは、お金のカードがパラパラ落ちた。

 俺は黙って返事を待った。言い直しも補足もしない。

 持論だか、嘘をつくのが悪いことだとは思わない。嘘つきは、まあ中には心の底から悪意を持っていたり、ずる賢い知恵を働かせている奴も山ほどいるんだろうが、優しい奴だっている。この現状を何とかしたい、人を傷つけたくない、自分を良く見せたい……。たぶん、こんなことを思って嘘をつくやつは、優しい奴だ。結果的にそれは人のためにはなっていなかったり、「本当のことを隠したままじゃ、本当に優しいとは言えない」とかなんとか、『本当に優しい奴』に言われるんだろう。正しいのは『本当に優しい奴』だと思うが、俺が好きなのは、その場しのぎの優しい嘘をつく奴だ。正しいからって、そうなりたいとは思わない。そいつらの顔は往々に、人生を悲観しきったような、見事につまらなそうなものだ。ああなるくらいなら、人に好かれたい、人を傷つけたくないって目の前の理由で嘘をついて、あとでバレては大騒ぎになる奴でいい。これは屁理屈なんだが……。そいつらは、嘘をつきたいって気持ちに、嘘をついていないと思うから。


「ああ、そーだよ」


 しばらく沈黙が続いた部屋。全員黙って、誰がどう喋り出すかを窺っていたが、この空気を最も早く打破したのは、フラーマだった。

 フラーマは胡坐の態勢から飛び上がり、パタパタと羽をはためかせ、俺に接近しながら続けた。


「俺たちは多分、この世界の住民じゃねぇ。服も食いもんも家も人も、俺たちの知るヤツじゃねぇ。異世界だな、ここは」


 俺は別に驚かない。聞き返す。


「異世界はそっちのほうやろ」


「何言ってる、魔法も妖精も発見できてないお前らの方が異世界だ! ……まぁ俺たちの世界じゃ、マクドナルドとかミスタードーナツがまだ発見できてねぇけど……」


 フラーマは、ラルスの肩、ロロが座ってない方に着地した。


「ほら、どこから来た、に答えたぞ。他になんかあんのか?」


 言葉を続けるフラーマに、ラルスもプエラもロロも緊張の視線を送っていた。好き勝手喋り出すフラーマを止めたいが、ここではぐらかしたってどうなるんだ、なんて思っているのかもしれない。腹を割る覚悟が出来たようだ。

 俺の緊張していた。絶対に顔には出してやらないが。


「いや、待て……」


 そして、唇を湿らせてから、静かに尋ねた。


「……なんていう世界だ?」


「なんていう?」


 フラーマの素っ頓狂な顔を矯正すべく、言葉を咥える。


「俺の暮らすこの世界は、石川県金沢市香林坊、ってところやけど、もっと広い目で見ると、日本。であって、もっと広く見ると、地球や。俺たちは『ニホン』だったり『チキュウ』だったり呼ばれる世界に暮らしてる。お前らの暮らす世界は、なんや?」


 フラーマは、やっぱりよく分からないようで、他の奴らに目配せした。

 ラルスたちも、少し目を細めるが、首を傾げることはない。少し眉間に皺を寄せるが、険しい顔にはなっていない。ピンとくるわけでもないが、答えがない訳でもない。そんな共通意識が、フラーマも含めみんなにあったようだ。

 自信はないが答えは出ている。それを先生に発表する生徒のような声色で、二人と二匹は、同時に喋った。「強いて言うなら、」「たぶん、」「分かりませんが、」「じゃあ。」と、出だしはばらばらだったのだが、最後のその一言は、ピッタリ綺麗にそろったのだ。


「「「「アリウム」」」」


 俺は、呆然と、そういえば携帯……なんて思って、ポケットに手を突っ込んだ。

 自分の体温で少し暖かくなっていた、それでもやっぱりどこか冷たい、使い慣れた青色のスマートホン。手の中に収める。普通ならこのまま顔の前にもっていくのだが、俺の体は動かなかった。


「ああ……クソ……」


 頭を掻き回す。まったく本当に、イライラするのはおかしいことなんだろうか?

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