第23話 奉仕
燃え上がる兼六園。
誰が何をしてるんだろう。炎の向こうから、派手な爆発音が響き、噴火の火の粉が降り注ぐ。大気は陽炎のようにゆらゆら揺れて、黒煙は流動し、熱気が体を蝕んでいく。
そんなことはどうでもよかった。
炎に囲まれていようが、どこらの魔法使いが派手な技を繰り出そうが、訳の分からん奴が訳の分からん奴を捕まえようが、何でもよかった。
目の前のディアボルスが、俺の思考の一切だった。
「お前……?」
ひとり呟き、歩み寄る。小さな池の中央。膝から下を水の中へ。膝から上を世界に出して、その漆黒の皮膚を、赤い景色の中で誇示する。迫る炎を嫌がるように、大きな羽を小さくたたむ。
青白い大魔王の顔が、炎上する世界に照らされている。
「お前は、いつ、誰が、どういう理由で召喚した奴や……?」
俺は尋ねる。充血した目玉はこちらを向かず、ジッと池の上に落としている。
ほとりで立ち止まり、うるさい炎の音の中、俺は静かに問い詰める。
「……いつからここにいた。どうして池に隠れとったんや?」
ディアボルスは、黙って動かず、まるで絶望したように、ただただ目を落としたっている。俺は引きつった笑顔で言葉を繋げた。
「ラルスか? プエラか? レグラとかいう男か? ディアナとかいう女の――」
するとディアボルスは、こちらの言葉途中なんて気にもせず、気まぐれのように口を開いた。その動きは微々たるものだったが、青色の牙が少しだけ浮いたような気がして、こいつが喋ろうとしたのが分かった。こいつは発音した。
「………………シュ……ジ……………シュジ……………ン」
「シュジ? シュジがなんだって?」
聞き返すと、ディアボルスは、目玉をゆっくりこちらへ向けた。かなりゆっくりだ。完全に俺を捉える前に、再び口を動かしていた。
「イレ……テ…………クダサイ。イレロ………イ……レ………テ……クダ……」
俺は感動した。初めて、この大魔王の口から、意味の分かる言葉が聞けた。身を乗り出して尋ね返す。
「入れる!? どこに、何を入れるんだ!?」
「…………」
ディアボルスは俺をじっと見つめ、しばらく黙った。しかし俺は、直感的に、この沈黙は何か考えているときの沈黙だと察せていた。こちらも静かに、そして隠すことなく好奇心を溢れさせていると、やがてディアボルスは、ゆっくり口を動かして、こう発音した。
「……デテ…………………………デテ、イッテ…………クダサ……イ……」
「え?」
「…………」
そして再び黙る。俺に向けていた目玉も、徐に下がり始め、揺らぐ水面に落ちてしまい、その裂け目のような口も、ぴったりと閉じてしまった。いつもの沈黙に戻ったことを、不快ながらも認める他はなかった。
分かんねえ。入れろと言ってきたかと思えば、出て行ってとお願いされた。シュジがどうとかも言っている。さぁもう察してくれよとばかりに、目を落として黙殺しやがる……。
「おい! 俺にも分かるように言えって!? こっちの理解力に頼ってんじゃねーぞ!? あとな、」
俺は叫んで、ディアボルスを見上げ、怒りに任せて言葉を続ける。だから、不意に始まった、自分のこのダブった声に、最初のうちは気付かなかった。
「「人間様にも分かるよう、文法と滑舌に気を遣え! ……?」」
ハルヒは、ふと目を落とし、胸の前にいる、一匹の妖精を、視界の真ん中に捉えた。
「え――」
多分、生まれて初めて、声が出ない、という事態に陥った。
穴が開くほど凝視する。胸の前。俺と同じ髪色の、俺と同じ顔をした、俺と同じ声の、俺の頭くらいの大きさの、二頭身。服装は着たことも見たこともない、西洋の剣士みたいな、青が基調で要所要所を銀色で覆ったもの……そんなことより肩甲骨から、白なのか銀色なのか、炎に当てられてよく分からないが、とにかく羽が生えていやがる。フラーマやロロと同じ性質。別に羽ばたかせなくても、その体は宙に浮いている。この妖精は、おそらく背後に立つ俺には気付かず、ディアボルスを見上げ、短い腕の、短い指を突き付けて、
「黙ってんじゃねえ! 大魔王が黙秘とか言わんよな? お前は……」
と、俺はとっくにさめきいった怒りを、こいつはまだ炎々と燃やしている。
こいつの容姿もそうだが、浮いている位置が気になった。なんで俺の胸の前に? 俺と同じような喋り方しやがって。これじゃあ、いや、まるで、本当に。
まるで俺から出て来たみたいじゃねえか。
「……おいテメェ」
俺は怒鳴り続けるこの妖精の、その髪の毛を上から掴み、手首を回してこちらを向かせた。
妖精は目を見開いて、されるがままに俺を見上げた。そして、さっき俺が漏らしたように「え――」と呟き、俺の目に穴が開くほど凝視してくる。しばらく喉を突っ返させてから、この至近距離、唾を飛ばして言ってきた。
「きょ……巨人……!?」
「お前、なんだ?」
俺はこいつの狼狽なんか無視して尋ねる。かなりアバウトな進物だろうが、こう訊くしかない。
しかしこの妖精に、突如自分を掴んできた巨人の言葉を聞く余裕は無いようで、叫び声で言葉を続けていた。
「いや、俺? 鏡? ちがう、なんや? どういうことや!? ディアボルスの仕業か!?」
「おい。熱くなんのは兼六園だけでいいやろ。俺だって叫びてぇよ……」
「俺なのか? 説明しろよ! さっきも言ったやろ、人間様にも分かるよう――」
「お前は妖精やけどな」
妖精は「ハァ?」と返し、あとは絶句して俺を見上げた。眉間に皺を寄せた酷い顔だ。本当に、鏡でも見ているようだ。
時間の経過に従って、妖精は違和感を覚えたようだ。ハルヒの背後、燃え上がる炎がやけに大きい。何となく空が高い。そういえば、地面に足がついていない。
妖精は自分の体を見始めた。自分の背中を見ようとするように、忙しなくぐるぐる回り出す。スピンオフアニメキャラのような二頭身のため、その様子は、首から下だけ見ればとても可愛いのだが、なんせ顔面は俺なのだ。気色悪い。「え……? え……?」と自分の姿を認識しだす俺の声が気持ち悪い。でも俺は、この困惑する妖精を見て、心のどこかで安心した。パニックなのが俺だけではなかったからだ。少し優しく言ってやる。
「分かったろ。お前は妖精。どっから出て来た?」
しかし妖精は動きを止め、ムッとして返してくる。
「馬鹿か、俺は人間や。加賀ハルヒやよ、お前こそ何や!?」
「加賀ハルヒは俺やろーが。自分の身体見てから名乗れよ」
「体だけがおかしくなったんや! 俺が本当の加賀ハルヒ! 偽物は黙ってろ!」
「お前に名字があるとは思えねえな。ロロとかフラーマなんやろ、ハルーヒか? 早く名乗れ」
「あんなふざけた奴らと一緒にすんな! 俺は――」
向かい合い、言い争う一人と一匹。突然大きな影に覆われて、視界が黒く染められた。思わず声が止まったが、この、太陽の光を遮ったものに、見上げずとも、心当たりはあったのだ。
気付けば、大魔王ディアボルスが、俺たちのすぐ目の前まで歩み寄って来ていた。
「「あ……」」
一人と一匹は声を重ね、同じように顔を上げた。首をほとんど直角に倒し、体に比べて無駄に大きな青い顔を下げ、充血した目玉で、二人を見つめていたディアボルスと、一直線に目が合った。
ディアボルスは、ゆっくりと口を開いた。
「……アリ、ガトウ……………アリガ………」
ちゃんと聞き取れた。俺は首を傾げ、「何が?」と返そうとした。返そうとして、口を開いたが、言葉は出なかった。
ディアボルスの、手の大きさに比べれば細すぎるその指に、額の真ん中を、とんと押された。
痛くはなかったが、確かに押された感覚で、俺の体は後ろにのけ反った。このままじゃ倒れる、まずい。そう思ったが、足を送れない。身体が動かない。ディアボルスの顔が迫ってきている。
憑依される――
と思った時には、俺の意識はそこに無かった。
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