第20話 反逆の再開

メープルはモミジの葉に乗って、風にあおられた木の葉の如く飛び上がる。この派手な動きに気付かない訳もなく、ぼそぼそ話し合っていたレグラとディアナは同時に顔をあげ、その飛翔を目で追った。その際、ラルスは地上に残っていることを知る。

 メープルは池の5メートルほど上を滑り、レグラのちょうど真上に到達した。


「モミジさん……?」

 

プエラも目を丸くして見上げる。太陽を背に、逆行を浴びたメープルの黒い影。その中に、にやりと笑う余裕を見せていた。首を九十度倒して、レグラを見下ろしながらメープルは叫んだ。


「レグラさん! 私があなたを倒してあげる!」


 言われ、レグらの顔はほんの少しだけ引きつった。返事をしたのはその隣で仁王立ちしているディアナだった。


「「残念だけど、君とは戦えないんだよ。申し訳ないね!」」


「教えてもらってん! あなたたちに私の魔法を効かせる方法! デビルンに……あなたたちの言う、大魔王ディアボルスにね!」


メープルが返すと、ディアナの顔から笑みが消える。しかしそれも一瞬、強気な顔で、余裕ぶった口調を貫いた。


「「へぇ、さっき君が炎上させた、あの子に聞いたの? レグラ所長の大魔王なのに、本当にそんなこと教えてくれたのかな?」」


「試してみる?」


「「……試してみよっか」」


 一見ディアナは、ただ突っ立ってメープルを見上げているようだったが、言葉を終えた途端、腕の周りや、足の周り、自分に触れる空間から、バチバチと小さな電光が走り出した。それを見てメープルも、両腕を顔の前でクロスさせ、手首から先を、大きな紅葉の葉っぱのような、松明の先の炎のような、真っ赤な色の武器に変形させた。


「ふふふ、もっと気合入れた方がいいよ、ディアナさん。きっと、まだどこかで、私の魔法が通る訳ないとか思っとるやろ?」


メープルの問いかけに、ディアナは不敵な笑みで返すが、口は開かない。その代わり、少しだけ足の間隔を広くする。


「まあ、一発食らったら嫌でもわかるよ。でも一応言っとかんとね。フェアじゃないもん」


 火事は広がる。こう喋っているうちに、次から次へと、隣の木々に燃え移る。この池の周りが炎に包まれるのも時間の問題、どころか、すでに、池に接する草木の、七割方は燃え盛っている。あらゆる方向から熱が舞い込む。そして、自然の突風がびゅんと吹き、その熱風が体を揺らし、足元のカエデの葉がぐらついたその瞬間、メープルは雷のように飛び降りた


「うりゃあああああああああああああ!」


 その間は一秒とない。葉から飛び降り、カエデの両手の、片方の腕を突き伸ばし、ディアナの脳天めがけて突撃する。顔を風に煽られ、髪を逆立たせ、全身全霊、大声で叫び、真っ逆さまに落下する。

 ディアナも咄嗟に右腕を伸ばし、降りかかるメープルに照準を合わせる。内心、本当に攻撃を仕掛けて来るなんて考えてもいなかったので、反応は少し遅れるが、ムラだらけのメープルの動きもあって、迎え撃つ余裕は十分にあった。


「あああああああああああ!」


 メープルはその手を刀のように、振りかぶって、振り抜く軌道にディアナを置いた。

 ディアナは、一瞬にして、頭上に電気の金網を張った。青白い電光で作られた、蜘蛛の巣のような、自分を覆うようにしてやや円形の、電気魔法で作った即席の盾だった。


「うらああああッッッ」


 メープルは、目の前に広がる電気に臆せず、そのまま突っ込み、

激しく腕を振り下ろし、

そして、盛大に空振りした。


「「え……」」


 空ぶったと言えば少しおかしい。何事もないように電撃の盾をすり抜けて、振り下ろしたメープルの腕の軌道には、確実にディアナの顔があったのだ。しかしディアナに触れる時間だけ、まるで自分が透明人間になったかのように、するりとディアナの体内に入り、何の手応えもないままに、空を斬って攻撃は終わる。メープルとディアナ、互いに外傷はない。互いの魔法は、通じない。


 メープルは、攻撃に使わなかったもう一方の手に、フラーマを乗せ、少し遠くで突っ立っている、プエラめがけて投げ飛ばした――!


 プエラの目線。目の前で、激突した、ように見えたディアナとモミジ。そして瞬きもしていなかったのに、突然こちらに飛んで来る小さな影。どこから現れたのか。それはラルスの妖精。フラーマ。


「……へ?」


 プエラは無意識に声を漏らした。赤色の羽をばたばたはためかせ、勢いよく向かってくるフラーマ。視覚情報に脳処理が追いついていない。軽いパニックの、そんな状態のうちに、さらにフラーマから、大声まで飛んで来た。


「ロロぉぉぉぉーーーッ、プエラから出やがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 必死で何か叫んでいる。が、なんて言ったかは分からない。プエラはようやく、突如出現したフラーマは、おそらくメープルの体のどこかで隠れていたのだろうと、状況を整理したところだった。そして次に、もうすぐ近くに迫ったこの妖精が、何を言ったか理解しようとして、

 フラーマは、プエラの胸に体当たりして、


「おふっ」


 その巨乳の弾力に、呆気なく押し返され、小さな体は小さく飛んで、そのままひょろひょろと、下の池に、ぽちゃっと落ちた。……。


「プエラさんおっぱいおっきいめっちゃ邪魔ああああ!」

 

メープルは肩越しにその様子を見て、涙目で叫び、きょとんとするプエラに向かって叫び続ける。


「とにかく言う通りに! 速く! チョコでもなんでも買ってあげるから!」


 そこでプエラの奥のロロが、ぐんと集中力を高めた。池に落ちて行ったフラーマの最後の言葉を瞬時に理解し、妖精のロロが、プエラの胸から飛び出した。


 水色の髪からじんわりと黒髪に戻ったプエラ。顔を顰め、鬱陶しそうな声で、


「何なのよもぅまったくもぉ……!」


と漏らし、失った浮力に従って、眼下の水面にざぶんと落ちた。

 状況は途端に騒がしくなった。レグラは叫び、重ねてメープルが叫び、それが終わる前にディアナも叫ぶ。


「ディアナ! プエラとフラーマを捕まえろ! メープルに構うな急げ!」

「ロロさん急いでラルスさんの中に入って! 速く!」

「「所長! 阻止した方がいいよ! 厄介なことになるかも!」」


 ディアナはプエラを追って池に飛び込み、ロロはパタパタと砂利道へ向けて進みだし、レグラはそのロロを追う。

 両腕を、例によって黒く肥大化させたレグラは、遅々と進む妖精を握ってやろうとその手を伸ばす。「あわわわ」と弱気な声を漏らしながら飛んで逃げるロロ。妖精の姿では動きがのろまになってしまい、魔法使いの追尾速度に敵わないようだ。


「ロロさんッッ」


 メープル自身に浮力は無い。ディアナに突撃した流れでそのまま池に落ちそうになる。上空で行儀よく待機していたカエデの葉っぱを素早く戻し、メープルと池の間へ流れるように滑り込ませ、メープルは不格好に着地した。カエデの葉はその勢いのまま移動を続け、蝶のように上下しながら飛ぶロロの体を、目いっぱい腕を伸ばしてキャッチした。


「よし、逃げるよ!!」


 メープルは叫び、飛んでいく。最短距離、一直線に、砂利道で待つラルスの元へ突き進む。

 背後からはレグラが迫る。悪魔の腕を静かに伸ばし、それでいて握り潰さないよう慎重に、割れ物を扱うように、メープルら一体を包み込もうとやってくる。肩越しにそれを確認しながら、メープルはとにかくまっすぐ、池の上を猛進する。掴まれそうになれば、身を翻して回避する。巨大な指の間をかいくぐる。右手左手と、交互に襲い掛かってくるレグラの腕を、あちらこちらとくるくる回って躱していく。


「モミジさん、どうして……」


 小脇に抱えられたロロが、メープルの顔を見上げて言った。返事はまず、何よりも早く、


「やっぱ正体バレとりんね!? まぁもういいけどさ!?」


 また涙目でそう叫び、そして静かに、今度は真面目な笑顔になって、言葉を繋げた。


「だって、分かるやろ? 人間さんでも妖精さんでも同じやよ。友達は絶対、意地でも助けてやるんだもん!」


 その溌剌とした、どこか楽しそうでもある顔を、ロロはぼーっと見上げていた。

 

メープルは飛び進む。しかしラルスまで一直線とはいかない。前方向、池の中から、2本3本と、悪魔の腕が木のように突き出してきて、行く手を阻もうと、その手のひらを大きく開く。メープルは頂上へ向かうジェットコースターのように急上昇し、ほとんど垂直に舞い上がり、障害を越えようとする。しかし真上には、すでに待ち構えていたレグラが腕を伸ばし、メープルを掴まえようとして、危ないと思って、なんとかその指の間を潜り抜けてやろうとして――


 そこで、この池が、噴火した。


 光の大筒。巨大で強烈なスポットライトの中。気が付けばそこにいた。世界が真っ白に包まれて、方向感覚は瞬時に失われた。次に押し寄せるのが、圧倒的な熱。風に乗ってきた火事の余波とは全く違う、生命の息吹すら感じる大きな熱。これを感じ、刹那に四方八方を染め上げたこの光が、火炎であることを認識した。これは炎だ、自分は炎の中にいると分かった瞬間に、全身を激しく打った衝撃。


「「「「あああああああああああああああ!!!!!」」」」


 レグラの声は吹き飛んで、ディアナの声が吹き飛んで、メープルの体は吹き飛んだ。

 メープルは衝撃を堪えるために腕を上げて顔を覆ってしまい、脇から外れ、離れて言ったロロに、気付くのが遅れてしまった。


「……あ! ロロさんッッ!?」


「モミジさ――」


 まで声が聞こえ、ロロの気配は、光の向こうに消えていく。

 追うこともできない。自分がどこにいるのか分からない。光の中。この光はなんだ。

 

誰もがパニックに陥った状況。しかし、不自然なまでに鮮明に、聞こえて来たのは、誰かの呟く小さな声。

 おそらく、池の中心方向であろう光の先。この噴火の、ど真ん中。


「「あぁ……これは……やっちまったかもしれねぇな……」


 その聞き慣れた、威勢のいい男の子の声と、威勢のいい女の子の声。二つがぴったりと重なっている。

 声の方へ顔を向けようとした時には、メープルの体は、噴火の外まで押し出されていた。


 何が起きたかは見当つかず、とにかく衝撃をいなすのに必死だったので、炎から逃れることができてようやく、メープルは状況を整理できた。まず自分は、カエデの葉っぱから落ちていて、片腕を葉の端に引っ掛けて、ぶら下がりながら耐えていたこと。

 そして、かなり上空に投げ出されていたこと。メープルは腕一本で宙に浮いたまま、噴火の全貌を、俯瞰で捉え切れていた。


 既に大火事となった兼六園。眼下に広がる火の海からは、巨大に膨れた黒煙が延々と湧き上っている。

 池の上。やっと噴火は収まりを見せ、光の中のその声は、次第に姿を現した。


「「こーゆーことだろ……やっと分かった……」」


メープルも、そしていつのまにか同じ高度で浮遊していたレグラもディアナも、その様子を見下ろしていた。池の中央。一人の魔法使い。

黒色のブーツ。デニムショートパンツ。ところどころが破れたピンクのTシャツ。その上に揺れる紅蓮の赤髪。普段は肩甲骨まであるその髪は、肩にもかからないほど短くなっている。口端からは八重歯が覗き、眼光はギラギラ真っ赤に輝き放つ。

 その目はパッと上を向き、自信満々でにやりと笑い、そのまま真っ直ぐ上昇してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る