第19話 反逆の再開
「は? やだよ、バカかよ」
そう返すラルスも、背後に迫るディアナをとっくに発見しており、そちらに向いて両腕を炎に燃やし、臨戦態勢に入っている。メープルはワザと、厳しい口調を投げかけた。
「ラルスさんはディアナさんより弱いの。圧倒的に弱いの! びっくりするくらい弱いの! だから負けちゃったんやろ!」
「黙れチビ! あいつ名称魔法使いやがって、卑怯なんだよ! 俺も出来ればあんな奴!」
「チビじゃないし! 年相応だし! 名称魔法って必殺技みたいなこと?」
「チビだろーが! 名称魔法ってのは正式に存在する魔法の技のことだ。火の粉をまき散らしたり体に炎を纏わせるのとは違う。もちろん威力は桁違い……まあ必殺技だな」
「同級生で私より小さい子けっこーいるもん!」
そこだけは絶対に譲らないまま、カエデの葉から身を乗り出して、忙しなく辺りを見下ろすメープル。風を切って目が乾く。髪の毛がびゅるびゅる靡く。全速力で飛行する。
兼六園を飛び回る。そしてようやく、一面の緑に、青い穴をあけたような、大きな池。その上で浮遊する二人の影を捉えた。発見と同時に急降下し、さらに突風に煽られながら、続けて叫んだ。
「フラーマさん、とにかく出てきて! 考えも無しに言わんよ!」
「ふん、嫌だね。お前みてぇなガキの発想には付き合えねぇ」
「おいフラーマ、出て来んかい!」
「テメェこの野郎、呼び捨てにするとはいい度胸――」
「名称魔法を使えるようにしてあげるから!」
メープルたちは、木々の間に飛び込んだ。バサッと激しく木の葉を揺らし、枝の下へ鋭く下降し、そのまま勢いを抑えることなく、木の幹をかき分けるように、地面と垂直に猛進していく。
ラルスは一瞬黙ったが、またつっけんどんな態度で言った。
「……信用できる訳ねぇだろ。お前、今まで名称魔法ってものすら知らなかったじゃねぇか」
メープルは前だけ向いて、徐々に開けていく視界に焦りながらも、少し落ち着いて、返すべき言葉を考えた。
そしてすぐにある決断をする。
今まで張り上げていた声を抑え、風を切りながら、穏やかな声でこう言った。
「私はね、ラルスさんとフラーマさん、プエラさんとロロさんを、助けてあげたいだけなんやよ。関係ないなんて言わせない。昨日と今日、たった二日間やけど、一緒に遊んだ、友達やから」
「……え?」
「ごめんなさい。隠してたけど、私は、魔法少女メープルは、加賀モミジなんだ……!」
木々を抜ける。
太陽の光が一目散に体を照らした。閉塞感から一気に解放され、自由すらも感じてしまう。大きな池の前、白い砂利道の上で、一旦停止し、その場で浮遊する。
メープルは――モミジはちょっと振り返って、神々しき光の中、にこりと笑い、ラルスを見つめた。
ラルスはさらっと答える。
「いや、知ってたけど」
「ええええええええええええええええええええええええ」
瞬時に生じる甲高い悲鳴。その声に、ラルスたちの目の前の大きな池、その中央で浮遊し、向かい合っているプエラとレグラはすぐに気付いた。両者とも、突然木々から出て来た二人に驚いて、体ごとラルスたちに向いた。
看守の制服、全身黒のレグラの体には、どこにも異常が確認できず、呼吸もまったくいつも通りのテンポだ。それに比べてプエラの外傷は酷い。水色のジャケットはもうどこにもなく、ピンクのTシャツとデニムショートパンツ、黒のブーツといった服装だが、至る所が破れていて、肩や両脇、膝の上には、切り傷が窺える。肩で激しく息をしているが、表情はとろんと疲れ切っている。水色の髪の毛から、ブーツのつま先まで、全身がびっしょりと水に濡れている。
ラルスもメープルも、プエラもレグラも、一様に口を開こうとするが、それより早く、ラルスの後ろ、木々の隙間から、ディアナの体が飛び出した。
しかしそれを待っていたラルスは、素早く振り返り、大きく息を吸い込んで、やや上方に出て来たその体めがけて、噴火口の如く、喉の奥から火炎放射を吹き出した。
「「うわああ!?」」
ディアナは叫び、鋭く飛んで来る炎の渦を、ひらりと軽く躱した。標的を失った火炎は、軌道そのまま一直線に飛んでいき、性懲りもなく、近隣の大木に衝突した。あとはもう、言うまでもない。さっきと同じように、生まれた火種はパチパチと燃え広がり、まずはその木を、そして辺りの草木へと、見る見るうちに広がっていく。メープルは叫ぶ。
「何してんのぉぉぉさっきと一緒やんんん!! そしてどうして私の正体をぉぉ!?」
だがラルスは気にもせず、「くそ、外した!」とか言って、炎を躱したディアナを目で追った。
ディアナはラルスらの停止を確認し、追撃を一時中断したらしい。空で身を翻したまま、ラルスとメープルの頭上を越えて、そのまましばらく飛んでいく。砂利道をこえ、池に入り、プエラにちらりと目をやりながら、その正面で対峙するレグラの傍に降り立った。乱れた金髪を整えながら口を開く。
「「あれ、所長。手こずってるんですか?」」
「俺の台詞だ。まだ捕まえてなかったのか」
無傷の二人は話し出す。
「「魔法少女がすばしっこくて。ラルス君一人だったらとっくにいけてたんですが」」
「そうか。俺も場所を選ばれた。どうも水周りでは幾つかやりようがあるらしい。……」
その後も何か喋り続ける。メープルは二人を見やりながら、背後で木々が燃え始める中、どうしようか考えていた。するとそこで、意外にもラルスから、「おい」と一声かけられる。
反応すると、ラルスはメープルを見下ろし、少し落ち着いた口調で喋ってきた。
「俺は大概の人間が嫌いでな。どいつもこいつも出る杭を打とうと必死でよ。正義をぶら下げた振りして、実はそいつらには、嫉妬心しかないんだぜ? 気持わりぃよな。自分にも夢はあるくせに、出来ないっつって諦める。そして、まだ出来ると信じている一握りの人間を、気に食わねぇからって撃ち落とそうとしやがるんだ。そこに一切の容赦はねぇ。牢獄にだってぶち込むさ」
なんだか、現状とはあまり関係ない、そして聞いたことのない、悟ったようなラルスの声色。メープルは黙って聞いていたが、ラルスが苦い顔になるのを見て、小さく返す。
「……よく分からん。クラスの皆、友達の夢は応援するよ? あ、でも、ユータ君とかショウ君とかは、意地悪して「できねぇ」とか言う! ホントに、何回先生に怒られても言うの! いじめっ子やから言うんやよ。ラルスさんの周りはいじめっ子ばっかりなん?」
ラルスは目を丸くし、一瞬息を止めたように黙ったが、すぐに顔を緩ませ、笑った。
「……ハハ、その通りだな。どいつもこいつも、多分、死ぬまでいじめっ子だ」
ラルスの――その奥にいるフラーマの、笑う声を、メープルは初めて聞いた。不思議な安堵が沸いてくる。レグラとディアナは池の上で、絶えずこちらを視認しながら喋っている。
フラーマは続けた。笑顔の中に、隠然と真面目さを表していた。
「でもな。いじめられる側は、味方がいてくれた時、もう滅茶苦茶に嬉しいんだぜ。この感覚だけは、最初から大多数に入ってる卑怯ないじめっ子には分かんねえな。ロロが飛び出して、人間のプエラが現れ、俺と同じ夢があるって聞いた時は、もう笑いが止まらなくってよ。ロロなんか、ラルスなんか、レグラなんかディアナなんか、そこら辺の奴らなんか、どうとでもなるって思えたもんだ……」
ラルスの髪の毛が黒色に戻っていく。
傷だらけの洋服の、穴の開いた胸から、赤色の髪の妖精が、ゆっくり体を染み出してくる。
「でもまぁ、二人じゃどうにもならないらしいからな。お前がきちんといじめられているかは知らねぇが、まあ、お前もこっちに入れてやるよ」
フラーマは、その小さな体、最後に左足をラルスの胸から引き抜き、一匹の妖精として、メープルの眼前に浮遊した。そして少し不機嫌そうな顔で、続けて訊いた。
「ほら出てきたぞ。何すればいい?」
メープルは大きな笑顔を見せてから、すぐに説明を開始した。
燃え上がる兼六園。俺は走る。
主客未分。馬鹿でもようやく分かったようだ。あっちもこっちも魔法少女だの魔法使いだのふざけたことを平然とベラベラ言い切るくせして、こっちがなんとかして客観的な意見を出したらきょとんとしやがる。ああ、生き辛い。味方がいねえよ。
大魔王ディアボルス以外、味方はいねえ。
とにかく、もう一度召喚しよう。メープルが向こうに構っている今がチャンスだ。召喚と同時に夜になり、どうしたって気付かれるだろうが、向こうの状態がすぐに動けないようなものになっていることを望もう。
俺としては、ラルスだのレグラだのディアナだの、妖精だの魔法使いだの、どうだっていいことだ。どうして『大魔王ディアボルス』の共通意識があるか、そこだけは全く不思議だが、とにかく奴らがなにを知っていようと、知っていまいと、どうなろうと関係ない。そもそも奴らがどうして戦っているのか、俺は知らない。俺はまだ、奴らに首を突っ込んでもいないのだ。関係の有る無しとか、議論の余地にも至らない。
俺は立ち止る。白く細い砂利道の上。木々の大半は炎の波。熱風が顔に吹き付ける。
眉間に皺を寄せながら、胸に手を当て、口を開き、丁寧に唱え始める。
「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス。ベニオ……」
ここは小さな池の湖畔で、火事の中、まだ余裕のあるスペースだった。普段は緑と青の、この兼六園の池も、ぼおぼおと燃える炎を生き移している。まるでそれは、水ではなく、本当に炎みたいで。ゆらゆら揺れて。
ゆらゆら揺れて。
大きな影が浮かんできて、影は水面を突き破って、激しく水しぶきを上げて、まるで風呂から上がったかのように……
そうしてあいつは、まだ唱え切らないうちに、当然のように現れた――
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