第18話 反逆の再開 主客未分
炎上し、消えていくデビルンを最後まで見送ることもせず、メープルはモミジの葉に乗って飛び上がった。
上空十数メートルで浮遊し、兼六園をぐるりと一周見渡す。
それはすぐ目に飛び込んだ。眼下に広がる緑の中、モクモクと灰色の煙を上げ、火のあがっている箇所がある。完全に真っ黒焦げになった、おそらく桜の木であったろう一本を中心に、外側へ向かい、円上に炎が燃え移り、見る見るうちに広がっている。火事だ。
「もう、ラルスさん……!」
吐息を漏らし、何を考えるより先に、一直線に火の元へ向かう。そして瞬間――。
火事の傍。
テレビでたまに見る、野球中継。あの大きなドーム型球場のような、円形の、光り輝く大爆破が、眼下にまばゆく広がった――!
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ」
目をくらませる突然の閃光。腕で顔を覆う。浮遊する体を、激しくぐらつかせる強烈な疾風。足場であるカエデの葉っぱから落下しかけるも、全身を強張らせ、なんとかその場で安定させる。
何とか確保する視界。ざわめく兼六園の木々。光のドームは火事をも飲み込む。やがて薄らぎ始める光輝の中、上空へ斜めに伸びる、稲妻を何十本も束にした、巨大な光線。それは血脈のような、それこそ兼六園の大木のような、一本の巨大な剣の周囲、あらゆる方向へ電撃が飛び出した、厳めしい光の道筋……
数十秒経って、ようやく光は消失し、風は穏やかに弱まっていく。やっと正面を向けるメープルの視界、ぼんやりと消えゆく光のドーム。
その中に一つ、地上から舞い上がった、チリのような黒い塊。この遠距離からでも何となくわかる。人型の影。目を凝らすと見える赤色の髪。昨日デパートで買ってあげたあの服。
メープルの背筋はスッと凍り、無意識に態勢を整え、呼吸も忘れ、一直線に飛び向かった。
大量の煙を上げ、円上を展開させ始める眼下の木々を、五秒も数えずに飛び抜けていく。そして、花火玉のように打ちあがった、ラルスの体を、ギュッと抱きしめてキャッチした。
「ラルスさん!!?」
メープルは、スピードの乗ったモミジの葉っぱを徐々に減速させていき、火事の起こった地点へ向かうため、Uターンしながら、腕の中のラルスに顔を落とす。
「ラルスさん! 大丈夫!? ラルスさん、起きて! ラルスさん!!」
肩や腹や膝、服の至る所が破れ、露出した肌も焦げたように黒くなっている。腕や顔にも切り傷が見られ、たらたらと血液が流れている。目は固く閉じられたまま、声をかけても体を揺らしても、表情はピクリとも動かない。メープルは咄嗟に、ラルスの胸にピタリと耳をくっつけた。数秒黙って集中して、音が聞こえ、ホッとしてまた顔を上げた。
そして、ぼおぼお燃え滾る桜の木々の傍へ、ゆっくりと降下する。
着地する前からこちらを見ている、余裕たっぷりで微笑むディアナの前へ、カエデの葉っぱを静かに向かわせ、まだ少し高い位置から、お姫様抱っこのようにラルスを抱え、音を立てず、怒りを込めて舞い降りた。
同時にディアナは喋り出す。目の前、5メートルほどで仁王立ちする彼女の表情ははっきりわかる。
「「さあ、現れたね魔法少女! 思ってたよりちっちゃいし可愛いね!」」
メープルは、睨み返しながら考えた。
ラルスをその辺に寝かせる訳にいかない。炎はもう、左手十歩の距離に迫っており、この瞬間にも広がって、じわりじわりと近づいている。そちら側に向くほっぺが熱くなってきている。ここに立っていられるのも時間の問題である。
「よく分からんけど……こんなことする人なんやね……?」
火の音にも負けそうなほど、小さく呟くメープルに対し、ディアナはさらに笑みを漏らす。
「「なんにも分かってないみたいだね。私を恨むのはとんだお門違いだよ?」」
「ラルスさんをこんな風にして、正しい訳ないやろ!」
「「事情を知らないでしょ事情を。フラーマ君、ホントならもう殺されてるんだよ?」」
メープルは険しい顔になる。魔法を使って、この目の前の敵を倒してやろう。ちょっとそう思い出した、その瞬間。何の動作もしてないうちに、ディアナは素早く口を開いた。
「「意味ないよ。所長から聞いてる。キミは私たちとは違う、特別な魔法使い「魔法少女」だからね。キミの魔法は私に効かない。私の魔法も、キミには効かない」」
何を言われても戦おうとしていたメープルの意思は、呆気なく止められた。
互いに魔法が通じない。根拠も無しにそう言われても、デタラメ言うな、とか言って突っ込んだだろうが、メープルにはレグラと戦った経験があった。巨大な漆黒の腕に握りつぶされそうになって、その皮膚が、何事もなく自分の体をすり抜けた経験。
メープルは一呼吸つく。沸き上がった闘志を抑え、怒りを噛み殺し、ボロボロになったラルスを背中で負ぶう態勢に変えながら、最中に言葉を続けた。
「じゃあディアナさん、私を倒せんね。どんだけ強くても意味ないやん」
「「キミを倒す必要はないの。フラーマ君とプエラを連れて帰るのが目的だから。そのためには多少は強くあらないとね」」
そう返しながら、一歩、一歩と、非常にゆっくりだが、ディアナは歩み寄ってくる。その意図は分かる。今言った目的を達成するためだろう。メープルはラルスをしっかりと担ぎ直す。体格差でどうしてもラルスの足は引きずられてしまうが、気にしてられない。ディアナが進む分メープルは後退し、強気な声で言い返す。
「多少って。ラルスさんはボロボロなのに、ディアナさんは綺麗すぎん?」
「「ああそれは、プエラもフラーマ君も、ちゃんと分かってないんだよ。「魔法使い」をね」」
強張った中、きょとんと目を開くメープルを、ディアナは面白がって、金髪を整え、歩み寄りながら言葉を繋げた。
「「主客未分……なんて、言葉も知らないだろうね。それが出来てないうちに、本当の力は発揮できない。なんせ人間と妖精の性格がここまで正反対だからね。未分なんて無理」」
「……??? シュカクミブン……?」
なんだか色々な意味で押され、押されて、後ろへ下がり、とうとうメープルは、一本の木にぶつかった。正確には、おんぶされているラルスを、自分の体と木の間に挟んでしまった。「うわわ」と声が漏れ、何とかしようとするが、前には進めない。ディアナがゆっくり歩み寄ってくる。ラルスを奪い取るために。
左方向からは、もうすぐそこ、手を伸ばせば届く位置まで炎は迫ってきている。だから、逃げるとすれば右しかない。けどそんなことはディアナも承知のはずで、走り出した瞬間に先回りされて捕まるだろう。互いに魔法が通用しない中、単純な腕力だけで、メープルに勝ち目はない。
考える。炎の近く、一気に汗が噴き出してくる。ラルスを担ぐために両手が離せない。汗が拭えず、目を細めた、その時。
木の後ろから、声がした。ディアナには到底聞こえない、メープルの耳に何とか届く、潜められた声だった。
「西田幾多郎、主客未分」
その声はいくら潜めようと、いつもと違っても、長年聞いてきたそのトーンの主を、分からないではいられなかった。メープルは思わず叫びそうになったのを静かにこらえてから、早口に小声で返事した。ディアナから見れば、ひとりごとのように捉えられただろう。
「お……お兄さん!? 逃げたはずやろ、何しとるん!?」」
姿は見えないが、間違いない。ハルヒだった。ハルヒも時間がないのは分かり切っているようで、メープルと同じく、小声で早口に、メープルにとって全く意味不明なことを、淡々と喋り出したのっだ。
「まったく、石川県の平和を守ってるくらいなら知っとけ。石川の哲学者、西田幾多郎。彼が唱えたのが主客未分。これは西洋哲学の方向性に待ったをかけた。デカルトの物心二元論の影響が色濃く、主観と客観はそれぞれ実体として独立していると考えられていたが、幾多郎は主観と客観を相互依存の関係と思考した。主観無くして客観は無い。今迫り来ている炎は熱いが、それは人間に触覚器があるから熱いと感じ取れる。人間に触覚器がなくても、炎ってのは熱いのか? 客観無くして主観は無い。俺たちはこの世界に自我を形成させてもらったはずだからだ」
「何言ってんの!? 頭おかしくなっちゃった!?」
「人間無くして妖精は無く、妖精無くして人間は無い。そんな存在を何というか。『魔法使い』なんじゃないんか? 妖精のフラーマだけが主体としてラルスの体を動かしたって、妖精のロロだけが主体としてプエラの体を動かしたって、『魔法使い』は完成されていないんじゃないか? いや、俺が魔法使いについて知る訳ないが、今のディアナが言ったのはそういうことかもしれない」
「お話が長い! はや――」
「人間と妖精が正反対だから主客未分ができないってことは、性格が近けりゃマシになるってことじゃないんか。ラルスにプエラ、フラーマにロロ。性格的に、二つに大別したらどうなる?」
「…………え」
ハルヒは走り出し、木々の奥へ逃げて行った音を、メープルはすぐに察知した。
前を向きなおす。眼前一メートルの至近距離まで迫るディアナ。腕を前に出し、
「「ちょっと意外だな。逃げも戦いもしないんだね」」
そう喋って小さく笑い、綺麗な指先を、メープルの胸元めがけて伸ばしてきた。左側から迫り来る炎は、もう左肩にちらちらついており、今凭れている背後の木には、すでに燃え移り始めていた。
メープルは、顎からぽたぽた汗を垂らしながら、割と冷静に慣れていた。ディアナがラルスを訳もなく倒してしまったこと。同じ魔法使いでここまで力が違うこと。
シュカクミブン。人間無くして妖精無く、妖精無くして人間無い。それが本当の魔法使い。
ディアナの声は、違う二人の少女の声が、二重にダブっているように聞こえる……。
ラルスをもう一度しっかりと担ぎ直し、へらっと笑ってメープルは言った。
「ディアナさん。綺麗なお洋服が燃えとるよ?」
え! と叫び、制服にディアナが目を移した、そのタイミングで、メープルは小さくジャンプした。
ディアナが察知し、こちらに目を戻したときには、右方向から突き刺さるように鋭く飛んで来た、巨大なカエデの葉っぱに乗って、そのまますばやく、左の火事の中に突っ込むメープルがあった。
「「あ、こいつ!」」
ディアナも瞬時に、全身の周囲へ電流を纏わせ、地上から青空へ、逆になった雷のように、鋭く飛び上がった。
燃え上がる火炎の中から飛び上がり、プエラのいる地点へ向かおうと、空中を滑り出したとき、背中のラルスがびくりと動いた。するとすぐにばたばた暴れて、メープルから離れ落ち、カエデの葉の上に尻もちをつく。
「あ、起きた! 良かったぁ!!」
声を弾ませて喜ぶメープルの顔を見て、怯えたような表情だったラルスは、体の緊張をほぐし、ホッと胸を撫で下ろす。動物のように辺りを見回し、自分の状況を理解しながら、安堵の声で呟いた。
「温かかった……。少し回復できた。なんでだ?」
「ちょっと炎を潜ったから。そのおかげかもしれん! フラーマさんって炎の魔法使いやろ?」
「ああ……そうか」
「じゃなかったら、あれやね。私の背中のぬくもりやね!」
「ふざけんな。……お前は顔が黒くなってるぞ」
「あ……、へへ」
メープルは指先で鼻を擦り、にこりとしながら振り返る。ラルスだけを見たかったのだが、視界の奥、移り変わっていく木々の上、やや遠くに張り付いて、追尾して飛んで来るディアナがいる。彼女のスピードを数秒観察し、あとはもう振り向かず、素早く顔を前にやった。
眼下に注目し、プエラを探しながら、大きく叫ぶ。
「フラーマさん、ラルスさんの体から出てきて!」
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