第16話 反逆の再開

  忽然と無音。

 二つの違和感は光を通して視界に飛び込み、有無を言わせず大きな衝撃を走らせた。

 太陽の下、ヤツはとてつもない存在感を示していた。漆黒の皮膚は昼間の空間に穴をあけたようで、青白い顔は人間の死体を思わせる。蝙蝠傘のような波打つ両羽を大きく開き、飛翔するカラスのような横の長さを印象付けられる。充血した目の赤さや、ギラリと光る鋭い牙は、闇の中のように目立つことはないが、それ以上に、ヤツのその色と、オーラと、圧倒的な大きさに、畏怖の念すら呼び起こされる。

 大魔王ディアボルスは、いつものように、しゃがんで、両腕を両ひざの上に置き、状態を乗り出して、目の前のものを見つめている。今でいう、メープルたちだ。


 メープルも、ラルスもプエラも、風と共に現れたディアボルスを直感的に察知し、振り返って姿を確認するのも一瞬。舞うように飛びながら数歩後退し、俺と肩を並べ、大魔王に対峙した。


「来たか?」

「来ましたね」


 ラルスとプエラが呟いている。また訳の分からないことを、と思ってイラつくが、今回はメープルが彼らに問いただしてくれた。


「来たかって……なんか知っとるん?」


 歯噛みするラルスの代わりに、プエラが言う。大魔王の股下から、白髪で、全身黒の制服の、一人の男が歩み出て来るのを眺めながら。


「レグラ、って、憶えてますよね。彼ですよ。ちょっと訳がありまして、私とラルスは追われてるんですが、前回はあなたが追い払ってくれました。そのリベンジが来たんです」


「プエラさん、追われてるの?」


「まったく。プエラとフラーマのせいなんですよ? あ、今喋ってるのはロロですからね」


 なんで、と訊こうとしたメープルだが、見上げたプエラの顔が鋭く前方へ向いていたので、促されるようそちらへ目をやる。

 鎮座する大魔王。開脚した股の下に、突っ立つ二人の人間。

 俺もメープルも、一人は分かった。今プエラが言った、カラオケ店で遭遇したあいつ、レグラ。その隣。黒づくめの制服は同じだが、肩にぎりぎり着く程度の短い金髪を靡かせながら、仁王立ちする一人の少女。彼女は知らない。

 彼女は不敵な笑みを浮かべながら、こちら側の、特定の一人を見つめていた。


「ディアナ!」


 視線を迎え撃っていたプエラは叫んだ。ディアナと呼ばれた金髪の女は、声を漏らして一発笑い、甘ったるい口調で答える。どういう訳かその声は、違う声が二重にダブっているようだった。


「「あはは、やぁプエラ! やってるねぇ!」」


「金髪ってことはもう魔法使い……。もうトニトルアが入ってますね」


「「入ってるってか、私のことだね。プエラにもロロが入ってるじゃない」」


 俺はもちろん、メープルも、ラルスだって、二人の会話の意味が分からないようで、プエラを見つめて目で問いかけた。それを横目で察するプエラは、少しだけ声を潜めて説明する。


「彼女はディアナ。私、といいますか、プエラの同僚であり、幼馴染の同級生。妖精の名はトニトルア。電気魔法の女の子です」


「あいつの声がゴテ○クスっぽく聞こえるのは、俺の耳がおかしいんか?」


「な、なんですか? ゴテ……?」


「ベ○ットでもいいぞ」


 俺の問いには目を細めて困るプエラ。

 この誰これ構わずぺちゃくちゃ喋る現状に、一つ小さな舌打ちをして、ディアナの隣でレグラが言った。


「おいお前ら……。ここは夢の中じゃない。随分とっちらかってるようだが……」


「ふん、何しに来やがった! ディアボルス連れていい気になってんじゃねーぞ!」


 雑魚キャラの煽り感満載でラルスが叫ぶ。「そーだそーだ!」とメープルが加わる。「てゆーかデビルン出しとったのはレグラさんだったのか!」と続けた。またややこしい勘違いが始まりやがったと心中思いながら、俺は目の前のディアボルスと、その下に立つ二人を観察する。


「さて、成功させるぞ。作戦通りに宜しく頼む」

 

レグラは口元で呟き、徐に両腕を前へ伸ばし、例の魔法を発生させた。闇夜の如き漆黒に変色し、三倍四倍に膨れ上がる。そこにはすでに筋肉のような凹凸はなく、皮膚を突き破らんとする堅牢な骨が、棘のように肘辺りに突き出ているだけだ。悪魔の腕。大きく振りかぶり、足を曲げ、走り出す姿勢になる。隣でディアナが呟いた。


「「所長、ディアボルスの力で制圧するのでは、やっぱりダメです?」」


「言ったはずだ。ディアボルスは直にやられる。あの魔法少女にな。行くぞ!」

 

それだけ言い捨て、飛び出した。

前触れの無い不意の急接近。戦闘の開始。静かな空気が穏やかに漂う兼六園、ラルスは早口に叫び指揮を執る。両足首辺りに真っ赤な炎を纏わせながら。


「プエラはレグラだ、俺はディアナとかいう小娘をやってから助けに行く! 途中で向こう劣勢で大魔王に頼るかもしれねぇ、まずはこっから離れて――」


「待って下さい、ディアナは友達です、殺しちゃダメです」


「アァ? 甘ったれか! 俺は気にしねぇからな!」


「絶対ダメですよ! 絶対取り押さえるまでに――!」


 会話はそこで止む無く中断、レグラの延ばした漆黒の指先は眼前数十センチへ。俺はとっくに後退し、メープルはモミジのボードで飛び上がり、残されたラルスとプエラはそれぞれ左右へ素早く離散した。

 悪魔の腕は地面の砂利を掴み、手を開いてぽろぽろ零し、そこから右へ飛び、プエラの方を追い始めた。ラルスはディアナに向け走り出し、メープルは大魔王の頭上に舞い上がる。

兼六園は荒れ出した――

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 メープルは上空から戦況を見下ろす。

 プエラは全身に水流を纏い、兼六園の木々をくぐり、一直線に小道を抜けていく。その後を禍々しい黒いオーラを出してレグラが追尾する。どんどん離れていく二人を目で追うのはやめ、眼下に視点を持っていく。ディアナがまた違った方向へ走り出し、逃がさんとばかりにラルスが追う。そして、ハルヒもまた、二人とは違う三方向目、入口の方に逃げていく。みんなこの場から離れていく。

残されるのはただ一匹。豊かな緑に囲まれて、どこか穏やかに、涼んでいるようにも見える巨大な悪魔。例によって同じ態勢で、さっきまでレグラとディアナが立っていた、何もない、白い砂利を見つめている。微々たる動きも無く、ただ両翼を静かに揺らす。デビルン。   

メープルはゆっくりと降下し、その目の前に低空浮遊した。デビルンは顔の角度の変えずとも、目玉だけ動かし、眼前の魔法少女をじっくり捉えた。

 いい天気。南に上がった太陽。白い砂利道に星形の影を落としながら、メープルは呟く。


「二人きりになっちゃったね。デビルンはどこも行かんの?」


「……………ウウ……」


 声なのか、しかし発音は無い。無理矢理文字にすれば、うう、と表す他ない音を、喉の奥から震わせた。犬みたいな反応だな、とメープルは思い、少しだけ笑った。


「喋れない? でもたまに喋るよね、変なこと」


「…………」


「お兄ちゃんがあんなこと言うからさ、ちょっと知りたいげん。レグラさんに呼ばれたんやね? どうやって呼ばれたん? ていうか、どこに住んどるん?」


「…………」


「……オータムリーブス」


 メープルは、片手をモミジの葉っぱに変えた。

 その腕を伸ばし、目の前の尖った鼻先に近づける。ここまで迫っても、デビルンは一切の反応を見せない。怖がりも喜びもしない。しずかな無表情。

 メープルは呟く。


「……ごめんね。これが私の役目やからさ」


 困ったような笑顔を見せ、蒼白いその顔面へ、腕をそのまま、真っ直ぐに体ごと突っ込んだ――

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 芸術のような、絵の中みたいな、茂り散らかす訳でなく、空間を余す訳でもない。兼六園の緑の並木。それを裂くように作られた一本の真っ白な道を、ひたすらにどんどん進み、満開の桜の下を通り、少し開けた空間を迷わず右折。ちらちらと振り返りながら、レグラの位置を確認し、再び前を向き走り続ける。

 すると、この砂利道に沿うようにして、大きな池が広がっている場所に出て来た。木々と桜に取り囲まれた、緑とピンクと、そして青空の青が混じった、鮮やかな池。

 

プエラは池のほとりで急停止し、青髪を靡かせ素早く振り返る。

 躊躇なくレグラは突撃、しかしもう握ってやろうとはせず、悪魔の腕でこぶしを作り、振りぬいた。スピードも威力も乗った右腕の一撃、プエラはしゃがみ、紙一重で回避する。レグラも瞬時に反応し、空いた左腕を水色の頭へ叩き付けた。するとプエラは自分の体をシャボン玉のような水の膜で覆ってしまう。振り下ろされたレグラの腕は、その水膜をブヨンと凹ませ変形させるだけにとどまり停止する。この魔法を維持するため全神経を集中し、険しい顔でプエラは言う。


「やっぱり諦めてくれませんね、今度は部下を従えて……」


「馬鹿共に、異世界にまで迷惑かけさせる訳にはいかないんだ」


「それにしてはたった二人なんですね。それもディアナと」


「収容所も忙しいんだ。分かってくれるな?」


「プエラとフラーマのせいですからね。私とラルスは被害者ですよ……!」


 プエラは不意を突き、後方へ下がり、4,5メートルの距離をとる。レグラは追わず、支えの無くなった左腕を地面に叩き付け、大地を震動させながら、目をプエラに向け、冷たい言葉を返した。


「手加減が難しいな……気を抜いたら潰しかねない」


 プエラはムッとするが、言い返すことはできない。事実その通り。レグラに殺していいと言う自由が与えられたら、もっとあらゆる手段があるはずで、若い魔法使いの一人や二人、何の造作もなく無力化できる。しかしレグラは殺さない。楽に死なせたくないらしい。

 これを利用しない手はない、とプエラは考えた。

 まともに戦っても勝ち目はない。こちらの体力が先に削られ、遅かれ早かれお縄にかかる。だったら。


「頼みますよ……」


 プエラは小さく深呼吸した。

 両足を縦方向に大きく開き、腰を割る。左腕を、ダンベルを上げる時のように曲げ、その上腕と前腕に挟むように、伸ばした右腕を設置して構える。

 体力、集中力、魔力が満タンのうちに。相手が油断しているうちに。

 成功したことはないが、賭けるしかない。レグラに向かう手のひらを開く。

 水の名称魔法――


「グラヴィス・プルヴィアァァァァァ!」


 プエラは叫び、撃ち放つ!

 手のひらから、ピュッと小さく水が飛び出し、軽い曲線を描き、足元へちょろちょろ垂れ落ちた! やがて収束! 以上。失敗。大失敗。嗚呼。


「やっぱり出ないぃぃぃ~~」


悲嘆するプエラの四方。囲むように、砂利道から、レグラの肩から延びる悪魔の腕と同じものが、まさに兼六園の木々のように、上に向かって出現した。鳥籠の中に閉じ込めようという魂胆だ。痛哭も中断、プエラは全速力で真上に飛び上がり、自分を覆おうとする悪魔の腕から逃れた。

 そして、いつの間にか上空で待ち伏せをしていたレグラの、巨大な腕に、全く気付かないまま、後頭部をおもいきりぶん殴られた。

 脳は揺れ、意識は途絶。プエラの体は空を斜め下方向一直線に吹き飛んでいき、鮮やかな池へ、鋭く激しく墜落した。質量が水面に叩き付けられ、生じる尋常ではない音。水しぶきが何メートルと豪快に飛び散り、ほとりの桜の木を濡らす。

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