第14話 対峙
「プエラさん!? 頭おかしくなっちゃうよ! もうリンス十回目やよ!? 艶がえげつないことになってるってば!」
シャワーの下から引っ張り出そうとしても、すでに光り輝いている黒髪を一心不乱に撫で続けるプエラ。その隣で浮いているロロが代弁する。
「引っ張らないでください! プエラは……生まれつきこうなんです」
「そんなこと言っても! いつまでやってんの!?」
「夜が来て、朝になるまでです!」
「あれもう頭おかしくなってる! 私が助けてあげるから……!」
モミジは両手で、プエラの片腕を掴み、体重を乗せて引っ張ると、さすがにプエラはよろけてしまい、モミジに引きずられるがままに移動する。
「や~~だ~~、露天風呂は嫌なの、露天アレルギーなの、夢で露天風呂に追いかけられるの!」
「ほらほら、絶対きもちいから、私を信じて!」
踏ん張ってもタイルの上はつるつる滑り、どうしようもなく進んでしまう。湯船の横を通り過ぎ、どんどん引っ張られ、外に繋がる扉の前にたどり着く。
そして何の躊躇もせずに、モミジはノブに手をかけて、勢いよく開いた。が、
見上げると、そこには全く綺麗な青空が広がっている。
「……え?」
素っ頓狂な声を漏らすプエラを、モミジはそのまま引っ張って、湯気だつ露天風呂の中へ、二人一斉に飛び込んだ。そりゃもう気持ち良すぎて、モミジとともに「うぇぇぇぇい」と極楽の声を垂らしてしまうが、ブンブンと首を横に振り、青空を見上げ小さく叫んだ。
「まだ召喚してないの? 遅すぎるでしょ!」
プエラの頭に乗って、ロロは返す。その言葉はプエラの曇った顔を晴らして見せた。
「結構粘りましたからね、もう世界征服できちゃったのかもしれません」
「おぉう♪ それもあるわね、じゃあラルスと合流して……」
「プエラさん、何喋ってんの?」
モミジが顔を覗き込んだ。少し驚いたが、慌てることなく、プエラは上空を指さして言う。
「あのトンビは自由でいいなぁ、ってね! 閉塞感に苛まれる人間社会を生きるものとして、そう思わずにはいられな――」
瞬きの後。
プエラは満月を指さしていた。
唐突な真っ暗闇に視力が追いつかない。漆黒の中、黄色く輝く月だけを、ぼんやり浮かぶ丸として認識できる。外気は急にひんやりし、夜風に草木がざわざわ揺れる。
世界の照明は落とされた。世界は素早く夜になる。
プエラが「あちゃぁ」と口に出した時には、モミジがザバンと立ち上がっていた。
『満天の湯』を出て、あたりを見回すと、駐車場の真ん中で、ラルスが喜んでいた。夜の闇の中、軽く踊っている姿には変態性がにじみ出ている。急いで走り寄り、声をかける。
「ちょっと、遅いってば! モミジちゃんにバレちゃったじゃない!」
「おおプエラにロロ! 本気の本気でお願いすれば、大魔王も分かってくれるんだな!」
何故か上機嫌なラルスは声を弾ませ、プエラの肩を掴んでくる。鬱陶しいので振り払い、さっさと訊くべきことを訊く。
「それで大魔王は? モミジちゃんはもう出発しちゃったの。それより早く出会わないと、また炎上させられるでしょ!」
「おう……って、あれ? そういえば、大魔王はどこだ?」
「ぶっ殺すわよ! 夜になっただけで踊るなバカ!」
勿論げんこつをしてから、プエラは周囲に目を向ける。あの黒い巨体は、いくら注視しても、浮かび上がってこようとはしない。
夜空を見上げる。
満月の下、闇の中、オレンジ色の彗星が、北東の方へ飛んでいく……。
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街灯も間に合っていない闇の中、叫び彷徨う往来を掻き分け、俺は疾走する。
まったく、突然夜になったくらいで、若い女は意味もなくでけぇ声を出し、ガキは泣き出し、男は祭りのようにハイテンションになりやがる。運転手は車を降りて空を見上げ、各店の従業員も、自分じゃ何もできないくせに、わざわざ出てきて様子を探る。懲りない奴ら。日頃のつまらない生活内で叫び足りていないんだろう。ちょろちょろ動き回るそいつらを躱しながら、俺は走る。
デパート『大和』の角を曲がる。ミスタードーナツを通り、大きな公園を左に見て、金沢二十一世紀美術館の横を走り抜く。夜桜の舞う、百万石通りを突き進む。
突然の夜で停車するものもあれば、スピードを上げる車もいる。謎の心理だが、そんな謎の車に轢かれる訳にはいかない。信号が青になるのを待って、横断歩道を駆け抜ける。
木製の看板、白い文字で『兼六園』。その横を通り過ぎ、広やかなコンクリート道から細い砂利道に突入した。途端に空間は緑に包まれる。
グネグネと神妙な曲線を伸ばす木々を視界の両端に、夜の中、ぼんやりと白い道を、まるで冥界にでも向かっているような心地で、息を切らして走り続ける。そのうちに、桜の乱れ咲く開けたスペースへ飛び出した。
ライトアップされていれば綺麗な夜桜なんだろうが、急遽訪れた夜に当然追いつかず、闇の中、雲みたいなものが、ざわざわ揺れていることしか分からない。俺は右、左と、顔を向ける。
ヤツを見つけ、右へ進む道に沿って、少しだけ走り、別の開けた空間に出る。そこには桜こそないが、満月に向かって真っすぐに伸びる巨大な木々で囲まれており、その中央には、しゃがんで、でんと構える、夜の色に似たアイツがいた。
俺は立ち止り、この巨大な魔法を見上げて笑う。
「……やっと会えたな、ディアボルス……」
呟き、静かに歩み寄る。
黒紫の巻角、赤く充血させた両目をぎょろぎょろ動かし、鋭くとがった鼻の下、巨大な口の端から紫の舌を出し入れする。不気味な青白い顔面。しゃがんで曲げた膝の上に、妙に細長い両腕を乗せ、蝙蝠のような羽を音もなく揺らしている。歩み寄る俺を、舐め回すようにじろじろ見つめながら。
「よし……メープルはまだ来てねーな、クソ、走らせやがって……ハァ」
足を止めたことで急に噴き出してくる汗。さっさと拭う。
「お前はホント……なんで目の前に現れないんや……まぁ、出て来るだけでおかしいことなんやけど……」
ディアボルスは不思議そうに、眼下の人間を見つめている。
俺は呼吸も整えず、忙しなく周囲を見渡す。たった一つの影もない。とうに逃げてしまったんだろう。空を見上げても、月下に鳥が飛び回っているだけで、変わった気配は現れない。例えばオレンジ色の流れ星とか。
よし、と一言。俺はディアボルスの顔を見つめ返し、疲労の中で声を弾ませた。
「時間がない、急ぐぞ! つっても、そうだな、本題の前に、これや」
ディアボルスの膝に手を当て、その肩さと冷たさを感じながら、一切ためらわずに、俺は声を張り上げた。
「魔法少女メープルを、この世界から消し去れ!」
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