第13話 スロースターター

 兼六園。

『岡山県の後楽園、茨城県の偕楽園と並ぶ、日本三名園の一つ、兼六園。江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています』


 訳の分からない説明に耳の痛い思いをしたプエラも、その美しさに呆然とした。

 水みたいな青空に、咲き乱れるは白桜。それは一列に並ぶ大きな巣に、溢れ集まる蜜蜂の如き。風もないのに、絶えず視界を埋め尽くす、何十枚何百枚の花吹雪が舞い落ちる。整然と綺麗な白の砂利道、シャボン玉みたいに、まるで植物とは思えない丸に切り上げられた草木が、そこら中に並んでいて、根本はずっしりと張っているのに、上方はくねくねと空間を押し広げるよう自由に育った不思議な木があると思えば、足元には清浄な小川が音もなく流れ、石製のなだらかな太鼓橋が架かっている。街のコンクリートから離れた光景が、目前から遥か向こう、三百六十度どこまでも続いている。美しいと感じざるを得ない。

そのなかでもやっぱりプエラは、頭上満開の桜から、目を離さずにはいられなかった。


 澄んだ空気に深呼吸して、背伸びしながらモミジは言った。


「ここね、桜の咲いている時期は無料開放しとりん! 綺麗でしょ?」


「え? ああ……うん」


 プエラは昨日買ってもらった服をそのまま着ていた。ピンクのTシャツ、水色のジャケット。デニムショートパンツ。足元だけ似合わず黒色のブーツ。プエラの所有物はこの靴だけだ。

 満開の桜の木の下。呆けた顔を上げるプエラ。それだけで絵になるなぁと、少し遠くで見ていたモミジは思っていた。

 すると突然、プエラはこちらに向き、


「ほらラルス、こっちまで来てみて! そこから見るよりすごいから!」


 と手招きした。モミジの隣で、紐に繋がれ風船を演じている妖精二匹を持ち、突っ立っていたラルスは、言われるがままに駆け寄った。


「どう!? 綺麗でしょ!」


「桜か……。やっぱり花は綺麗かも。でも俺の知り――」


 ラルスがしみじみ語り出そうとするのも知らず、プエラは走っていた。地面の砂利で心地いい音を立てながら、少し遠くまで駆けて、太鼓橋の上で止まってしゃがんだ。下を流れる小川を眺め、


「ほらラルス来て! こっちも綺麗よ! 桜の花びらが流れてきてる!」


 と無邪気に言った。ラルスも嬉しそうに駆け寄る。はたから二人を見るモミジは思う。一見プエラがあっちこっちとはしゃいで見ていて、しょうがなくラルスが付いて射てるようだが、ラルスの顔を見る限り、プエラよりもラルスの方が楽しんでいる。満面の笑顔だ。かと思えば、草花や小川を、食い入るようにじいっと見つめる。


「うん、本当にきれい。丸一日かけてじっくり見たいな、兼六園……」


 ラルスの方が楽しんでいると思ったのは、彼がいつになく饒舌だからだ。


「いや、一日かけて見ないと駄目だね。飾らない美の美しさを思い知らされる。街を歩いている男も女も、顔や髪にべたべた何か塗っている人が多いけど、ここに来たことはないのかな……」


 ゆっくり歩いて来ていたモミジは二人に追いつき、後ろから言った。


「ラルスさん、メイクしてる人が分かるんやね。お兄ちゃんとは大違いや……」


「お兄ちゃん? ハルヒ?」


 プエラが訊き返すと、モミジは頷き、呆れたような笑顔を見せる。


「うちね、いま大学生でいとこの女の人がおりんけど、金沢に来たついでにうちに遊びに来たことがあって。ちょっとメイクしてたの。それだけでお兄ちゃん、「お宅、どなたですか?」って言ってね! お兄ちゃん鈍感すぎねん! 確かにちょっと化粧して雰囲気も違っとったけど、あれはどう見たっていとこの……」

 自分で話し出し、自分で笑い出すモミジ。プエラは引きつった笑いを見せた。なるほど。魔法少女になれば多少雰囲気は変わるけど、あれはどう見たってモミジである。ということは、言わない方がいいっぽい。


「……ところで、ハルヒも来ればよかったのにね」


 何となく気を使って放ったプエラに、モミジは手を横に振った。


「無理無理、今日は土曜日やもん。昼間まで家で寝とるよ。私たちだけで楽しも!」


「うん、そーね!」


 プエラはすくっと立ち上がった。


「兼六園、くまなく探索しましょう! 今日は忙しくなるわねって違あああああああう!」


 そして唐突に叫んだ。モミジもラルスもフラーマもロロも、他の観光客も、全員びくりと肩を揺らした。




いしかわ動物園。

『いしかわ動物園は、子どもたちの夢を育む楽しい学習の場として、緑に囲まれた自然の中で、楽しく、遊びながら動物の生態を観察したり、動物とのふれあいを通じて、自然保護や動物愛護の精神を学べるように「楽しく、遊べ、学べる動物園」を基本コンセプトとして、施設の整備や運営を行っています』


 次にモミジが連れて来た場所。拒んだけど無理にでもモミジは引っ張った。少し長い移動時間、不安と苛立ちがあったのだが、園内を少し歩いただけで、大体そんなものは吹き飛んでいた。


「おおおおおおペンギンだあああああ?」

「うわうわうわライオンだ、ライオンだぁ!?」

「クジャクじゃん! クジャクジャン! 羽広げないかなぁ?」


 小学生のように、プエラはピョンピョンはしゃぎまくる。檻から檻まで、ウサギのようにひとっとびだ。すると本当に、次のエリアには手のひらサイズのウサギが何十匹といて、もきゅもきゅ野菜を食べていた。


「ほんとにもきゅもきゅって言うんだあああああああ♪」


 目をハートにしている。ほんとに目ってハートになるんだ。

 小学生のように、と言ったが、小学生のモミジは、プエラの後ろ1メートル、立ち尽くすラルスに並んで、苦笑いしながら立っている。

 すると突然、プエラは振り返る。少し真剣な顔で、つかつかと2、3歩でモミジたちの前まで歩み寄って来て、腕を伸ばす。

ラルスの手首をがっしり掴んだ。


「ほら、呼びに来てくれるのを待ってるんじゃないわよ?」


 不意にそう言われ、ラルスは顔を赤くした。


「そ、そんなつもりない! なに言って――」


「ほーら、つぎつぎ♪」


 プエラはラルスの腕を手繰り、体をくっつけて走り出す。ラルスは恥ずかしい気持ちになるのも半分、もう半分は不安で、こう思っていた。兼六園を早々に出た理由をプエラは覚えているのだろうか?

 連れて来られたのはカピバラ温泉というエリア。その名のとおり4、5匹のカピバラが湯気だつ風呂に使っている。こいつらの顔もあって、まさに「極楽極楽」と漏らしているおっさんである。プエラは声を上げて笑う。


「へへへ、おっさんはきもいけど、おっさんっぽい、ってのは可愛いものね!」


 呑気過ぎることを言うプエラに、恐る恐るラルスは訊いた。


「いや、プエラ……いいの?」


「なにが?」


「いや、ハッスルしちゃってるから……」


「うん?」


「いや、早いうちにしなきゃいけないことが……」


「はぁ? はぁ……ぁぁぁああああああああ!」


 プエラは叫ぶ。モミジもロロもフラーマも、ちらほらいる客も驚いた。カピバラだけが、何食わぬ顔でくつろいでいた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

満天の湯、金沢店。

 いわゆる銭湯。昼間なので客は少ない。ぬいぐるみを装ってロロを運んでも、不審な目を向けられることはなかった。更衣室で衣服を脱ぐ。そこでモミジは、ポケットから子供ケータイを取り出してみると、兄からメールが届いていることを知った。


胸上から膝までバスタオルで包まれたプエラと、全裸のモミジ。大きな浴場に足を入れ、お湯の中をゆっくりと進み、壁に来たところで振り返り、ゆっくりと腰を落とした。ぞくぞくと快感が震えて、「あああああ」と声が漏れてしまう。顔は蕩けて戻らない。カピバラの気持ちがよくわかる。

 ぺたんとお尻をつけてようやく、全身の硬直を緩め、ほかほかと、半強制的にリラックスする。極楽過ぎてニヤニヤしてしまう。


「うああああ~こりゃ駄目ね。どうしてもおっさんになっちゃうわ」


「気持ちいいねぇ……。ラルスさんも入ればよかったんに」

 

銭湯の中、反響する声。客が少ないのをいいことに、声が大きくなってしまう。


「男はお風呂が嫌いなのよ。人生損させといてあげましょ」

 

モミジは笑った。湯気の中、上気したその顔はほんのり赤くなっている。

 プエラの胸の前ではロロも湯に浸かっている。らしくなく、小さな鼻歌を漏らしていた。そんなロロを見てモミジは思ったが、妖精は服を着たままお風呂に入るらしい。いや、もしかすると、ロロやフラーマが着衣しているものは独立した服ではなく、服のように見える模様で、これが『妖精』の体なのかもしれない。だとしたら妖精はいつも全裸ってことになるけど、恥ずかしくないのかな。


「プエラさん、訊いていーい?」


 モミジはなるべく自然に言った。お風呂の中、上機嫌でプエラは返す。


「何でも訊いて? 私が答えられる質問なら、私に答えられないものはないわ!」


 とてもおバカな発言だ。でも残念ながらこの場に突っ込みは不在。ロロは目を閉じ、フンフン♪ と鼻歌をサビに突入させたところなのである。

 じゃあ、とモミジは訊いた。


「プエラさんって、なにカップ?」


「へ!?」


 プエラは無意識に、腕を組んで胸を隠すようにした。首を傾げてモミジは訊きなおす。


「分かると思いんけど……なにカップなの?」


 質問に反し、純粋な視線。「ぐ……」と渋っていたプエラだが、じっと見てくるモミジの顔に、はぐらかすことができなくなる。まあ、女の子だしいいか、と諦めも思ってしまった。

 顔を背け、ボソリと呟く。


「……Eの、上の方だけど……」


「いーのうえ? いーのうえでいいがん?」


「だから、ほとんどFだけど、ぎりぎりEなの! Eの上の方よ文句ある!?」


「ご、ごめんなさい、了解! いーのうえ……井上やね! オッケィ、任務終了!」


 突然モミジは立ち上がる。真面目な顔で変なことを訊いたかと思えば、いつもの溌剌とした元気な笑顔に戻っていた。


「そんなことより、ここにはサウナとか水風呂とか、いろんな設備がありんけど、なんといっても露天風呂やよ!」


「げっ」


 プエラの苦い顔に気付かず、モミジはるんるんと続ける。


「夜に来たらもっとロマンチックやけど、昼でも逆に新鮮やって。今から行こ?」


「いや、ちょっと待って、遠慮しとくわ!」


 なぜか焦り始めたプエラの、その意外な態度に、モミジは目を丸くした。


「ん? いやでも、絶対気持ちいよ! オススメやよ?」


「いや、その……と、鳥に私の裸を見られる訳にはいかないわ!」


「鳥を男としてみるん? あれ、プエラさんって、変態さ――」


「外に出たら寒いじゃない!」


「だからお風呂が気持ちいんやろ? ほら、いこ!」


「いや、なんというか……ああああ、足つったああああ! 痛くて動けないいぃぃぃぃ」


 満天の湯という建物の裏、住宅の並ぶ閑静な道。

 プエラがモミジを引き付けている間に、赤髪のラルスは静かに唱える。


「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス――」

 

この銭湯に来る前。石川動物園を出るとき、ラルスとプエラで企てた作戦だ。ディアボルスが出ると昼だろうが夜になる。屋外にいるものはそれに気が付く。冷徹に光る満月を見て、モミジは大魔王の出現を悟ってしまう。すなわちメープルの襲来を意味し、ディアボルスはあっけなく炎上させられる。だったら簡単、ラルスが大魔王を召喚、出会い、世界征服してしまうまで、モミジを屋内に閉じ込めておこうよ、という作戦。やろうと思えばいつでもできた。が、ちょっとカナザワシを堪能してしまっていた。

 それにしても、これもプエラと話していたことだが、この世界は昼が長すぎる。夜はいつ来るんだろう。


「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス。ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス――」


 目の前を、腰を曲げたおばあさんがゆっくりと通り過ぎる。ラルスを「様子のおかしな青年」として疑心の目を向けてくるが、それ以上に発展しない。この世界では、ディアボルスを召喚することは罪にはならない。これではっきりした。最後の一息を、晴れ晴れしく言い切ることができる。両手を天に伸ばし、


「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス! さあディアボルスよ! 俺に世界征服できる力をさっさと寄越せええええ!」


 見上げた空。青空に白い雲が浮かび、トンビが一匹、優雅に飛行している。

 おばあさんがゆっくりと近寄って来て、大の字になっているラルスに「大丈夫かい? なにか、助けがいるのかい?」と親切に声をかけて来た。カナザワシの老人は優しいこともこれで分かった……。


 数十秒待つ。

 奴が来ないので、もう一分待って、まさか聞こえなかったのかと思い、もう一度。


「さ、さあ大魔王ディアボルスよ! 俺に世界征服させろおおおお!」


 閑静な住宅街に響く。響いて、数十秒。

 一分待つ。ラルスはハッとし、態勢を変え、土下座しながら叫び散らす。


「お願いしますディアボルス様、ちょっと、ほんのちょっと世界征服させて頂ければ……!」


 土下座する頭の前に立つおばあさんが、「そいつは困った相談だねぇ」と笑っている。太陽の下、「にしても温かくなってきたねぇ」と続けてくる中で、ラルスは冷や汗を垂らしていた。呪文を唱えても夜にならない。ディアボルスが出て来ない。

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