第11話 追撃
カエデの形の炎の両手を、暗闇の中でぶんぶん回し、メープルは頭から落下。迎え撃つレグラは両腕を振り上げ、闇夜に馴染んだ漆黒に変化させ、その質量を何十倍にも肥大化させた。落ちてくるメープルを、ボールでもキャッチするかのように、握ってやろうと空へ伸ばした。
闇に溶け込んだその腕は、メープルが気付いた時には、すでに全身を包み込むように覆っていた。「あ」と力のない声が漏れ出たが、それは激しい危機の直感だった。ぐっと歯を食いしばり、両腕の炎の矛先を、レグラの顔から自身を囲む巨大な黒腕へ変更する。しかしその手のひらはもう、メープルの体に触れようとしており、どこか少しでも動けるスペースは残っていない。気付くのが、そして対応するのが、遅すぎた。
だから。だからこそメープルは、自分の細い腕を、思いっきりに伸ばし、その場で回転切りを試みた――
「うりぃやあああああああ!」
放つ奇声。ぶつける両手。同時にレグラの悪魔の腕は、魔法少女を、握りつぶす。
そして互いに空ぶった。……。
「……あれ?」
「……は?」
メープルとレグラは、そろってポツリと声を漏らす。
レグラの巨大な手は空を握ってなにも掴まず、メープルは一人、なにもされずに上空を舞っていた。
二人は思わず、自分の魔法を疑った。それぞれ無意識に、車道の中央に着地するが、相手のことなど全く気にせず、互いに自分の手を見つめた。
大して時も待たず、「こっち」には異常がないこと互いに知る。互いに相手の様子をうかがう。そして互いに、訳の分からない顔なのを知る。
しばらくぼけっとしていたが、先ににやりと悪賢い笑みを見せたのは、メープルだった。
「……お兄さん、魔法使いみたいやね。デビルンのことも知ってるみたいだし、もしかして敵? 魔法少女メープルの新たな敵? 敵だとしたら、あれれぇ?」
口に手を当て、お嬢様のように微笑んで見せ、メープルは続けた。
「その魔法、わたくしに効いてございませんわよぉ? いやでも、私の魔法も効いてないみたいやけど……」
「お前、何者だ?」
レグラの声色は相変わらず冷たいが、少なからず動揺を見せていた。
「何者だ」と言われることにある種の憧れを持っていた魔法少女は、場違いにもニヤニヤしてしまう。
「へへへ、魔法少女メープルだ、覚えておけぇ!」
びしりとレグラを指さし、本日3度目の名乗りを上げた。その流れで、嬉々と続ける。
「イマイチ分からんけど、私たちは魔法で攻撃できないみたい。邪魔されないならいつも通り、デビルンを炎上させちゃうだけだから! んちゃ!」
メープルは突風のように走り出し、レグラの手前で小さくジャンプする。どこからか待機していたカエデの葉っぱが、地面の間に滑り込み、メープルは華麗に飛び乗り、風に煽られた木の葉の如く宙に舞い上がった。
デビルンの頭上に躍り出る。蒼白い顔をレグラに向けながらも、その充血した眼はじろりとメープルを捉えている。その無表情めがけ、メープルは落下。モミジの炎が宿った両手で、
「らああああッッ」
目玉をぐさりと斬り裂いた。
デビルンはとにかく大きいので、目玉と言っても両目同時とはいかない。落下の衝撃を乗せ、まずは右目。ぶよぶよした黒目に突き刺さり、メープルの肘まで埋まる。引き抜くと同時に裂傷部からはモミジの炎が噴き出して、充血する白目を、漆黒の瞼を、メラメラと燃やし広がっている。メープルはすぐさま左目に移動、眼球に手首を突き刺し、横一線に切り抜いた。
デビルンは苦しんだりしない。ただ、真っ赤な炎が溢れ出した両目を気にして、腕をゆっくり顔の方へもっていく。口元は震え、何かもぞもぞ言っている。円上を始める顔面を、しきりに気にする。
メープルは後頭部に回り、首筋を走り、背中を一心に斬り尽す。夜の闇に浮かび上がる、黒の巨体。その至る個所から、真っ赤な火が飛び散って、溢れ、流れ、メラメラ光る。
レグラは顔を顰めて走った。ディアボルスの背中に張り付き乱舞するメープルを見上げ、小さく舌打ちをする。初めて出会う、自分の魔法が利かない相手。大概の妖精を熟知していると認識していたつもりの、所長としての焦燥。
体中から、炎の吹き出す大魔王。
レグラはディアボルスの足首まで駆け寄って、精一杯に腕を伸ばし、中指を、つるつるとしたその漆黒の皮膚へ、付着させた。同時に大声で言う。
「おいディアボルス。一旦退避だ。出直すぞ!」
その瞬間、ディアボルスは、その巨体を、夜の街から忽然と消した。
「……はれ?」
1秒ほど、それに気づかず、2、3度宙を斬ってから、メープルは声を漏らした。目の前に何もないこと見る。その空間ごと切り抜かれたかと錯覚するほどに、でんと新座していた巨体は、跡形もなく消失し、ふわりと一つ、突風を巻き起こすだけだった。
メープルは思わず顔を覆い、何とか片目だけ開き、状況の確認に急いだ。視界の真ん中、車道の中央。レグラが立っている。レグラの胸から、何か小さなものが飛び出したような光景がちらりと見える。
風が収まり、もっとよく見ようと目を凝らしたが、その時にはもう、そこには誰もいなかった。
着地したメープルは、訳も分からず、キョロキョロ辺りを見回した。気が付くと、ハルヒもラルスもプエラもいない。乗り捨てられた車だけが混雑する、シダックス前。しばらく呆然とし、何かを待っていたが、何も起こらないことを知る。
メープルはカエデの葉っぱを呼び出し、飛び乗る。サーフィンボードを乗りこなすように、夜を滑り、三日月の方に進んでいった。
俺は玄関で待っていた。
ガチャリと扉が開き、「ただいまぁ」と言ってモミジが帰ってくる。その瞬間に俺は、モミジの両脇に腕を差し込んで、ふわりと体を持ち上げた。「うわ!」と叫ばれるが、それより大きな声で俺は訊いた。
「こら、なんで後に逃げた俺より帰りが遅いんや」
モミジはポリポリと頬を掻き、困ったようにへらっと笑う。
「ごめんなさい、ちょっと……コンビニでジャンプ読んどった」
「化け物から逃げる道中でジャンプを読むな」
「心配してくれとったん?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」
別に悪意はなかっただろうモミジの問いに、少し子供っぽい反応をしてしまった。顔を背ける。するとモミジは、俺の体に飛び込み、ぎゅっと抱き着いてきた。それから何も言わずに、頭を俺の肩に預けきって、にこにこと笑う。兄だからわかる。こいつはおねむだ。
モミジを抱えたまま、和室兼リビングに移動する。そこは、まあ非日常の賑やかさだ。ラルスは畳の上で大の字に寝て、プエラは適当な漫画を手に取って読んでいる。テーブルの上には、妖精のフラーマとロロが肩を並べて座り、テレビに夢中になっていた。ここまで他人の家でくつろげる奴らもいないだろう。俺の負けだ。感服してやる。
「あれ……みんなおったん?」
俺はそういうモミジを胸からおろし、頭をポンポン叩きながら返す。
「なに言っとりん、こいつらを連れ出せって、お前が頼んだんやろーが」
「え? ああ、そうそう……そうやった」
目がとろんとしてきている。
まずいな、こいつが急に疲れて帰って来る時がたまにあるが、今日は特別に眠たそうだ。こんなぼーっとした脳で少年ジャンプの展開についていけないと思うのだが。本当はどこで何してたんだ?
まあいい。俺は言ってやる。
「もう寝ろ。飯も風呂もいらんな? 明日は土曜やから好きなだけ寝坊していいぞ」
モミジは目を擦りながら「やったぁ」と言って、自分の部屋に歩いていった。
「さて」
俺は和室に戻り、人なり妖精なりパラダイスなこの空間の端っこに、胡坐をかいて座る。それに気づいたプエラが、漫画から目を離し、こちらにまっすぐ顔を向けて来た。
「モミジちゃん、寝ちゃった?」
俺は思わず目を背けながら返す。
「ああ、パジャマに着替えてくれててほしいけど、無理やな。あの様子じゃすぐベッドに転がって10秒でころりやろ。まあそんなことはどうだっていい」
机に手を伸ばし、リモコンを取って、赤い電源ボタンを押す。音もなくテレビは消え、同時に妖精2匹が、俺の顔を睨んできた。面倒なので目は合わせない。部屋の音が消えたことに気が付き、ラルスがむくりと起き上がる。一応顔は彼に向けながら、それでも全員に向けて、声をひそませ、口を開いた。
「お前らをわざわざ呼び戻したのは他でもない。これまでお前らを邪険に扱ってきたのを謝りたくてな。まあお茶でもしよう……」
と言いながら、別にお茶も水も何も出してない。と言っても、こいつらのうち誰かが冷蔵庫に向かっても、俺は止めない。ただ、ものすごく嫌な顔を向けてはやるが。
4つの顔は4つの顔とも、ぽかんと口を開けていた。邪険に扱われていたことに覚えがないんだろう。どいつもこいつも鈍感すぎだ。しっかりしてる奴の方が苦しむなんて、世界の有りように失望してしまう。
「お茶でもしながら、お喋りしたくてな。お前らについていろいろ知りたい……。つーかそっちが本題や」
言うと、フラーマが隣に座るロロの肩をポンと叩いて答えた。
「こいつなら、チョコ1つにつき10個のことを教えてくれるぞ!」
「私はそんな軽くないです。あなたこそ頼りにされたら喜んじゃうお子ちゃまじゃないですか」
「へっ、俺がお子ちゃまならお前は赤ちゃんだな! うぇ~いベイビ~!」
放っておくと自分たちの世界に入っていかれそうだ。無視しよう。と思ったが、それでもフラーマの最後の一言は、「いやいや、その感じがおこちゃまなんだろーが」を誘発しまくっている。言ってしまいそうになったじゃないか。
さっさと用件だ。
「そうやな、まずはお前らから。根本的な質問で悪いんやけど、妖精ってなんや」
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