第8話 あの顔
2階建てアパート。その2階の一室。
俺はパソコンを開き、ユーチューブで適当なお笑い番組の動画を流しながら、その手前にスマホを置いて、ジッと目を落としていた。静かなやる気に満ち満ちている。
さぁて、時間はある。フフフ、どう料理してやろうか。
その構想を練っていると、ガチャリと玄関の鍵が開く音がした。やっとモミジが帰ってきた。ちらりと時計を見る。7時半。説教だ。小学二年生の7時半ってのは、お風呂に入るかご飯を食べるか、まったりテレビを見る時間であって、外にいていい時間じゃない。
そのうちにドタドタと廊下を歩いてくる音がするが、どうもモミジは足が6本にでもなったようだ。やけに騒がしい。まさかと思う暇もなく、俺の部屋の扉はノックされ、
「お兄ちゃん、お客さん!」
とモミジの声。まさか。まさかね。そんな訳ねーだろと思いながら俺は速足で扉に向かい、恐る恐る開ける。モミジの後ろにフラーマとロロが立っている。
「うおおおおおおおおおい!?」
「うええぇ!? な、なに!?」
俺の叫びに対し、モミジは「うええぇ!? な、なに!?」らしい。驚く様子を見る限り、正気でこの反応らしい。兄の教育がなっていなかったらしい。モミジを部屋に引っ張り入れる。「ちょっとすいません」とフラーマたちに言い残し、バタンと扉を閉める。
モミジの頭に拳骨を食らわせる。
「痛ぁぁぁぁ!? うそ、なんで!?」
「ほんとなんでだ!? 見ず知らずの人を家に入れる馬鹿がおるか! しかもよりによってこの危ないコスプレイヤーを!」
「見たし知ったもん! 二人ともいい人やよ。ちょっと魔法使いらしいけど」
「危ない危ない危ない危ない危ない。まだ遅くないから帰ってもらえ、さぁ急げ」
「忘れ物を預かってくれた恩があんの! あと「おうちがどこだかやっぱり忘れたことにする、ううん、忘れた」って言ったもん! 見捨てられんよ!!」
ヤバい。ヤバいことしか言ってねぇ。言いくるめられた妹が気の毒になるくらいだ。
どう説得してやろうか悩んでいると、部屋の向こうから、冷蔵庫の開く音、どたどたと歩く音、リビングのテレビがつけられたこと、「なにこれぇ!」と盛り上がる声。俺は1秒で誤解舌打ちをしてから、モミジを引っ張り、大股に部屋を出る。
まず台所に行けば、冷蔵庫の戸はしまっておらず、炊飯器も、コンロも、テキトーな引き出しも開きっぱなし、シンクにはボウルに入れ冷やしておいたポテトサラダのラップがめくられ、食べ荒らされた状態で放置してある。
台所に接している洋室。加賀家ではモミジの自室であるこの部屋に入ると、ベッドの上でフラーマがごろごろしている。枕に顔をうずめてやがる。「あああ何してんの!」と叫んでモミジはフラーマに飛びつき、ベッドから落とそうと奮闘しだした。
俺はイライラ歩く。モミジの部屋のまた隣り、和室。加賀家ではリビングとして使われッている畳の部屋。机の上に堂々と座り、目の前のテレビに食い入りながら、チョコのアイスバーをぺろぺろ舐めるロロがいる。とろけた表情で幸せをうたってやがる。俺はとろけた表情で勝手に人んちのものを食べているこの女の、水色の髪をバチンと叩いた。
「え、痛っ、なんですか?」
ロロはびっくりして俺を見上げる。なるほど。今の自分が叩かれていることが、「え、痛っ、なんですか?」らしい。どいつもこいつも狂ってやがる。早急にお帰り願おう。
俺はアイスバーを取り上げる。「あぁっ」と腕を伸ばして取り返そうとするロロの、その顔に向かって言い放つ。
「おい帰れ。家が分からねーなら歩いて探せ。モミジが変な気を持たせて悪かった」
「えっと、ハルヒさん、ですよね。色々と突然で申し訳ありませんが、と、とりあえずチョコを返してく――」
「もう何も訊くな。帰れ」
何をこんなに怒ってるんだろう、みたいな顔で俺を見るロロ。もう本当に、どういう酷い言い方をして追い出してやろうか。
考えてる中、枕を抱きしめて寝転がっているフラーマの、その片足を両手でつかみ、こっちまで引きずってきたモミジ。ロロに向かって言う。
「気にしないでね、お兄ちゃん最近イライラしとるだけねん。思春期なの。ほっといてあげて?」
「うるせーなイライラしてねーようるせーな。ハッピーが溢れて止まらねぇよ全く」
「そ、それもそれでキモイけどね……」
言ってモミジは、あおむけで寝るフラーマの胸辺りに尻をついて、枕をはぎ取ろうとする。「おい盗るんじゃねぇ」とフラーマは言い「私のでしょ!」とモミジが返す。馬鹿共が。
ふと顔を前に戻すと、ハルヒの右手に持ったアイスバーに顔を近づけ、ロロはぺろぺろ舐めていた。「うまぁ~……」と恍惚の笑みを浮かべている。俺はその額にデコピンを炸裂させ、「痛っ」と口を開くロロにアイスバーを突っ込んだ。
馬鹿どもを家に入れておけば家が馬鹿になっちまう。どかどか歩かれたら下の階に響いてしまう。晩飯のおかずがなくなり、風呂上がりのアイスもなくなる。
そしてなにより、こいつらがいようがいまいが、俺は最近イライラしている。
とにかく。このまま家に入れてればグダグダお休み布団持ってきてコース確定だ。残念ながら実家で暮らす父と母がこっちに来て寝るとき用に布団は2つあるのだが、そんなことは関係ない。阻止せねば。
「よし、分かった。出かけるぞ!」
俺は3人共へ向けて言い放った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
夜の香林坊。車も人も騒がしい。連なるいろいろな店が、各様にぴかぴか光っている。
マックを通り、セブンイレブンを通り、コートダジュールは入ったことがないから見送って、ちょっと歩いて、シダックスに入店。4名様2時間で二階の部屋に通され、階段を上がりさっさと見つけてさっさと入室。俺は座る前にデンモクを取って、ボーカロイドの曲を入れてやる。もうビビらせてやる。調子に乗っているこいつらを、恐れ、おののかせて見せる。
6人部屋。L字の長椅子にフラーマ、ロロ、モミジが並んで座ったころには、心地いい和の前奏が爆音で流れる。俺は立ったまま、マイクのスイッチを入れる。「ラルスさん、カラオケ初めて?」「カラオケっていうのか」なんて、和気あいあいと喋ってやがる、このガキどもを呑み込んでやる。でも、あれ、こいつの名前はフラーマじゃなかったか? いつの間にかラルスになったのか?
まあいい。俺は大きく息を吸い、全力で歌い出す。
「だぁいたぁんふてきに はぁいかぁらか・く・め・い らーいらー――」
視界の端っこにいたフラーマとロロ。二人の胸から、同時に何かが飛び出した。
「いら・く・ら・く はーんせーん……」
無意識に歌詞は出て来るが……。
フラーマの胸から飛び出した、全体的に、赤い、人形? ロロの胸から現れた、こちらは水色の、やっぱり人形……? しかし人形は、独立してその場で浮遊し、それぞれフラーマとロロに体を向ける。赤いほうの奴が「驚くじゃねーか!」と怒って、突然黒髪になったフラーマが「そっちこそ、いつまでいるんだよ」と反論している。
そして、その隣。
水色の方は、黒髪のロロに首を絞められていた。
「あんたねぇ、私を押し込めてハッスルしてんじゃないわよ誰の体だと思ってんの!」
「ずみまぜん、わずれでまじだ、ぐるじいでず」
水色の人形は苦しそうに声を漏らす。
俺は、一瞬で、黒髪になったロロに、目を釘付けにしていた。
丸みがとれ、標準的な女性の輪郭になり、目も少しだけきりりとした、強気そうなその顔。綺麗な黒髪。服を押し出す大きめの胸。活発な、幼げのある、少女の声……。
「……ああ……クソ、嘘だろ……」
どうしようもなく声が漏れてしまいながら、俺はとうとう決意した。何故今まで粘っていたんだろう? 悪霊は退散してくれない。じゃあ善人退散、ICBMだ。
マイクの電源を切る。素早く切る。モミジの腕を引っ張って、すぐに部屋を出ようとする。なるべく急いだのだが、その間にモミジは叫んで言った。
「ちょちょちょ、お兄ちゃんどうしたん!? 入室1分で帰るって、シダックスさんに献身的すぎる!」
「残り1時間59分は化け物共にくれてやるよ。信じられねぇ。なんやあれ」
扉を開き、出来ようとする俺を、全身全霊で引き留めるモミジ。服の裾を思いっきり引っ張られる。
「出て来たのはフラーマさんとロロさんやよ? ただの妖精! ただの妖精やって!」
「俺の可愛い妹を汚しやがったな化け物め。何がただの妖精や。まあいい、もう関わらない、帰るぞ」
「嫌だ嫌だなんで!? 化け物じゃない……って、うわ!」
妖精がどうとか言い出した哀れな妹の、小さな腰に腕を回し、俺はモミジを持ち上げた。ばたばた暴れる手足を抑え、頭を撫でて部屋を出る。いまだにその妖精とやらと口げんかする二人を置いて。
扉を閉める。有線放送の流れる店内の廊下。静かではないが、室内よりかは会話ができる。
まだ騒いでいるモミジ。他のお客さんにも迷惑だ。俺は顔の横まであがったそのケツを叩き、歩き出す。歩き出そうとする。
そこでようやく、目の前に立つ人間に気が付いた。
「あ……」
どうやらこの方の行く手を、俺が塞いでしまっていたらしい。モミジを抱えたまま反射的に横にずれ、道を開ける。
しかしその人は動かなかった。
変に思い、俺はその人をちゃんと見る。不審な男だ。全身が真っ黒の衣装で、つい最近どこかで見たような格好だ。どこだったろう? 綺麗な白い髪の毛は男にしては少し長い。青白く光る眼光を、真っ直ぐに俺に向けてきている。どういう訳か動かない。
「……あの、どうぞ?」
俺が促すと、そこでようやく、ゆっくり男は口を開いた。
「ベニオ・ベニオ・アドベニオ」
「え?」
「なんてな。お前ら、名前は?」
尋ねられ、コンマ1秒でモミジは返事する。どうやら名乗りが好きらしい。
「私は加賀モミジ! こっちがお兄ちゃんのハルヒです! お兄さんはうわッ!」
モミジの体が、俺の腕からストンと落ちた。
スカートが引っかかってしまい、ベロンと捲れ、完全にパンツが見える。モミジは大急ぎで整え、「ちょっと! 持つなら持つ! 持たないなら持たない!」と変な起こり方をする。
俺は無視して、前を向く。思考停止で、呆然と男を見つめていた。
「俺はレグラだ、よろしくなモミジ」
うっすらと笑って、レグラとやらは静かに言った。
モミジが笑顔で頷いたのを見送って、レグらはおもむろに歩き出す。そして、すぐ、扉に手をかけた。ところで、そうだ。俺たちが避けた先にあるのは、廊下じゃない。俺らが入った一部屋だ。
レグラが扉を開ける直前に、ふとモミジは質問した。
「レグラさん。その恰好、プエラさんの友達なん?」
しかしレグラは口を開かず、モミジを見下ろし、再びうっすらと笑って見せて、躊躇うことなく扉を開け、部屋には歩み入ってしまった。
夜のカラオケ店にコスプレイヤーみたいな変人が多いのは知っている。でも、ちょっと、あれはおかしい。どう考えても……。あとモミジ、今なんて言ったんだ?
いや、一旦休憩だ。疲れた。眠い。有り得ない。全部から逃げよう。もう嫌だ。
俺はモミジと手をつなぎ、出口に向けて歩き出す。
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