第3話 イシカワケンカナザワシ
「お兄ちゃん! 今日ね、隣のクラスの新太郎くんが授業中に廊下をびゅーって走って言ってんけどさ、みんなで「あいつ、うんちじゃね?」って大騒ぎになってんけど、意外にすぐ帰ってきたから、「おしっこだったのか?」ってなってね、」
俺はスマホに目を落とす。モミジは身振り手振りで続けている。
「でもあと10分で授業終わるってのに、我慢できないおしっこってないだろってなって、結局みんなの出した結論は、あいつは素早くスムーズにうんちしたっていう……」
俺はスマホに目を落とす。
モミジはようやく、隣を歩く兄が、テキトーな相槌だけ打って、ほとんど聞き流していることに気付く。ムッとするが、それも一瞬。モミジの中でもっと気になることがあったらしい。その小さな顔は俺の顔を覗き込み、
「お兄ちゃん、最近イライラしとる?」
と訊いてきた。お兄ちゃんこと、俺、加賀ハルヒは、仕方なくスマホから目を離し、眉間に皺をよせてモミジを見下ろした。
イライラしてる? と訊かれることが、何よりもイライラする。なぜならイライラしているからだ。真正面から視線をぶつけても、じっとこちらを見て来るモミジ。俺は何気なく顔を背け、道路の車の往来に目をやった。そっけなく返す。
「別にイライラしてねぇよ。超ご機嫌やよ」
「超ご機嫌!? そうなんや……。顔に出ないにもほどがあるよ……」
モミジは呆れた顔で呟いたが、すぐに気を取り直したようだ。
赤いランドセルを揺らしながら、ちょっと走る。そしてハルヒの前に先回りして、ハルヒに体を向けながら、後ろ向きに歩き出した。歩道は混雑しているとまでは言わないが、少なからず人がいる。危ないぞ、と注意しようとしたその前に、モミジは笑顔で喋り出した。
「お兄ちゃん! 大和行かん? 買い物に付き合ってほしいなぁ♪」
俺は首を傾けて返す。
「お前、欲しいものとかあるんか。あと危ないぞ」
「欲しいものくらいあるよ! あとマックも行こ! チーズバーガー食べたいな!」
「お前……それで晩飯が食えねーとか言いだしんろ? まったく……」
なんて返しながら、俺は笑った。
モミジは別に欲しいものなんてないんだろう。マックでもモスでもどこだっていいんだろう。最近様子のおかしな兄貴に気を使っているだけなんだ。モミジは絶えずニコニコしている。
「あ、じゃあさ、大和でゆっくり買い物してさ、マックを晩ご飯にしよ! じゃあじゃあ私はダブルチーズバーガーにして、ポテトMにファンタのグ――」
モミジの頭上から、二人の人間が落ちて来た。
あ、と声に出すのが精いっぱいだった。
言葉の通り。視界の上に忽然と人間が出現したと思ったら、そのまま重力に従って落下し、モミジの体をぐしゃりと潰した。それが目の前の全てで補足はない。少し視野を広げれば、この一連を見てしまった大多数の通行人が、足を止め、なんだなんだと群がっており、現在進行形でその数は急速に増えている。直感的にまずいと思う。いや、別に俺は何もまずいことをしてないのだが、注目されること自体に嫌悪感がある。
「いたたた……うう……」
「痛ぇ!? なんだなんだ!?」
「ぐぐ……ぐるじい……」
三者三様に痛がっている。一人一人にさっと目をやる。
全身黒色の服で、髪の毛が水色の女は、頭のあたりを抑えている。
ぼろ雑巾みたいな汚い服装で、髪の毛が赤い男は、悶えながら自分の尻をさすっている。
二人のけつの舌で、モミジは大の字でうつぶせになりながら、しきりに顎のあたりを気にしていた。
みんな可哀想だが、何よりモミジが心配だ。それと周囲の目。
俺は焦って3人に近づいた。
そしてまず俺に注目してきたのは、水色の髪の女だった。目が合ってしまったのもあり、まず彼女を起こしてやろうと、手を伸ばす。
差し出された手に彼女は少しだけ警戒し、そのうちに大丈夫だと判断したのか、ゆっくりと掴んできた。俺は引っ張り、彼女は体が起きると同時に訊いてきた。
「えっと……ごめんなさい。ここはどこでしょう……」
3人の中では一番冷静に見えた彼女だったが、彼女もどうやらパニックらしい。ということは、ここに状況を理解できている奴はいないのだ。俺もとにかく冷静に、目の前の質問にだけ答えて見せた。
「どこって、ここは香林坊ですよ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
石川県金沢市香林坊。
まるで相対性理論でも聞かされたような顔をする二人に、俺は補足してやった。
「あ、でもここは香林坊の隣、石川県金沢市片町ってところの、マクドナルドです」
するとまあ、喋っている途中で察せたが、二人はきょとんと目を丸くして、口も半開きになりやがる。俺は別に「人間とは何か」なんて問いかけはしていない。
向かいに座るその二人のうち、黒いトレンチコートのような服を着た、水色の髪の、少し丸顔でいかにも少女っぽい顔の女の子が、居心地悪そうに何度も座りなおしながら、恐る恐る聞き返してくる。彼女のコートはまあまあ分厚いように見えるのだが、完全に胸が押し上げ主張している。目のやり場を誤らないようにだけ俺は注意する。
「えっと、ここはコーリンボーの隣のイシカワケンカナザワシカタマチのマクドナルド……」
「そうです。ちなみに俺の名前は加賀ハルヒです。二人は……」
俺は二人に目を向けるが、反応してくれるのは女の子のみ。赤髪の、口端からちらりと八重歯が覗く男の方は、ぎょろぎょろと周囲を見回している。建物の2階。やや薄暗い照明の下。壁には女性の顔のアップを白黒にしている、俺にもよく解らない絵が何枚か並ぶ。時間も時間で、ちらほらといるお客さん。白い机の並ぶ、この食事用階の端っこ。4人席に腰を下ろして間もない俺達には、分からないことが多すぎた。
「私はロロ。こっちがフラーマ……あれ、ラルスでしたっけ。あの、どうやって呼べば……」
と言い、女は隣の男の肩をたたき、何やら確認し始めた。
こいつら、現時点で俺が想定しているよりも、ヤバイ、イッちゃってる方々じゃないか? プエラとフラーマって……。あれ、ラルスだっけ、って……。確かに二人の上方格好はアニメキャラのコスプレのようで、アニメイトにでもいってきたみたいだが、「ラルスだっけ」の一言に、イマイチ詰め切れていない感がある。そこがまた怖い。何のアニメか知らないが、なりきるならなりきってほしい。空から降ってきたことを言及してもいいだろうか?
しばらくこそこそ喋っていた二人。ふとこちらに向き直り、自称ロロは不自然な笑みを浮かべて言った。
「フ、フラーマでいいらしいです! 彼はフラーマ。よ、よろしく、ハルヒさん」
こいつらほど裏があるのを隠せてない奴もいないだろう。とは思いながら、俺も軽く礼をし返す。
この階の自動ドアが開く。4人分の注文を一つの板に乗せ、モミジは入ってくる。慎重に歩いて、俺らの机にゆっくりとおろし、ふ~っと息をつき、飛び込むように俺の隣に座った。一階で買ってきたハンバーガーなりポテトなりを、それぞれの前へ配ってくれる。最中に俺は言ってやる。
「モミジ。こちらがロロさんで、こちらがフラーマさんだ」
「ロロさんとフラーマさんはさあ!」
二人の前へそれぞれドリンクを置いた流れで、乗り出した身で二人の顔を覗き込み、モミジは楽しそうに訊いた。
「空から落ちてきたやんけ!?」
「は……はぃ。まぁ、その、なんとなく……」
なんとなく空から落ちて来たらしい。非常に怖い。俺が気になったのはそこだったが、モミジの興味はそこじゃなかった。間髪入れずにこう訊いた。
「てことは、私の運命の人ってことだよね!?」
ロロはもちろん、ポテトを一本手にとりじろじろ見まわしていたフラーマも、ドリンクにストローを差し込んでいた俺も、目を丸くする。モミジの熱弁は続く。
「でも二人ってのはちょっと想像してなかったなぁ! ロロさんは女の子だから、私の夫はフラーマさん? ちょっと年が離れとるけど、フラーマさんは大丈夫?」
キラキラした眼差しを向けられたフラーマは、ニコリともせず、ぶっきらぼうに返す。
「何言ってんだチビ女。運命とか夫とか何の話だこれうまっ!」
途中で口に運んだポテトに表情を変える。瞬息で感動しやがる。そこからは右手左手でポテトをとっては美味そうに食べる。空腹の子供が飯を与えられてがっつくあの感じだ。彼は服もボロボロだ。誰かになりきるためにわざと汚しているのでは無ければ……。これまでの経緯を聞きたくなる。いや、経緯どころかもっといろいろ問い詰めたいが、なんせ二人にはやばい奴の気があるのだ。迂闊に踏み込めば何をされるか分からない。
俺は黙ってコーラを飲む。「チビじゃない! 年相応!」と不思議な怒り方をしているモミジを横目で見る。こいつが大好きな漫画かアニメで、突然空から降ってきたカッコいい少年と愛をはぐくむストーリーに、すっかり影響されているんだろう。まだ小学二年生なんだからしょうがない。が、俺が小二の時はもっと大人びていた。
しかし二人のことを知るために、特攻隊長モミジを野放しにしておいた方がいいかもしれない。ハルヒは黙ってドリンクを置き、ハンバーガーの包みをはがしにかかる。
「年相応だしすぐおっきくなるの! でも、そっか! ロロさんが彼女なのか!?」
「待って下さいモミジさん、誰がこんなやつ――」
「こんなのを好きになる訳ねーだろ、バカかよ!」
モミジの一言をきっかけに、そこからロロとフラーマは言い争いを始めてしまった。俺はフィレオフィッシュにかぶりつき、訊いてないふりして会話を聞く。
「はい!? なんですかその態度は。仕方なく協力してあげたっていうのに!」
「ふん、協力しようとしてくれたのはお前じゃなくって人間の方だろ? お前は一つも偉くねぇ!」
「私が頑張ったんです! 全部私の力です!」
「馬鹿おめぇ、もう殺されたかと思ったんだぞ? もうちょっと安心できる時間稼ぎしろよ!」
「結果的に逃げれました! もうちょっと感謝してほしいんですけど!?」
「イシカワケンカナザワシコーリンボーって長ったらしい地名の謎の場所に来ちまったけどな!」
……さあ、逃げた方がいいか?
なかなか手の込んだ設定してるじゃないか。フラーマだっけラルスだっけと迷っていたさっきが嘘のようだ。横を見るっと、さすがのモミジも目を丸にして黙っちゃってる。
しばらく意味不明の口論を続けたが、どうやらこの空気に気付いたようだ。ロロはハッとこちらを向いて、引きつった笑顔を見せて来た。
「ああ、いやいや、何でもないんです! 秘密です!」
秘密です! と言った。怖い。悪びれもしてない。もしかしたらただの天然かもしれない。
しかし小学二年生のモミジは、ロロのまともな対応に安心した。好奇心による笑顔を取り戻し、そこからは質問の乱れ撃ちだ。どこに住んでるの? なんでそんな格好なの? なんで髪の毛の色が変なの? マック知らないの? ……なんて、空から落ちてきたことは運命だ何だと片付けて、いま思いつくことを本能のままに訊いている。ロロははぐらかしたり、場合によっては答えたり、何だか大変そうにしており、隣ではフラーマがハンバーガーを食べて感動の涙を流している。
俺はスマホをポケットから半分のぞかせ、ちらりと見る。午後四時半を少し越えたあたりだ。続けて窓から外を見る。まだ昼間と変わりようのない、明るい空だ。だがまあ、あと一時間もすれば暗くなっていき、二時間もすれば夜になる。
「ところで、ロロさん、フラーマさん」
俺は無理やり会話に入った。モミジはムッと険しい目で、ロロは救われたと言わんばかりの感謝の目で、フラーマは突然首を突っ込んできた男に興味ありげな鋭い目で、それぞれ見て来る。少し臆してしまうが、急いでいるので言葉を続ける。
「詳しい事情は聞きませんが、特別な理由があるってわけじゃないですよね?」
「と、特別な理由とは……?」
そう聞き返すロロの声は震えている。特別な理由がありそうだ。もちろん、詳しい事情は聞かない。
「だからまぁ……変なこと言いますけど、記憶喪失とかですよ。帰る家なんかはあるんですよね? いや、あるとは思うんですけど、一応」
「えーっと……い、家はありますよ、もちろん! 帰れるかは……まあ、おそらく……」
「金沢市にあるんですか?」
「カナザワシ? ……ああ! この辺の住所! そうです、カナザワシカナザワシ!」
「あの。とにかく俺が訊きたいのは、俺らは帰っても問題ないかってことなんですよ」
「ええっ……。あ、帰りますか。そうですか。はい、私たちなら大丈夫です!」
「とても安心しました。変なこと聞いてすいません」
俺は自分の出したごみをぐしゃっと潰して持って、立ち上がる。さっきからモミジが踏んでいるリュックサックを引っ張り上げる。ダブルチーズバーガーを口いっぱいに入れながら、モミジは俺を見上げて言った。
「え、帰るん?」
「おう、さっさと食え。でもちゃんと噛め」
「私、フラーマさんたちと居ていいけ?」
「ハァ?」
まさかの提案。俺はモミジを見下ろしながら、ちらりとフラーマたちを見る。奇人、訳アリ、変わり者に違いはない。ただ悪い奴らにも見えない。犯罪なんかに手を出せるような狡猾さみたいなものを微塵も感じ取れやしない。なんせ若いのだ。俺と同い年くらいか。
モミジに視線を戻して言う。
「分かった。遅くなんなよ。俺はでかけてるかもしれんから、眠くなったら勝手に寝ろよ」
「ほいほーい」
超テキトーな返事をして、モミジはそれっきり俺に目を向けず、ロロたちへの質問攻めを再開した。ちょっと呆れる。が、俺はすぐに歩きだし、自動ドアを抜け、一階へ降りて行った。なんせ用事があるのだ。今日こそは、あいつと出会わなければならない。
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