第2話 反逆の序章
「うわあっ!」
現れたのはフラーマと同じ大きさ、形状の妖精。水色の髪に水色の羽。短い手足で崩れたバランスを立て直し、宙に浮遊し、なんとかプエラの方に向いた。
「ちょ、ちょっと、プエ――」
何か言おうとして、口を開いた水色の妖精の、その小さな体を、プエラは両手で鷲掴みにした。すっぽり手の中に納まった妖精は、苦しそうに喉を詰まらせる。しかし容赦なく握る力を強めるプエラは、口を開いて喋り出した。その声は、さっきまでの彼女の声とは別人だった。
「やっと捕まえたわよこの生意気な妖精ちゃん……! なかなか出て行かないんだもん苦労しちゃうでしょ……?」
ラルスもフラーマも、息をするのも二の次に、少しだけ身を乗り出して、繰り広げられる不可思議な状況を見やっていた。そこでふと気が付いたのだが、水の壁は消えていて、視界を遮るものは無くなっていた。
いつの間にか髪色も黒に変化しているプエラは、わなわなと、興奮状態で、笑みを浮かべながらも怒りを含んだ声を続けた。
「ロロ! あんたそーやって私を押さえつけて、「やれやれ全く、この子は私がいないとダメなんですから」なんて優越感に浸ってるんでしょ? あんたのやってることは、少女の純粋な夢に蓋をしている気持ち悪い大人どもと一緒なんだから!」
ロロと呼ばれた水色の妖精は、手足の拘束をどうすることも出来ず、プエラの手の隙間から伸びる羽をパタパタと動かすのみ。苦しそうだが、強気で言った。
「絶対だめですよ! プエラに大魔王は呼び出させませんから! 私が絶対!」
「……ふっふっふ」
するとプエラは、訳ありげな笑みを漏らし、得意げに声を弾ませた。
「まあ確かに、ロロが妖精なんじゃ、私は自由にできないけれど……フラーマ!」
プエラは体をぐるりと回し、素早くラルスの方を向いた。
その唐突な動作にラルスはビクリとし、その隙にフラーマは、一直線にラルスの胸に飛び込んだ。体はドクンと脈打って、髪の色は瞬時に赤く染め上げられる。勢いのままに立ち上がり、声を出そうとするが、それより早くプエラが言った。
「あんたの体にロロをぶち込んで、魔法使いにしてあげるから、大魔王を呼んじゃいなさい! この子はなかなか強情だけど、あんたの情熱があれば制御できる!」
「はい!?」と叫ぶロロがいたが、それよりも大きな声でフラーマは反応した。流れは一転し、するりと事態を呑み込めたのだ。ラルスの体のフラーマは、思わずにやにやしながら、味方となったプエラに言い放つ。
「そうか! そっちは人間の方がまともなパターンなんだな!? 大丈夫、実は俺も魔法使いだ! フラーマは俺の名前で、この人間の名前はラルスだ、よろしくなっ!」
「はいイィィッ!?」と叫ぶロロだが、それより大きくプエラは、「うっそ、ホントに? よろしくね!」と返した。続けて、
「じゃあ早く呼んじゃって! 私とあなたで、世界征服と行っちゃおう!」
と言う。フラーマの中では、世界征服に協定など有り得なかったが、そんなことはどうでもよかった。この世界で初めて同氏を見つけられたことが、何より嬉しかったのだ。
「いいねぇいいねぇ! よぅし行くぜ。ベニオ・ベニオ・アドベ……」
唱え始め、1秒。
瞬きで、目を閉じ、開いた、次の視界。薄暗がりの独居房。プエラとラルスの中間に、一人の男が立っていた。
無意識に言葉を止めてしまった。こちらを向くその男と、とっくに目が合っていた。鋭いというか、冷たいというか、ネズミか何かでも見下ろすような高圧的な眼球が、暗がりの中で怪しく光り、確かにラルスを捉えていた。全身プエラと同じ黒づくめの服装で、真っ白な髪の毛だけがひときわ目立っていた。ラルスがまだ、唖然としていた中で、プエラが叫んでいた。
「レグラ所長!?」
ロロから手を離し、急いで男に向き直り、態勢を整えていた。
レグラ所長と呼ばれた男は、体はラルスに向けたまま、首だけをゆっくりと曲げ、肩越しにプエラを見やった。そしてニコリともせず、寒気だつ低い声を、独居房に反響させた。
「おい……ここはお前の夢の中か? 好き勝手しているようだが……」
「えっと、れ、レグラ所長……。もしかして、聞いてたり……?」
「思い残すことはないか?」
プエラは、「あ~……」と漏らし、どうしようか一瞬考えた。ごまかそうか。
しかし、ぐっと決意し、歯を食いしばり、
「フラーマ、急げ!」
と鋭く叫んだ。
顔の傍で呆然と浮遊していたロロを、再び掴んで、プエラは胸に押し付けた。もちろん抵抗しようとしたロロだが、
「いっぱいチョコ食べさせてあげるから!」
とプエラが言うと、たちまち心が揺らいだようで、なぜか急に大人しくなり、暴れてまで抗おうとはしなくなった。ロロはそのまま体の中に入り込み、プエラの髪の毛は瞬時に水色に染め上げられる。
同じタイミング。レグラの周囲、床から上へ、にゅるにゅると伸びる、人の腕の形をした黒色の影。4,5本生えた巨大で不気味なその腕は、今まさに何かを掴もうと、不規則にゆらゆら動いている。その中央に立つレグラは、静かな顔でラルスを見つめ、両手を広げ天井に向けていた。ラルスはようやく我に返り、「急げ!」というプエラの言葉を理解した。胸に手を当て、口を開く。
「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス
ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス……」
レグラが発生させた、悪魔の如き巨大な腕は、ラルスに向かって伸びて来ていた。しかし言葉をやめる訳にはいかない。今の自分の役目は、呪文を唱え切ることなのだ。
「ごめんなさい、レグラ所長ッッ!」
叫ぶのは、プエラの体、ロロの声。
プエラは両手を伸ばし、開いた手のひらから、水流のレーザービームを発射した。それは細く鋭く、ドリル回転を纏いながら、この至近距離では早すぎるほどに、高速でレグラの背中に突撃した。しかしレグラは振り返ろうともせず、地面から生える漆黒の腕の一本を後方へもっていき、その手のひらで受け止める。レーザーの威力はすさまじいようで、手のひらに突き刺さり、貫通させんとばかり螺旋回転を持続させたが、数秒ののちに威力は殺され、完全に止まると同時に水滴となってぼたぼたと床に垂れ落ちる。その数秒の間。
プエラは全身を水で纏って、先ほどのレーザーの中に自分が入ったような、大きな水の塊になって、放射線状に宙を飛び、超高速でレグらの背後に接近していた。
「もらったッッッ」
斜め上方、プエラは腕を伸ばし、レグラの肩までもう数センチの距離まで持っていき、いまにも付きそうなその手のひらから、今度はレーザーを一度に5本出現させ、1秒ほど力をためてから、躊躇なく発射した。
レグラは小さく舌打ちをした。
「チ……、愉快な夢だな……」
と声を漏らした次の瞬間には、全身を真っ黒な影で覆っていた。影と言うより、霧、のような状態になり、放たれたレーザーは黒い霧に穴をあけ、そのまま直進し、ラルスの顔の横10センチと、目にもとまらぬ速度で通り抜け、後ろの石壁に衝突した。壁は砕け、意思の破片がボロボロと崩れ落ち、ラルスの足元に散らばった。
「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス……」
ラルスは目を見開き、とにかく呪文を唱え続ける。プエラの心配でもしようものなら、言葉は詰まり、集中力は途切れてしまう。この呪文はただ言えばいいってものではなく、大魔王ディアボルスを、心の中でありありと思い浮かべなければならない。
ラルスの目の前1メートルで、悪魔の腕は動きを止めてくれている。レグラがプエラに気を取られているからだろう。そのレグラが変化した、黒い霧は、吸い込まれるように地面の中に入っていった。残ったのは悪魔の腕が5本6本。その中央、さっきまでレグラが立っていた位置に着地したプエラ。なわばりに入った獲物を捕らえるように、悪魔の腕は彼女に向かって襲い掛かった。
「フラーマ、やるなら急いでください! まずはとにかく、この状況を何とか……!」
言葉を続ける余裕もなく、プエラは再び水流を身にまとい、迫る腕の間をかいくぐって回避する。ラルスも当然、返事をするゆとりなんてない。一心に大魔王の姿を想い、禁断の呪文を淡々と続ける。
「ベニオ・ベニオ・アドベニオ……」
プエラは壁際に後退し、迫る腕から距離をとる。肩を上げ、肘を曲げ、手の上から巨大な、手裏剣上の水の渦巻きを出現させ、鋭く一線、投げ飛ばす。シュルルルと切れ味を感じさせる音をたてながら、一直線に空を斬り、襲い掛かる巨大な腕の、2、3本、手首のあたりから切り落とした。プエラは一旦安心して笑う。
プエラの上の天井から、レグラは染み出るように現れ、舞い降りる。
大体の姿は変わらないが、レグラの右腕だけが、やけに巨大で鋭く、黒い闇に染まっており、落下の最中にその腕を伸ばし、プエラの脳天を鷲掴みにした。ラルスは声をかけてしまいそうになるが、ここまで来た呪文を止める訳にはいかなかった。口は動かし続けるも、まずい、と感じる。
プエラの顔面を、硬い石の床に叩き付けながら、レグラは着地した。プエラの体は地面に突っ伏した状態になり、動かない。動けない。
「大人しくしとけ……。さて」
その態勢のまま、レグラはラルスに顔を向けた。
地面に生える巨大な腕が、再び動き始める。残り3本。もう距離もない。ラルスに向かって不気味に伸びる。真っ黒な手のひらが、もう目の前に、視界のほとんどが、闇に変わっていく。
「ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス・ベニオ・ベニオ……」
あと一回。
そう思いながら。一応急ぎながら。もう無理だった。悪魔の手は眼前10センチ。数秒後には、首を絞められ、言葉は止められる。レグラの加減次第で殺される。それでもあと、たったの一回。大きく目を見開き、恐怖に喉を詰まらせそうになりながらも、言葉を続けた。それが功を奏した。
ラルスの顔と、悪魔の腕の、その間、10センチ。そこに雨が降り出した。
思わず「え?」と漏らしそうになってしまうが、なんとか心の中で終止させた。見覚えがあったから助かったのかもしれない。ザアアアと上から下へ水は流れ、それは壁となっている。ラルスを閉じ込めていた忌々しいこの魔法。頼もしいこの魔法。
水壁に接触した巨大な腕は、刹那に水に飲み込まれ、腕の周囲だけが水中の状態になる。動きは当然遅くなる。レグラの舌打ちが、雨の音の中でも、ラルスの耳まで届いていた。
逃す訳にはいかなかった。この一瞬。ラルスは死ぬ気で叫んだ。
「アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス! おい大魔王ディアボルス! とにかく俺とプエラを助けろおおおぉぉぉぉ!」
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