炎上の大魔王

@kurokurokurokuro

香林坊の魔法使い

第1話 ありふれた夢

 とうとうラルスは、終身刑を言い渡された。


 ここは地下空間。薄暗く、肌寒い。地面も床も壁一面も黒色の石に囲まれて、洞窟にも似た感覚だ。閉塞感に苛まれ、まったく気分はいいもんじゃない。でも、こんなところにいられるか、なんて連れて来られてすぐは思っていたのだが、2時間も過ごしてしまえば、この暗がりにも目は慣れて、心の余裕も出てしまうのだ。牢屋にぶち込まれた身でありながら。

 ここは拘置所の地下空間。ラルスがいるのは、ありふれた独居房。


 ぼろきれみたいな焦げ茶色の服。つい2時間前に着せられたってのに、ところどころが黒ずんだり破けていたりとどうしようもない。ラルスは赤色の髪をぼりぼり掻いて、いま凭れている壁の冷たさを、背中からぼーっと感じていた。こうやって座っているのにも飽きてしまった。動かなければ石像にでもなりそうだ。


 さっきも言ったように、この空間は黒石で構築されており、ラルスがいる牢屋の中も同じだ。背中についているこの壁も、同時に左右の壁も、天井だって床だってテンションのあがらない黒色だ。

 しかし、ラルスが顔を向けている正面。外界と唯一接しているこの面は違って、腹立たしい魔法がかけられている。ここに来てから、絶えず鳴っているザアザアという音はこれだ。


 牢屋と廊下の間に雨が降っている。雨漏りじゃない。上から無数の水滴が横一線に発生し、落下。床に付着する瞬間にそれらは消失。綺麗に一面、雨の壁が出来ているのだ。厄介な魔法だ。触れたが最後、接触部分からたちまち水流は全身を包み込み、動作の自由と、呼吸の方法を奪い取る。見た目はただの雨なのに、おっかない。街の休憩所にでもあれば住民の憩いを手助けして、少しはましな魔法になるだろうに。


 水の向こうで揺れる廊下を、ラルスはぼーっと見つめる。何一つ変わらない、クソつまらない暗がりだ。壁に均等に設置された松明の灯りだけが、ぼんやりと丸く光り、動いてるっちゃ動いている。牢屋の傍らで立っている少女は、動かない。


 ラルスは特に彼女を見ていた。この牢屋の正面から、一歩横にずれた位置で、こちらに背を向け、無表情で直立している。黒の中折れ帽。黒のコート。膝上から脛までは肌が露出し、その下は黒のブーツを履いている。薄い青色の髪の毛は肩甲骨のあたりまで伸びている。そのすべてが、水の向こうで揺れている。


 しかし彼女の顔だけは、水の中でも静止していた。それくらい無表情だったのだ。面白くもなければ、つまらなくもない。ただ口を閉じ、目の前の、何もない黒色の壁を見つめていた。彼女がたまに瞬きをするだけで、ラルスは不意を突かれた感を否めなかった。

 ラルスは、冷たい壁から背中を離し、ゆらゆらと立ち上がる。忍び足で、静かに前進し、水壁のすぐ手前まで歩み寄る。そこはすなわち、彼女のすぐ後ろを位置した。ラルスはすっと息を吸い込み、


「ぅぅうおおおおおいッッッッッ!」


 叫んだ。悪戯に大声を出してやった。自分を監視するこの看守を驚かせてやりたかったのだ。すると案の定、彼女の体はびくりとはねて、クールな表情は一変し、目を見開いてこちらに振り返った。ラルスは勝ち誇り、声高らかに続ける。


「うぇーい、へへ、うぇぇぇぇい! ビビってやんの! 看守のくせにだっせぇ、うぇーーーーい」


 この地下空間に響く声。看守の少女は怪訝な顔で耳を塞いだ。最後の「うぇーい」が反響し終わってから、少女は耳から手を離し、鬱陶しそうなしかめっ面をラルスに向けた。しかし二人の間には雨のカーテンがあり、この囚人を睨み付けることが出来ない。少女は右手の小指をたてて、その場でくるくる小さく回す。すると水は一部分だけ円形の穴をあけ、二人の顔は、真正面に、障害無く対峙した。

 にやにやするラルスに向かって少女は言った。


「フラーマ。自分の立場を知ってください。私は――」


「おいおい、勝手に俺を呼ぶな。まずそっちから名乗れ」


 少女はピクリと眉を動かしはするも、大袈裟に表情を変えず、やや不機嫌な顔で言う。


「私は……プエラです。ですが呼ばれる気はないので――」


「おいプエラ、俺に協力してくれ」


「今すぐ口を塞げばいいですか?」


 対してラルスも間髪入れずに言葉を返そうとしたが、プエラの冷たい目線に当てられていることを、一瞬遅れて理解し、喉が詰まってしまった。どうしようか。少し考え、


「……ははは、まぁまぁ、落ち着けって……」


 俯き、数歩後ずさりながら呟いた。プエラはじっとその様子を見て、静かな声で続けた。静かだが、ザアザアいって鳴り止まない水音は意に介さない、鋭い声である。


「あなたは本当に危険ですね。今も『ヤツ』を呼ぼうとしているでしょう? 気が抜けませんね」


 言葉尻に漏らす、困憊した溜息。そのあからさまに上からの態度が、ラルスの癪に触って、俯きながらも力強く返した。


「俺が危険? 違うね、俺はいたって正常だ」


「正常な人に終身刑は言い渡されません」


「普通はな。じゃあ異常な奴らに裁かれたってことだよな」


 その強気な物言いに、プエラはもう一度溜息をつく。そしてこの分からず屋の受刑者に、看守として、違うアプローチを試みた。柔らかい表情になって、少し優しい口調に変えて、話しだす。


「いいですか、まずは反省しなさい。と言っても、あなたが心の底から反省できる人間なんかじゃないってことは分かってます。だから反省の色を見せなさい。上っ面だけでも、看守にきちんと挨拶して、ご飯が運ばれたらお礼を言って、へらへらしないでメソメソもしないで、誠実に過ごしてみなさい。あなたはまだ若いんです。終身刑とは言い渡されましたが、そんな態度を続けていれば、私が、上官に相談しないこともないですから。ですからまずは、そうですね、私に敬語を使ってみて――」


 ラルスは、俯いたまま、黒い床を見て、呟いた。


「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス。ベニオ・ベニオ・アド……」


 プエラは歯を食いしばり、右手のひらを開いた状態からぎゅっと握る。

 目の前を上から下へ流れ続けた水の壁は、その一滴一滴が弾けるように、一瞬にして消滅する。プエラは右腕を上げ、眼前を横にはたくよう振り抜いた。すると腕の軌道には5つ6つの、直径1メートルほどの大きな水泡が所狭しと現れる。そのまま一直線に、喋り出したラルスの元へ飛んで行った。


 ラルスは向かってくる水泡に驚くも、言葉をやめようとはしない。代わりに、ぶら下げたままの腕の、手のひらを天井に向け、そして、あることをしようとして、ハッとする。

 ハッとした一瞬ののちには、顔面が水中にあった。言葉は止まり、代わりに口から出た白色の気泡が、ブクブクと上方へ向かうのみ。口から鼻から水を飲み、むせ返って、急いで息を吸おうとするも、ただ水を飲み、肺に流れ込むだけだ。見えないが、両手両足もあの水泡に覆われてしまっているようで、うまく動かせない。自由が利かない。ばたばたもがく。思ったように動かない。もうどうしようもできない。苦しい。死ぬ。死ぬ。苦しい。死ぬ。


 そう感じただろう瞬間を見切り、プエラは手のひらを握って、水泡をはじき、この愚か者を魔法のうちから解放した。


 膝から崩れ、腕を突き、荒い咳を吐き出しながら一心不乱に呼吸するラルス。プエラは、静かであるべきの独居房で、いつまでたってもうるさい受刑者の、びっしょり濡れた赤い髪の毛を見下ろしながら、叫んだ。


「フラーマ! いい加減にしなさいこのバカ! それは禁断の呪文だって! あなたはその言葉を言おうとしたせいで今ここにいるんでしょ! ここでその言葉を発したら、次に行くのはもう地獄しかないんですよ!?」


 ラルスは呼吸に必死で、返事のできる状態ではない。プエラはむしゃくしゃし、黒い帽子を脱ぎ、水色の髪を掻き回す。


「ああもう……! そもそもあなたは魔法使いじゃないんだから、唱えたって無駄じゃないですか! ムカつくなぁ!」


「……そんなもん、やってきなきゃ、わかんねー、だろ……」


 こちらも見ず、息も絶え絶えの中、ラルスは無理やりにでも答えた。酸素不足の真っただ中でも、その一言は、このタイミングで絶対に言わなければいけない事だったらしい。プエラは一層不機嫌になって、怒鳴るように叫び続けた。


「一般の人間がその呪文を唱えたところで、大魔王ディアボルスは呼び出せません!」


「……じゃあ、なんで、唱えるだけで、罪になるんだよ……」


「余計なことをするなってことですよ分かりませんか!? ひょんなことであなたに妖精が宿ってしまう可能性が無くはないの!」


「……あのよ」


 ラルスはうずくまりながら、顔だけでも前に向けた。暗がりの中、ギラギラと輝く眼光を飛ばし、鬼気迫る声で、叫び返した。


「余計なことって誰にとってだ!? 俺はいたって正常な思考回路だぜ! ただ世界征服をしたいだけなんだからよ! みんな考えるだろ普通? そのためにディアボルスが必要だ!」


 プエラも眉間に皺をよせ、唾を飛ばしながら叫ぶ。


「うるさいうるさいうるさい! 普通の人はそれを無理無理って諦めるんでしょ? 世界征服とか気軽に使う言葉じゃないからいい加減黙ってください!」


 ラルスはにやりと笑って言った。


「何キレてんだ? いや、俺には分かるぜ。看守って立場だろうが、一人の人間だもんな。やっぱあるんだろ? 燃え滾る野心ってのが! ましてやお前も魔法使いだからいつでも……」


 ラルスは喉を詰まらせた。

 興奮の最中でも無視できない、自分の失言に気が付いたのだ。まずい、と思い目を見開く。

 そしてプエラを見て、大丈夫だと分かった。


 彼女はラルスよりも興奮状態だったのだ。しかしその顔はいつしか、熱いというより、殺人鬼的な恐怖を臭わせる、冷酷な無表情になっており、何も言わず、つかつかとラルスに歩み寄ってきた。

 目の前で止まり、腰を下ろし、ひざまずいているラルスの眼前数センチまで顔を近づける。正規の無い、淡々とした口調で囁いた。冷たい声だった。


「今度『それ』を言ったら、分かりますね。躊躇してくれると期待しない方が身のためですよ。年齢こそ私とあなたは近いですが、別に私は、あなたに何の感情もないんですから……」


 ラルスは、何も言えなかった。

 そのうちにプエラは元の位置に戻っていった。右手をくるくると回し、再び水の壁を出現させた。ざあざあと響く雨の音。それをかき消すと言うべき、静寂。独居房は元通りの状態になった。

 ラルスは『それ』がなんなのか考えていた。勢いのまま喋りまくったので、何のことを指してるのかよく分からなかった。分かったことは一つ。これ以上口を開けば、殺されるだろうってことだけだ。……



 この世界は、普通じゃない。

 世界征服したいって、こんなに普通な夢を、普通じゃないと断言する。それを抑え込むのが常識だと、試す前から無理無理と笑って諦めるのが正常だと、そうなっている。

 無理じゃない。世界を支配する力を有すると言われる存在、大魔王ディアボルスを召喚する方法がある。これはみんな知っている。簡単な呪文である。しかしこの世界では、その呪文を言うことは刑罰に当たる。

 「一般の人間」がこの呪文を唱えたとすると、1度目は厳重注意、2度目は罰金及び監禁、3度目からその額や日数が増えていき、もうこいつは治らないと認識されれば終身刑が言い渡される。そこでも暴れるようなら極刑に処される。この制度は、比較的に配慮がなされていると言える。何と比較してか。もちろん魔法使いとだ。

 「魔法使い」がこの呪文を唱えたとすると、その瞬間そいつは殺される。聞いたものすべてが、勢力を上げ、そいつを殺そうとする。拘束、議論の余地はない。

 魔法使いがこの呪文を唱えれば、大魔王は本当に現れてしまうからだ。

 一般人がいくら呪文を唱えようと、大魔王は現れない。

 じゃあどうやって、魔法使いになるかと言うと――



(お願いお願いお願いお願い、いったん! いったん出てきて)


 ラルスの叫びに、フラーマの体はぐっと前に押し出されるような衝撃に襲われる。フラーマは必死で耐える。必死で耐えて、ラルスの体内に留まろうとする。普段は大人しいラルスのくせに、やたら強い力ではじき出そうとしてきやがる。声を出して踏ん張りたいが、近くには背中を向けてはいるもののプエラが立っている。どうにかしたいがどうしようもなく、どうにもできず、


「んぎゃっ!」


 と小さく叫びながら、フラーマはラルスの胸から飛び出した。


 ラルスの顔ほどの大きさのその妖精は、ぐるぐると回転しながら宙に投げ出され、なんとか態勢を直して浮遊した。赤色の髪を乱れさせ、使いもしない赤色の羽を背中から伸ばし、短い手足をばたばた動かす。しかし大騒ぎするわけにもいかず、ラルスの目の前まで鬼気迫る顔で近づいてから、声を潜めて言った。


「おいやめろ。俺を戻せ。プエラに見つかったら殺されるだろ」


 牢屋の奥、暗がりの中。力なく石壁にもたれるラルス。その髪色は赤からすうっと黒色に戻り、表情もとろんと眠たげになっている。そして、目の前に迫る妖精に、呆れたような声で返した。


「フラーマ……。もう嫌だよ。大人しく過ごそうよ……」


「ああぁっ? 何言って――」


 フラーマは叫ぼうとして、ふと思いとどまって、短い腕で口を塞いだ。おそらく水壁の音がなければ、プエラの耳に届いていただろう。危なかった、と思うのも一瞬。そんなことよりフラーマは、この生気の無い人間に自分の怒りをぶつけたかった。鬱陶しいが、声は小さく。


「お前もこの世界に屈した一人か、ええ? 悔しくも情けなくもないのかよ?」


 ラルスは弱気な声で答える。目にかかる前髪を払おうともしない。


「悔しくないし情けなくないよ。世界征服とか、俺にはまったく関係のない話だって」


「なんのために俺がいると思ってんだ! 妖精の俺が人間のお前に入れば、魔法使いになれる。魔法使いは、大魔王ディアボルスを召喚することが出来る!」


 宙で手足をじたばた動かしながら、2頭身の妖精は大きな口を大きく開く。


「そしてお前はまだ、魔法使いだってことがバレてない! 呪文を試みても殺されない! だから早く俺を戻せ」


「そういえばフラーマ。プエラの水泡の魔法にやられそうになった時、魔法で対抗しようとしただろ」


「うっ……。う、うるせぇ、俺は我慢できたぞ!」


「世界征服も我慢してくれよ……」


「お前はそんなことばっか言ってほんとにまったくクソつまらねえな! 男なら――」


 フラーマの声がまた大きくなってきた。その時だった。水壁の向こうから、「あああああああああ!」と甲高い絶叫が突然響き、静かな独居房に反響した。何を思う暇もなく、ラルスもフラーマも、視線を水の向こうに向けた。


 プエラが叫んでいた。苦しむようにのたうち回っている。黒の帽子を脱ぎ捨てて、水色の髪をワシャワシャむしるように、頭を抱え込んでいた。何かが憑依したような発狂だ。悲痛な叫び声が、地下空間に響いて消える。こんなことを言っている。


「あああああムカつくムカつくムカつくあああああああ何が世界征服だそんな夢はあああああああ!」


 見ても聞いても、状況が分からない。


 興味も心配もない。フラーマは単純に恐怖を覚えた。その横でラルスが、叫ぶプエラを凝視しながら冷静に呟く。


「そういえばあの看守、へんな怒り方をしてた気がする。「ムカつくなぁ」とか、看守が言うかな……」


 フラーマはふらふらと浮かび、プエラを見ながら、心ここにあらずと言った声で返す。


「だからあいつも、実は世界征服をしたい女で、俺に嫉妬してるんだって……」


 言いながらも、内心は思ってもいない事だった。しかし今、目の前で、世界征服をどうこうと言ってのたうち回るプエラがいる。ラルスもまさかと思う。


 そして、プエラの胸から、妖精がぴょんと飛び出したのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る