彼の言い分

 十分ほど経ったところで、葛城が言葉を止めた。

 続きを待っていたが、彼はあっさりと立ち上がって、スクリーンと僕を遮るように立ち塞がった。


「今日はここで終わりだよ」

「何故だい? まだ十分も経ってないじゃないか」


 文句を言う僕に、葛城は目を細める。

 スクリーンの中で女優は動き続けていて、その陰影が彼の背中越しにも微かに見えた。田舎に帰ってきた女は、素敵なカーテンを買ったり、食器を揃えたり、寝台を隣人から貰ったりして、空っぽだった家を見る間に整えてしまったのだ。これからこの家で何が起こるのか、僕は早く知りたくて仕方がなかった。

 しかし葛城は大人がするように右手首から先を揺らして、僕の願いを却下した。


「映画は何日も何日もかけて撮るものなんだよ。君が見た十分は、役者にとっては十日かもしれない。つまり僕の言った言葉は十日分の重みがあるんだよ。君、僕に十日分話させて、なおも喋れと言うのかい?」


 さも当然のように言う相手に、僕は渋々と引き下がる。

 十分間喋っていた葛城の声は少し乾いていて、これ以上喋らせるのが可哀想にも思えたからだった。学校の修身の時間だって、五分以上喋ることなど少ない。ましてこの暑さの中なら、葛城が疲れてしまうのも仕方ないことである。


「ねぇ、どうだった? 僕は彼女だっただろう?」


 葛城は僕の前に立ったまま尋ねる。

 しゃべり続けたために上気した頬が、ほのかに赤いのが見えた。母様の持っている着物の裏地を思い出した。確か紅梅色というのだ。目立ちすぎることはなく、それでいて目に入った時に驚くような鮮やかさがある。


「これだけじゃわからないよ。もっとちゃんと聞かなくちゃ」

「じゃあ明日も来たまえよ。僕は待っているからさ」

「けどそんなに毎日、映画館に来れないよ。お小遣いがなくなってしまう」


 そう言うと、葛城は可笑しそうに笑った。


「なぁに、構うもんか。もしかして君、寝ているキャシーの前にお金をおいてきたりしたのかい? あの婆さんが寝ている時には黙って入っちまえばいいんだよ。皆そうしてるさ」

「そんなことしていいのかな」

「大丈夫だよ。何かあったら僕がごまかしてやる」


 葛城は、僕と同い年の少年に戻ってしまっていた。

 さっきまで僕の隣にあった、淑やかな女の気配など霞のように消え失せてしまって、目の前で煤だらけの顔をして笑う子供がいるだけだった。

 僕はそれを残念に思うと同時に、彼の台詞をもっと聞きたいと感じた。スクリーンの中の女優に息吹を与えた彼の声が、僕の頭の中に残っていた。


「この後、どうなるんだい? 少しだけでいいから教えてくれよ」

「そういうのは楽しみに取っておくものだよ」

「そんな意地悪言わないで、頼むよ。後生だ」


 両手を合わせて頼み込めば、葛城は困ったような顔をした。

 しかし、駄々をこねる幼子相手に諦めたような、そんな顔をしたと思うと、僕の耳元に口を近づける。その肌から立ち昇る汗の匂いは、父様が家に帰った時に漂わせている匂いとは全く違っていた。

 塩の匂い。水の匂い。海に行ったことはないが、もしかしてこんな匂いがするのかもしれない。そんな幻想の中で、葛城の少し掠れた声が囁く。


「マリアはね、恋をするんだ」


 匂いのせいか、声のせいか、僕の視界は僅かに揺れた。

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