特別な台詞
僕は葛城の言葉に呆然と固まった。こいつは一体何を言い出したのだろう。あの夕闇坂の曲がりくねった道で転んで、頭を打ったのではあるまいか。
スクリーンの中の美しい女を指差して、それが自分だという子供。滑稽というだけで片付けるには、あまりに突拍子もない話だった。
僕が絶句しているのを見て、葛城は肩を揺らすように笑う。
「僕がおかしくなったと思うのか。まぁ座りなよ。ちゃんとだぞ。君みたいな優等生が、そんな酒に酔いつぶれた大人みたいな座り方するもんじゃないや」
僕は椅子に座り直すと、軽く咳払いをした。
「どういう意味だい? あの女優が君のわけがないだろう」
「どうして」
「どうしても何も当然の話だ」
「映画なんてものは、全部演技で出来ているんだよ。けどもね、役者たちは命がけで演技をするのさ。命そのまま投げ打つような演技で、一人のつまらない男から、世界を股にかける海賊となり、残虐な王サマにもなり、物乞いにだって変わるんだ」
突然始まった映画論に、しかし僕は口を挟めなかった。
葛城の目は真剣そのもので、それを無碍にするのは、僕の良心が咎める気がしたからだった。
「その心一つで彼らは何にでもなれるのさ。だから一人の役者が、僕みたいな薄汚い子供であると同時に、美しい女になることだって可能なんだよ。君が見ている僕が本当の僕だって、どうやって言い切れるんだい?」
「君は男で、彼女は女じゃないか」
「女かどうかは、服をひん剥いてやらないとわからないよ」
「映画の中の人間をひん剥けるもんか」
僕は思わず声を荒げた。それを見て、葛城は両手で口を覆って小さく笑った。
「そう大声出すもんじゃないよ」
「君のせいだ。じゃあわかったよ。彼女が君だというなら、それを証明してみるといい」
「証明するのは簡単さ」
まるで掃除当番を安請負するかのような調子で、彼は言った。
「僕は彼女だから、彼女の台詞を全て言えるんだよ。それが何よりの証明だ」
「嘘っぱちだ」
「嘘だと思うなら別にいいよ。僕は信じてもらえなくたって構わないんだからね」
実際、葛城は僕がどう思うかなど気にも止めていない様子だった。一方の僕はと言えば、映画の内容が気になって仕方なかった。
葛城が自分だと言いはる、スクリーンの中の美しい女優が、何を言っているのか知りたくてたまらなかった。形のよい、少し膨らみを帯びた唇が紡ぐ言葉を聞いてみたかった。
「それを聞かせてくれと言ったら、聞かせてくれるんだろうね?」
「そうだなぁ」
葛城は何やら勿体ぶった様子で、組んだ足先を揺らす。彼が履いているのは、服と同じように大きな下駄で、しかも歯が少し欠けていた。
「他にお客のいない時ならいいよ」
「なんで他にいると駄目なんだい?」
「女優は演技の安売りをしないものさ。でも岸沼君なら構わないよ。君は特別だからね」
そう言って葛城が微笑んだ。僕はやっぱり直視しかねて、「あぁそう」なんて素っ気ない返事をしてしまった。
「明日の昼に来てくれたら、きっと教えてあげるよ。昼はお客が来ないからね」
「本当だね?」
「嘘はつかないよ。指切りでもしようか?」
差し出してきた小指に、僕は自分の小指を絡ませる。葛城の指はしっとりとした、柔らかい感触だった。
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