少年と少年
葛城は僕の同級生だった。
といっても学校にいるのを見かけることは少ない。父親が落盤事故で亡くなって、母親は男相手の商売で白粉お化けの中にいる。そもそも死んだ父親とやらが本当に血が繋がっているか怪しいものだと、大人たちは噂している。
朝から新聞配達で町中を駆けまわり、夜は路傍で靴磨きをしているのを見かけるが、昼に何をしているのかはよく知らなかった。偶に学校に来てはつまらなそうに窓の外を見ているだけで、一体何をしに来ているのかと幼心に腹が立っていた。
「岸沼君」
葛城は僕の名前を呼んだ。正直、僕は彼に名前を呼ばれることなど想定していなかったので、心から驚いた。
身長に対して大きすぎる薄汚れたシャツとズボンをまくり上げ、首に汚れたタオルをかけた姿は、僕とはまるで正反対だった。
「映画が好きなのかい?」
葛城が話す声をまともに聞くのは、これが初めてだったと思う。学校でも聞くことはあるが、他の生徒の声に紛れてしまっているし、僕は彼が学校に来る度に鬱陶しい気分でいたものだから、その大部分を聞き流してしまっていた。
だが、僕達以外誰もいない映画館で聞く彼の声は、細くて美しい、まるで母様が持っている刺繍糸のような華やかさを帯びていた。
「あぁ、好きだね。君も好きなのかい?」
「僕は此処で仕事をしているのさ」
昼間の彼の行き先を、そこで初めて知る。
そう言えば映画の上映がない時は、彼の姿を学校で見ることが多かった。
「お客が帰った後のゴミ拾い、席の掃除。偶に酔っ払って小間物屋を広げる奴がいるのには困るけどね。今回は客が来なくて暇だから助かるよ」
「この映画はどういうわけだい? いつもなら弁士がいるじゃないか」
「さぁ、知らないよ。こんな町に来たくなかったのかもね。僕だってゴメンだよ、こんなところ」
葛城は楽しそうに笑う。その時に丁度、映画の場面が夜から昼に変わり、室内が白い光に満ちた。
薄汚れた葛城の顔に光が差し掛かると、その明るさの前で汚れや影は吹き飛んでしまい、隠されていた彼の本来の顔が照らしだされた。
大きな瞳と通った鼻筋、可憐な口元が僕の網膜に焼き付いた気がして、思わず目を逸らしてしまった。どうしてそんなことをしたのかはわからない。ただ、光に照らされた彼の顔の美しさが、当時の僕には酷く背徳的な物に思えた。
「え、映画の内容がわからないんじゃつまらないや」
そう言って立ち上がろうとすると、葛城が僕の右手を引いた。再び席に尻餅をついてしまった僕は、抗議をしようと彼を見る。先ほどよりも弱い光になったためか、その顔はいつもの薄汚れたものになっていた。
「まぁ、待ちなよ」
何処か蓮っ葉な口調で葛城は言った。
「そう慌てることはないや。僕はこの映画の内容を知ってるんだから」
「何だって?」
僕は困惑して聞き返す。
毎日の食事、服にも困るような彼が、この何処の国の物ともわからぬ映画を知っているというのは、とてもじゃないが信じられなかった。
「なんで知ってるんだい?」
「それは簡単なことだよ」
蓬髪の下で大きな目を瞬かせると、彼はスクリーンを指差した。
そこには、あの体の細い、美しい女優がいた。葛城のことですっかり忘れていたけれど、彼女はまだ服を着たままだったし、相変わらず何を言っているのかもわからない。
彼女がなんだと問い返そうとした僕に、彼は迷いもなく言葉を紡いだ。
「あれは僕だからさ」
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