ジャガーさんの屋台とあいつ

攻撃色@S二十三号

第1話

>月一でいいからジャガーさんの屋台でごはん食べたい

残業でくたびれ果てて家路につく薄暗い路地に見える提灯の明かり

そこに吸い寄せられていくとジャガーさんの朗らかな笑い声

「やあとし!今日はエビのビリヤニがあるよ!ごはんがあまっちゃってさ」

ジャガーさんは裸電球の光を吸ったあの翡翠色のきらめきのある瞳で

こっちを見つめてきて

「なんか疲れてそうだね…食欲ないんじゃない?じゃあこれ」

とサービスの小さなグラスに入ったウォッカが戸板の上を滑ってくる

ためらいながらもその杜松の香りのする強い酒精を喉と胃袋に流し込むと

身体にカッと血と体温が駆け巡る…そんな幻想が生まれる

そしてふと…屋台の灯りと熾火でほんのり浮かんだジャガーさんの首筋と

胸元をつたう汗と淡い褐色の肌が見えてしまって…

俺は首を振り…全ての欲を食欲へと胃袋の中に落とし込んで

少し煙臭いが母親の作ってくれたチャーハンを思い出すそのビリヤニを

モッモとかきこんで汗といっしょに涙を拭ったんだ…






雨の中、無為な残業でくたびれ果てて深夜の帰路をとぼとぼと進む…

息をするのも嫌になるそんな暗闇の中、駅裏の通り…あった、見えた

 ごはん 赤色の提灯、俺は文字通りそこに吸い寄せられる

「やあいらっしゃい!とし、雨が降ってきちゃったよ傘だいじょうぶ?」

屋台ののれんの向こう、つけ台の奥にジャガーさんの笑顔が見えた

それは太陽の色をした花がそこに咲いたみたいで…俺は気恥ずかしくなって

何も言えないまま、小さな丸イスに腰を下ろした

「今日はねえ、そうめんがあまっちゃってさあ。残り物みたいで悪いけど」

「そうめんを炒めたチャオミンだったらすぐだよ。あっ、その前に…飲む?」

ジャガーさんは屋台の奥から身を乗り出して、手にした布巾で俺の前の

雨に濡れていたつけ台を拭きはじめる…ハッとした俺の前に、汗で濡れた

シャツの張り付いた、まるっこい綺麗な胸のふくらみが揺れて…見える

そんなジャガーさんの手が、布巾がけをしながら俺の前を滑ってゆく

…もしかしたら …この手を握れたら、俺の気持ちは伝わるのだろうか……





>ごはん!

週末の夜は、ジャガーさんの屋台はいつもと別の路地に店を出している

俺はそれを探して、数本奥の暗い路地へ… あった ごはん の赤い灯り

「や、おつかれとし! よかったあ、今日はひまでさ。ボウズかと思ったよ~」

ジャガーさんは屋台の裏から出てきて、あの花が咲いたような笑顔で俺を

ねこ手招きする。きらっと、あのきれいな瞳が緑以外の色を吸って黒くゆれた。

「今日暑かったでしょ。もー買い出しに行っただけで汗びっしょりでさー」

「お風呂入りたいけど、屋台しめる時間だともう銭湯やってないんだよねー」

…丸イスに座った俺の前のつけ台に、汗をかいたビールの中瓶とコップが置かれる。

…水でふやけたキリンの瓶ラベルが俺に、

 “本当は飲み食いしたくてきたんじゃないんでしょ? あなたチキンね!?”

…ああ、そうさ。無言で自嘲した俺に、ジャガーさんがビールをお酌してくれた。

そのジャガーさんの伸びてきた腕、その奥から… これ、ジャガーさんの匂い?

…甘いような、冷たい水みたいな匂い…そこに交じる、ドキッとする汗の匂い…

『あの。俺の部屋でお風呂、入りませんか?』…言えるわけない、言えなかった…







その日から俺は出張だった

…夕方、俺は駅に入る前に、どうしても我慢できなくなってジャガーさんの屋台が

ある路地へと向かってしまう… 見えた。火の入ってない ごはん の赤い提灯。

近づいてゆく俺の気配に、屋台の裏手からオレンジみたいな色のジャガーさんの髪、

そして少しびっくりしたような笑顔がのぞく。

「あれえ? どうしたの、とし。まだお店はやってないよ、うん? ああ、これ」

「いまねえ、今日の仕込みをしてて。これね、モモっていう肉まんでねえ……」

ジャガーさんは楽しそうに言いながら、その両手で餃子の皮のようなものを

のばし、そこに具を入れて器用にきゅっきゅと包み続ける。

…俺はしばらくここに来られないことを…やっと、言った。

「ええ…そうなんだ、たいへんだね。でも一週間…すぐだよ、すぐだって」

「そうだ。これ、モモ持っていってよ。穴開けたから、ホテルの電子レンジで…」

そう言って笑顔のジャガーさんは俺に、小さな包みを持たせてくれた。

…俺はつい、サイフを出してしまって… ジャガーさんの瞳が、え?と曇った。

「…その、いいよ。おみやげだから… じゃま、だった?」 …俺は死にたくなった





残業で遅くなった俺がいつもの駅裏、路地の奥にある ごはん の赤提灯を

を見つけたのはもう10時過ぎだった。

…この時間なら誰もいない、と浮かれていた俺…だが現実は違う、その晩の

ジャガーさんの屋台は、丸イス全部と石油缶まで出されてつけ台がいっぱいに

なるほどの満席。おっさんたちの背中、だみ声があふれていた。

「ビールちょっとまってね、さきに焼麺だすよ! えっと、注文?いいよ!」

屋台の奥からジャガーさんの明るい忙しそうな声、鉄鍋の音が響いた。

…俺はそこに潜り込む勇気もないまま、路地を離れて…時間を潰す。

1時間ほど無為な時間をすごした俺が路地に戻ると…客の消えた屋台は提灯の

灯もおとして、しん、と静まり返っていた。

不安になった俺がに屋台の裏にまわると、そこには小さな飯茶碗で何かを食べて

いるジャガーさんの姿が、あった。俺に気づいた彼女が恥ずかしげに笑う。

「さっきはごめんね。おかげで今ごろ晩ごはんだよ~。…としも、たべる?」

「まかないっていうか余り物だけど。えびの頭の揚げ物と、漬け物とね…」

さっき、気づいてくれてたんだ… …俺、やっぱりジャガーさんが好きだ…





その日も、俺は残業ですっかり遅くなっていた…

…この時間だとジャガーさんの屋台もやってない。しかも小雨が降ってる。

俺は重たい身体を引きずって、酒を買いに駅裏にあるコンビニに入る…だが。

そのコンビニの自動ドアが開くと、そこから出てきたのは。

「…あれっ、とし。こんな夜中に。えっ、今まで残業? たいへんだね…」

無機質にキラキラ光るコンビニの照明を背に、ジャガーさんの笑顔がほころぶ。

俺は、心臓を吐き出しそうになるくらい緊張して、持っていた傘にジャガーさんを

誘って、入ってもらって…屋台のある裏路地へと、二人で歩く。

…夢みたいだった。ジャガーさんと俺が、ひとつの傘で歩いている…

…少し煙っぽい、冷たい水みたいなジャガーさんの匂い、そして彼女との

会話…時々こちらを見てほほ笑む、ルリの反射がきらめく深い泉色の瞳。

「…ありがと、送ってくれて。よかったら明日の夜、来て。明日は餃子とね…」

楽しそうに、明日のことを話すジャガーさん。…だが俺は、それどころか…

雨に濡れたジャガーさんのシャツ、胸に気づいてしまった…

…ジャガーさんノーブラ、なの…? なのに、この綺麗な形の胸なの…?





その夜、ジャガーさんの屋台に客は俺一人だった。

 ごはん の提灯が夜風に揺れる下、ジャガーさんと差し向かいの俺はドキドキして…

だけど、気の利いたことも自分の気持ちも何も言えないまま…

「今日はねえ、餃子を色々作ったんだ。さっき出したふつうのと、野菜だけのと」

「これね、スナック菓子入れてみたの。あっ、ビールまだある?」

…ジャガーさんは裸電球の明かりの下、にこにこ笑い、そしてときおりドキッと

するくらいに綺麗な顔になってまな板や鍋に向かったりして…素敵だった。

…俺は自分の気持ちだけが大きくなってゆくだけの、言葉ひとつ出せない意気地なしの

クソザコナメクジ野郎だと思い知る…

そんな俺にジャガーさんは、ニカッと笑顔、小皿を出してくれる。

「これねえ、試してみたんだけど…。チョコの餃子。スイーツってやつ?」

そんな変わり餃子を出してくれたジャガーさんは、

「…ちょっこれーと ちょっこれーと…ちょこれーとは ふふーんふー」 歌う。

「ああ、これ? 昔パークにいたころね、ガイドさんが歌ってたんだ」

「急に思い出しちゃった… なつかしいな…」 …俺はジャガーさんのことを何も知らない…





ジャガーさんの屋台の客は俺一人 ごはん の提灯が夜風に揺れる。

…ジャガーさんはいつもよりも薄いシャツを着、それを汗に濡らしていた。

首から下げているタオルが隠していなければ、胸の先端が透けて見える…?

だが俺は、それを直視する勇気もないまま。

「もう夏だよねえ。暑いからビール美味しいでしょ? まだ何か食べる?」

…俺の座るつけ台のむこうで、ジャガーさんが楽しそうに食材を探していた。

彼女が動いたはずみにタオルが首から下がって…つい視線をそらす馬鹿な俺。

…俺は…ジャガーさんに、今日の下心を思い切って告げた。

「えっ? …どこかでごはん? えっ、としといっしょに、食事――」

…死にたくなった。ジャガーさんは俺の言葉に、困ったような目で…

「あっ、その。嫌とか、そうじゃなくて。ただ…畜生の私と一緒だと、お店入れないでしょ…?」

「そういうの禁止されてるお店もあるし…」

…本気で死にたくなった。彼女の言うとおりだった。それが、現実…

謝り、逃げるように屋台を出た俺に…ジャガーさんの声が。

「ごめんね…でも! ありがとう、その…ありがとうね…!」 クソザコナメクジの俺は泣いていた…





今夜も ごはん の提灯が俺を誘っていた。

ジャガーさんの屋台は、夜遅くになると客はたいてい俺一人…それを狙って

いつも遅い時間に来ている俺は、だが…ここでも陰キャラのまま…

そんな俺に、少し汗ばんで夏っぽい感じのジャガーさんがほほ笑む。

「よかったあ、今日としが来てくれて。とっておきを残しておいたんだよ」

ジャガーさんは、鯛か何かの中骨のアラにスパイスをふって焼いたのと

目が覚めるくらい酸っぱく辛いきゅうりの漬物、ビールを出してくれる。

…だが俺は…その心づくしの料理よりも…

ジャガーさんの汗ばんだシャツ、その襟首の上に見え隠れしているキレイな

鎖骨の膨らみ、そこにある…赤い、ぽっちりしたハレが気になって気になって

仕方がなかった… 虫刺されか、ニキビか…いや、この赤さ、まさか…

…このひとにキスマークを付けたやつがいる…!?

そう考えただけで、俺は顔が真っ赤になりそうで、ズボンの中がイライラで…

「ん? どうしたのとし? ああこれ、さっき炒め物の油がとんじゃってさー」

…ジャガーさんは恥ずかしそうに笑って、首にキュッとタオルを巻いてしまった…





10

今日は割と涼しい 今夜も ごはん の提灯が駅裏で夜風に揺れていた。

ジャガーさんの屋台に毎晩のように来ている俺、今夜は寄り道。

ジャガーさんと同じアパートに住んでいるマレーバクさんが働いているお店で、

俺はマグロのモツのサテーを二十本ほど、ラベルのないメコンウィスキー。

そしてコンビニで氷をお土産に買ってきていた。

「ごめんね、とし。私がご馳走になっちゃって。…ああ、お酒ひさしぶり」

他の客がひけてから、俺とジャガーさんはグラスに多めの氷、そして赤錆色の

ウィスキーを注いで…いがらっぽい甘さのメコンで乾杯。

…ジャガーさんと差し向かいでお酒…その現実だけで頭がクラクラしそうな

俺の前で、彼女は両手で持ったグラスを大事そうに唇に運んで…傾ける。

「…おいし。あはは、お店で私が飲んじゃ…だめだよねえ、あはっ…」

俺たちはたわいない話をして、胡椒がまぶされたサテーを食べて話をして…

…ジャガーさんはお酒に弱いのか、強いのかわからない。

二人でボトルを半分ほどあけるが…ジャガーさんは酔う、と言うより…なんだか

雰囲気が、その…かわいい、仕草が猫っぽくなってる… かわいい…





11

今夜も夜風に ごはん の提灯が揺れる駅裏の路地。ジャガーさんの屋台。

へろへろの俺を気遣ってか、ジャガーさんはじゃが芋をささっと炒めてくれる。

「何かお腹に入れないとね。これ、アルコアチャールと、あとは…」

「…お仕事で飲まなきゃいけないってのも大変だねえ。…でも、来てくれてありがと」

…仕事の酒で荒れていた俺の腹にも、マサラをまぶして千切りの生姜とコリアンダーを

散らしたその芋は、じんわりやさしい… ジャガーさんのようだ…

そのとき俺は。ふと、屋台の柱に貼ってある何かのシールに気づいた。

自動車の車検シールのようなそれには、保健所のロゴと注意文、バーコード。

ビールを頼みながらそれを聞いた俺に、彼女は少し困った顔で笑い…

「ああ、それ。私たちみたいな畜し…フレンズがお仕事をするときの、許可証なの」

「毎月更新でねー。それ貼ってないと大変。収容所入れられちゃう」

「あ、でも大丈夫よ。毎月更新してるから、ほら、前にコンビニでこれ買ったときに…」

…俺は知らなかった、いや…正確には見ないふりをしていた。

…ジャガーさんはこの日本では無力な異邦の獣…そして俺はもっと無力なクソザコナメクジ…






12

雨の夜。小雨の駅裏、路地には今日も ごはん の提灯。

ジャガーさんの屋台に駆け込んだ俺は、雨と汗で雑巾みたいに湿っていた。

そんな俺に、夏でも冷えると良くないよ、と…彼女は手早く鉄鍋に火を入れる。

上着だけ脱いだ俺の前に、湯で割ったグラッパが先に出る。

「さ。まずはそれ飲んで、熱い汗かいちゃって。カッターシャツ脱いだら?」

…女性の前でシャツを脱ぐとか、俺には難易度が高すぎる…

出されたスープは、生のコリアンダーと生姜がたっぷりで。

「トムヤムガイ、っていうかナンプラーのごった煮。辛すぎない?へいき?」

レモングラスの鮮烈な香味と辛味、うま味…目が痛くなるくらい汗がでる。

「あはは。そんな汗まみれで、カノジョのトコ行っちゃ駄目よ。ちゃんと……」

……。俺はクソザコナメクジすぎる、なんで黙り込んでる…

…だが。無様な俺に…何か察したジャガーさんがあたふたと、

「あっ…その、ごめん。馬鹿にしたんじゃなくって、としなら…その…」

「えっと、その。私も彼氏いない…から。その…いっしょ、おあいこだから…」

何か困ったような、照れ顔のジャガーさん。 …生きていてよかった…





13

夜でもなお騒がしい駅裏。そのもうひとつ裏の通りに ごはん の提灯。

俺はいつも遅い時間を狙ってジャガーさんの屋台の客になる。

…それはもちろんなるべく彼女と二人きりになりたいから…情けない。

「いつも残業で大変だねえ。…えっ、ごはん食べてないの? だったら…」

「オムレツ、食べてみる? スペイン風でね、じゃがいもと、あとワインもあるよ」

そういって彼女が出してくれたのは…ピザの形に切った三角形のオムレツ。

卵の中にチーズ風味のポテトがぎっしり、そこに輪切りのピーマンが乗っかっていて…

水で冷やしたぬるい白ワインと、実によくあって。どっちもすすむ。

「いつも、あまりもの出しちゃってるみたいでごめんね。…えっ、そうかな」

「あまっちゃったら、いつもカワウソと次の日の朝ごはんにするの。あの子ねえ…」

…たしか、ジャガーさんの下宿で同じ部屋に同居している仲良しのフレンズ、

その子がカワウソだったはず… そうか…ジャガーさんと同じ部屋…同棲…

…彼女と同じものを食べて。同じ部屋で…一緒に寝…同じフートン…

「えっ!? ちょっと、とし!大丈夫…?」 …なに鼻血出してんだ俺…中坊か…






14

週末の夜、さわがしい駅裏の通り。そこに ごはん の提灯。

先にいた酔客二人が河岸を変えて、ジャガーさんの屋台の客は俺一人。

ジャガーさんは何かホッとしたように、屋台の柱に下がっていた古ぼけたラジオの

ボリュームを上げる。…これは彼女が上機嫌のしるしだ。

「あっ、何か食べたいのあったら言ってね。さっきので足りた?」

俺は、皿を返しながらビールを頼む。さっき出た、うずら卵を入れた大きめの肉団子を

揚げて、そこに酸辣湯みたいなタレを掛けた料理で腹が熱い。

「…えっ、私ももらっちゃっていいの。…ん、ありがと、とし」

俺はジャガーさんと瓶ビールのご相伴で乾杯して…ラジオから流れる、昭和が香る

歌謡曲に耳を傾ける。…やばい、すごく幸せだ…俺…  だが。

歌謡曲が途切れると、薄暗い雰囲気のニュースが始まった。

≪…地方で発生した未確認群体・青は本日未明、島原湾に侵入し消滅しまし…≫

…そのニュースに、ジャガーさんの笑顔がフッと陰って。ラジオのスイチが切られる。

「…ごめんね、ラジオだと好きな音楽だけ聞いていられない、よね…」

…そうだ。今度部屋にあるCDデッキをジャガーさんにプレゼントしよう…





15

日曜日の夜、駅裏はいつもより静かで。その薄暗がりに ごはん の提灯。

ジャガーさんの屋台は月曜日が休みだ。だから俺は…

夕方、わざわざスーツに着替えて出かけ…ジャガーさんにうそをつく。

「日曜日も仕事って大変だね。じゃあ、いっぱい食べて。早く帰って寝ないと」

「ビール、ぬるくない? ごめんね、氷がもう溶けちゃって…」

きょうの料理は、豚のリブにスパイスを塗り込んでじっくり炙った骨付き肉。

さっと湯がいた、味付け無しの山盛りオクラ。濃厚な肉と油のうま味を

オクラの爽やかな粘りで飲み下していると、いくらでも食べられる。

…俺は二本目の瓶ビールを頼んだあたりで…

思い切って、ジャガーさんの秘密というか…なぜ月曜休みなのかを聞いてみた。

「ああ、それ。私たちにも売ってくれる、卸の業務スーパーがね」

「そこが月曜日休みなの。私、冷蔵庫持ってないから…月曜日は、おてあげ」

…ジャガーさんは実にネコ科の困り顔で笑い、肩をすくめる。

…もし、俺が一緒に屋台をやれたら… …俺が仕入れして、そうすれば…

…出来もしない妄想だけはたくましいクソザコナメクジの俺……





16

月曜日。憂鬱の日。…ジャガーさんの屋台が休みの日。

…だが俺は、夜のこの時間になると彼女がコンビニへ屋台の許可証を買いに

来るのを知っている…その時間に合わせて動く俺。

…クソザコナメクジの上にストーカーまがいとか、俺は最低すぎる…

そんな俺にも、コンビニでばったり会った風をよそおう俺に、ジャガーさんは

「あっ、とし。おつかれさま、いま仕事帰りなの?」

…たぶん彼女は、俺が狙って来ているのに気づいている…だけどその顔と瞳には

南国の花が咲いたような明るさだけがあって。…俺はうれしいやら後ろめたいやら。

…俺はジャガーさんにアイスを一本、ご相伴。ジャガーさんはあずきバー。

「…ごめんね、お客さんにおごってもらっちゃって。…ありがと」

…風がなくて蒸す埃っぽい夜道、ジャガーさんと二人で歩く…至福。

俺は、彼女の屋台に古いラジカセとCDをプレゼントしたい、と切り出してみた。

「そんな、悪いよ。…ああ、今は携帯で聞けるもんね。…うん、じゃあ…」

「好きな曲? …うん、ガイドさんがよく口ずさんでた曲のね、歌手の」

「ねえ、とし。Winkって知ってる…?」 …ガイドさん、あなたいくつですか……





17

通り雨が街をなぶっていった夜。蒸し暑い駅裏の通りに ごはん の提灯。

ジャガーさんの屋台からは、いつもより濃い目の煙が漂う。

「いつもおつかれさま。…そういえば、としってさあ」

…少し不安そうな、何かためらっている彼女の瞳。ドキッとする俺。

「ヤキトリとか、すき? 焼き鳥屋さんとか、いったりする?」

…なぜ今、そんな話を? ええ、まあ。と答えた俺にジャガーさんは、

「焼き鳥食べたいってお客さんがいたから作ってみたんだけど…」と。

今夜の皿が出る。辛いタレをすり込んで焼いたチキンの骨ごとぶつ切り、そこに

刻んだ生姜と大葉、コリアンダーの可憐な花が散らしてあった。

…うまい。薬味ごとかぶりついて骨を歯でしごいて、ぬるい瓶ビールで洗う。

「やっぱり、何か違うよねー。うちじゃあ高い炭は使えないから焼き鳥はムリかな」

「あっ、ごめんね。何か食べたいものがあったら、好きなもの言って」

汗ばんだ顔でにこにこ笑う彼女に、俺は… …好き、好きってそりゃ…

「…えっ…? 好き、って……。 …ああ、そのヤキトリ? うん、ありがと…」

…俺の馬鹿ばかクソザコナメクジ… …最後まで言えずに勇気が焼き切れた…





18

夜になり雨は上がる。だが蒸し暑さは昼間以上。そんな夜の駅裏 ごはん の提灯。

「いらっしゃい、とし。だいじょうぶ、濡れてない? ええ、汗なのそれ?」

コンビニでロックアイスを買っていった俺に、のれんとつけ台の向こうから

南国の花みたいなジャガーさんの笑顔と、瞳…こんな天気だが、雨上がりの夜風は

彼女の琴線に触れるみたいで…瞳のヒスイが一段と、きれいだ。

「氷持ってきてくれたの? じゃあ、あれ? …いいの、私も…?」

こんな日にピッタリの裏メニュー。ジョッキに氷を詰め込んでそこにビールじゃなく、

アルコール度数高めの発泡酒をなみなみ注ぐ…夏の酒だ。

「…ーっ、おいしい。冷たくて気持ちいい… っと。とし、何食べる?」

今日の疲れを洗い流したような彼女が、いい音で鉄鍋を鳴らしながらたっぷりの

焼麺を作ってくれる。トマトとマサラ風味の麺に、ざく切りの唐揚げとイカの身が

たっぷり入ったそれをつまみに…俺はいい気になって、飲む。

…ジャガーさんが俺と一緒に飲んでくれるのが嬉しくて…飲む。

そして…帰り道、久々に道端に戻してしまった。

…ジャガーさんを裏切っってしまったような気分で泣きたくなった…





19

夜になっても、暑い。口臭じみたぬるい夜気が溜まる駅裏。そこに ごはん の提灯。

…今夜は遅い時間なのに、ジャガーさんの屋台に先客がいた。

つけ台には、酔っているおっさんが二人。…しかもその二人はジャガーさんの前で、

いや、だからなのか下品な酔客の口でえんえんと「フレンズ風俗」の話を続ける…

某所には本物がいるだの基盤があるだの…

俺は「そんなもん、コスプレしたおばさんに決まってるだろバーカ!」と。

…言ってやりたかったが、言えないクソザコナメクジの俺…

…でも、ジャガーさんを一人にできなくて…俺は屋台に居座って、いた。

…瓶ビールの四本目を頼むころ、やっとおっさんたちは姿を消した。

…俺は酔ってしまって。安心しつつも、しょんぼり、お勘定の札を置く…だが。

「…その。ありがとうね、とし。…今日はその、うれしかった…」

ふいにジャガーさんが言って、伏し目がちに笑って、そして。彼女の、手が。

「…その。また、きてね。とし…ありがと」

…帰り道で、気づいた。…俺、初めてジャガーさん触れた。…伸びてきた指に、触れた。

…からめあった手指はどんなものより小さく、柔らかで… …これが女の子の、手…





20

週末の夜。平日は快晴で、土日は雨の予報。駅裏の通りには ごはん の提灯。

仕事に倦んで、無為な残業をさせられて。週末は雨で。

それでも帰路にはジャガーさんの屋台がある。…彼女が、ごはんをつくってくれる。

「いらっしゃい、とし。ええとね、ごめん。今日はお肉があんまりなくってね…」

キラキラしたエメラルドの瞳、それを見ただけでだいぶ満たされる俺に出された料理は…

揚げ春巻、だった。ぶつ切りにされたそれにかぶりついてみると、具はたっぷりの

もやしと玉ねぎ、ニンジン。そこに旬の青唐辛子をたっぷり刻んだのが入っていて。

かけられているソースは、塩とミントをきかせたヨーグルトがなみなみと。

…うまい。俺は無国籍な料理で汗まみれになり、爽やかな辛みを流す二本目の瓶ビール

を飲んで…今日のもろもろを息で、吐き出す。

「おいしかった? よかったあ。…あっ、蚊が。夜になっても、出るねえ」

彼女は屋台の下に潜って蚊取り線香に火をつけ…ふうと息を吐いて戻る。

…あ。声が出そうになった。ジャガーさんは今日もノーブラ、だ…

…タオルがずれて、汗で濡れたシャツの丸いふくらみ、先端が…透けて見え、え、みえ…






21

休日出勤の夜。だが、楽しみなのは…目蓋の裏に浮かぶ ごはん の提灯。

…だが。深夜、日付の変わる頃になっても俺は、駅に、ジャガーさんの屋台がある

駅裏にはたどり着けないでいた。

≪…お知らせいたします。…付近で発生した未確認物体・青の出現…≫

≪…安全の確認が取れ次第、運転を再開… なお機動隊処理班の到着が遅れ…≫

…最近“あれ”は火山や震災地だけでなく、市街地にも出るようになった…

…俺の乗った電車は途中駅で停車したまま2時間近く動かなかった。振り替えのバスも来ない。

やっと動いた電車が家の最寄駅についたのは、完全な深夜だった。

…俺は習い性で、駅裏への改札を出て路地の方へ歩く。

その俺の目に。街灯の下にぽつんと立っていた人影が映った。大きな帽子を目深にかぶり

耳まで隠した女性…ジャガーさん!? 彼女も俺に気づいて、

「とし…! とし、大丈夫!? …駅から聞こえたの、青いのが電車にって…」

…ジャガーさん、まさか俺を心配して? …あ、あ。泣いてる、ジャガーさん、なんで??

「無事で、よかった…」 …女の子の、涙… なのにフリーズしてるクソザコナメクジの俺…






22 1

土曜の深夜、日曜日になった深夜。駅裏の通りに… ごはん の提灯は灯っていない。

…例の青いアレが街のど真ん中にわいたせいで電車は遅延しまくっていて、この時間に

なっても乗客を乗せた列車が駅に流れ込んでくる。

おまけに無関係のこの駅にも警察と、青いアレ専門の機動隊の車両が張り付いて、

俺たちを威嚇するように赤いランプとサーチライトで夜闇を切り裂いて…いた。

「…ごめん、ね、とし。…今日は、屋台…無理なんだ、ごめん…」

疲れきった人たちが駅から市街に流れてゆく中で…俺の陰に隠れるようにして

いるジャガーさんが、つらそうに言った。…帽子で耳を隠し、たぶんジーンズの中に

無理やり尻尾をねじ込んでいる彼女。

…そのときは、俺はジャガーさんがそこまでして怯えている理由がわからなかった。

…俺は、こんな状況なのに腹の中は半分くらい浮かれていた。こうやって二人で歩いて

いくと、なんだか…恋人、みたいにみえるんじゃないかとドキドキしていた。

…だが。

いつもの屋台のある場所に来たとき、俺の足はギクッと固まる。

ジャガーさんの屋台には、毒々しい「KEEP OUT」のテープが幾重にも巻きつけられていた…





23 2

「青いのが出たって騒ぎになったとき…警察と市役所の人が来て…」

「私たちフレンズを保護するためだって、明日には営業を許可するって言って…」

…ジャガーさんはうつむき、怯えたように…言った。

いつもは…明るくて、南の花や、汗で濡れたきれいな宝石みたいだったジャガーさんは

何だか、迷子の子供のようにうつむいて、俺の陰に隠れようとしていた。

俺はそんな彼女を連れてこの場を離れ、近くのコンビニに向かう。

そこで、二人で冷たいものを飲んで…でも俺の頭の中は過去無かったほどに

グルグルしていた。…思い出した。街やネットのうわさで、あの青いのはフレンズと

同じ化け物で、フレンズがいるから青いアレがわいてくるっていう、うわさ。

…俺はやっと…ジャガーさんが怯えていた理由を悟っていた。

ネットや街の噂。のはずが、役所が…政府が信じてしまっている?

無力なクソザコナメクジの俺でも、吐き気じみた怒りが湧いてくる。

…あれっ? ふと俺は、ジャガーさんのほうを見る。彼女は目を伏せ…

「本当は下宿にいなくちゃなんだけど…としが心配で、抜け出してきたんだ…」

…俺はどうすればいい…彼女に、一体何がしてあげられる…





24 3

「…下宿も警察の人が見張ってて…部屋のみんなが、外に出してくれたんだ」

俺とジャガーさんはコンビニの灯りの下、声を潜めて話していた。

…下手に下宿に戻してKに見つかったら…たぶん、マズイことになる。

俺は――この危機に、意を決した。恥ずかしがってる場合じゃない。下心は…ない。

「えっ…? としの、部屋? 今夜、そこに? …えっ、でも……」

やっちまったあああ! 言うんじゃなかった、死のう。…そんな俺に、

「…でも、としに迷惑かけられないよ… …でもありがと、うれしい、でも…」

!! クソザコ童貞の俺でも、わかった。…ジャガーさん、迷ってる…

ジャガーさんは、うつむいた顔に遠い火事みたいな赤みを浮かべていた…

俺が意を決して、襲う、違う押そう、と思っったときだった。

道路のほうから、雷が轟くような音が破裂し、それが大きくなり…ビビった俺の

目の前に、クソでかいバイクが突っ込んできて。寸前でスライドをかまして停まる。

真っ黒なバイク、そして真っ黒なツナギとヘルメットのライダー。ビビって固まって

いる俺の前で…そのライダーが、ヘルメットを脱ぐ。

…え、女? …フレンズ!?





25 4

冗談のようにでかいSUZUKIの黒いバイク、それにまたがった黒いフレンズの女。

ジャガーさんが驚いた顔で、バイクの王様のほうに駆け寄った。

「あっ…! カバ!」

「探したのよ、ジャガー。勝手に封鎖を抜け出したって聞いたから。でももう…」

…カバ? この…峰不二子みたいな、黒と赤の…うわ、ジャガーさんよりおっぱい

でけえ…フレンズが、涼し気なほほ笑みを浮かべて、俺の方を見た。

「ああ、あなた。もしかして、ジャガーにつきまとっているっていう人間?」

…グウの音も出なかった。概ねその通りであるとに認識していた。

「違うよ…! としは、そんなんじゃない……!」

ジャガーさんが、少し怒って、そして顔を赤くして…カバに、声で噛み付く。

…生きててよかった。生の喜びを知った俺に、その二人のフレンズは。

「とにかく。落ち着くまでは安全な場所にいたほうがいいわ。乗って、ジャガー」

「…で、でも……」「もし貴方が見つかったら、一緒にいる男はどうなって?」

ジャガーさんは、肩を落として…でも俺の方を見ながら、巨大なバイクの尻に乗る。

「とし、ありがと…! また、お店…」 彼女の声は猛烈な加速の彼方に、消えた…





26

ようやく騒ぎも落ち着いた月曜の夜。だが…駅裏には ごはん の提灯は無い。

…月曜日は、ジャガーさんの屋台は仕入れの問題で休みだから…と思っても。

先日の青いやつら騒ぎのあとで…不安だった。…それでも、腹は空く。

俺は、盛り場の裏手のほうに回って。マレーバクさんのレストランに、入る。

その店「白黒鶏飯」は、街路にテーブルと椅子を何組も出している騒がしい店で、

日本人の客は俺だけ…

バクさんは俺を見ると無言で、メコンウィスキーのボトルとグラス、ソーダを、

そしてピーナッツソースと胡椒をまぶしたサテという牛串焼きを出してくれる。

…客が少なくなったら、バクさんに聞いてみよう…ジャガーさんのことを。

そんな俺に…鶏飯の皿を持ってきてくれたバクさんが、

「あの子なら心配しなくていーよ。大丈夫、明日から屋台はやれるんじゃない?」

少し眠そうな声で、言ってくれた。…俺は泣きそうなくらいホッとする。…だが。

「でもね。ユメ壊すようで悪いけど。深入りしないほうがいいよー。ふたりとも、ね」

「女が欲しいだけならあの子はやめときな。あんたヒトなんだし」

…わかってる、わかってるけど…俺は…ジャガーさん…





27

火曜日の夜には徒労と失意がよく似合う。駅裏にはこの夜も ごはん の提灯は無い。

屋台からはKEEP OUTのテープは外されていた、が…ジャガーさん、どうしたんだろ…

…ひどく暗い気分で帰路につく俺、その背後で急に。

「おい。そこのおまえ。モテなさそうな顔した、おまえ。でち」

…俺のことだ。呼び止められた俺が振り返ると、そこには。

ジャガーさんと比べると小柄な、だが猫のフレンズだとわかる子がいた。

「あすこのコンビニでファミチキ買ってくれたら、いいこと教えてやるでち」

…え? だがフレンズに甘い俺は、ファミチキと、ガリガリ君を買わされた。

その子は、コンビニの前でカッカッと歯を鳴らしながら肉をむさぼる。

…そのまま帰ろうとした俺を、おしゃまそうな声が追ってきた。

「どこ行くでちか。ギブアンドテイク、ジョフがいいこと教えてやるでち」

「最近ちまたを騒がせてる青いの。おまいらヒトはあれを鉄砲で撃ってるでちが…

 それ意味ナイでち。ばらばらになっても、すぐ元通り。しかも学習されるでち」

「あの青いのを倒すには…身体にある“へし”を狙って叩くといいのでち」

…えっ…何言ってんの、この子…?






28 1

小さなロウソクの火に人生が救われる。そんな夜。駅裏に灯る ごはん の提灯。

…ジャガーさんの屋台だ、灯りがついてる! 今日はジャガーさんがいる…

数日会えなかっただけで、自分がどれほど焦がれていたか。

路地を急ぐ俺の鼻と口をオガ炭であぶられた脂の匂いがくすぐる。

漂う煙の中で、マサラとコリアンダーの香りがひっそり抱き合っていた。

…何も変わってない。…ジャガーさん! 駆け寄った俺の目に。

…? “安心 フレンズのお店です 安全” なんだ、これ…?

つけ台の上に、見たことのない垂れ幕があった。そしてその下には先客たちの背中。

「…あ、っ…。その、いらっしゃい… そっちに、かけて」

ジャガーさん…! だったが…雰囲気が違った。

俺の方に、一見客相手みたいな声をかけてきた彼女は、タオルを頭に巻きつけ、

耳どころか目のあたりまで隠すくらいにしていた。…雰囲気も、ぎこちない。

…先にいた勤め人風のおっさんたちも見ない顔。そいつらは「生ビールねえの?」

「安いだけだったな」とかブツクサ言って、料理もほとんど頼まず出ていった。

…ジャガーさんと俺、二人きりに。…だが、彼女の雰囲気は変わらなかった…





28 2

電車の音が遠い雷みたいに聞こえる駅裏。ジャガーさんの屋台 ごはん の提灯。

…だが。店の雰囲気が、ジャガーさんの様子が…何か変だった、暗い。

…先日の青いアレが出た騒ぎのあと、何かまずいことでもあったんだろうか?

それを聞くべきか、何か力になってあげるべき…とか。迷うだけのクソザコナメクジの

俺に、ジャガーさんが

「…ごめんね、とし。今日、仕入れ…あんまり出来なくって」

悲しそうだったが、いつものジャガーさんの声。名前も、呼んでくれた。

彼女は焼き台でしばらく手を動かして、何かの焼き物を出してくれる。

…インゲン豆を串焼きにして、ごま油とネギのソースをのせた皿。焼いたナスを冷やし

ガーリックオイルと唐辛子で和えた皿。…うまい。うまい、けど…

俺は半分飲んだビールのグラスを置いて。意を決し、声を…だが。

「…昨日ね。区役所と、保健所の指導があって…お店、開けられなかった」

ジャガーさんが言って、そして。さびしそうに笑う…違う、その笑顔は…違う。

「私たちの店は、その垂れ幕つけるようにって。あと、保健所からはね」

「これからは極力、畜生だってことを隠せって。言われちゃった」 …なんだ、それ…





28 3

…いつもなら、生きてるだけでご褒美な時間 ごはん 場所なのに。

お役所仕事ってやつが、ジャガーさんの屋台を重苦しくしていた…

俺は怒りというか、無力感というか…なぐさめの言葉すら、見つからない。

そんな俺にジャガーさんは、トマトを入れた半熟の卵焼きの皿を俺の前において、言う。

「もし…お店、息苦しかったら。…ほかに行ってもいいよ、とし。…仕方ないから…」

…畜生、泣きそうだ。…いや、俺が泣いてどうする。

「バクのお店なら… …えっ? これ、取れって…うん、そうだね」

もう、ジャガーさんと俺しかいない。俺は、彼女の頭を隠しているタオルを取って

もらうよう、言って。ジャガーさんが、あの可愛らしい両のけもの耳を、蜂蜜色の

髪を、ヒスイの瞳を取り戻す。

「あはは、すっきり…する。…ありがとね、とし。でも……ほら…」

「私…あなたと違って、こんな畜生でしょ。…だから、もう無理に…」

――俺は。言葉を発せないことで死ぬのなら、その時死ぬ気で。 言った。

「えっ… え…! …う、うん。うん! …知ってたよ、けど…でも、ありがと…!」

ジャガーさんが、好きです。 …俺は生まれて初めて、女を泣かせた。





29

雨降りの満員電車のあとだろうと、夜の駅裏は素敵な場所。そう ごはん の提灯。

…薄暗い通りにジャガーさんの屋台、その灯りが見えて、ホッとする俺。

今夜は先客が三人ほどいて、ジャガーさんは頭にぐるっとタオルを巻いていた。

ジャガーさんは無言で、俺に水で濡れた瓶ビールとコップを出し、先客の料理を手早く

作って…無言。他の客は、はしごの途中だったらしく程なくそろって屋台を出てゆく。

…俺と、ジャガーさんだけになる。

「…ふう。いらっしゃい、とし。…えっと、今日はねえ」

ジャガーさんの顔に、可愛い、恥ずかしげな笑みが浮かんで…彼女は頭に巻いていた

タオルを外し、耳と髪を気持ちよさげに揺らす。

「お肉、食べる? 魚がよかったら、今日はイカとね…」

…普段はフレンズであることを隠せ、という役所のクソ規制。だったが…おかげで、

こんな、彼女と二人だけの時間、二人だけの合図が俺たちの間には出来ていた。

「お肉は時間かかるけど、いい? …うん。ゆっくり、していって」

ジャガーさんは鶏の半身に串を打って熾き火にかけ、青いハーブをざくざくと刻む。

…この幸せな時間が永遠に続けばいいのに…





30 1

ファッキンホット。深夜なのに風が暑い。そんな駅裏に今夜も ごはん の提灯。

…こんな週末の夜は遅い時間がいい。

俺はコンビニで買った氷と酒を手土産に、屋台の一人客になる。

「いらっしゃい、とし。今日も暑かったねえ… えっ、そんな悪いよ。…うん…」

俺とジャガーさんは、ジョッキに氷を詰め込んで。そこに果汁サワー、店の発泡酒を

注いで、乾杯。汗を絞られた身体に、冷えた旨酒が染み渡る。

「…あ、これ。おいし…。って、ごめん。夜はまだ食べてないの? じゃあねえ」

お酒でうっとりした顔をして…俺を何度目かの恋に落としたジャガーさんが、

鉄鍋を景気良く鳴らしながら、香ばしい煙を立ち上らる。

出てきたのは…真っ赤で辛い汁の中に肉団子が泳いだ、マンチョウスープ。

そこにたっぷりの揚げ麺と、熾き火であぶったニラを散らしてあった。

俺が大汗をかきながら料理を楽しんでいると。ジャガーさんはラジオのダイヤルを

回して音楽を探す…その彼女が、ふと。

「…うち、ね。日曜日も休みにしようと思うんだ…日曜、お客少ないし」

「…ねえ、としは日曜日、仕事が多いんだっけ…?」 …えっ、それは、もしや…で、でデー…と…?





31 2

この日――


アメリカ空軍は小笠原諸島、西之島近辺に出現し以前より米軍と交戦状態にあった

「未確認物体・青」の群生に対し、B-2爆撃機編隊によるB61戦術核弾頭攻撃を遂行。

損害、攻撃効果に関しては現在のところ不明。衛星と偵察機により確認中。


日本国領海内で核兵器が使用されたことに対し、野党全党及び一部与党議員が猛反発。

内閣不信任決議案、提出。議事堂前や都内各所、沖縄で大規模な反米デモが行われる。

また、関連で与党議員の一部から「在住フレンズ永住認定特措法」の改正案が提出。


米国大統領は「未確認物体・青」への対処は日米安保の範囲内であると明言。

首相もそれに賛同、感謝の意を表明。これに対し中国とロシアは強く非難。

国連事務総長、「未確認物体・青」は広い意味での軍事的脅威ではないと反論。


――アメリカ国防省は「未確認物体・青」を「セルリアン」と命名した。





32

あと三ヶ月もこんな熱さが続く、初夏の夜。うだった空気の駅裏に ごはん の提灯。

疲労と空腹も、ジャガーさんの屋台の前では幸福の前菜。

…の、はずが。屋台、提灯の横に巨大なスズキのバイク、菌王様…

「あら。としあき、だったかしら。先にお邪魔してるわ」

…峰不二子のフレンズ、違う、ライダースーツ姿のカバさん。だった。

「いらっしゃい、とし。…その、今日はカバが来ていて。…ビールでいい?」

ジャガーさんも少し戸惑い風味…なんだか、少しムクれてる?

俺は瓶ビールをグラスに傾けながら、チラとカバさんの皿を見る。

そこには、四半分に切ったキャベツ。そして涙が出る辛さのタレを付けた茹で豚足。

それを、カバさんは交互にバリバリ食べていた。…骨ごと…

「カバったら、私たちに話がある、って。…なんなの?」

「ええ。言っておいたほうがいいと思って。――最近、ヒトたちの世界が物騒でしょ」

カバさんは俺がお酌したビールのグラスをにっこり、傾けながら。

「もう、駄目よ。この世界。…だから、貴方たちには時間がない。それだけよ」

「…な。なんなの、それ、駄目って…」 …カバさん、それ、どういう意味ですか…





33

サザエさんは憂鬱な月曜日の使者。夏の夜。駅裏に ごはん の提灯。

ジャガーさんの屋台の客になった俺に、なんだか楽しそうな彼女。

「お店改装する知り合いからね、お鍋とかもらったんだ」

水で濡れた瓶ビールとグラス。それと一緒に出てきたのは、鋳物の鍋の中でフツフツ

煮えている赤い…いつものマサラとチリじゃなく、トマトとチーズ、そしてマジョラムの

イタリアンな香り。牛の胃を煮込んだトリッパだった。

「下ごしらえが大変だったけど…どうかな? うん…そうかな、ありがと」

煮崩れる直前の、モツの歯ごたえにチーズがからんで口から胃袋に落ちてゆく。

ハフハフとそれを楽しんでいた俺に、ジャガーさんが、ふと。

「…きのう、カバが変なこと言ってたけど…気にしないでね。あの子、いつもそうなの」

「物事を斜めに見ちゃうっていうか…でも、悪い子じゃないの」

「…それでね、とし…来週から日曜日。お店、閉めようかなって… うん…」

ジャガーさんが少し照れて、うれしそうで。俺はそれを壊したくなくて…

…でも、カバさんの言葉が…重い。

永遠が無いことくらいエロゲオタだった俺にはわかっている…だけど、せめて今だけは…




34

その巨大駅がラッシュの人波を吐き出す、夜。月曜日の夜 ごはん の提灯は無い。

…月曜は仕入れの関係でジャガーさんの屋台は休み。…一番きつい日。

…何か食って帰ろう。そう思って俺は、乗り換えの電車に乗らずに西口から出た。

そんな俺の目に…   「…………」  ん?

雑踏の中、柱を背にぽつんと佇む灰色の姿が…見えた。

フレンズだ…灰色の、鳥らしき子だ。やけに鋭く見える眼光。その子の首には、

『 シ集 300えん  私の喉は骨のフルート 死神から借りている 』

というパネルが下がっていた。…気づくと、俺はその子の前に…いた。

「…買ってくれるの? ありがとう」 野鳥の眼光の割にかわいい声。

気づくと一冊買っていた。だが、財布に小銭がないのに気づいた俺は。

「…何か、食べる…えっ、食事して…たべさせて、くれるの?」

俺はフレンズを連れて…入店OKの牛丼屋に入る。彼女はよほど空腹だったのか、

特盛りセットを俺より早い勢いで食べて。おつりの中から300円受け取った。

「…ありがとう。今度、バックナンバーをもってきておくね」

…ファンに認定されたようだった。





35

風と雨が南のぬるい空気を連れてくる、蒸し暑い夜。駅裏の ごはん の提灯。

…また。あいつらが街中に出て電車が遅れた。

最近はあの青い怪物のことを“セルリアン”と呼ぶらしい。被害者の数も事件の

たびに増えていっている…閉塞感にも似た、憂鬱な空気。

…だけど。俺の幸福、ジャガーさんの屋台で、そんなことは話題にしたくない。

「いらっしゃい、とし。その…電車、遅れたみたいだけど平気だった?」

俺はそれに虚勢と、作り笑いで答える。そんな俺の前に、いつものビールと料理の皿。

「ごはんが食べたかったら言ってね。最近暑いから、野菜食べないと、だよ」

料理は、透き通った皮で巻かれた生春巻きだ。赤と白のエビに、ワケギの緑、

玉ねぎの白、人参の黄。それを醤油と青マンゴーの辛酸っぱいソースで食べる。

生野菜をばりばり噛んで、飲み下す快感。そんな俺をにこにこ見ているジャガーさん。

…そのとき、ふと。外国の歌を流していたラジオから、ローカルニュースが流れる。

『…旭川の消防レスキューは、ヒグマのフレンズと共同でセルリアン対策を…』

『…目覚ましい成果を上げ、道庁より表彰が…』

…えっ? 今のニュース、えっ!?





36

通り雨は都会の不快指数を上げるだけ上げて消えた、夜。駅裏に ごはん の提灯。

…俺は部屋から取ってきたCDデッキを持ってジャガーさんの屋台へ。

「いらっしゃい、とし。…えっ、それが前言ってたCDの? …でも、いいの?」

…ラジオだと、暗いニュースが流れることが多いし。

「…ありがと。もう、汗まみれじゃない…あ、食事まだだったの?」

少し困り顔だったジャガーさんが、俺が空腹なのを知ってその顔に南国の花みたいな

笑みを浮かべ、コンロに火を入れる。…やばい、しあわせで泣きそう。

揚げ物の音がして…出てきた料理は、何か?の天ぷら盛り合わせ。

生姜と辛子醤油で食べてみると。シャクシャク、ぬるるるのオクラ。

そしてコロッケっぽいのは、マッシュポテトに刻んだ青唐辛子、色んなハーブに

輪切りのチョリソを入れて油で揚げたワダパブだ。

…うまい。ぬるい瓶ビールが際限なく飲める。

「おいしい? よかった。あ、じゃあ…さっそく、音楽かけようか」

「でもこれ、重かったでしょ? 言ってくれたらとしの部屋まで取りに行ったのに」

……あ。…ジャガーさんを部屋に呼ぶチャンスが ガガガ… 俺のばかばかまんこ…




37

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駅の連絡通路。夜の雑踏に紛れてそこを通り過ぎると、露天の屋台が並ぶ通りに出る。

…いつもはジャガーさんの屋台に立ち寄る俺は、そこに興味なく足早に…のはずが。

…つい見て、足を止めてしまった。つややかな白と黒の毛並み、けも耳。

「んっ? お客なのか? ここはアライさんのお店。なのだ」

フレンズの子が、屋台の鉄板の向こうにいた。エビの殻を向いて洗う手つきも忙しげに、

くりっとした少年のような目が俺を見て…わらう。

「腹ペコなら何か食べていくのだ。アライさんのごはんは一味違う、のだ!」

…ごめんなさいジャガーさん。

俺がおすすめを注文すると。その子は鉄板の上で醤油を焦がしながら何かを焼いて、

それを小さなおにぎりにのせ、海苔を巻いてからギュッと握り直して出してくれる。

口に入れてみてわかった、スパムを焼いたやつをのせたおにぎり。強めの脂と塩味が

夏の夜にはありがたい。缶ビールも一緒に頼んで、二つ目を食べている俺に。

「お客。もしどこかでフェネックをみたら…アライさんに教えてほしいのだ」

「耳が大きくて金色で。目つきがこーんなので。でもいいやつなのだ…」






38

なんか暑くね?ならなぜ辛いものを食う?そんな夜。駅裏には ごはん の提灯。

まだ暑さが残る路地を急いだ俺が、ジャガーさんの屋台の一人客になると…

ジャガーさんは焼き台で鶏の半身と、イカを素焼きにして。なぜか、彼女は少し困り顔…

「とし…いらっしゃい、その。ごめんね、バタついてて…」

ジャガーさんは俺に、いつもの瓶ビールとグラス、そして焼いたイカをぶつ切りに

したおつまみ、生姜醤油とレモン塩の小皿を出してくれる。

「ごめんね、とし。その…うち、明日から今週いっぱい、臨時休業なんだ」

「オリンピックの視察の人が来るとかで…畜…フレンズは人前に出ないよう。って…」

…クソ役所め。だから、ジャガーさんは仕入れた食材が傷む前にとりあえず焼いて

いたようだ。俺は最近のセルリアン騒ぎやら不況やらで暗くなっていた腹で怒り…

だが。クソザコナメクジの俺に何かできるわけもなく…

…否。俺は電流が走ったような思いつきを。ハラを決めて、言葉にする。

「えっ…? 明日の夜? うん、なにもないけど… え、一緒に…食事?」

「としと、晩ごはん? う、うん。その…いいよ。…うれしい…」 …それは俺のセリフです…






39 1

プレミアム?知らんな。俺は発泡酒でいい、そんな金曜の夜。駅裏に ごはん …

今日はジャガーさんの屋台は休み。役場のクソみたいな規則のせい、だったが。

…グフフ。そのおかげで俺は初めてのデート、ジャガーさんとデートだ。

会社からの帰り、約束の時間に駅の改札をくぐると…いた。

夏っぽい、白い長袖のトップに黒のワイドパンツ。キャスケットで耳を隠したその姿。

「…あっ。とし、その… こういうとき、なんて言うんだっけ」

いらっしゃいじゃないよね? と少しおどおどしながら笑うジャガーさん。

…いい。…俺、今日死ぬんじゃないかな。

俺たちは流れてゆく雑踏の中で数言、話してから歩き出す。まだ時間は早い。

繁華街の雑踏の中、ちょっと不安げなジャガーさんと歩く俺は…こういうときは

手をつなぐべきか、いやまだ早いとか、そんなことばかり考え…そして。

「へえ…お店、決めてあるんだ。すごいね、なんでも知ってるよね、としって」

お互い、デートでの外食は初めて… そんな俺たちは戯れつつある二人の小児…

…あった。ここだ。フレンズOKのバル風居酒屋。…だったが。

その入口には、パネルが…置かれていた。





40 2

『セルリアン対策により当面はフレンズ入店ご遠慮ください』 のパネル。

…あほーう! こういうのはサイトトップに書いて更新しとけー!

…つーかセルリアン襲撃とフレンズの関係はただのウワサ、っつーかデマだろ!?

…だがこれが現実。これは他の店も、同じ有様か?

がーんといきなり出鼻を、今夜の幻想を打ち砕かれた俺。

「…ごめん、とし。…やっぱり私がいると、その…めいわく、になっちゃうから…」

彼女はキャスケットを下げ、あの瞳を隠すほどにうつむいていた。

…アワ アワワワ こういうときに気の利いた言葉が出ない俺、クソザコナメクジ…

だが。そんな俺に天啓が。…駅のこっち側なら、たしか。

「ううん、としは悪くない… えっ? いいお店がある、って。…あ……」

俺は、ジャガーさんの手を握って。歩きだす。

…うわあ。ジャガーさんの手、やーらけー。あんなに働いてるのに…

ああ、昔こんなゲームやったわ。などと思いながら彼女を連れて繁華街を抜ける。

…あった。赤と緑の電灯。白黒の看板。街路にテーブルと椅子を置いた、騒がしい店。

「あれっ、このお店。もしかして…バクの?」 そうです。『白黒鶏飯』営業中。





41 3

俺とジャガーさんは、空いているテーブルに座る。

ほかに日本人の客はいない。酒と料理で顔が煮えた男たちが、罵声めいた

言語でわめく中…ああ、もうちょっと洒落た店のほうが…と思う俺の前に、

「誰かと思ったら。そっか、ジャガー。あんた今日はその色男と同伴だっけ」

「も…! そんなんじゃないって! その…お店の邪魔じゃない、バク?」

「そこに座ったら親の敵だって客さあね。今日混んでるから、おまかせでいーい?」

白黒鶏飯の店員、黒い服に白い前掛けのフレンズ、いつも少し眠そうなバクさん。

そんな彼女が運んできた、テーブルにメコンウイスキーのボトルとグラス、ソーダの瓶。

そして胡椒たっぷりの牛串、サテの小皿をバクさんが置いて…奥に戻る。

どこかアジアの下町に来てしまったような喧騒の中。

「…外でごはん、食べるなんて…初めて。…どうしよ、すごくドキドキする」

騒音の中、ジャガーさんはやっと笑顔が浮かんだ顔を俺に近づけて……言った。

薄暗い電灯のあかりを映したヒスイの瞳と、笑顔に。俺はこの日もあっさり恋に落ちる。

「今日は…ありがと。…すごく、うれしい」

…そんなん誰だってそうだよ!俺だってそうだよ!





42 1

夜になってもまだ、暑い。街の吐き出す雑多な体臭が混ざる夜風。

ジャガーさんの屋台が出店禁止にされたのにかこつけて、彼女をデートに誘った俺。

…予定はポシャっても、ジャガーさんと食事の席で…二人。

花街の裏手にあるマレーバクさんの店「白黒鶏飯」の客になった俺たちは、満員客の

喧騒の中…メコンウイスキーのソーダ割りでそっと乾杯し、そして。

「…お店でとしと飲んだことはあるけど…こういうの、はじめてだね」

「バクのお店、今日忙しそう。…とし、お腹すいてない?」

電灯のあかりとお酒で、キラキラしているジャガーさんの瞳。俺はそんな彼女と声を

ひそめ笑いあって、甘酒っぽいメコンを舐めて…ときおり視線があって、また笑う。

…ああ。予定だったら静かなバルで、お酒はワインとかで、ジャズなんか聞いて…

俺がモニョモニョしていると。バクさんが料理の皿を運んでくる。

あんかけのレタス、煮凝りをかけた冷やし鶏、豆アジのフライ。大皿の鶏飯。

「とし、どれから食べる? ごはん、たくさんあるよ」

うれしそうなジャガーさんから、俺は鶏飯をたっぷり盛った小皿をもらう。

…店には、同伴の男女客も何組か。その席から、





43 2

『いらねえよ。こんな畜生飯。フレンズが触ったもん食えるかよ。もう店行くぞ』

…色黒のキャバ姉ちゃんを連れてるおっさんが。吐き捨てた。

俺がイラッとする間もなく、その同伴カップルは勘定を置いて出ていってしまった。

…俺がジャガーさんをちら見すると。…やっぱり、聞こえてしまっていた。

ジャガーさんの瞳のきらめきは、奥の方に沈んで。その顔もつらそうにうつむいて…

「私がこんな畜生じゃなくって、ヒトだったら…」

「私がヒトの女の子だったら…もっと、としと普通に色んな所に行けて、遊べて…」

「ごめんね… としはやさしいから、私ずっと甘えてた…」

ジャガーさんがうつむいて、火が消えるみたいに言葉も… …なんか、なんか言え俺。

…つーか。ジャガーさんがヒトの女の子だったら俺、ホレてないし!

…ああ、そうだよ! 俺はヒトよりフレンズが好きな変態だよ! としあきだよ!

ハラを決めたというか。メコンで少し煮えてた俺は、手を伸ばして。

少し驚いたジャガーさんの髪から、ぶかぶかのキャスケット帽を…とる。

ふわっと。真昼のひまわりのような髪と、可愛い耳。そしてきょとんとした…瞳。

「えっ…なあに、とし…?」





44 3

――ああ。きれいだ。今まで見たどんなどんな女よりも、いや。どんなものよりも。

それを、ジャガーさんに言った俺は…緊張やら何やらで死にそう。そんな俺の前で。

「……! ばかあ……。…ありがと、とし……」

エメラルドが溶けることがあるんだと、俺はジャガーさんの瞳を見て、初めて知る。

涙をこぼしかけた彼女は、ねこ手の平で目を何度もこすり。そうして、両手のひらで

そのきれいな顔を覆って…うつむく。

泣いてる…? と思ったら、耳まで真っ赤で。

「……すき… すき、好き…! とし……だいすき…………」

その手のひらの隙間から、言葉が漏れてきて。…オイオイオイ、俺死ぬわ。感激で。

…喧騒の中で、二人だけの時間、空間。気持ち。…ええと、ここからどうすれば?

俺が悩んだとき。店のテーブルに、新規の集団客がぞろぞろ。新たな喧騒がやってくる。

日本語と外国語の混じったその人並みの中、ジャガーさんはハッとして。

「…そ、その。これだと、バクたいへん…ごめん、とし。私、ちょっと手伝ってくるね」

ジャガーさんは、まだ赤い顔を隠しながら厨房の方へ。

…すぐに、いつもみたいに火の前で元気に働く彼女の姿が、見える。





45 4

…そのあと。1時間ほど、客足が落ち着くまでジャガーさんは白黒鶏飯の厨房で

獅子奮迅の働きを見せて。次々に満席のテーブルへと皿を送り続けて。

…汗で顔をきらめかせながらジャガーさんが俺の席に戻って。二人で食事を再開。

「…ごめんね、放っておけなくって… えっ? …うん、うれしいな…」

「大きな厨房ひさしぶりで…舞い上がっちゃった。デートなのに、ごめんね」

…そういえば俺は…ジャガーさんの過去とか、経歴を何も知らない。

…だけど今夜は。初デートの夜は、そんなことどうでもよくて。

食べ終わって店を出る俺たちから、バクさんは勘定を頑として受け取らなかった。

白黒鶏飯を出た俺とジャガーさんは…

人通りの少なくなった繁華街で、小さく指を絡めあうみたいにして手を繋いで…歩く。

他愛のない話をしながら。見かけた深夜営業の雑貨屋に二人で入って、昭和の匂いの

する100円のCDを二人で視聴して、何枚も買って。開いていた古着屋ものぞいて。

「…ありがと、とし。…今日すごく、うれしい…」 また両手で顔を隠すジャガーさん。

「来週からはあけるから、またお店…きて」

…彼女を見送って。…キス、できなかったな…





46 5

この週――


日本政府は小笠原諸島、西之島周辺半径50キロを飛行及び航行禁止区域に指定。

その理由について政府は、先週西之島において米軍が行った戦術核攻撃の影響の

ためと国会で答弁。これに対し与野党議員からの厳しい追求があった。

またインターネットには海上保安庁から流出したとみられる、西之島全体の地形を

変化させるほどの発光セルリアン群の映像が出回り、その真偽が話題になっている。


中国江蘇省連雲港市の田湾原子力発電所が突然の稼働停止。周囲は人民解放軍が封鎖。

中国政府は稼働中の2号機にトラブルが発生、原因は調査中と説明しているが、

徐州市、青島市などでは大規模な停電が続いており、暴動の発生も危惧されている。


ジャパリパークを管理する公益財団法人「日本フレンズ振興会」は、閉鎖状態に

あったパーク全島からのスタッフ総退去、および施設の半恒久的放棄を発表。

また振興会は米軍に対し、キョウシュウ島の全地形データを供出。支援を要請した。





47 1

教科書には日本本土は温帯とあったが。嘘だッ そんな夜。 ごはん 提灯は無い。

…役場の規制で、ジャガーさんの屋台は今日も休みだった。そして俺は…

昨日の夜ジャガーさんとデートして。…手だけつないで別れた、俺の初デート。

…その夜は。前に買ったジャガーさんの写真集を引っ張り出して、それを見ている

うちに自制心が折れ…朝まで、しこしこと…最低のクソザコナメクジすぎる俺…

そして。賢者モードの中で、俺は。

ひどく昔のことに感じる「フレンズブーム」のときに買ったフレンズ写真集の山。

その中で、綴じがばらばらになるまで見たジャガーさんの写真集、そこに写っていた

ジャガーさんが、俺の大好きな、屋台のジャガーさんとは別のフレンズだと…

ようやく、きづいた。…確かにジャガー、なんだけど…瞳とか、顔つきが違う。

…どういうことだろう。

フレンズのジャガーさんは複数いるんだろうか? それとも、うわさに聞く代替わり

ってやつで写真集のジャガーさんが…消えて、いまの屋台のジャガーさんになった??

…わからない。…これはジャガーさんに聞いてもいいものだろうか…?

起きたら夕暮れ色の部屋、うじうじする俺の耳に、





48 2

とぅおるるるるるる 携帯の呼び出しがなって、びびる。

…相手は…知らない番号。どこかの固定電話? なんだろ… とぅおるるる

普段なら出ないパターンだが。俺のインスピレーションは受信を押す。

「……。もしもし。……とし?」

!? ジャガーさんだった。電話で初めて聞く声だが、一発でわかった。

「…ごめんね、いきなり電話しちゃって。いま、いい…? …ありがと」

そうだった、デートの約束をしたときに、念のため俺の番号を教えてあった。

「…わたし携帯持ってないから。下宿の電話だけど…うん、…ううん」

「…何かあったわけじゃあ、ないの。…ただ、その…とし、とね……」

「…! ああ、もう! みんなあっちいって! ごめんね、あたしが電話するって

 いったら、みんな部屋に戻ってくれなくって… もう、ばかあ!!」

…電話の向こうで、ジャガーさんの顔が赤くなっているのがわかる、そんな声。

「…ただ、その。としと、お話したくなって…声が、聞きたくなっちゃって…」

「…本当は、すごく会いたい… うん、これから? あのコンビニ? うん…!」

…携帯から虹色のキラキラがこぼれているみたいだった…幸せすぎる……





49 1

ゲリラ豪雨後。粘った湿気が支配する都会の夏。夜。 ごはん の提灯は今日も無い。

…月曜。規制は解けたが、仕入れの関係でジャガーさんの屋台は休みの日。

寄る辺なき俺はといえば、昨日の夜にジャガーさんとコンビニデートをしたときの

記憶と、あれもできなかったこれもできなかった後悔で、今日は一日中ぼんやりして…

帰り道。昨日の夜、俺は彼女に

「…毎日電話すると、としに悪いから…」 と言われて別れていた。

俺は毎日でもいいのに。…よって、今日はジャガーさんから電話はない。

そんな俺が今日は一人でコンビニの前を通り…暗い公園の横を通り…

ああ、きのう。この公園に二人で入れば…キスくらい出来たかな…

でも…ここ夜になると不良どころか半グレのたまり場だっていうし…

クソザコナメクジの俺は、ジャガーさんのきれいな瞳と、あの身体の丸みとハリを

思い出すたび鬱ウツ悶々として夜道の歩く… その俺の背後で、

「おい。そこのおまえ。としあきみたいな顔した、おまえ。おまえでち」

聞き覚えのある、おしゃまな子供の声。振り返った俺の前に、

「あすこのコンビニでファミチキとアイス買ってくれたら、いいこと教えてやるでち」





50 2

前に一度たかられたことのある、猫のフレンズだった。オイオイオイ、二度目だよ。

困惑している俺にその小さな子は、ニヤリ。

「きのうの夜は残念だったでちねえ。もうちょっと押せばキスどころか、デュフフ」

…!? な、なんで? この子ナンデ!? …見られてた!? 

俺は無抵抗でその子に連行、ファミチキとアイス数本、氷ポカリを買わされる…

…よく見るときれいな模様だ。その猫の子は、歯をカッカと鳴らしながらファミチキを

むさぼると、満足そうにねこ手で顔を拭いながら…言う。

「この公園は前までヒトのくずがはびこっていたでちが。今はでちたちの縄張りでち」

「マルヌねーちゃんとジョフで掃除したでち。だからもう安全なのでち」

「最近は、河原のイタチ軍団がちょっかいかけてくるでちが…まあ楽勝でち」

…えっ、掃除って…じゃあ、公園にたむろしてた連中は?

「ねーちゃんが、みんな伊達にしてから半身不随にして捨ててきたでち」

…ちょっと。…なに言ってるのこの子…

「今度からジョフたちが見張っていてやるから、安心して公園でチューして大丈夫でちよ」

一瞬、うn と言いそうになった。…お前らが見てたらだめじゃねーか…!!





51 3

俺が思わずツッコミを入れそうになった、そこに。

「…クソァ、この国は暑すぎんだろ死ねっ! …って! ジョフ!おまいは、また!」

「あっ、マヌルねーちゃん」

暗がりから現れたのは、もふっとした感じの…やはり小さな、猫のフレンズ。

その子は、片割れの妹分らしい猫をビビビビと高速ビンタして。

「ヒトなんかにタカりやがって! なついても辛いだけだろーが!ばかたればかたれ!」

「ギギギ…ごめん、ねーちゃん。でもねーちゃんのぶんのアイス、あるでちよ」

「なっ…! ……。お、おまい。その…気軽に、野良に餌付けすんじゃねーよ」

ごめんなさい。俺はその、姉御肌の猫に追いファミチキを買ってくる。

「…わたいの話聞いてたのかよ! ……。礼は言わねえからな、こいつは借りとく」

やはり、カッカと歯を鳴らしながら肉をむさぼったそのモフ猫は…

「おまい、昨日の夜ジャガーといた男だな。…あいつ、楽しそうだったナァ」

…えっ? この子、ジャガーさんのこと知ってるの?

「ジャガーとわたいは、同じ船でキョウシュウのパークからここに来たんだ。懐かしいや」

…俺は思いがけず。ジャガーさんの過去と出身地を知ることとなった……





52 1

電車が定時に来なくなる、そんな日本もあるんだよ。

…どでかい台風が近づいていたし、お台場のあたりでセルリアンが出現したせいも

あって、俺がいつもの駅に戻れたのは深夜近くになっていた…

しかも乗り換えのある駅にはどこも、機動隊の対策車両が待機してサブマシンガンや

インパルス放水銃を持ったフル装備の隊員が警備についている。…対セルリアンと

民間人の救護のためというが…連日のニュースでは、セルリアンが出るたび犠牲者の

数が増えていっている上に機動隊の殉職者も出ている…閉塞感だけが増してゆく、日常。

…これはこの街だけじゃなく、日本、そして世界中の都市でも同じ…だった。

…だが。

…ああ! 思わず声が出た。いつもの駅裏の路地に、ほんのり赤い ごはん の提灯。

今日は、ジャガーさんの屋台がやっている。暗くて、生ぬるい風が吹く路地を走った

俺の目に…くそぅくそぅ、つけ台に座る先客が二人ほどいた。

だけど…景気のいい音で鉄鍋を揺すっているジャガーさんが見えて、俺は滅茶苦茶

ホッとして。俺は黙って、あいていた丸イスに。

その俺にジャガーさんは小さく「ども…」みたいに言って、瓶ビールとグラスを出す。





53 2

…しばらくして、先客の二人が屋台を出ると。

「とし、いらっしゃい…! 昨日ね、電話したくって…ずっと迷っちゃってた…」

耳を隠していたタオルを取ったジャガーさん、つけ台のむこうに南洋の花が咲いた

みたいな彼女の笑顔と、声。

「さっき、ごめんね。ほかのお客さんがいたから… 今日はごはんまだなの? じゃあ」

彼女の瞳の奥のヒスイ色が、腹ペコの俺を見てキラキラしてから…ジャガーさんの

手元でコンロの火と鉄鍋が景気良く踊りだす。他愛ない話を数言、する間に。

「ごめんね、私さっき食べちゃって…」

…出てきたのは、炒り卵と野菜がたっぷりのビリヤニ、焼き飯。

俺がそれに匙を突っ込んでハフハフ言ってるスキに、チリとコリアンダーをまぶして

焼いた豚のアバラ、炙っただけのナスとピーマンに生姜醤油をかけたのが、でる。

…うまい。…やばい。…俺なんかを好きと言ってくれるひとの作ってくれる、めし。

汗だか涙だかわからんものを顔から拭いながら俺は料理をがっついて…

二本目のビールが出た頃合いで、ジャガーさんは少し迷って周囲を見てから。

「…まだ食べたかったら…言ってね」 …ジャガーさんが俺の横に、座った。





54 3

…うわ近い。固まる俺。…手だって何度も握ってるのに、ににに。

…めっちゃいい匂い。冷たくておいしい水みたいな彼女の臭い、そこに汗の臭い…

固まる(複数形)俺、ビールをお酌してくれるジャガーさん。何も言えずにいる俺に。

ぽすっと、俺の肩にジャガーさんの頭と髪がもたれかかってくる。…え?え!?

「…とし、ごめん、ね… また来週から、うちのお店…規制だって」

…そういえばニュースで見た。セルリアン襲撃で不安、ヤケになった群衆が無関係の

フレンズを襲撃する事件も起きている…政府は、問題が大きくなる前にフレンズを

隔離したいんだろうか?

ヒトは…彼女たちをパークから連れ出して、ブームとかもてはやして。そしてこれか…

俺は自己嫌悪、やり場のない怒り。そして…好きな子に何もしてあげられない無力感。

そんな俺に、ジャガーさんがやさしい声で言う。

「…もう、ここでお仕事できないんなら私…パークに戻って、何かお店をやろうかな」

「パークでガイドさんとフレンズの子相手に、屋台でごはん、食べさせてあげて…」

「…冗談。…そんなことしたら、としに会えなくなっちゃう」

…めっちゃキス、したくなっちゃった…





55 1

暑苦しい風の中に、海の臭い。台風が来る、夜。…駅裏には ごはん の提灯。

今日はこんな天気のせいか、まだ早い時間なのに人の姿がまばらで。

ジャガーさんの屋台にも、客は俺だけ。夜半には雨が降り出しそうだが…かまわん。

「ちょどよかったね、とし。さっきまで、ごはんのお客でばたばたしてたんだ」

かぶっていたタオルをするっと外したジャガーさんが、ぷるぷる耳を振りながら

俺にほほ笑む。ぬるい夜風の中に彼女の髪の匂いが香って…ズキン、とくる。

「…どうする、雨降り出しそうだけど。…今日、台風だっけ…」

いつもの瓶ビール、そして恥ずかしげに並ぶグラスが二つ。デキハゼの一夜干しと

ししとうがオガ炭の上で炙られて、塩と、甘辛いタレの2種類の串で俺の前に並ぶ。

俺が二つのグラスにビールを注いだ、ときだった。

夜空と風にヒスイ色の瞳を向けていたジャガーさんの顔が、ギクッとこわばり

俺の背後に…向く。…なに? 俺がキョドって無駄にした2秒、そこに。

「…! 今日は営業日のはずでしょ? このひとは…お客だから、関係ない!」

俺が初めて聞く…鋭い、訴えるようなジャガーさんの声。

ようやく振り返った俺の目に…





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黒と濃紺の制服、装甲。腕には「対策」の腕章。そして…黒光りする短機関銃。

機動隊の、セルリアン対策班だった。三人ほどの隊員、そして区役所のIDカードを

下げた公務員のおっさんもいた。

「在留フレンズ証を」 おっさんがジャガーさんに手を伸ばし、俺はイラッと。

だがジャガーさんは、無言でオレンジ色のカードを差し出す。

おっさんはそれをスキャナーで読み取ると…カバンから長い綿棒を取り出していた。

…それを見て、ジャガーさんが明らかに…うろたえていた。

「…ちょっと、なんで? カードの写真は私でしょう…!?」

だが、おっさんは無言。背後の隊員が無言で…フェイスガードの目をジャガーさんに

そして俺に向ける。

「…わかったわよ――」 ジャガーさんは、うつむいて…チラ、と俺を見る。

…その瞳が、つらそうで物悲しくて。なんだ…?と俺が思う間もなく。

カッと、ジャガーさんが口を開き目を閉じていた。おっさんはその、可憐な唇の奥に

綿棒を突っ込んで…頬肉こねってから、それを別のセンサーで読み取っていた。

「本体確認。…本日21時。セルリアン警報が発令されました、フレンズは指定居住区に戻ってください」





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区役所のおっさんはそれだけ、事務的に言うと。何かのビニール包みをつけ台の上に

放り出して…行ってしまう。…クソザコナメクジの俺に怒りのスイッチが入ったとき

には…屋台には、また俺とジャガーさんだけに。

ジャガーさんは異物を突っ込まれた口を抑えながら…目が、悔しさで涙ぐんでいた。

「…ごめん…ね、とし…」

ジャガーさんが力なく言って、俺から顔をそらしてしまう。

なんだか猛烈な悔しさ、NTR感。そんな俺の前で、ジャガーさんは連中がおいていった

包みを手にとって…一瞬、地面に叩きつける?と思ったが。

「あはっ…これが、このお店の休業補償…だって。毎日…こんなもの…!」

包みの中身は…口さがない連中がフレンズまんじゅうとか畜生飯とか呼んでいる

メロンパンほどの、食料。通称、万型配合飼料…それが二つと、フレンズ振興券。

…俺は怒りやら恥ずかしさやら、こんなときなんて言えばいいのかわからない…

そんな俺がやっと、気づくと。ジャガーさんはねこ手の平で、まなじりを抑え、

「…このお店、やっと出せたと思ったのに…どうして……」

…こんなジャガーさんの涙は見たくない… …なんでもいい、何かしろ、俺…





58 4

…俺は。ジャガーさんが置いたその包みをとって、バリバリ開く。

その音に、ジャガーさんの涙目がハッとしてこちらを見たときには…

俺は、薄ピンク色のまんじゅうに…かぶりついていた。

「ちょっと、とし…!? だめだよ、ヒトのあなたが、そんな…」

…ハラを決めて食ったが、このまんじゅう…大味だ。寝ぼけた味というか…ザラメが

入ってる?かと思ったら、砂っぽいものが口の中でシャリシャリ消えてゆく…?

「…もうっ、としのごはんは私が作ってあげるんだから。そんなもの、だめ」

ジャガーさんの涙は消えていなかったが、その瞳にいつもの輝きが戻ってくれて。

彼女は俺から食いかけのまんじゅうをとると、俺の目を見つめながら…それを、食べる。

…彼女のかわいい口がカッと動いて、指まで舐めてそれを食べ…

「ありがとね…とし。…ごめん、お店、しめなきゃ。……。えっ、なあに? あ……」

俺は、ジャガーさんの髪と頬に…触れていた。…カッコつけてみたが、心臓痛い…

だが、その俺の手に…彼女は目を閉じた頬をすり寄せてくれて…めっちゃ柔らか…

「うん…ありがと。…いいの? 雨振りそう… うん」

俺は。彼女を夜のデートに誘った……





59 1

夜風の中の潮の臭いが、さっきより強い。デカい台風の前触れ、そんな夜。

…繁華街は人通りもまばらで。ジャガーさんの屋台は、今日は早じまいだ。

俺とジャガーさんは指をからめ合わせ、手を繋いで…雨の気配のする夜を、歩く。

屋台にあった傷みそうな食材を袋詰にして二人で手に持ちながら…歩く。

彼女は、耳を隠すキャスケットを脱いで…いた。

「…雨が降るね。ごめん…私ね…こういう空気、大好きなんだ……」

俺から手をほどいたジャガーさんが夜風の中で両の手をゆるく広げ…風を、満喫する。

…きれいだ。…というか、めっちゃキスしたい。…抱きついて、もっとしたい…

…とか欲望が爆発しそうな俺、だが…

もしかしたら、俺は彼女とセックスしたい、そのために不遇なジャガーさんにやさしく

して、ダマしているんじゃないかと。…そんなことを考えてばかりのクソザコナメクジ。

そんな俺に、雨を孕んだ風を満喫したジャガーさんが。

「…ねえ、とし。今夜は…どこに連れて行ってくれるの」

…やっぱり、めっちゃキレイだこのひと… 暗がりの中でも、ヒスイを溶かしたような

ジャガーさんの瞳からは、虹色のキラキラがこぼれて風に舞うみたいで…





60 2

俺とジャガーさんは…人通りのまばらな夜を歩く。

「…ありがと、ね、とし。…私、さっきは嫌な気分だったけど。もう、平気…」

「…うん。しばらく、お店やれないけど… …うん、電話する…毎日、してもいい?」

…たとえ約束のできない言葉でも、それでお互いを慰められるなら…

俺たちは、あのコンビニを見つけて。下宿に電話をしてくる、というジャガーさんに

俺は自分の携帯を貸した。…その俺の視野に。

見覚えのある小柄な猫のフレンズがしたり顔で近づいてくるのが見えた、が。

その猫は、背後から現れた別のモフ猫に華麗なカニバサミをくらいチョークを決められ

 デチィィィ ビビビビ という音が夜の公園に消えたころ。ジャガーさんが戻る。

「…。電話してきた…」

ジャガーさんの顔に、遠い火事みたいな紅が浮かんで…いた。

…え、えっと? 電話… 何を話したの? もしかして。もしや… えっ! アワ アワワ

挙動不審になった俺に、ジャガーさんはまた手を握ってくれる。

「…雨、もう降ってきそう。私は平気だけど、としは濡れたら駄目、風邪ひいちゃう」

やさしい、声。俺はブリキロボットみたいな足で、また二人、歩いて。





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…雨も台風も構うものか。今夜こそ、ジャガーさんと夜のおしゃれな店に入るーッ!

ほざいた俺の覚悟は、一歩ごとに砕けて散って。

ジャガーさんと夜道を歩きながら、俺はさっきのジャガーさんの言葉の意味を頭の中で

ぐるぐるしながら…もう雨が降るから家にカエレ、もちろん一人でな! …という

意味ではなかったか、などと昔の江川達也のマンガの男みたいになって…そして。

「……。ここが、としの部屋なんだ。…その、いいところだね」

俺の部屋があるアパートの前まで、来てしまった。ジャガーさんのやさしみが痛い…

…クソザコナメクジすぎて何も言えない俺…

「……。じゃあ、とし。その…今日、ありがとう、ね。……」

ジャガーさんの、そうっと触れるような声。いつのまにか、向かい合っていた俺たち。

「あっ…… …とし…」

――俺が気づいたときには。俺の身体が、頭より先に動いていた。

俺は、ジャガーさんの身体を抱きしめて…いた。…予想より小さい背…大きい胸、かたい体。

…キスしたい、俺の口はジャガーさんの頭、髪に触れて。…めっちゃいい匂い…

「ん…。とし… 雨、降ってきちゃう…」 …俺は、彼女を部屋に入れた……





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毎年言ってる気がする、かつて無い大型台風。そいつが来た夜 ごはん 屋台は休業。

…俺がアパートの部屋にジャガーさんを連れ込んだとき、ちょうど雨が振り始めた。

「…。えっと、きれいに…してるんだね、とし…」

最初はまばらな雨音…だが、彼女がスニーカーを脱いで畳の上に上がったころには、

滝みたいな雨の音が部屋の中に押し寄せる。

同時に、俺の携帯に会社からのメーリングリスト着信。

…台風とセルリアン警報のコンボで、明日の出社は指示待ちに…なった。

その空気の中で… 親方!俺の部屋に初めて女の子が!な俺は、心臓が痛いくらいに

興奮し緊張して、何を言えばいいか何をするべきか、動揺しまくって…俺は。

「…えっ、なあに? お風呂…? …うん、その……いいよ、ありがと……」

…俺死にたまえ。キョドった俺は、いきなりお風呂入れてきますとか言って、さすがの

ジャガーさんも困ったように俺から目をそらしてしまう… その彼女の目が。

「あっ…。これ、私たちの写真の本…」

…ならん。もう俺死なす。よりによって…俺が溜め込んでいたフレンズ写真集、

その中でもオキニだったジャガーさんの本が畳の上に出っぱなしだった…





63 2

「…きれいな写真。……。とし、って…この子が、好きだったの?」

…ジャガーさんが写真集を手に、少ししょんぼりした顔でその表紙を見ていた。

…正直言うと好き、と言うか好きでした。リアルのジャガーさんを知るまでは。

ぐうぜん、屋台で働いてるジャガーさんを見てしまって…一発で脳が火傷して…

会うたびに、好きになっていって…会うたび恋に落ちて。そして今。

…それを言葉にして……伝えられないクソザコナメクジの俺は、またしても。

「えっ? ほかのフレンズの写真集も、あるんだ。…とし、フレンズが好きなんだね」

…ああん。何言ってんの俺。

そんな俺に、滝のような雨音の中でジャガーさんは。…さびしげな、笑みで。

「…でも、この写真…。私じゃないわよ、別の子…それは、知ってるでしょ?」

「…この子はゴコクの子で。この子が人気出て、それで私もパークに呼ばれて…」

「でも私がこの国に来たころにはフレンズブーム終わってて。…でも戻る船もなくて」

「…色んなことして働いたなあ。…でも、そのおかげで……としと会えた…」

「……ごめんね、とし。私…この子みたいに可愛くないでしょ…?」

――おまえは何を言っているんだ





64 3

…俺は。

「…あ…っ… とし…… ん…うん…… すき、大好き… ううん、ほんとに……」

…俺の体はクソザコナメクジ脳よりあてになる、なった。俺が二度目、ジャガーさんを

抱きしめると畳の上にボトッと知らないジャガーさんの写真集が落ちて…

「すき、すき……」

彼女のささやく声が熱い息になって、あっさりシャツを貫通、俺の胸に刺さる。

…俺は、腕の中だと意外と小さく、そして…固いというか身がしまってる彼女の身体に

両手をまわして…お尻を触った手が、ふわふわで芯のある尻尾に触れ。少しギクッと。

…ジャガーさん、フレンズの…大好きな、世界で一番きれいな、一番大切な…

俺はジャガーさんの髪の中に、彼女は俺の胸元に、戯れつつある二人の小児のような

言葉を交わし合いながら抱き合って…そして。

俺が、緊張でゴキゴキの首を動かし、ジャガーさんとキスしようと顔を…動かすと。

一瞬、鼻の触れ合うほどの至近距離で俺たちは見つめ合い、虹彩の色を映しあって。

「……。待って、とし…だめ…… そういうのは、ちゃんと結婚してから…だよ」

とけるような笑みを浮かべたジャガーさんが、両のねこ手で俺の身体を押し離した…





65 4

ジャガーさんに拒絶され、もうそこで渇いて死んでゆくしかない俺の前で。

だが。やさしい笑みのジャガーさんは、部屋の中を数歩。

そして…室内干ししてあった薄いシーツをハンガーから外して、俺の前に戻った。

「とし…」

俺の名を、子ねこの肉球よりピンクなすっぴん唇でささやいたジャガーさんが…

そのシーツを、ふわっと頭にかぶって。耳を隠して…シーツをヴェールのようにして。

…ジャガーさんが、俺の腕の中に…再び。

「…ごっこ、でいいの。…私…」 …えっ? なんのごっこ遊び…?

「…としの、お嫁さんに…なるの…」        えっ

俺を見つめる、ヒスイの瞳に引き寄せられて…抱き合って。

…キス、というより。唇をくっつけあい、舌で触れ合うだけの…でも、キス。

気づくと。俺は彼女をシーツの上に押し倒し、間抜けなクモのように覆いかぶさっていた。

ギュッと目を閉じたジャガーさんのシャツ、丸いふくらみに触れると彼女は痛そうな

吐息を小さく漏らし…俺は、ジャガーさんのジーンズを降ろし、下着と一緒に脱がせた。

「あっ…やだ…」 赤らんだ顔を手で隠した彼女のあそこには黄色のヒナ鳥がいるみたいだった……





66 1

台風接近。嵐の夜。滝の真下にいるような雨音。今夜は ごはん …よりも。

…いつも屋台で見ていたジャガーさん。正直、シコるオカズにするのもおそれおおいと

思っていた…その彼女が、今はこの暴風雨から守られたちっぽけな部屋の中で…

「…ん……うん…、私、へいきだから… 汚しちゃてごめん、ね…」

畳の上、シーツのしとねの上で…半裸のジャガーさんがまだ赤い顔、涙ぐんだ目を片手で

隠したまま…荒い呼吸のあいまに…言った。

俺は彼女のズボンと下着だけを脱がして、そのまま襲ってしまっていた。シャツを脱がせ

ておっぱいを見るのも忘れていた…

そのせいで…無理やり犯された後のように見えてしまう。

ぐったりした、太くてきれいな脚を投げ出しているジャガーさんの体を見て…その下の

シーツにぎょっとするぐらいの赤い鮮血が擦り付けられているのを見て…

…クソザコナメクジ童貞の俺が、セックス出来た…? しかもジャガーさん…血…

「…大丈夫、だよ…痛く…ないし…… とし……」

涙ぐんでいた瞳が、ぼーぜんとしている俺を見上げて、笑ってくれる。

…俺は、ごめん、と、好きです、を繰り返しながら彼女にキスをして…





67 2

シーツの上で、俺とジャガーさんはたわむれる猫のそれみたいに体を重ねて、唇を重ねる

だけみたいなキス…雨と風の音が唸る夜、蛍光灯の灯りの下。

俺とジャガーさんはさっきの…たぶん1分かからなかった…セックスよりも、この子供が

じゃれあうような触れ合いとキスを、満ち足りた気分でしばらく続けて。

そのあと、シャツを脱いだジャガーさんのおっぱい…イメージファイトの中のそれよりも

大きく、やわらかそうなそこに顔を埋め…

「…ん、っ…… とし、赤ちゃんだね…」

芯のある乳房が俺の指で潰れると、また彼女が痛そうに目を閉じる。

そうして2回めが始まって。最初は目を閉じ、両のねこ手で俺の胸板をギュッと押し返し

て抵抗とイヤイヤをしていたジャガーさんの手が、いつのまにか俺の背中に爪を立てる。

俺たちは抱き合ってキスをして… …2回めも即…

…そのあと、俺とジャガーさんはいっしょに風呂に入って。

湯船が溜まるまで、シャワーで汗と、ジャガーさんの腿にこびりついて乾いていた血を

流しながら…ずっと、キスをして相手の唇をついばんでいた。

いっしょに湯船に入ったら、それだけでお湯が半分無くなって…二人で、笑う。





67 3

そのあとは…台風の風と雨音が響くその中で俺たちは。

もし時計を見なかったら、ずっとここでこのまま二人でいられそうな、そんな幻想。

二人でおっかなびっくり、ビデオや薄い本では当然の行為をためしてみたり…

三回目が終わってやっと、俺は買い置きしてあったスキンの存在を思い出したり…

恥ずかしがるジャガーさんに意地悪っぽく、無理に足を開かせてあそこを見たり…

次第に、キスっぽいものができるようになってきた唇で相手の恥部に舌を這わせ…

電気を消してみたら、暗闇の中にヒスイと虹色のジャガーさんの瞳と、そして白い

そのエッチな体の線が浮かんでいて…そのまま襲って、もう何回目か…

そのあと、屋台から持ち込んだ食材をジャガーさんが焼いてくれて。

その裸の後姿、お尻と尻尾に俺がサカッて邪魔をして…

塩と胡椒だけで味をつけた肉と野菜を、二人で裸のままむさぼって食べ…

くすくす笑って部屋の中を逃げる彼女を追いかけて、追い詰めて動物のように後ろ

から犯して。彼女の太い尻尾が俺の腰に巻き付いて…

横たわってじゃれあううちにふたりとも眠って…目がさめてキスをして、また…

俺たちは二匹の動物だった。





68 4

台風は、ちょうどこの部屋の上を通り過ぎ…だが、まだ雨は降り続いていた。

…見たくなかった携帯を俺が見ると…日付が変わって、夕方の時刻だった。

持ち込んだ食料を全部、食べてしまって。俺たちは部屋にあったワインを開けて。

「そっか… これかあ…… あふれさせちゃうんだ…」

二人の汗と体液でひどいことになってるシーツの上、ねこのように横たわっていた

ジャガーさんが、ぽつり言った。

「あたしたちフレンズのね… 野性解放っていう、そのやり方、わかったかも…」

「話には聞いていたんだけど、やり方わからなくって… でも、たぶんこれ…」

「あ、でもやらない、よ。この国で、許可なくそれやると捕まっちゃうんだって」

…俺は、ジャガーさんの言っていることが半分以上わからず、キスでごまかして。

「私…としの奥さん、だからね……」

「明日、台風が行っちゃって晴れたら…日曜日だし、どこか… うん、ありがと」

「私ね…水族館、いってみたい。泳いでる魚…としとみたいな… えっ、ほんと?」

「うん…… すき… ずっと、こうしていたい…ね…」

…俺はこのひとを幸せにできるだろうか? …しあわせすぎて、逆に怯えてしまう…





69 5

この週――


北海道旭川市で消防レスキュー隊の一員としてセルリアン撃破に成果を上げていた

ヒグマのフレンズが、訓練中に銃で撃たれ、重傷。

撃ったのは地元猟友会の会長で、銃刀法違反および器物破損で現行犯逮捕された。

容疑者の会長は調べに対し黙秘を続けているが、容疑者はセルリアン襲撃で孫夫婦を

失っており、フレンズ排撃派との関連を含めて捜査が進んでいる。


元ジャパリパーク、キョウシュウ島沖に集結していたアメリカ軍艦隊による島中央部

パーク・フジへの総攻撃を表明。日米安保の一環であることから自衛隊の派遣が

要請されているが、大規模な上陸作戦が予定されているため日本政府は正式な参戦

の表明は控えている。


北海道生物科学研究所及びセルリアン対策室 所長の雷沼教授は来週にもセルリアン

対策のための重要な発表を行うと声明を出した。





70 1

台風が列島横断して通り過ぎた、朝。快晴。 ごはん 提灯は飛んでいないだろうか…

…ジャガーさんの屋台が営業停止になって。彼女をなぐさめようとしているうちに、

気づいたら俺は彼女を部屋に連れ込んで…台風のあいだ、ずっと… フフフ、セックス

(以下気のすむまで繰り返し)。そして…日曜日の朝。

すっかり恋人気取りの俺は、二人でコーヒーでも、と思っていたが…

「……。やだ…私… どうして、わ…やだ、え、え…? うそ… とし…私……」

明るくなった途端にクソ暑い朝。ジャガーさんは汗とか何かでヘロヘロのシーツをあの

エッチ極まる裸体に引き寄せて…明らかにうろたえ、取り乱し。

「わ、私…なにか、変なこと言った? ねえ、変なこと…しちゃったんじゃない…?」

…どうやら。ジャガーさんは一昨日の夜、そして昨日。熱帯の暴風雨に本能というか

血というかがアゲアゲになってて…

そしてピーカン晴れの今。平常に戻って…いた。

「…ごめんね、私… …とし、おねがい… 忘れて、嫌いにならないで……」

耳まで真っ赤にして、シーツを顔まで引き上げているジャガーさん。

…俺は、ちょっと強引にキスして。イナフです、と伝える。





71 2

俺とジャガーさんは、一緒に風呂に入ってシャワーを浴びて…昨日まではここで

めっちゃキスをしていたのに…彼女は恥ずかしがったままで、胸と恥部をずっと

手で隠していて。…なんか新鮮で可愛い… なんというか、フフ、勃()

歯ブラシが一本しか無かったので、交代で使って歯磨きしながら、俺は。

「…うん。昨日、おねだりしちゃった、ね… ほんとに、いいの?」

今日は、ジャガーさんの要望に答えて初めての日中デート、しかも水族館…!

ここからだと一番近いのは…ほぼ電車で一本、池袋にあるサンシャインの、あすこ。

…東海の真ん中、ビルの屋上にある水族館…ジャガーさんの驚く顔が目に浮かぶ。

「ありがと…。あ、服…どうしよう…一昨日の仕事着のまま、じゃあ…」

問題ない。行く。耳さえ隠せば、ジーンズとシャツのジャガーさんはセクシーな

おねえさんです。さあ、出発。

外に出て、閃光じみた朝陽の下、数歩。ジャガーさんが、固まる。

「…あ、っ……」 顔が、さっきよりも赤く。涙目になっていた。

「…ごめん、お部屋戻って… 洗ってきて、いい…? 漏れてきちゃった……」

…出発が10分ほど遅れましたが、ええ。問題ありません。





72 3

ジャガーさんと二人で、初めて電車に乗って。尻尾を無理くり隠しているせいで

俺たちは隅っこの方に二人でくっついて立って…短い、旅行。

キャスケットを目深に被ったジャガーさんが電車の窓の外を見ながら。そうっと、

電車の中で俺たちはゆるく、手をつなぐ。俺はあいた手で、時おり携帯を操作。

…よし。台風警報と一緒に出ていたセルリアン警報はどっちも、解除。

いまのところ、出現騒ぎは皆無。…最高のデート日和。

うわさでは、セルリアンは震災や台風などの災害時によく出るといわれていた。

それが。あの大型台風のあいだには何もなし。…このまま。セルリアンとかいう

化け物が出なくなってしまえば…ジャガーさんたちフレンズに対するいわれのない

迫害も収まるだろう、そうすれば俺たちはもっと… 夢とか希望とか、色々膨らむ。

「…すごく、いい天気。…パークの空みたい…」

窓の外、吸い込まれそうな青空の色を瞳に映しながらジャガーさんがつぶやく。

俺たちは電車を乗り換え、そして目的地の街へ。…うわ、すごい人出。人間の海…

都会の雑踏の中、不安げなジャガーさんと手をつないで俺たちは東口を出て、

目印の高いビルへと、向かう。





73 4

休日、そして最高の天気。通りには人並みがあふれ、街路にはパフォーマーや露天が

たくさん、出ていた。俺たちは少し時間を無駄にしながら、露店をのぞいたり、

飲み物を買って飲んだりして… ジャガーさんの瞳に、花みたいなきらめきが踊る。

…ああ、これがデート…!

水族館のあるビルがもっと遠ければいいのに、そんなことを思う彼女との道行き。

…そうだ。水族館の帰り、どこかで…オモチャでもいいから、指輪を買おう。

…いきなり給料何ヶ月とかじゃなくて、ただ二人の思い出になるものを。

…そうだ。この街は…こっち側は、ラブホがたくさんある…

…昨夜の、夜は娼婦って感じのジャガーさんも最高だったが、今の、おどおどして

すぐに顔が真っ赤になる彼女を連れ込んで、この後滅茶苦茶セックスした。しよう…

「…ごめん、とし。ちょっと、いい…? お手洗い、いってくるね…」

ジャガーさんは顔を赤らめて、ビルの1階にあるコンビニの中へ。

ちょうどいい。俺はそこの端末で、水族館の前売りを二枚買って。

…ファック、会社から電話だ。俺は、習い性でコンビニを出て、電波の良いところまで

歩いて――て……。……? なんだ……! 地震?





75 5

地面が、世界が揺れていた。一瞬遅れてれて、周囲の雑踏から悲鳴と怒声が湧き上がる。

…やばい、ジャガーさん!?

俺は、少し離れてしまったコンビニの入り口に目を、そちらに走ろうと……

…クソ! 何コケてる俺! 立って… …な…? アスファルトが…波打ってる?

馬鹿みたいにへたり混んでいる俺の前で…地面が、煮えたシチューのように揺れていた。

同時に…耳が裂けるような、轟音。建物がきしんで…窓ガラスが割れたり、看板が落ち

たりしてその轟音、悲鳴…そして、地面が震える轟音。

…ジャガーさん!!

俺が立ち上がってよろめいたとき。一台のセダンが、タイヤの悲鳴を撒き散らしながら

突っ走って、そして…さっきまで俺がいた、ジャガーさんがまだ中にいるビルの一階、

コンビニの入り口に突っ込んでいた。停まるまでに何人もの人間を跳ね飛ばし…

俺は…パニックと恐怖で、だが…ジャガーさんの名前を叫びながら、立ち上がった。

…地面の揺れは、止まっていた。同時に。…地面から、泡のようなものが浮き上がる。

…コンビニに突っ込でいたセダンの形が、ぐにゃり歪んで…不透明の、青い、何かに

変貌し…脈打ちながら膨れ上がっていた。





76 6

――人類史上最悪の惨禍 『セルリアン大壊嘯』 その1日目が始まろうとしていた。



















77 1

夏の青空。その下の、惨劇の渦。たぶん、俺はもう ごはん の提灯は見られない…

最初は地震だと思った。

ジャガーさんの屋台が営業停止なのをいいことに、彼女と恋人気取りで街の水族館に

向かっていた俺たちは…セルリアン襲撃のただ中に飲み込まれていた。

ジャガーさんの入ったコンビニに突っ込んだ車は、青い、不定形の…セルリアンに

変貌し、邪悪な風船のように膨れ上がってゆく。

ジャガーさん…!! その不気味なセルリアンの向こうに彼女が…!!

俺は化け物の恐怖よりも、彼女を失うという考えるのも恐ろしい恐怖に突き動かされて、

そのコンビニの入ったビルの方に、進む。――だが…

周囲でまき上がる、絶叫、悲鳴、怒声。周囲の建物から雪崩を打って逃げ出してきた

人たち、その津波のような群衆に俺は巻き込まれ、もみくちゃにされ…

ジャガーさん!! パニックで逃げ惑う、すさまじい数の群衆の中、俺は。

あのコンビニの方へ近づくこともできなかった、この群衆の津波に逆らったり、ここで

立ち止まったりしたら…引きずり倒され、踏み潰される…!

周囲で、親を呼ぶ子供の泣き声がほとばしって…そして、フッとその悲鳴だけ消える…





78 2

…ジャガーさん!! …俺は、最初の場所から群衆の波に押し流され…

そのとき、俺を呑んでいた人並みが、ぐらっと揺れて止まった。

また別の悲鳴が、俺の周囲でほとばしって…人々の群れはばらばらの方向に散って、

逃げようとするが…半数以上の人間が、その場で…血の凍る悲鳴をあげて崩れ落ちた。

…地面から…泡のように、青い色をした不定形の“もの”が…セルリアンが湧き出し、

人間を飲み込んでいた。バランスボールくらいのものから、車ぐらいあるやつまで。

そいつにへばりつかれ、飲まれた人間は…すぐに動かなくなってしまう。

…これが…セルリアン… ニュースでは聞いていたが、これが…

その頃になって、ようやく。

人々を避難誘導する、警察や機動隊のスピーカー、サイレンの音が響く。

その音に、俺はハッとして。…周囲には、人間の形を飲み込んだ青い巨大な泡…

ジャガーさん!! 俺はもう、それしか考えられなくて。

…つい数分前まで、デートの目印だった高層ビルの方に走った。

さっきのコンビニは…!? ジャガーさんは、まだあの中に…!?

その俺の前で… 乾いた、耳に刺さる音が。マシンガンの銃声がいくつも破裂していた。





79 3

…さっきのコンビニが入ったビルは。火災のどす黒い煙に…飲み込まれていた。

ジャガーさん…! 目の前が真っ暗になる。

その俺の視界に… 黒い装備の集団、その手元から錆色の銃火を破裂させている機動隊の

一団が、映る。彼らは…大きな楯の影で、街の一角を撃っていた。

…何を撃っている? 俺が足を止めたとき。

火災の煙の中で、巨大な影…ぐらり動いた。最初は、建物だと思った、それは…

 ビィイイイイイイ 耳の痛くなる爆音を上げながら動いた、そいつは。

巨体からカタツムリの目のように伸ばした触手を機動隊に向ける。その触手の先端は、

サブマシンガンや、拳銃の形をしていて…その触手が震えると。

触手から放たれた何かに撃たれた機動隊の男たちは楯ごとバラバラと吹き飛ばされる。

彼らは撃ちながら、負傷者を引きずって後退し…そして俺の目には。

機動隊の銃弾が、その巨大な青い影に当たって…も、ブルッと震えるだけでまったく

動きが止まらないのを、見てしまっていた。

…俺が気づいたときには。その巨大な青い影は…車ぐらいの速度で、動いていた。

…俺は、そいつの目の前で。…巨大セルリアンの“目”が、ぐりん、と俺を見た…





80 4

…巨大な、眼球だけの…ひとつ目。…模様ではない、明らかに俺を見ている、目。

俺は…動けなかった。悲鳴も、出なかった。

その青い巨体は、長方形のその体の中に無数の人間の形を飲み込んでいた。

そいつがまた、ビイイイ と耳障りな音をあげたとき、俺は…そいつが、もとはバス

だったモノだと、それが膨れ上がって建物ほどの大きさになっているのだと…気づいた。

ああ、この音は。停留所についたときのアレか。

…気づいたときには、そいつがスルスル伸ばした触手が何本も俺の身体に巻き付いて

いた。日に当たったミミズのように、じわっとその触手が縮んでゆく。

…死ぬ。

クソザコナメクジの俺は、暴れることも悲鳴を出すことも出来ないまま、その青い巨体に

引きずられて…頭の片隅で、ジャガーさんが逃げていればいいな、とそれだけ思って――

…怖い。目を閉じてしまった俺…だが耳は塞げない、あの ビイイイ という轟音…

その音が。

 グがああああああッ!!

別の咆哮で、蹴散らされた。ギクッとした俺が目を開いた、そこに。





81 5

…なにか、立っていた。同時に、俺の身体は地面にぶっ倒れ、転がる。

な…なんだ? 俺が新手の恐怖に目を開いた、そこに。

「…とし……!! …ダイ、ジョ…ゥ! ァ、アアア!!」

何かの音が、叫ぶように俺を呼んでいた。

そこには――巨大セルリアンから伸びた触手を鉤爪で引きちぎった異形が。

…!? ジャガーさん!? …いや、違う。…いや、そうだ。彼女が…

だが、そこに立っているのは俺の知っている彼女ではなく…

再び、今度はムチのように触手が俺の方に襲ってきた。

 ゴガァアアアアアア!! 爆音のような咆哮に、周囲の空間が揺れる。

…ジャガーさんは、巨大な鉤爪で触手を引きちぎって、吼える。

…その姿は…俺の知らない、彼女。獣の、毛皮模様のスカート。大蛇のような尻尾。

手と足も、毛皮模様で…髪は炎のように逆だって、その下の目は金色、そして虹色の

煌めきを花火のように吹き出していた。瞳孔の無いその目が俺を見たとき。

巨大セルリアンの触手が、先端を銃の形にして…ジャガーさんを撃った、が。

瞬間、彼女は背後にきゅうりを置かれたねこのように…宙へと、跳んでいた。





82 6

 ガァあああ!! 空中でジャガーさんが吼え、そのまま宙を蹴って降下、

黒い破片と虹色の火花が、巨大セルリアンの背中で爆裂。そこに蹴りをいれた

ジャガーさん、その両の鉤爪がセルリアンを何度も殴り、引き裂いていた。

…ジャガーさん!! ふと俺は …野性解放… どこかで…

ビイイイ とセルリアンが悲鳴をあげ、触手でジャガーさんを打ち据える、が…

 ァああああああ!! 悲鳴じみた叫び、そして打たれたところから血と虹色の飛沫を

散らしながらも…彼女は、セルリアンの背中、そこにあった何かの、巨大な結晶を

鉤爪で殴り続け…そして。

ジャガーさんの鉤爪は、その結晶を両手でつかみ…引き剥がすように持ち上げる。

彼女の背中を、銃型の触手が撃った、が…悲鳴じみた咆哮を上げた彼女は、結晶の下から

貝柱みたいに伸びる青いセルリアンの体に… 牙を向いたアゴで噛み付く。

その瞬間――

ビイイイ! セルリアンが轟音を上げ…ジャガーさんの手の中で結晶が、砕けた。

白い閃光がほとばしると…セルリアンの巨体は、立方体のヒビを全身に走らせ、そして。

…一瞬で崩れ去り。…後には、ひどく小さく見えるバスの残骸だけが…残った。





83 7

気づくと俺は…中に、気絶した人間を詰め込んだ残骸の前で、ぼうっとしてしまっていた。

何秒も、無駄な時間を過ごす俺の視界の中で…

周囲の惨劇の中にいた、大小無数の青いセルリアンたちの姿が、急に溶けて…消える。

……! ジャガーさん!! 俺が叫ぼうとしたときだった。

「…ッ、ぅく… とし、とし……! あ、ああ……」

ジャガーさん!! 俺は、よろめき出てきた姿に目を。

…ジャガーさんだ…! やっと気づいた。

今の彼女の姿は、俺が写真集で何度も見ていた、ジャガーさんのフレンズ姿だ…

その姿も、ボロボロで…彼女の両目からは、まだ金色と虹の光が溢れ出していた、が。

その瞳の奥は… ヒスイ色、きれいで、俺の大好きなジャガーさん…!!

俺が、彼女の名前を叫んで駆け寄った。 ――そこに。

「と… ギャァん!!」 ジャガーさんが悲鳴をあげ、俺の前でぶっ倒れ…痙攣する。

…な!? その顔…そして体に、バチバチ電気の火花を散らす筒が刺さっていた。

「動くな!! …制圧、制圧!」 機動隊が怒声を上げながらこちらに進んで、来る。

その姿に、俺が怒声を上げたとき。俺にもテイザーの針が刺さって…ぶっ倒れた……





84 1

人類史上最悪の惨禍『セルリアン大壊嘯』は発生から1週間でようやく沈静化した。

日本国だけでも死者行方不明者合わせて五十万人以上、負傷者はその数十倍ともいわれ

経済損失は現時点で20兆円を超えると推測されている。


『セルリアン大壊嘯』発生の日本時間12時間後、米軍と自衛隊の日米安保連合部隊は

旧ジャパリパークのキョウシュウ島に上陸作戦を決行。

攻撃目標地点であるパーク・フジ山頂のサンドスター特異点に大規模な空爆が行われた。

米軍は特異点の破壊を公表、宣言したが、米軍自衛隊ともに大きな損害が出ている模様。


『セルリアン大壊嘯』発生から四日後、中国江蘇省田湾原子力発電所で発生した事故は

セルリアンによる破壊だったと判明。同地で発生した「光る巨人」型セルリアンに対し

共産党軍事委員会は第二砲兵隊による核攻撃を宣言。瀋陽軍区はそれに対し造反を示唆。


『セルリアンの正体は世界に跋扈するフレンズだ。このさいウミは出さねばならん』

セルリアン対策研究所所長、雷沼教授は臨時国会でこれまでの研究結果を公表した。





85 2

世界で唯一の大切なものを奪われた、夏の日。俺は ごはん 提灯とは別の世界にいた。

…俺が目を覚ましたときには、そこはどこかの警察の留置所…だった。

…もちろんジャガーさんはいなかった。

俺は数日間、クソ暑くてクソ汚くクソより臭い腐った畳部屋の鉄格子の中にいた。

その雑居房には、騒乱にまぎれて略奪とかして捕まったチンピラや外人たちがいた。

そこにいた人間のクズよりも、警官や刑務官たちのほうがよほど殺気立って、いた。

…巨大セルリアンをジャガーさんが倒し助けられた俺は、そのまま彼女と一緒に

機動隊のスタンガンで撃たれ…拘束されていた。

最初に俺が「あんな畜生のことなんて、私知りません…!」とか下手に出ていれば、

すぐに出られたかもしれなかったが…クソザコナメクジの俺でも、それはしなかった。

猛暑と暴力、ほとんど眠れない雑居房、ガチで殴ってくる取り調べ。

その三日間で心を砕かれた俺は…そのまま、東京拘置所に移送された。

自分が、何の罪でこんな目に…いや。

…ジャガーさんがなぜ撃たれ、あのあとどうなったのかもわからないまま。

俺は拘置所の独房に四人詰め込まれた部屋で、四日間を過ごしたのち…





86 3

独房からひとりだけ出された俺は、別の小部屋に入れられた。

…何かの取り調べだろうか。

その部屋に入ってきたのは、ビシっとグレーの制服を着こなした大柄な男だった。

短く刈り込んだ髪、神社の大樹のように真っ直ぐな体。鋭い顔つき。

俺とは別の生き物の男。…自衛官だろうか? なぜ、ここに…

ぼうっとしている俺の前で、その自衛官は部屋にいた刑務官を外に出し、そして。

「君は双葉くん、だね。…今回のことは、本当に申し訳なかった。自分から謝る」

…? 1週間ぶりの、人間らしい言葉。そして謝罪と下げられた頭に俺は困惑する。

よく見ると、その自衛官の肩にあるのは三佐の階級章だろうか?

自衛隊の佐官が、いったい何で? 疑心暗鬼になる俺に、その男は。

「自分は情報保全隊…セルリアン対策部の若屋だ。…その、君と一緒にいた…」

「あのフレンズ、ジャガー。…彼女は今、ここの特別区域に拘置されている」

…!? ジャガーさん、その言葉に俺はガタッと椅子を鳴らし、動いていた。

「…待ってくれ。彼女は、その。負傷しているが、命に別状はない。だが……」

「ジャガー、彼女は…本日の夕刻、旧ジャパリパークへ強制送還される」





87 4

……。何を言っているんだお前は。…ジャガーさんが… 強制送還、いなくなる…!?

ガタッ!と、暴れそうになった俺の前で。その佐官は詫びるように机に手を置き、

「…すまない。だが、これが唯一の手段だった…」

「…あの事件の後、いま日本中でフレンズ狩りが平然と行われている」

「…セルリアンの正体はフレンズだという発表以降、止まらなくなった…魔女狩りだ」

「しかも、ジャガーの彼女はセルリアンを撃破している。これがもしセルリアン対策室

 に知られたら…彼女は研究施設に送られて、そこで何をされるか…わからん」

「…パークは現在、米軍が封鎖している。あそこには魔女狩りの手も伸びん」

ジャガーさんが、連れ去られる…? 目の前が真っ黒くなってゆく俺の前で。

「…。すまない、何から話せばいいのか」

その男は、1秒ほど迷ってから。制服の前を緩め…そこから、凛とした黒いネクタイを

引き出した。

??な俺の前で、彼はネクタイの端、大剣のところを裏側にひっくり返した。

そこには…明るいオレンジの毛皮地に、Mの黒い模様。…これは!!

「我が身は日本国の国防に捧げているが――魂はジャパリパークにある。たーのしー」





88 5

…このおっさん!もしや!? 俺と同じ?

「…今の世論と政府の大半は、セルリアンとフレンズが仲間だという妄言を信じる

 フレンズ排撃派だが…自分のような信奉派も、水面下ではまだ残っている」

「我々はあの事件の後…。在留フレンズたちを捕獲拘束してでも暴徒と排撃派から

 守ろうとしたんだが…それも限界だ」

「彼女たちを救うには、生まれ故郷のパークに強制送還する…それしか無かった」

その男、若屋三佐はそこまで言って…ひどく疲れた目を何処かに向けた。

「先日の事件で…東京に出現した巨大セルリアンは、8体。そのうち1体を君の

 ジャガーが撃破。もう1体を警視庁警備二課のフレンズが。かろうじてもう一体を

 大宮の普通科連隊が軽MATで仕留めた。…壊滅的な損害をこうむって、やっとだ」

「…我々は天から与えられていた武器を、自ら捨ててしまった…もう人類は…」

彼は、俺に小さく敬礼した。

「…これが、自分に出来る最後だ。君はこのあと…10分だけ…彼女と、面会できる」

「…その後、君だけ釈放だ。…絶望の世界だが。…死ぬなよ、としあき君」

…ジャガーさんと、会える!? でもこれが、ジャガーさんと最後に……





89 6

 ――サウダージ (saudade) ポルトガル語およびガリシア語



















90 1

あとで知ることになった。人類史上最悪にして「最後」の惨禍『セルリアン大壊嘯』。

だが、拘置所の檻から出されて別の場所に連行される俺の目に映る空は…

パソコンの壁紙にできそうなくらい青い空、白い雲。夏の空。どこまでも。

…もうこの空に下には、俺の世界はない。もう、あの駅裏で ごはん 提灯は灯らない。

…ジャガーさんが生きている、無事だ… それだけを支えに動かした俺の足。だが。

…ジャガーさんが今日、数時間後には遠い場所に、パークの島に強制送還されてしまう。

自殺したくなる人間の気分が、初めてわかった気がする。

苦しいとか、逃げたいとか、そんなものよりもっと深くて黒く、冷たくて、重く。

…消えてしまいたかった。この世界から消えて、全て、消えてしまいたかった…

だが俺は。刑務官に連行され、別の棟にある部屋に通され…その扉が開かれる。

「10分間だ。残り1分で、またこのドアを開ける」

刑務官はそう言って、開いた扉の奥に俺だけを入れた。そこには…

ドラマなどで見た、透明なアクリルの壁。小穴の空いた通話口。その透明の向こうに。

「…。…あ、あ…!! とし…! とし…っ!」 …ジャガーさん!






91 2

動きかけたその姿を、邪悪な形のスタンガンを持っていた刑務官二人が抑える。

……!! ジャガーさん…!

…最初は、気付かなかった。それくらい、姿は変わっていた。

俺と同じツナギのような拘置服を着せられ、頭と顔にはその半分を隠すようにして

包帯が、ぞんざいに巻かれていた。でも、そこから見える目は、瞳は…!

…ジャガーさん…! 俺はアクリルの壁に駆け寄って、そこにぶち当たる。

彼女は、小さく手を動かし…通話口の穴のあたりに、片手の手指で触れる。今度は、

刑務官はそれを止めなかった。

ちっぽけな穴の向こうから…ああ! 彼女の、体温だけが…

「とし、とし… よかった、無事で…私、ずっと心配で… よかった、本当に…」

…何も良くねえよ… 無力な俺は、このアクリルも、この腐った世界も壊せないまま。

…今ごろ気づいた、顔の包帯は撃たれたときの傷…ジャガーさん、片腕が動いてない…

「とし…大丈夫、へいき、なの? 痩せちゃってるよ、ごはん… たべてるの?」

「……ごめんね、ごめんね、とし… 私、もうあなたにごはん… ごめんね…」

たぶん俺は、血を流すみたいにしてボロボロ泣いていた。彼女がそれを見ている。





92 3

「…私ならだいじょうぶ、大丈夫だから、元いたパークに戻るだけ、だから…」

「…下宿にいたみんなとも、一緒だから… ごめん、ごめんね…」

泣かないで。やさしいジャガーさんの声。それを言った彼女が、片方の瞳だけを抑え

ながらぽろぽろと…泣いていた。

「あはっ…私、この国にいて… さよならを言う相手も、あなただけだったよ…」

「とし、元気で、ね… あなたを助けられて、私…」

「…本当は… ずっと、あなたといたい…あなたに毎日、ごはん作ってあげて…」

「…私、としの、本当の奥さんになりたかった…!」

そんなもん俺だってそうだよ!誰だってそうだよ…! ていうか!

あんなごっこ遊び、でも… 俺たちは…結婚して、ずっと一緒に!

その時。俺の背後で、ドアが開いて刑務官が入ってくる音。ジャガーさんの瞳が凍る。

「とし、とし…! 私、パークに行くけど…私のこと、わすれないで…!おねがい…」

ジャガーさんの瞳が、あのエメラルドを溶かしたような目が最後に俺を見たとき。

チャイムが鳴って…刑務官が、ジャガーさんの腕をつかむ。

「…!! いやだ… やだっ、嫌…! とし…!」 …ジャガーさんは俺の前から、消えた…





93 4

…俺が気づくと。俺はひとり、別の部屋にいた。…あのあと暴れて、拘束されたあと。

…その部屋で俺は拘置服を脱がされ、文字通りの渇いてゆくクソザコナメクジだ。

…だが、俺は何も考えていない。…この現実が耐えられなくて、脳が動いていない。

俺は、あのとき着ていた服と私物を返されて。

…また気づくと。俺は、拘置所の外にいた。

青かった空は、夕日に染まっていた。やはり壁紙にできそうなくらい、美しい夕陽。

…ジャガーさんを乗せた護送車がどこに行ってしまったのかもわからないまま。

…その後は、どうやって動いたのか。

都内の電車は、ほとんど動いていなかった。その代わりに、凶器を持った連中がわめき

ながら街を行進し、口々に「フレンズを殺せ、畜生を殺せ!」と叫んでいた。

…俺が、いつもの駅に戻れたのは翌日の昼間だった。…空腹も、渇きすら感じない。

何気なく、ポケットに入れた俺の手が…紙切れに触れて、それをつかみ出す。

それは…ジャガーさんと裸でじゃれ合った記憶の、欠片。

…2枚の、水族館のチケット。…もう永久に行くことのない場所の、前売り券だった。

…くそったれ。 こんなところに永遠がありゃあがった……





94 1

いつからだろう。この青色は人類の敵になった。夏の青空。すべてが終わった、夏。

…ジャガーさんと引き離され、何もできないまま惨劇のあとの街に放り出された無力な

俺は、気づけば自宅の部屋がある街に戻っていた。

…もう生きていても仕方がない、死ねばそれが無力な俺には罰になるだろうか。

そんなことばかり考えて。それでも、街で見かける「フレンズを探して殺せ!」と喚く

フレンズ狩りの暴徒や、略奪目当ての連中からは本能的に身を隠していた。

…だが。俺がたどり着いた自宅のアパートは… 黒焦げの廃墟になっていた。

フレンズ狩りにやられたのか、それとも先日のセルリアンのせいか。

どっちにしろ、俺はたいしてショックも受けなかった。その道中に携帯を見たら、

生き残った同僚の一人からもう会社がないこと、従業員の大半とも連絡も取れない、

というメールが入って、それっきりだった。

文字通り、俺はすべてを失った。

そんな俺は…さまよって、ネズミのように身を隠して。気づくと、駅に戻っていた。

焼け跡のようなその建物の裏手に回った俺は、ふと…

…この路地の先に、ジャガーさんの屋台があったのを思い出して…いた。





95 2

その路地を進む間にも…街のひどい有様ばかりが目についた。

ところどころ街路に転がっている死体。夏日にあぶられ膨れ上がり、腐臭を放つ肉塊。

そして…女性のものだとわかる黒焦げの、死体。吊り下げられたままの裸の死体。

壁や電柱には、流言のビラが貼られてそよ風に揺れている。

“フレンズは耳や尻尾、角を隠して人間の女に化けている、セルリアンを呼んでいる!”

“政府と自衛隊は食料物資を溜め込んでいる、自分たちだけが生き残るためだ!”

…そんな、焼け付く日差しと光景の中。路地のそこには。

…ああ… 俺はがっくり、路地にへたりこんだ。

ジャガーさんの屋台は、焼かれて壊され、虫歯の穴のような黒い残骸になって…いた。

…俺なんか焼けたアスファルトの上で渇いて死んでしまえばいい。

そんな俺の目が…ふと残骸の裏、乾いたドブの溝にある何かの赤さに、気がつく。

そちらに進んで拾ってみると、それは…裂けてはいるが、

 ごはん ジャガーさんの屋台の提灯だった。

…つい10日ほど前までは、どれほど疲れ倦んでいても、夜にその赤い灯りを見ると

心が踊っていた…ジャガーさん。その夢の残骸が、今は俺の手の中にあった。





96 3

…気づくと俺は。コンクリにシミができるほど、涙をボロボロこぼしていた。

そんな俺の鼻に、フッと、冷たくて美味しい水みたいなジャガーさんの匂いが触れる。

幻覚だとはわかっていたが…俺は焼けた屋台に近づいて、その裏手、いつも彼女が

立っていた場所に回る。食器は割られ、焼け、略奪にあっていた、が…

…! 焼台の下に、見覚えのある常滑焼の壺が割れずに残っていた。

ジャガーさんがまかないに作っていたぬか漬けだ。

気づくと俺は、そこに手を突っ込んで。ナスときゅうり、人参が漬かっていた。

気づくと俺は、ボロボロ泣きながらそれを口に運んで。酸っぱく、塩辛いそれを、

ジャガーさんの手が触れていたそれを、気違いのようにむさぼって、食って。

自分がどれだけ空腹で、渇いていたか気づいた俺は。

焼け跡の下にあった、へこんで焦げてはいたが無事な発泡酒の缶を開けて、ぬるい

それを一気に二本、飲んで。

これも焼け残っていた、手作りのハゼの干物をそのまま食って… 泣いていた。

…ようやく、泣き声が出た。俺は破れた提灯を畳んで抱きしめ、食って、泣きながら。

…ありがとう…! ありがとう、ありがとう…! ジャガーさん…!





97 4

1週間ぶりに、まともに腹を満たした俺は…止まらない涙もそのままに、立ち上がる。

…腹に食い物と水気が入って。

死んでいた頭にも勃起したみたいに血が回っているのがわかる。

そんな、残飯を漁る野良犬のような俺。その耳に。

わざと足音を立て、何かを引きずって歩いてくる音が聞こえ…俺はギクッとする。

そこには…黒字に赤の革ツナギ、ヘルメットをつけた…女、いや…

「邪魔をして悪いけど。あなた、色々甘いわよ。一人じゃ何もできないくせに…」

エロ漫画が立体化したような、その体、その声。カバのフレンズ、あのひとだった。

…最初は、彼女が何を両手に引きずっているのかわからなかった。

カバさんは、黒っぽい背広をを来た二人の男を引きずり…片方は首が変な方に向き、

もう片方は血まみれの口から泡を吹きながら、まだ…生きていた。

…そいつらは? 少しびびった俺に。男を放り出し、ヘルメットを取った彼女が。

「あなた、ずっと尾行けられていたわよ。そいつら、あなたの名前の遺書とロープを

 持っていたわ。…あはは。公安もヒマなのねえ、あなたみたいな…」

「無力な虫ちゃんでも許せないみたいね、フレンズと関わりがあったら」





98 5

…カバさん。俺は屋台の残骸を離れ、彼女の前に。

ジャガーさんは、下宿のみんなは捕まったと言っていたが…彼女は、違ったか。

「お礼なんて言わないでね。本当は、私……」

「あなたのこともバラバラにちぎってドブに放り込んでやりたいのよ。わかるでしょ」

…わかる。…俺は、ヒトの俺は何も言えない。

「私、ここで見ているわ。人間が、すべて失って動物以下の獣になるのをね」

カバさんが真っ黒な笑いを見せたとき。足元の黒服が、無線機を手に…

 パァン! そいつの頭がカバさんの足の下で形を失う。

…そうか。俺は今さら気づいた。フレンズのもうひとつの顔。

…フレンズ狩りの暴徒は、彼女たち本物のフレンズを狩れるわけがない。

…俺たち人間は、フレンズのやさしさに甘えて…それに気づかないまま、滅びる。

「ジャガーに免じて、あなたは助けてあげる。こいつらの仲間が来る前に逃げることね」

カバさんはそう言うと、死体の左の袖をまくって、そこにGPS端末があるのをちらと見…

彼女が豚足を食べるときと同じ音を立てて、肘から腕を二本、引きちぎる。

「しばらくは私がこれとこいつらの携帯を持って動くわ。…じゃあ、がんばってね」





99 6

…カバさんは、行ってしまった。どこかで、巨大なバイクのエンジン音が吠える。

俺は…目の前で死体になっている、俺を殺しに来た公安の男たちの死体を…見た。

とくに、何も感じない。

心と脳が死んでいるのとは違う。ゲームのアイテムを見るような、そんな気分だ。

…そうか。そんなに俺が。フレンズたちが嫌いか。

フレンズのことを逆恨みしている間抜けどもは、フレンズを愛した俺が許せないか。

…なるほど。わかった。セルリアンより俺たちが憎いか。

俺は、死体の服を探って財布とIDカードを奪い、そして。そいつらが持っていた銃を、

SIG拳銃を2丁、弾倉ごととってベルトに突っ込み…歩き出した。

もうこの国に、俺の戻るところはない。守るものもない。見守る未来もない。

ジャガーさんは連れ去られてしまった。もう二度と会えない、はるかか彼方のパークへ。

…もう二度と?

そいつを決めるのは、この国じゃない。人間たちじゃない。クソザコナメクジの俺だ。

さんざん泣きはらした俺の目からは、涙が消えていた。目が赤く乾いているのがわかる。

――ジャガーさん。 約束をひとつも守れなかった俺だけど。…でも、俺は……!





100 1

その夏――


『セルリアン大壊嘯』により発生したセルリアン群を排除できないまま、首都東京都及び

千葉市、川崎市など首都近郊は放棄され、警察と自衛隊はセルリアン排除から同地よりの

避難民誘導救出に任務を変更。日本全土及び首都圏の最終的な犠牲者数はいまだ不明。

長野県松本市の臨時政府は非常事態宣言を発動。

被災者と避難者への支援を最優先するよう各部署へ通達を出すが、支援は各地で滞って

いるとの現状が国会に報告される。飢餓、疫病、暴動などの二次被害が懸念されている。


横田基地の在日米軍司令部は、米軍の本土撤退を順次行うと日本臨時政府に通達。

西之島危険海空域、および旧ジャパリパーク、マウント・フジのセルリアン殲滅任務で

米軍は陸海空海兵の四軍ともに甚大な損害を受けていたことが明らかになる。

この在日米軍撤退は日米安保条約への違反行為であると日本臨時政府は強く抗議。


拘置中の、財団法人ジャパリパーク振興会の遥香教授と研究員が脱走。現在もなお逃走中。





101 2

その夏が終わるころ。俺はまだ生きていた。

東京はすっかり廃墟になって、略奪のニセモヒカンどもくらいしかもういなかった。

都民は近隣県へと避難した、という公式発表だったが…

俺はその冬が終わるまでに、いろんなものを見た。

町の体育館あたりで、支援と救難を待っているうちに身動きが取れなくなって死んだ

ヒトたちの死体、地面を埋め尽くす人骨と服の残骸、腐臭と死肉食いの虫の饗宴。

フレンズ狩りの連中が武装し、大義名分を振りかざして避難民を襲う日常。

そのフレンズ狩りの連中が、自衛隊に捕捉されて射殺され、裁判無しで処刑される日常。

次の夏がくるころには、俺の見る光景はまた別のものになっていた。

臨時政府とかやらの支援は、ほとんど届かなくなっていた。

物資があっても、セルリアンや暴徒の襲撃、隠匿でそれはヒトたちには届かなかった。

街から逃げ出した人々の群れが、途中の幹線道路で力尽きて散り散りになって、周囲に

骨と服が散らばる光景はめずらしくなかった。その難民の群れが道中で鉢合わせして、

人骨が川原の石のようになっていたのも、何度も見た。

そして俺は…まだ、生きていた。――ジャガーさんに会うために。





102 3

最初の1年は、生き残るためだけに使ってしまった。

数ヶ月は、公安が俺を追ってきていたが…途中から、連中の姿は見なくなった。

政府は極力、国民であるヒトを支援し助けようとしていたが…状況が最悪すぎた。

セルリアンの大規模な襲撃こそ無かったが、発電所や大型の船舶をセルリアンに食われ

てしまうと、滅びの砂時計は味の素の穴くらいにガバガバの穴から砂を落としていた。

人類が電力網とインターネットを失うと、あとは早かった。

セルリアンに食われた人間は、全体からすると微々たるものだった。

インフラが破壊された世界では、100億近かった人類の人口はそれ自体が猛毒だった。

もちろん、人類が全て滅びたわけではない。2年が経ったころには、生き残ったヒトが

小さな集団を作って生き延び、別の集団と争っているのも、何度も見た。

だが…どうでもいいことだ。

ヒトの滅びの過程などは、俺にとってはジャガーさんの焼いてくれたマサラ風味の焼飯、

そののひと匙ほどの価値もない。

その中で俺が生き残れたのは、俺がタフだったからでも冷酷だったからでもない。

単純な理由。――今の俺には… フレンズ、という仲間たちがいてくれる。





103 4

「…なるほど。たしかにここで出入りを繰り返していても…サンドスターが切れたら…」

「私らはもう、二度とこの姿には戻れない。ごんぼほってる場合じゃねえな……」

「わかった。公園のねこどもとは、手打ちだ。…アライさんが出てきちゃあ嫌は言えねえ」

最初に味方してくれた、公園のねこフレンズ。彼女たち宿敵だった、多摩川の河原を

仕切っていた河原の子フレンズとの和平を仕切ってくれたのは、アライグマの子。

「ケンカなんかしててもお腹が空くだけなのだ。フェネックがいつも言っているのだ」

「アライさんにはかなわないや。いいだろう。オコジョ一家の出入りっぷり、見せてやる」

…真っ白で可愛らしいフレンズが…アイスの棒の片方に血判を押す。

この手打ちの仕切は、アライグマのフレンズ。

偶然、彼女と、そしてその親友のフェネックと会えたのは幸運だった。

やたらと顔が広いアライグマのアライさん、ガチで(事情通)のフェネックのおかげで

俺の周囲にフレンズが集まり始めていた。

本当なら、あの惨劇のあと…今思い出しても胃が裂けるようだ…

フレンズたちは政府に拘束されてパークに強制送還されていたはず、だが…






104 5

実際にはヒトを信用せず、逃げ出して潜伏していたフレンズも多かった。

それ以外にも…まだ「フレンズブーム」だった頃に、密入国の形で日本に連れてこられ、

売買されていたフレンズたちも多かった。

密入国フレンズは、小型の愛玩フレンズが多かったが…ヒトの予想とは違い、個性的な

彼女たちは持て余されて捨てられ、野良になっていた子が多かった。

(あのでちでち言うタカリの子がそうだった)

在留カードを持っていないフレンズを、政府が追えるわけもなく、そしてフレンズ狩りに

捕まるわけもなく。だが、サンドスター配合の万型配合飼料の配給が途絶えた今、この

日本で緩やかに衰えていくしか無かったフレンズたち。彼女たちが…

口コミ、そして河原のカワラバトを長にした鳥のフレンズの連絡網で、フレンズたちが

次第に、集まり始めていた。

…なぜか。フレンズのジャガーさんと引き離された俺のもとに。

俺たちは各地のフレンズ研究所を襲って解剖待ちのフレンズを救出。

(その数は微々たるものだった…大半はヒトの女、その死体だった…)

サンドスターの保管場所も襲撃して根こそぎ頂いて。俺たちは仲間を増やしていった。





105 6

俺と、フレンズたちの群れ。四年目にはフレンズ軍団の様相を呈していた。

その俺たちとセルリアン、そして俺たちを恐れたヒトとの戦いが続く中…

俺は、片目と右腕の先を失っていた、が。

まだ、生きていた。まだ死ぬ訳にはいかない。……ジャガーさんに会うまでは。

三年目には、中型までのセルリアンは敵ではなくなっていた。

散弾銃のシェルの鹿撃ち玉を、ヒトの歯を混ぜた鉛粒をワックスで固めたもので

セルリアンの“へし”を撃つ、あるいはへしを丸太の棍棒で殴るとセルリアンを一撃で

バラバラに出来るのがわかって、俺でも戦えるようになっていた。

…これもジャガーさんのおかげだ。…あのとき、彼女の戦いを見ていたおかげだ。

「いま戦争したら、ヒトを滅ぼせるぜこいつは。…冗談だよ」

「でも…このままだと、いつかはサンドスターが… としあきさんだけが頼りです…」

ずっと俺に付き従ってくれている、マヌルねことハシビロコウが話していた、日。

俺は、意外な人物と再開した。白黒のタイガー迷彩を着た俺の前に、

「…双葉くん。…ひさしぶりだね、そうか…噂の「ゼブラ」は君だったのか…」

四年後――モシヤさんは、二佐になっていた……





106 1

その日も、目に染みるくらいに空が青かった。あれから四年目の、夏の日。

俺がジャガーさんと、彼女の屋台も料理も、すべてを失ってから…四年目の夏。

日本中の隠れフレンズたちを集めた軍団の真ん中にいた俺に、予想外の相手からお声が

かかった。

その相手は…臨時政府。使者は、あのとき拘置所で会った自衛官の若屋二佐だった。

警戒する武闘派フレンズに守られた俺の前に、若屋さんは一人、丸腰で来た。

四年前、制服をぴしっと着こなしていた彼は…

今は、実戦の埃にまみれた戦闘服姿。…だが、あのネクタイをまだ右腕に巻いていた。

「…フレンズたちを集めた反政府組織“レギオン”の人間リーダー、ゼブラ…」

「それが君だったとは…驚いたよ。でも、無事で…なによりだ」

…俺は自分じゃレギオンだのゼブラだのは名乗ったことないですけど。

気づけば俺は、日本政府から人類の敵に指名されていた。もっとも、フレンズ研究所や

いろんな施設を襲撃したし、フレンズ排撃派など何度返り討ちにしたか知れないよ。

その人類の敵、手負いのクソザコナメクジ相手に、若屋さんは。

「…我々が君に何か頼める立場じゃないのはわかっている。だが…」





107 2

――取り引きがしたい。若屋二佐の話は、こうだった。

臨時政府は、いまだにフレンズ排撃派が過半数。彼らはフレンズ軍団と俺が憎くて、

恐ろしくて仕方ないが…俺たちを排除するのは、今の自衛隊をもってしても困難だ。

その排撃派に、若屋さんたちフレンズ信奉派が持ちかけた。

「船は、こちらで提供する。フレンズたちを連れて、パークに退去してくれないか?」

作戦名「ノア計画」…なんか不吉だ。

…なるほど。フレンズを日本から追い出す、実にクレバーな方法だ。俺がイエスと言えば。

…だが渡りに船とはまさにこれだった。俺も、ジャガーさんに会うため、そして

サンドスター切れに怯えるフレンズたちのため、パークまで行ける船は探していた。

…しかし。どこの港にある船も大半が破壊されていたし、船を動かすための人材も

俺たちにはなかった。…これで、やっと…ジャガーさんに会える…!?

「…たぶん、これが我々に出来る最後の作戦行動だ。ゼブラ、いや、双葉くん…頼む」

――話は決まった。

出港は1ヶ月後。場所は大洗の茨城港。騙し討を警戒するため、鳥フレンズは出港後、

安全を確認してから銚子沖で乗船。…これで、パークに行ける…?





108 3

そして1ヶ月後。若屋さん、臨時政府はマジで約束を守った。

大洗の埠頭に接岸した、黒と白の巨大な船体…貨客船「はくおう」。まだ浮いていた。

パークまでエスコートする護衛艦「あぶくま」がひどく小さく見える。

この1ヶ月で俺たちはフレンズをかき集め、パークで使う物資も集め、俺は個人的に

ハーブの種や苗木、酵母、種麹、向こうで使う食器や調理具もかき集めた。

フレンズの中には、この国に残る子たちも…いた。若屋さんたちでも所在がつかめて

いない、元パーク研究者たちのところへ行ったフレンズもいた。

――夏が終わるころ。

俺とフレンズたちは、貨客船に乗り込んだ。フレンズと出来ていた数人の男も一緒に。

船旅に喜ぶ子、巨大な船に怯える子、パークへ帰れる奇跡に涙する子。

最後まで俺と来るのを渋っていたカバさんも、最後は船に乗ることを選んでくれた。

別行動で、万が一裏切られた場合は政府のある松本市を地図から消す役目を買って出た

鳥の子たちは先に旅立ち…長く飛ぶのが苦手なハシビロコウは、俺と船に乗る。

ペンギンと海獣のフレンズたちは、海洋セルリアン対策で船の直援につく。

これでパークに…ジャガーさんに会える…





109 4

出港の前日、夕刻。赤く、宝石色に輝く夕日と、世界。

もはやその美しさを壁紙にするパソコンもない世界で、俺は貨物を確認。

そこに…中学生が夢に見そうなボディのフレンズが、カバさんが。

「…執念ね。ジャガーに会いたいためだけに、ここまでするなんて。男ってホント…」

「出港前前に、この子があなたに話したいことがあるんですって」

そう言ってカバさんが連れてきたのは…ひどく小柄に見える、ハシビロコウだった。

「…ごめんなさい。本当は、としあきさんには黙っておこうと思ったんだけど…」

「みんなと話し合って…私が伝えることになったの。あのね、私たちフレンズは…」

「…寿命が、あるの。私、長生きだから知ってる…サンドスターが切れたら…消える…」

…それは知っているよ。彼女の髪を残った手でなでながら言った俺に、

「パークなら、山からサンドスターが吹き出すから…一度消えても、またこの姿に戻れる」

「でも…生まれ変わったら、ね。姿は同じでも、またはじめから…記憶は消えちゃうの」

「あなたのジャガーさん、野性解放した上に傷を追っていたから…たぶんもう…」

……。やっと、彼女が何を言っているのか、分かった…






110 5

その報告は俺にとってショックだった。

…ジャガーさんが…俺を忘れている? …俺のことも、あの屋台のことも、みんな…?

「本当はこんなこと、伝えたくなかったけど…でも、言っておかなくっちゃ、って…」

…俺は一人だったら散弾銃の銃口をくわえていた、そんな気分で。

泣きそうな声で伝えてくれたハシビロの細いあごと、髪をなで上げてこちらを向かせる。

…最悪、ジャガーさんが、ジャガーさんでなくなっていたとしても。

俺の旅の終着点が、パークのキョウシュウ島なのは変わらない。

「…ごめんね。としあきさん… 私は、あなたのこと…ずっとわすれない」

ハシビロは目を閉じ、俺の右腕の傷に頭を何度も擦り付けて…船に戻った。

…新宿で、独特の詩集を300円で売っていた彼女。…ひどく昔のことに感じる。

…ジャガーさん。

…もし、彼女が俺のことを忘れていたら…ジャガーさん、俺を見たら何と言うだろう。

…その時、俺はジャガーさんに何と言えばいいだろうか。泣きわめいて、すがりつこうか。

…いっそ、俺だけここに残って…あの街に戻って、思い出の中で死んでいこうか。

…やはり俺はクソザコナメクジだ…その夜一晩中、悩んでいた…





111 6

悩んでいても、時は過ぎ、時はやってくる。出港の日――

俺はもう悩むのは…表面上は止めていた。今の俺はフレンズ軍団の真ん中、そして

人類の敵、日本から永久追放されるテロリスト「ゼブラ」だ。

意外なことに出港の見送りが、いた。若屋二佐がただ一人、埠頭に来ていた。

「旅の安全を祈っているよ。向こうでも、元気で。…彼女が無事だといいな」

情報部員なのに、戦塵で汚れた戦闘服で俺に敬礼した若屋二佐。腕の布切れが風に揺れる。

俺は彼に、この船でパークに行かないか? と声をかけてみた。

「…いや。自分はこの国で最後まで…任務を果たすよ。もう部下は誰も残っていないが…」

「…あのとき言っただろう? 俺の魂はもうパークにあるんだ…」

…無理しやがって。

俺は…小さく指で合図。護衛のねこたちが、動いた。

「…ジョフはおじさまとお別れするの、つらいでち…」 媚び役に若屋二佐の目が泳ぐ。

その一瞬。マヌルがカニバサミからのチョークで、現職自衛官を2秒で落とす。

――乗員を一人監禁追加して。船は。つがいを乗せていない奇妙な箱舟は出港した。

…ジャガーさん。…俺、怖くなってきちゃったけど。それでも会いにいくよ……





112 1

日本の空も、だいぶ青くなった。そんな夏の終る日。

俺とフレンズたちを乗せた船は出港し、日本を離れた。もうそこには、ジャガーさんも

彼女の屋台も、笑顔も、料理も何も残っていない。未練も望郷も、かけらもなかった。

予定通り、銚子沖で鳥のフレンズたちとも合流、乗船。貨客船「はくおう」と護衛の

「あぶくま」は予定通り、航路を南へとった。

途中、台風を避けて遠回りをした意外は…海洋セルリアンの襲撃もなく、マラッカ海峡で

海賊の襲撃を警戒したが、それすら全くなく…途中、他の船や航空機の姿も皆無で。

「はくおう」の設備もあって、豪華クルーズでも楽しんでいるような航海だった。

――そして三週間後。

「はくおう」は元ジャパリパークの諸島が間近に見える海域に到着した。

すでに、海域を封鎖していた米海軍は影も形もなく…襲撃も、もちろん歓迎も何もない。

…ただの陸地だ。…緑の多い、大きな島影。

…俺はとうとうここまで来た。

…ジャガーさんごめん、四年もかかちゃった…

俺の最終目的地は、ジャガーさんが送還されたキョウシュウ島。

だが、キョウシュウ島周辺海域は浅瀬が多く、大型船が就けられる港がなかった。





113 2

「はくおう」は、港湾のあるゴコク島のヨサキ港に入港した。

…ここがジャパリパーク! フレンズたちの生まれた島、俺にとっては聖地…!

…だが。やけに整備された港の施設、道路、観光地のようなホテルが目に入って、

野生の王国を期待していた俺は拍子抜けをする。

…だが。島に降りたフレンズたちは故郷の風を感じたのか、みんながはしゃいでいた。

…気づくと。何かが、フレンズたちの周囲に集まっていた。

枕くらいの大きさで二足歩行する…赤や青、緑色の奇妙な生物。

セルリアン? …だがそいつらは、誰も頼んでいないのに耳のような触手で器用に持った

カゴで運んできたまんじゅうを、フレンズたちに無償で配り始めていた。

「…ラッキービーストね。パークで私たちの世話をするために作られた子たちよ」

カラフルなまんじゅうを頬張りながら、カバさんが説明してくれる。幸運の獣?

…そして。ヒトの姿は、全く見えなかった。

そのかわりに、島にいた現住フレンズたちが埠頭へとぞろぞろ集まってきていた。

迫害され、何年も逃亡生活をしていた帰還フレンズたちはまだ警戒し、怯えていたが…

現住フレンズたちは、底ぬけに陽気な子ばかりだった。





114 3

「…そう。日本から戻ってきたんだ。でも安心して、ここではみんな…ともだち…」

「セルリアンが出たら、私がやっつけてあげるから… えっ、あなたヒトなんだ…」

現住フレンズで、このあたりのリーダーらしい中型ねこのフレンズが色々教えてくれる。

…そのフレンズを見て。若屋さんの目が「わが人生に悔いなし」と輝いていた。

俺は、ひとつ気が楽なって…旅を再開する。

このゴコクで、俺たちは二つの集団に分かれた。

片方はここに残るフレンズたちと、彼女たちの連れ合いの数人の男、若屋さん。

そして。俺と、護衛のねこたちとハシビロ、アライさんとフェネック、そしてカバさん。

ほかにサンドスターが切れかけている子たちで、キョウシュウへの旅を再開した。

ゴコクの案内板によれば、島の西側にキョウシュウへ渡る“はしけ”の船着き場がある。

俺たちはトラックでそこへ向かい、放置されていたはしけに乗り込み――

キョウシュウ島は、すぐ目の前。中央に高い山のある島の形が肉眼で見えていた。

…あそこに、ジャガーさんがいる。

はしけは、ものの三十分で俺たちをキョウシュウ島の船着き場に連れて行ってくれた。

ここが、俺の旅の終着点だ…





115 4

キョウシュウに上陸して…嫌でも目に入るのは、島中央の巨大な山。パーク・フジ。

米軍が爆撃したというその山頂からは、人類を滅ぼした虹色。禍々しく巨大な鉤爪が

そそり立っているのが見えた。…あれもサンドスターなのか。

俺たちは西、サバンナの方に向かって、いったんそこで野営地を作った。

…本当はすぐにでもジャガーさんを探したかった、が…俺はどこかで迷って…いた。

…もしかしたら、彼女がもう生まれ変わってしまっていて、俺のことを忘れている…

…フレンズたちの言葉でジャガーさんは「代替わり」してしまっているかも…

野営地を作ることで現実から逃避するクソザコナメクジの本性が出る俺…

だが。フレンズたちは違った。

アライさんたちは猛烈な勢いで何処かへ走り出し…また新しい仲間を見つけてくる。

ハシビロコウたち鳥は、それぞれ散っていって情報を集めてくる。

フレンズたちには、あの青いラッキービーストがまんじゅうを運んで来てくれたが、

彼らは俺のことを完全スルーしていた。

…しばらく俺は、狩りをするねこたちに食わせてもらう有様で。

…しかも、ここに出るセルリアンには黒い、俺には手に負えない種類が…出た。





116 5

青いセルリアンは俺でも潰せた、が。黒いセルリアンは…硬すぎて、駄目だった。

歯を混ぜた散弾もヤツらの表皮を貫けず…結局、カバさんが黒いのを捕まえて何度も

地面に叩きつけ、物理的にへしを叩き割って…何度か俺は助けられる…

「人間がこの島から逃げ出したわけがわかったわね。あなたも、無理しなくていいのよ」

…魔改造フィギュアのような体と、聖母の微笑みで言われると…グゥの音も出ねえ。

――そして。

その日は、突然にやってきた。最初の使者は、小柄な姉妹のような鳥のフレンズ。

森の図書館からやってきたという、フクロウのフレンズたちは俺に、

「人間。外の世界がどうなっているのか、私たちに教えるのです。もしやヒトは…」

「話すのです、人間。そうしたらお前が探しているねこを、ここに連れてきてやるのです」

…かんたんな取引だった。…俺の臆病以外は…

俺の話を聞いたそのフクロウたちは、何かを合点したように。

「やはり…ぐんたい、が逃げ、フレンズを送り返してきた時点でそう思ったのですが」

「…これは。あの図書館を手放せなくなりましたね、助手。…何でもないのです、人間」

――そして。彼女たちは、約束を守った。





117 6

四年もさまよって、生き死にをして、恋焦がれて、迷ったのに…その日は、突然だった。

隣のジャングルから、ここサバンナの野営地に連れて来られたのは。

……!! ジャガーさん!? ああ、間違いない! 生きてる! ジャガーさん…!

写真集で見た、あの毛皮模様の手足、スカート。髪の独特の模様、先の黒い可愛い耳…

ジャガーさん…!

挙動不審になりそうだった俺の目は、片方しかない目は…だが…体ごと、こわばる。

俺の前に連れられてきた、その大型のねこの、フレンズは…

「…あんた、なんなの? ヒト? ヒトが私に何だっていうの」

…声も、ジャガーさんだった、が… ……違う。この子は… ジャガーさんじゃない。

そのジャガーのフレンズは、俺と距離を取って。その手には、俺にとられまいとする

ように、枝に通したまんじゅうが3つほど。これは、ここに来る条件としてフクロウから

渡されていたものだ。

…彼女の、緑色の瞳が険しく、警戒して俺のことを見ていた……

「…四年前、ここに戻ったジャガーは、傷を負っていて。ジャングルに入ってからは」

「誰も見たものはおらず。その子は、2年ほど前にジャングルに現れたのです」





118 7

…このフクロウたち、俺の話を聞いてたのかよお…!

俺が探していたのは、その四年前に戻ったジャガーさんだ… この子は…ちがう…

…俺の旅は、終わった。

…悪いのは、全部俺だ。ここに来るまで、四年もかかってしまった俺のせいだ。

…ほかは誰も悪くない。眼の前にいるジャガーのフレンズも、ほかの子たちも……

…意外と、涙は出てこなかった。…なんとなく、この結末を予想していたせいか。

「この子、私のことも覚えていないみたい。…残念だけど。あきらめなさい、とし」

カバさんが、俺の背後で小さく言って。…ひどくやさしい声で、俺の名を呼ぶ。

「……!?」

目の前のジャガーが、少しイラッとしたような目で俺と、カバさんを見て首を傾げる。

俺は…この子に何を言っても、恨み言を吐いても無駄だとはわかりながらも。

…でも。滅びる愚かなサルの一匹は。

俺は荷物から、日本から持ってきたあの提灯を、ジャガーさんの屋台でいつもほの明るく

赤く、俺をねこ招きしてくれていた ごはん の提灯を、補修したそれを、出した。

……ありがとう、ジャガーさん。 ……ただ、その一言だけ。……これで、全部終わった。





119 8

俺はその提灯をジャガーに見せ、一言だけのお礼を言って。

「……。なん…なんなの、あんた……」 ジャガーの目が、不機嫌そうに俺を見る。

…だが、俺の頭の中では。

想い出の洪水が出口を求めて渦を巻いて。屋台の裸電球、その灯りを吸ったヒスイ色の瞳、

つけ台の上の皿、グラス、汗ばんで胸の形に膨らむシャツ、料理の匂い、煙…ごはん。

その向こう…俺を見て笑ってくれた、俺が見るたび恋に落ちていたジャガーさんの笑顔。

…涙になって出ようとしているそれを抑え、俺は提灯を風の中に流し、捨てようと……

「……待って、それ…駄目…!」

目の前のフレンズが、若い体つきのジャガーが。……?? ……泣いてる?

「…なんで、なんでよぉ… 昨日はちゃんと寝たのに… あんた――」

「あ、あれ… わたし… 今まで、寝ていたの…? 私… その赤いの… …ごはん…」

…目の前のジャガーが、その瞳からぼろぼろ涙をこぼして。その瞳が、エメラルドが

溶けたみたいになって、俺のことを見つめていた。…まさか……

…ジャガーさん! その俺の声に、目の前のフレンズは。

「……!! とし…!!」 …ジャガーさんは、俺を仕留める勢いで飛びついてきた。





120 9

「とし…! とし…! 会いたかった…来て、くれたんだね…とし…!」

「…その手、と顔… どうしたの? …ごめんね、私…さっきまで…」

…俺は、もう両手で彼女を抱くことは出来ないけど。

…俺は、四年ぶりにジャガーさんを抱きしめる。…やっぱり、ジャガーさん…!

…彼女は少し小柄で、おっぱいも少し固そうで、でもやっぱりジャガーさん…!

…俺のことを覚えていてくれた…! …俺は…何も、無くしちゃいなかった…!

彼女の涙が、俺のシャツを貫通してくる。…あたたかい。

その俺の背後で、フレンズたちが驚いたり笑ったり、呆れたりしていた。

「…代替わりしたのに記憶が残っている。これは調べる必要がありそうですよ、助手」

「…物体が再生のキーになるのかも。やはり図書館は死守せねば、博士」

そして。ジャガーさんが俺を見上げながら、何度も聞いた言葉を…ささやく。

「…とし、おなかすいて…ない?」

『…うん。腹ペコで、ごはんが食べたいけど…』 急がなくていいよ…なぜなら。

やることがたくさん、ある。今度は俺が、彼女のために働く番だ。

――クソザコナメクジの俺でも、ここでジャガーさんの屋台をひくくらいは、できる。





121 10

                             ――おしまい


















だそくてき 1

ほんの少し昔。ここはジャパリパーク、キョウシュウ島と呼ばれていた。

その島には、カレンダーがない。暦を見る人間も、もういない。

…いや、まだ男が一人だけ…いる。

島にいるのはフレンズたち、そして彼女たちの敵であるセルリアンだけ。

そんなキョウシュウ島の片隅、船着場の近くにあった放棄された建物の中で…

「ねーちゃん。もう真昼でちよ、ちょっとイップクするでち。ジョフは疲れたでち…」

「さっきまんじゅう食ったばっかりだろ! どうしてお前はそうモノ探しに根性が…」

元は、ホテルと売店、そしてスキューバダイビングを楽しむ観光客のための施設だった

その建物の中でうごめく、その二人のねこのフレンズは。

…ここに残された、人間の遺物をきょろきょろと見、その小さな手にとって。

…残された雑多な物品の中。なにかを…探していた。

「いいか? あいつとジャガーが着られるような、こういう…小さい、服だからな」

「わかってるでち。水に入る時の服と… あとはメガネでちか?」

「そうだ、ヒトは水の中じゃほとんど目が見えない。そのための水の中用メガネだ」

マヌルねこと、ジョフロイねこ。彼女たちの探索は、続く。





だそくてき 2

「…魚がいっぱいいる岩場は見つけた、あそこなら泳げる。あとは道具があれば…」

「ねーちゃんはあの男に甘いでちねえ。……。何でもないでち」

「…くそっ。あんなモン見せられたら…仕方ねえ。これで貸し借りナシだ…」

「…すいぞくかん? の券でちか。てか。ねーちゃん、すいぞくかん、てなんでちか」

「……。永遠なんぞ、くそくらえだ。…そんなもん、二つにちぎってやるんだ…!」

…何か思い詰めたように…人間の遺品を探す、ねこ。その横で、

「ねーちゃん! おっぱいのところがピカピカするブラ、発見でち!」

「捨てろ。…くそ、せめて水メガネと呼吸する筒だけでも…」

「でも…ねーちゃん、無理しない方がいいでち。…この先、森のフクロウと戦争でちよ」

「わかってる。…あいつらだけに図書館は渡せねえ。…だから、その前に……」

「腹ペコだと効率悪いでち。あいつのところで、魚のフライでもたかるでち」

「……。そうだな、一度戻るか」

マヌルが唇を舐め、遠くを見たとき。

「それより。…今日あたり。あのふたり、初エッチするとジョフは睨んでいるのでち。

 きっと濃厚でちよ。フフフ、セックス(以下、怒られるまで繰り返し)」





だそくてき 3


 ビビビビビビビ   デチィイイイィ














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ジャガーさんの屋台とあいつ 攻撃色@S二十三号 @yahagin

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