第五刻 日常

 『AA』本部で目が覚めてから数日が経った。

 特にこれといってやることもなく、篠原にやることはないかと聞いても、ない、ときっぱり言われてしまっては何度も繰り返し聞くのは躊躇ためらわれる。

 結果やることがない俺はほぼ毎日散歩に出ては詩織のいる喫茶店に立ち寄っていた。



 そして今日も今日とて詩織のところに行こうと家を出ようとしたところで、ピンポーンとインターホンが鳴った。

 誰だろうと思って玄関の扉を開くと、その先には篠原が立っていた。なにやら手提げ袋のようなものを持っている。


「よお、篠原。なにか用か?」

「こんにちは、清くん。いま暇かな?」


 挨拶を交わし、篠原は首を傾げながら質問してくる。


「あー……悪い、丁度いま散歩に行こうとしてたところなんだ」


 そう答えると、右に傾げていた首を左に傾げて疑問そうな表情を浮かべる。


「散歩?最近毎日外出てるって聞いたけど飽きないの?」

「まあ散歩してるだけなら飽きるだろうけど、いまは目的地もあるしな」

「目的地?」


 ますます疑問が深まっていくと言わんばかりに聞いてくる。


「前に散歩をしていたら見つけた喫茶店なんだが、……説明が難しいな」

「ふーん。ねえ、わたしもついて行っていいかな?」

「え?そりゃまあいいけど、今日は仕事ないのか?」


 篠原は小柄な身体に似合わず『AA』のお偉いさん——実際どうなのかは知らない——だ。そんなに遊びまわっている暇もないだろうに。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、篠原は苦笑いを浮かべる。


「そんな私だって毎日仕事してるわけじゃないよ。というかそんなことやってたら司さんに怒られちゃうからね。人数不足を言い訳にして仕事して過労死したら元も子もないだろう、ってね」


 先日会ったときも思ったが、司さんは良い上司なのではないだろうか。

 存在感は強いが優しそうな表情を常に浮かべていて、実際に話してみると気さくで偉い人ということを忘れてしまうような人柄だ。その上きちんと休暇をくれるというのは部下にも尊敬されていそうなものだ。


「まあそんなわけで今日は私仕事があるわけでもないし一緒に行ってもかな?」

「そうだな。それじゃ行くか」


 そう言って家を出て、詩織のいる喫茶店に向かった。



「あれ、こっちの方向に喫茶店なんてあったっけ?」


 いつも一人で歩いている道を、今日は篠原と二人で歩いていると、篠原が首を傾げながら聞いて来た。


「……いろいろと事情が複雑でな、悪いが目的地に着くまで待っててくれ」

「それは別に良いけど……」


 そうしてしばらく歩いていると、目的地が見えてきた。


「あの建物が目的地の喫茶店なんだが、見えるか?」


 極力不自然に思われないように、一度立ち止まって質問する。

 先日の詩織との会話を思い出す。


「そういえば詩織自身が他人には見えないから知り合いがいないのはわかるんだが」

「うん」

「どうしてこの店には人が来ないんだ?ここ数日一回も人が来たことないよな?」


 そう聞くと詩織は思い出したかのように言った。


「あ、それはね。この建物もわたしと同じようにほかの人には見えないみたいなの」

「じゃあ俺は詩織が見えるからこの店も見えるってことなのか」

「たぶんね」


 もし詩織が見えるということが喫茶店が見える条件なら、逆説的に建物が見えれば詩織が見えるはずだ。

 ここで篠原が建物を認識できないのなら今日詩織と会うのはやめておこう、と思いながら返答を待つ。


「あ、あそこ?こんなところに喫茶店があったなんてびっくりしたよ」


 そういう彼女の視線を追うと、詩織がいる喫茶店の方向を向いていた。


「ああ、あそこだ」


 安堵しながら再び歩みを進める。

 入り口の前で扉の取っ手に手をかけたところで篠原が不思議そうにしていないか確認してから扉を開く。

 カランコロン、という聴き慣れてきた小気味いい音とともに店内に足を踏み入れる。

 店内の雰囲気とシックな内装は最初にここを訪れたときから変わっていないが、最初とは違うところがひとつあった。


「あ、おにいさん!今日もきてくれたの?」


 扉の直ぐ正面の座席には詩織が座っている。俺が来たことを確認して笑顔を浮かべている姿を見ると、こちらが微笑ましくなる。

 椅子から降りてこちらにタタッと小走り気味に駆け寄ってくる詩織だが、俺の後ろにいる人影を見ると走りを止め、不思議そうに首を傾げながら聞いてくる。


「おにいさんその人だれ?」


 篠原に店内に入るよう促してから説明をする。


「この人は前に説明した俺が目が覚めたときに色々教えてくれた人でな。散歩に行くって言ったらついてくるって言ってきたんで連れてきた」


 それを聞いて詩織は納得したように頷いた。


「あ、もしかして篠原って人?はじめまして、詩織って言います。篠原さんもわたしが見えるんですね!」

「えっと、篠原 沙奈です。詩織、ちゃん?はじめまして」


 少し困惑しながら篠原は挨拶をした。


「……清くん、もしかして毎日この子に会いにここまで来てたの?」

 そう言ってこちらに向けてくる視線は心なしか冷たく感じた。



「それじゃあ詩織ちゃんは清くんがここに来るまで誰とも話したことがなかったの?」

「うん」


 篠原がなにやら誤解しているようだったので詩織の事情を説明すると、困惑しているようだった。


「『AA』にそれなりに所属してきたけど、そんな話聞いたことないよ……」

「まあ実際いまのところ詩織が見えるのは篠原と俺だけみたいだし仕方ないんじゃないか」

「……そうだね。わからないことをいつまでも考えていても仕方ないよね」


 篠原は難しい表情を崩して詩織に向き直る。


「じゃあ詩織ちゃん、改めてよろしくね」

「こちらこそよろしくおねがいします」


 そう言ってペコリと詩織は頭を下げた。

 挨拶が済んだら遊ぶことしか頭になくなってしまったのか、早速篠原となにで遊ぶかを話しているようだ。

 詩織が遊ぼうと言い出すと大体決定権を握られているので話し合いに参加しても無駄だろう。俺は店の端のほうの席に腰を下ろして二人の様子を眺める。

 そしてふと気付く。詩織と篠原の容姿がそっくりなことに。二人とも腰まで届くほどの黒い長髪と黒の瞳。違いといえば着ている服が詩織が黒で篠原が白ということと、年齢故の身長差といったところか。身長に関しては篠原も小柄なほうなので親子というよりかは姉妹のように見える。

 そんなことを考えながら二人の様子を見ていると、今日の遊びが決まったのか詩織がこちらに歩いてくる。


「おにいさん。沙奈おねえさんとお話した結果、今日はトランプをすることになりました!」


 呼び方が変わっているところを見ると、少し話している間に随分と篠原に懐いたようだった。ここに篠原を連れてきたのは俺だから、もし仲良くなれなかったらどうしようかと少し不安があったのだが、それも一安心だ。

 先ほどまで姉妹のようだと考えていた二人が本当に姉妹になったかのような呼び方に、少し笑いながら返事をする。


「ああ、わかった」


 そう言うと詩織は篠原のほうに戻っていく。そのあとを追って俺も歩いていく。

 その後トランプで色々な遊びをしたり、篠原が持ってきた弁当を食べたりして一日を過ごした。

 それはとても楽しかった一日であり、平和な日常に幕が下りた一日だった。

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亡失ノ刻 ゆうひ @yuhi-s0173

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