第四刻 少女

 少女は目覚める。

 見知らぬ場所で、とても長く感じられた眠りから。

 少女は気付く。

 自分に記憶がないことに。

 少女は理解する。

 自分が誰にも見られていないことを。

 少女はわからなかった。

 自分の胸にる、なにかが欠落したような感覚が。



 『AA』で目覚めてから三日目の朝。

 肌寒さを感じて目を覚ます。どうやら体にかけていた毛布を寝ている間に蹴り飛ばしてしまっていたようだ。

 時計を見ると十時を少し過ぎた時刻を指していた。

 朝食を済まし風呂に入って、今日は何をしようかと考える。

 記憶がないせいで以前の自分の趣味がどういうものだったのかがわからないし、今自分がやりたいこともない。

 かといって部屋で寝ているだけというのも流石にどうかと思う。


「……散歩でも行くか」


 結局昨日と変わらず散歩に行くことにした。



 昼間ということもあって昨日よりも街は活気に溢れていた。

 公園には小さい子どもたちとその親が、住宅街にはご年配の方たちが街のあちこちに見受けられる。

 商店街はごく普通の商店街といった感じで、肉屋や魚屋、八百屋に服飾店ふくしょくてんに薬局とあまり目新しいものはなかった。



 小一時間ほど散歩して少し疲れてきたので、そこらにあった喫茶店で休憩することにした。

 カランコロンという音とともに扉を開く。店はシックな内装で女性に人気がありそうな雰囲気があった。しかし店内には客どころか店員の姿すらなく、経営されているのかも怪しい。


「誰もいないのか……?」


 店に入って周りを見渡す。

 テーブルや床に埃が積もっていないことを考えて、つい最近までこの喫茶店が経営されていたのは確実だろう。持ち主が掃除に来ているだけなのかもしれないけれど。

 店内を歩いてカウンターの前まで来たところで、カウンターの向こう側から何かが動いたような音が聞こえた。

 誰かいるのかと思いカウンターの反対側を覗いてみるが、人影はない。


(気のせいか……)


 どうやら店はやっていないようだし、大人しく部屋に戻ろうと店から出ようと振り返ると、ドン、と何かにぶつかった。


「きゃっ」


 可愛らしい悲鳴が聞こえて足元を見る。そこには小学生くらいの女の子が転んでしりもちをついていた。


「いたたた……」

「大丈夫か?」


 声をかけながら手を差し出す。


「う、うん」


 少女が手を握ったのを確認してから起き上がらせる。

 少女の姿を確認する。腰を超えるほど長い黒髪と、透き通るような黒い瞳。そして同じく黒色のワンピースと全身が黒で統一された格好をしていた。


「転ばせちゃってごめんな。怪我はないか?」

「へーきだよ。ところでおにいさんはどうしてここにいるの?」

「俺は喫茶店を見かけたから休憩しようと思って入ってきただけだが」


 そう言うと少女は少し驚いたような反応をする。


「おにいさんはやっぱりわたしが見えるんだね」


 そしてそんなわけのわからないことを言った。


「そりゃこうして話しているわけだし、当然だろ」

「わたしいままでだれかとお話したことなかったから」

「は?どういうことだ?」


 聞き返すと少女は表情一つ変えずに答える。


「わたしね、生まれてから今日まで一度もだれかとお話したことなかったの。いろんな人に話しかけてもだれも反応してくれないの」

「生まれてから一度も誰とも話したことがない?親はどうした?」

「わたしね、ずっと昔に気づいたらここにいたの。ほんとに小さいころだったしなにもわからなかった。だからおかあさんもおとうさんも知らないよ」


 言葉を失う。せいぜい小学校中学年くらいの子が、もっと小さいころになにもわからない状況で、こんな場所で目を覚ました。記憶喪失の自分が言うのもどうかと思うが、普通じゃない。


「……寂しくなかったのか?」

「うーん……、よくわからない。ひとりぼっちなのははじめからだし言葉はいつの間にか覚えてたんだ。ここね、一階は喫茶店なんだけど二階がおもしろいお部屋になってるの。そこでほしいと思ったものがなんでも出てくるからひまになることもなかったよ。あ、でもね、『お友達が欲しい』っておねがいだけは叶えてくれないの。どうしてかな?」

「いや俺に聞かれてもな……」


 いろいろ聞かされたばかりの俺にどう考えろというのか。小さい子だからそんなことわからないのだろうけど。

 続ける言葉に悩んでいると、少女が口を開く。


「でもね、おにいさんがきてくれたからわたしもうひとりぼっちじゃないよ」


 そんなことを嬉しそうに笑いながら言った。


「そっか……」


 寂しいという気持ちがわからないと言っていたが嬉しいという気持ちはわかるのだろうか。そんなことを考えてしまう。


「ねえねえおにいさんのこと色々教えてよ」

「ごめんな、俺もついこの間記憶喪失の状態で目が覚めたばかりでな。自分のこともよくわかっていない状態なんだ」


 それを聞いた少女は驚いたような表情を浮かべてから少し嬉しそうに言う。


「じゃあわたしたち同じなんだね!」

「まあ俺は普通に他の人と話したりできてはいるけど、一応同じっちゃ同じなのかな」

「ならわたしが記憶がない先輩ってことでいろいろ教えてあげる!」


 目を輝かせながら話をしたそうにうずうずしている少女。その様子を見ていると微笑ましい気持ちになる。


「ああ、じゃあいろいろ聞かせてくれ。俺は神宮 清だ。よろしくな」

「わたしは……詩織しおり。これがわたしが生まれた瞬間からおぼえてる言葉だから、これが名前だと思う」

「詩織、か。よろしくな」


 そう改めて挨拶すると、詩織は満面の笑みを浮かた。


「うんよろしくね、おにいさん!」

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