第二刻 アンチ

 授業をサボってグラウンド端の木陰で昼寝をしていた時だった。


「あれ?こんなところに人がいるなんて珍しいね。でもいま授業中だよ?教室にいなくていいの?」


 ふと、頭上から声をかけられた。


「……別にここに人がいたっていいだろ。授業中だって言うならあんたも戻ったらどうだ」


 目を開くとそこには美しい透き通るような白髪と、赤と紫の左右で色の違う瞳を持つ現実離れした姿をした少女が俺の顔を覗き込んでいた。


「まあ別に悪くはないけどね。私は美術の授業嫌いなのー」


 そう言って彼女は俺の隣に座り込む。


「……おいなんで隣に座るんだ」

「別に良いじゃない。私がどこに座ろうと勝手でしょ」

「…………」


 なんなのだろう、こいつは。




 早朝、外から聞こえてくる鳥の鳴き声で目が覚める。

 目の前には見慣れぬ天井。体を起こして周囲を見渡すと、これもまた見慣れぬ壁と窓が視界に映る。

 昨日目を覚ました時と同じようなことをしていることに気づくが、だからどうしたという話だ。

 この部屋で暮らし始めたのもつい昨日からなので見慣れないというのも当たり前なのだが、そもそもここが元の自分の部屋だったとしても記憶喪失の今の自分では見慣れないと感じただろう。

 窓の外を見てみると、まだ薄暗い空が広がっていた。

 部屋に備え付けてあった時計で時刻を確認してみると、起きるには随分早い時刻を指している。


「散歩でもするか……」


 そう思い着替えて外に出ると、秋の少し肌寒い空気が残っていた眠気を吹き飛ばす。

 階段を下りて、家から『AA』本部の建物までの一本道に沿って歩き始める。

 道の端は鮮やかに紅葉こうようした木々が生い茂っていて、道の先は街を一望できるため眺めが良い。

 そんな景色を眺めながら散歩をしていると、『AA』本部の横を通って少ししたあたりでちらほらと普通の住宅が見え始めた。

 時間が時間なのでまだ人影は見当たらない。

 そのままもう少し歩いていると街の外れにある公園に着いた。

 いかにも田舎の街にある寂れた公園、といった雰囲気を纏っている。

 ふと、ベンチに腰かけている人影が視界に映った。

 それは昨日世話になった篠原 沙奈と、見知らぬ少女二人だった。

 朝早くから何をしているのだろうと疑問に思っていると、向こうも気づいたらしく声をかけてきた。


「あれ、清くんだ。なんでこんな朝早くにこんな場所にいるのー?」


 三人がいるほうに向かいながら返事をする。


「俺はたまたま目が覚めちまったんでな、散歩してたところだ。そっちこそなんでこんな時間に?」

「私はこの二人に急ぎで話さなきゃことがあったから」


 そう言って、他の少女二人に視線を移す。

 二人は服の違いがなければ見分けがつかないほどに瓜二つの容姿をしていた。


「初めまして。ぼくは四木よつぎ 楓恋かれん。ぼくたち双子で名字が同じだから名前で呼んでもらえると助かるかな。ちなみにぼくが姉」


 と、赤椿色のパーカーを着たやや髪の短い少女が。


「初めまして、私は妹の四木よつぎ 愛椿あきです。愛椿と呼んでください」


 と、紅葉色のワンピースを着たやや髪の長い少女が、自己紹介をしてくれる。


「俺は神宮 清……という名前らしい。原因はわからないが記憶喪失なもんでこの名前であっているのかどうかすら怪しいけど、とりあえずそう呼んでくれ」


 俺も挨拶を返す。


「神宮くんね、これからよろしく」

「よろしくお願いしますね」

「こちらこそよろしく頼む。ところで朝早くから何を話してたんだ?」


 尋ねると、篠原がそれに答える。


「この二人も『AA』のメンバーなの。それでちょっと急ぎで頼みたいことがあってね」


 その言葉に四木姉妹が頷く。


「頼みたいこと?」


 今度は四木……楓恋が答える。


「うん。潜伏中だったテロ組織が活動し始めたみたいでね。それの鎮圧に向かってくれないかって言われたのよ」

「それ危険とかないのか?」

「そりゃ危ないけどぼくたちの『アンチ』がそういうことに向いてるからね」


 それを聞いて愛椿も頷く。


「現場には防御効果や回復効果のような『アンチ』を持つ人もいますから、あまり危険性はないんです」

「そんな『アンチ』もあるのか。便利なもんだな」


 だからこそテロ組織に狙われているんだろうけど。


(そういえば俺はまだ自分の『アンチ』がなんなのか聞いていないんだよな)


 知りたいと思う。

 しかし、聞こうと口を開いても声が出ない。

 まるで本能が、それを知ることを拒んでいるかのように。


(……そもそも聞いても教えないみたいなことを昨日言っていたし、聞くだけ無駄か)


「では私たちはそろそろ行かなければいけないので」

「うん、じゃあ二人ともよろしくね。気をつけて」


 一人考え事をしていたらそんな会話が聞こえてきた。


「沙奈と神宮くんも気をつけてな」


 楓恋と愛椿はそれだけ言ってどこかへ行ってしまった。


「じゃあ私たちも帰ろっか」

「そうだな」


「なあ、一つ聞いてもいいか」


 帰宅途中、前を歩いている篠原に声をかける。


「なーに?」


 彼女は振り向かず前を歩いたまま返事を返す。


「『アンチ』って一体何なんだ?」

「んー。ざっくり言っちゃうと、そうだね——『自然の理を捻じ曲げる』能力って感じかな」

「自然の理を——捻じ曲げる……?」


 彼女は歩みを止めて振り返る。


「そう。ある人は『肉体の時間を巻き戻すアンチ』だったり、別の人は『自分の肉体をダイヤモンド並みの硬度に作り替えるアンチ』を持っていたり、また別の人は『電気を操るアンチ』を持っていたり、そういう自然には起こりえない事象を起こす能力、あるいは能力者を『アンチ』と呼ぶの」


 語る彼女の表情は真剣そのもので、そして悲しそうだった。

 自然の理を捻じ曲げる。それは、とても危険なことだと思う。

 自然は生物が操れないからこそ、恐れ、寄り添って生きてきたはずなのだ。

 そんな自然の理を捻じ曲げるなんてことが容易にできるとは思えない。きっと、何かしらの犠牲や代償があるのだろう。

 俺が何を考えていたのか伝わっていたのか、彼女は言う。


「もちろんただで使えるわけじゃないよ。『肉体の時間を巻き戻すアンチ』は使用後数時間、あるいは数日間昏睡状態に陥ったり、『自分の肉体をダイヤモンド並みの硬度に作り替えるアンチ』の場合、その後筋線維がボロボロになったりすることもある。『アンチ』が強力であればそれだけ反動も大きくなる」

「じゃあさっきの楓恋と愛椿も……」

「彼女たちは個々の『アンチ』はそこまで強力じゃないから、反動は軽いことが多いの。それもあって彼女たちによくお仕事を頼んでるんだけど……」


 彼女は力なく笑い、そう言った。


「……『アンチ』のことについてはなんとなくわかった。説明してくれてありがとう」


 もう少し聞きたいこととか気になることはある。

 でも、何故か彼女にこれ以上聞く気にはなれなかった。

 彼女にもうこれ以上悲しそうな表情をして欲しくない、そう思ってしまった。



 それから『AA』の本部に着くまで会話はなかった。


「じゃあ私はやることがあるからここで」


 そう言う彼女からは先ほどまでの悲しそうな表情は読み取れない。


「朝から忙しそうだな」

「まあ私これでも結構偉いからね。さっき四木姉妹に依頼しに行ったのもそれが理由だし」

「ふーん」


 まあ確かに保護対象の俺のところに来ていたってことはそれなりに組織に信頼されているということなんだろう。


「俺も帰るわ。まだ朝飯食べてないし、なにかやること見つけないと暇そうなんでな」

「あ、ちょっと待って」


 帰ろうとして、呼び止められる。


「お昼頃になったらでいいからここに来てくれないかな?会わせなきゃいけない人がいるんだ」

「会わなきゃいけない人?誰だ?」

「『AA』のリーダー。まだちょっと説明しなきゃいけないことがあるから直接話したいって」


 ああ、そういえばまだ会っていなかったな。

 昨日篠原が電話で伝えていたっぽいからすっかり忘れていた。

 確かにこれから世話になるのに直に会わないってのも失礼な話だ。


「そうだな……。じゃあ正午になったらここに来ればいいか?」

「うん。ここに来てくれれば私が迎えに来るから」

「了解。じゃあまた後でな、篠原」

「沙奈。沙奈でいいよ。みんなそう呼んでるし、私もあまり名字では呼び慣れてないんだ」


 沙奈、か……。若干の抵抗はあるが、本人が望んでいるならそう呼んだほうがいいのだろう。

 そう思って言い直す。


「じゃあまた後でな、沙奈」



 ズキッ、と頭の奥で痛みが走ったような気がした。

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